第2話/通算22話「無料なのに、誰も奪わない」
第3シーズン「商売のない国編」
世界一の百貨店を、小さくした。
それは、直人にとって一つの答えだった。
店を増やすことだけが成功じゃない。
全部を自分の店にする必要もない。
小さな店を残す。
それぞれの商人が、それぞれの看板を守る。
百貨店は、その間をつなぐ。
ようやく。
「世界一」の意味が分かった気がしていた。
けれど。
世界は、すぐに次の問いを突きつけてくる。
《第三実験地域》
そこには。
店がない。
値札がない。
広告がない。
商人すらいない。
なのに。
人々は飢えていない。
必要な物は届いている。
誰も財布を持たず。
誰も「いくらですか」と聞かず。
それでも。
人々は笑って暮らしている。
世界一のバイヤーにとって。
それは、魔王より理解できない相手だった。
これまで直人は。
届かないなら、届けてきた。
高いなら、買える方法を考えた。
店がないなら、作ってきた。
選べないなら、選べるようにしてきた。
そして。
商売には、人を幸せにする力がある。
そう信じてきた。
でも。
もし。
商売をしないほうが幸せな世界があるとしたら?
欲しい物を増やすことが。
選択肢を増やすことが。
人を豊かにするとは限らないとしたら?
それでも。
百貨店は必要なのか。
それでも。
商売は、人を幸せにできるのか。
第3シーズンは。
世界一のバイヤーが、商品ではなく。
「商売そのもの」を査定する物語。
そして。
直人が初めて。
「売らない」という選択肢と向き合う物語です。
リリスとの距離も、少しずつ変わっていきます。
何かを買うから楽しいわけじゃない。
店があるから一緒にいるわけでもない。
何も買わなくても。
何も売らなくても。
隣にいるだけで楽しい時間がある。
そんな当たり前のことを。
商売ばかり見てきた直人は。
たぶん。
まだ知りません。
世界一の百貨店が。
店のない国へ行く。
そこで待っているのは。
新しい商売ではない。
商売がなくても成立している幸せ。
第3シーズン。
「商売のない国編」
ここから。
直人の一番大きな敗北が始まります。
無料なら、人は多く取る。
得できるなら、得をする。
なくなるかもしれないなら、その前に確保する。
俺はそう思っていた。
少なくとも、昨日までは。
「おじちゃん」
「ん?」
「そんなに食べるの?」
共同倉庫の真ん中で、パンを二十個抱えたバルグが少年に見上げられていた。
バルグは自分の腹を見る。
パンを見る。
もう一度、腹を見る。
「……食う」
少年も腹を見る。
パンを見る。
「ほんとに?」
五秒後。
世界最強クラスの戦士は、そっと十九個のパンを棚へ戻した。
「一個でいい」
俺は思った。
この国、強い。
【無料だから、取らない】
昨日、俺はこの国に負けるかもしれないと思った。
店がない。値札がない。給料もない。
それでも人々は働き、作り、必要な物を受け取って暮らしている。
だが、まだ納得したわけじゃない。
「今のはバルグだからだ」
「どういう意味だ?」
「子どもに見つめられると弱い」
「俺を何だと思ってる」
「見た目が怖いのに子どもには優しい人」
「褒めてんのか?」
「だいたい合っています」
リリスが淡々と刺した。
俺は共同倉庫へ視線を戻す。
老人。母親。職人。子ども。
次々と棚から物を取っていく。
パン二個。
野菜三つ。
石鹸一個。
布一枚。
それだけ。
「……少なくない?」
「必要な分なのでしょう」
「無料なんだぞ?」
「正確には、値段がないんですよね?」
「分かってる。でも俺の頭が無料に変換する」
石鹸なら腐らない。
布も工具も、多めに持っていて困らない。
なのに誰も二個目を取らない。
「直人」
「何?」
「昨日から同じところを回っています」
「俺も分かってる」
「商売人の迷路ですね」
「出口が見えない」
「壁に値札でも貼ります?」
「落ち着くかもしれない」
「重症ですね」
リリスが笑う。
最近、この顔が増えた。
それを見ると、負けても悪くないと思ってしまう。
国にだ。
国に負けても、だ。
【買い占めという発想】
昼まで見ても、誰も大量に取らなかった。
一人も。
「あり得ない」
「現実ですよ」
俺は案内役の女性に聞いた。
「物を大量に持っていく人はいないんですか?」
「大量?」
「例えばパンを二十個」
「もうやめろ」
バルグが低い声を出す。
「自分のために、必要以上に持っていく人です」
「どうして?」
まただ。
この国では、俺の常識が質問で殴り返される。
「得だからです。たくさん持てば、その分だけ得でしょう?」
「でも、食べないんですよね?」
「後で食べるとか」
「後で必要なら、後で取りに来ればいいのでは?」
俺の理論が三秒で死んだ。
「急になくなるかもしれない」
「なくなりそうなら作ります」
「作れなかったら?」
「他の物を使います」
「それもなかったら?」
「近くの地域から分けてもらいます」
「そこにもなかったら?」
女性は少し考えた。
「その時は、みんなで困りますね」
自分だけ確保する、という発想が出てこない。
そこで、ようやく気づいた。
俺の世界で買い占めが起きるのは、物がなくなる不安だけじゃない。
次に手に入れるには金がいる。
他人より先に確保した方が安心できる。
ここでは違う。
必要なら取れる。
なくなれば作る。
作れなければ助け合う。
だから、今、抱え込む理由がない。
「……信用してるのか」
「誰を?」
「みんなを」
「?」
女性は本気で分からない顔をした。
信用することすら、意識していない。
それが、この国の普通だった。
【働かなくても、生きていける】
次に向かったのは木工房だった。
「給料がないのに、なんで働く?」
昨日聞いた答えは「必要だから」。
まだ、俺には飲み込めない。
十人ほどの職人が家具を作っている。
監督はいない。
作業時間を測る者もいない。
ノルマもない。
「今日、何時まで働くんですか?」
「疲れるまでかな。夕方には釣りに行きたい」
「……自由だな」
「店長なら売上目標を確認しますね」
「余計なことを言うな」
職人に尋ねる。
「働かない日もある?」
「あるよ」
「働かなくても食べ物は?」
「倉庫からもらう」
「じゃあ、誰も働かなくならない?」
職人は手を止めた。
「あなたは?」
「俺?」
「働かなくても食べられるなら、何もしない?」
言葉に詰まった。
百貨店を閉めても一生困らない。
そうなったら、俺は働かないか?
たぶん三日で飽きる。
一週間で仕入れに行く。
知らない商品を見つけたい。
誰かに届けたい。
「……働くなと言われても、たぶん働く」
「俺もだよ」
職人は笑った。
「椅子を作るの、好きだから」
また木を削り始める。
必要だから。
好きだから。
誰かが使うから。
金は、働く理由の一つにはなっても、唯一の理由ではない。
俺がずっと知っていたはずのことを、この国は金なしで見せてきた。
【怠け者を探せ】
「いるはずだ」
「何がです?」
「怠け者」
「ずいぶん失礼な捜索ですね」
夕方、俺は働いていない人間を探した。
そして見つけた。
木陰で寝転び、昼間から酒を飲む男。
完璧だ。
「仕事は?」
「今日はしてない」
「昨日は?」
「してない」
「一昨日は?」
「してない」
来た。
「普段は?」
「畑」
「え?」
「収穫終わったから今週休み。来週から水路を直す」
俺の怠け者は、ただの長期休暇中だった。
「残念そうですね」
「そんなことない」
「顔が残念です」
「この国にも欠点があると思っただけだ」
「なぜ欠点を探すんです?」
答えられなかった。
怖いのだ。
この国が本当に成立していたら。
店。
値段。
利益。
競争。
商売。
俺が人生をかけて磨いてきたものが、「なくてはならないもの」ではなくなる。
【得をしない人たち】
夜の共同食堂。
もちろん金はいらない。
バルグはパンを一個だけ食べていた。
「もっと食えば?」
「いらん」
「遠慮してる?」
「必要ない」
言った本人が止まった。
俺も止まる。
リリスが小さく笑った。
「染まりましたね」
「うるさい」
俺も笑った。
だが、胸の奥では何かが崩れていた。
この国には、買い占めを禁じる役人がいない。
働かない者を罰する制度もない。
それでも回っている。
必要以上に持つことが、そもそも「得」ではないからだ。
困れば助けてもらえる。
必要な物はまた手に入る。
物を抱える安心より、人を信じる安心の方が大きい。
「直人」
「ん?」
「今日はずっと負けていますね」
「誰に負けてると思う?」
「パン?」
「そこから離れろ」
少し笑ってから、俺は食堂を見回した。
「常識に、かな」
【商売人の反撃】
食後、リリスと夜道を歩いた。
店の灯りも、広告も、看板もない。
静かだ。
「リリス。この国、豊かだと思う?」
「少なくとも、困っているようには見えません」
「俺もそう思う」
認める。
でも、何かが引っかかる。
共同倉庫には何でもあった。
食べ物。服。道具。薬。
全部。
必要な物だった。
「……この国の人って、欲しい物あるのかな」
「欲しい物?」
「必要な物じゃなくてさ」
なくても生きられる。
でも、見た瞬間に心が動く物。
知らなかった味。
知らなかった服。
綺麗なガラス細工。
子どもが抱えて眠りたくなる玩具。
百貨店には、そういう物が山ほどある。
「必要な物は全部ある。だから店はいらない」
「はい」
「だったら」
胸の奥で、久しぶりにバイヤーの火がついた。
「必要じゃない物を置いたら?」
リリスが俺を見る。
「直人」
「何?」
「その顔、売場を作る時の顔です」
「調査だよ」
「昨日も聞きました」
「検証」
「言い換えただけですね」
俺は笑った。
「この国に商売が必要かどうか。実際に試さなきゃ分からない」
翌朝。
広場の一角に、小さな売場を作った。
値札はつけない。
金も取らない。
ただ、魔王城百貨店から持ってきた「なくても困らない物」を並べた。
ガラス細工。
異国の菓子。
鮮やかな布。
珍しい玩具。
看板には一言。
《世界の商品、自由に見られます》
完璧だ。
世界一の百貨店を作った男だ。
人が何に足を止めるかくらい分かる。
一時間後。
誰も来なかった。
二時間後。
誰も来なかった。
三時間後。
「店長」
「言うな」
「客」
「言うな」
「ゼロだぞ」
「言うなって!」
世界一の百貨店を作った俺は。
人生で初めて。
来店客ゼロを経験した。
その時。
誰もいない売場に、一人だけ足音が近づいてきた。
リリスだった。
第22話 完
次回 第23話
「百貨店を作ったら、誰も来なかった」
必要な物は、もうある。
だから、店には行かない。
世界一のバイヤー、人生初の来店客ゼロ。
だが、誰もいない売場で、リリスだけが一つの商品を手に取る。
商品に価値があるのか。
それとも、選んだ人に価値が宿るのか。
直人はまた一つ、「商売」の意味を問い直す。
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