第1話/通算21話「店が一軒もない国」
第3シーズン「商売のない国編」
世界一の百貨店を、小さくした。
それは、直人にとって一つの答えだった。
店を増やすことだけが成功じゃない。
全部を自分の店にする必要もない。
小さな店を残す。
それぞれの商人が、それぞれの看板を守る。
百貨店は、その間をつなぐ。
ようやく。
「世界一」の意味が分かった気がしていた。
けれど。
世界は、すぐに次の問いを突きつけてくる。
《第三実験地域》
そこには。
店がない。
値札がない。
広告がない。
商人すらいない。
なのに。
人々は飢えていない。
必要な物は届いている。
誰も財布を持たず。
誰も「いくらですか」と聞かず。
それでも。
人々は笑って暮らしている。
世界一のバイヤーにとって。
それは、魔王より理解できない相手だった。
これまで直人は。
届かないなら、届けてきた。
高いなら、買える方法を考えた。
店がないなら、作ってきた。
選べないなら、選べるようにしてきた。
そして。
商売には、人を幸せにする力がある。
そう信じてきた。
でも。
もし。
商売をしないほうが幸せな世界があるとしたら?
欲しい物を増やすことが。
選択肢を増やすことが。
人を豊かにするとは限らないとしたら?
それでも。
百貨店は必要なのか。
それでも。
商売は、人を幸せにできるのか。
第3シーズンは。
世界一のバイヤーが、商品ではなく。
「商売そのもの」を査定する物語。
そして。
直人が初めて。
「売らない」という選択肢と向き合う物語です。
リリスとの距離も、少しずつ変わっていきます。
何かを買うから楽しいわけじゃない。
店があるから一緒にいるわけでもない。
何も買わなくても。
何も売らなくても。
隣にいるだけで楽しい時間がある。
そんな当たり前のことを。
商売ばかり見てきた直人は。
たぶん。
まだ知りません。
世界一の百貨店が。
店のない国へ行く。
そこで待っているのは。
新しい商売ではない。
商売がなくても成立している幸せ。
第3シーズン。
「商売のない国編」
ここから。
直人の一番大きな敗北が始まります。
「代金は?」
「どうして、お金を払うんですか?」
世界一の百貨店を作った俺は、その一言で黙った。
商品がある。
人がいる。
なら、売る。
俺にとっては呼吸みたいに当たり前だった。
なのに。
目の前の棚には、パンも服も薬も並んでいる。
値札はない。
レジもない。
店員もいない。
それでも人々は、必要な物を持って帰っていく。
誰も困っていない。
むしろ。
みんな、笑っていた。
三日前。
《第三実験地域》
《商業活動禁止》
その二行を見つけた俺は、地図にも国境にも載っていない場所へ来た。
第20話で俺は、「世界一」の意味を変えたばかりだった。
一番大きな店じゃなくていい。
一番多くの店を生かせる店でいい。
そう思った。
その直後。
今度は。
店そのものが存在しない世界を見せられている。
人生というのは、回答用紙を出すとすぐ次の問題を配ってくる。
しかも、前より難しい。
【商人のいない道】
「直人」
馬車の向かいからリリスが呼んだ。
まだ慣れない。
第20話から、彼女は俺を「店長」ではなく「直人」と呼ぶ。
たった二文字なのに、呼ばれるたび心臓の在庫管理が狂う。
「何?」
「さっきから同じページを見ています」
「考えてる」
「逆さまですけど」
俺は資料をひっくり返した。
バルグが吹き出す。
「店長、文字読めなくなったのか?」
「恋愛の副作用ですかね」
四天王の一人が真顔で言う。
「違う」
リリスは窓の外を見る。
「私は何も言ってませんけど」
「言ってない人が一番楽しそうなんだよ」
口元が笑っている。
最近、こういう顔が増えた。
俺は、かなり好きだ。
今の「好き」は表情についてだ。
たぶん。
「それより」
資料を戻す。
「もうすぐ《第三実験地域》に入る」
空気が変わった。
バルグが腕を組む。
「本当に商売が禁止されてるのか?」
「資料が正しければ」
「闇市くらいあるだろ」
「俺もそう思う」
人は欲しがる。
欲しければ交換する。
交換が増えれば、価値の基準が生まれる。
貨幣がなくても、商売に似た何かは生まれる。
そう思っていた。
「直人」
「ん?」
「楽しそうですね」
「え?」
「知らない商売を見る時の顔をしています」
「商売がない場所なんだけど」
「だから余計にでしょう?」
否定できなかった。
知らない商品。
知らない流通。
知らない市場。
バイヤーとして、興味がないわけがない。
「でも今回は、売りに行くんじゃありませんよね?」
「調査だけ」
「本当に?」
「……たぶん」
「バルグ」
「おう」
「直人が売場を作ろうとしたら止めてください」
「任せろ」
「俺の味方がいない」
「いますよ」
リリスが言った。
「だから止めるんです」
一瞬、言葉が止まる。
最近のリリスは、こういう攻撃を無自覚で入れてくる。
防御不能だ。
【国境がない】
昼過ぎ。
馬車が止まった。
「ここから先です」
案内役が言う。
降りてみる。
門も。
壁も。
兵士も。
関所もない。
一本道が草原の奥へ伸びているだけだった。
「国境は?」
「ありません」
「税関は?」
「ありません」
「通行税」
「ありません」
「検問」
「ありません」
「商人組合」
「ありません」
俺は黙った。
バルグが見る。
「顔が怖いぞ」
「常識が一個ずつ殺されてる」
やがて畑が見えた。
麦。
野菜。
果樹。
人々は普通に働いている。
工房では家具を作り、服を縫い、金属を加工している。
ちゃんと生産している。
なのに。
売っている人間がいない。
客を呼ぶ声も。
広告も。
値札もない。
「……気持ち悪い」
「失礼ですよ」
リリスが即座に刺す。
「悪い意味じゃない」
平和だ。
子どもが走り、老人が木陰で笑っている。
誰も飢えていない。
服も家もある。
なのに。
俺の知っている街の音がない。
いらっしゃい。
安いよ。
今日だけだよ。
その声が、一つもない。
世界から商売の音だけを抜き取ったみたいだった。
【代金は?】
最初に案内されたのは大きな倉庫だった。
中へ入って、足が止まる。
棚。
棚。
棚。
食料。
衣服。
食器。
工具。
石鹸。
薬。
暮らすのに必要な物が、全部ある。
「共同倉庫です」
案内役の女性が言った。
「必要な物はこちらから持っていきます」
「なるほど」
俺は頷いた。
会員制か。
住民が定額を払い、共同で維持する。
「月額ですか?」
女性が首を傾げる。
「げつがく?」
「毎月払う金額です」
「何を?」
「お金を」
「どうして?」
会話が迷子になった。
「この倉庫を利用する料金です」
「ありませんよ」
「……ない?」
「はい」
パンを一つ取る。
「これは?」
「パンです」
「それは分かる」
異世界へ来て、パンに負けた気分になった。
「いくら?」
女性がまた首を傾げる。
「いくら?」
「これを持っていくには、何を払えばいい?」
「何も」
「無料?」
「むりょう?」
そこで気づいた。
無料とは、値段がある物をゼロで渡すことだ。
ここには最初から、値段がない。
無料ですらない。
「本当に持っていっていいんですか?」
「必要なんですよね?」
「まあ」
「なら、どうぞ」
「後から請求書が」
「せいきゅうしょ?」
リリスが肩を震わせている。
「笑ってる?」
「いいえ」
「目が笑ってる」
「世界一のバイヤーがパン一個で追い詰められているのが少し」
「楽しんでるじゃん」
バルグがパンを取った。
「じゃあ俺も」
「どうぞ」
二個。
三個。
五個。
俺は睨む。
「バルグ」
「何だ?」
「そんなに食うの?」
「食う」
説得力のある体格だった。
女性は止めない。
金も取らない。
交換品も求めない。
名前すら聞かない。
俺はパン一個を持ったまま固まった。
【働く理由】
「このパン、誰が作ったんです?」
「今朝はミゲルさんたちです」
「その人たちは、パンを作って何をもらうんですか?」
「何を?」
また質問で返された。
「給料」
「ありません」
「報酬」
「ありません」
「じゃあ、なんで働くんです?」
女性は本当に不思議そうにした。
「パンが必要だからです」
「……はい?」
「食べる人がいるでしょう?」
「います」
「だから作ります」
「作った人は?」
「必要な物を受け取ります」
「誰から?」
「みんなから」
頭の中で流通図が組み上がる。
農家が麦を作る。
職人がパンを焼く。
服を作る。
工具を作る。
共同倉庫へ集める。
住民は必要な分を持っていく。
貨幣なし。
売買なし。
給与なし。
それでも回っている。
「働かない人は?」
「いますよ」
即答だった。
「いるの?」
「病気の人。年を取った人。子ども。それから、今は休みたい人」
「働けるのに?」
「はい」
「その人も物を?」
「必要なら」
理解できない。
「じゃあ、みんな働かなくならない?」
女性は少し考えた。
「なぜですか?」
今日一番、怖い質問だった。
【世界一の店長、仕事を失う】
夕方。
広場を歩く。
共同食堂。
工房。
診療所。
学校。
畑。
倉庫。
全部ある。
店だけがない。
「直人」
「うん」
「大丈夫ですか?」
「職業を否定された気分」
「誰も否定してません」
「店が一軒もないんだぞ」
「はい」
「値札もない」
「はい」
「商人もいない」
「はい」
「俺、ここで何すればいい?」
リリスは少し考えた。
「観光?」
「世界一の百貨店の店長が三時間で無職になった」
「早かったですね」
「慰めて」
「事実を言っただけです」
ひどい。
でも、笑ってしまった。
その時。
少女が転んだ。
籠からリンゴが転がる。
俺は拾って渡した。
「ありがとう!」
「これ、どこで買ったの?」
「かった?」
まただ。
「リンゴ」
「畑でもらったよ」
「何か渡した?」
「ううん」
「働いた代わり?」
「ううん」
「じゃあ、どうして?」
少女は不思議そうに答えた。
「食べるから」
簡単だった。
あまりにも。
少女は籠からリンゴを一つ取り出す。
「お兄ちゃんも食べる?」
「いいの?」
「うん」
「でも、これは君の」
「まだあるよ?」
俺はずっと。
商品を見るたび、数字をつけてきた。
いくらで売れる。
いくらなら買える。
誰へ届ければ価値が上がる。
でも。
差し出されたリンゴには、値段がない。
「……ありがとう」
受け取る。
少女は笑って走っていった。
隣にリリスが立つ。
「俺さ」
「はい」
「お金がないと物は回らないと思ってた」
リリスは黙って聞く。
「売る人がいて、買う人がいる。値段があるから、作った人に利益が戻る。それでまた作れる」
前を、パンを抱えた男が歩く。
女性が服を受け取る。
子どもが果物を食べる。
誰も財布を出さない。
誰も代金を求めない。
「……成立してる」
自分の声が少し震えた。
「商売がないのに」
リリスが俺を見る。
「幸せそうですね」
それが一番刺さった。
「うん」
認めるしかない。
この国は。
少なくとも俺が見た限り。
貧しくない。
むしろ穏やかだ。
奪い合いも。
値下げ競争も。
売上目標もない。
「リリス」
「はい」
「もしかして」
言いたくなかった。
でも、目の前の事実から逃げるのはバイヤーじゃない。
「商売って」
喉が乾く。
「なくてもいいのかな」
リリスは慰めなかった。
否定もしなかった。
ただ。
俺の隣にいた。
それで十分だった。
【無料なのに、誰も奪わない】
その夜。
共同宿舎。
もちろん宿泊代もない。
「眠れない」
「でしょうね」
隣室からリリスの声。
「起きてた?」
「直人が十三回寝返りを打ったので」
「数えてたの?」
「十五回です」
「増えてる」
「今ので二回」
怖い。
少し笑えた。
「明日、倉庫を一日見たい」
「商品を?」
「人を」
今日、何百人もの住民が共同倉庫を使った。
必要な物を、必要なだけ。
本当に?
無料なら、人は多く取るんじゃないのか。
品切れになる前に確保するんじゃないのか。
得をしようとするんじゃないのか。
「確かめたい」
「直人」
「何?」
「売場は作らないでくださいね」
「作らない」
「値札も」
「つけない」
「仕入れ交渉も」
「しない」
「本当に?」
「信用ないな」
「実績がありますから」
翌朝。
俺たちは開庫前の共同倉庫へ行った。
扉が開く。
俺は腕を組んだ。
「見てろ」
バルグが欠伸する。
「何をだ?」
「絶対に、誰か大量に持っていく」
最初に入ったのは。
バルグだった。
「お、パン!」
大きな籠を持ち上げる。
一個。
二個。
五個。
十個。
二十個。
「バルグ」
「無料なんだろ?」
「だからって」
その時。
小さな男の子が、バルグの袖を引いた。
「おじちゃん」
「ん?」
「そんなに食べるの?」
バルグが止まる。
「……食う」
少年はパンの山を見る。
次に。
バルグの腹を見る。
またパンを見る。
「ほんとに?」
「……」
バルグは。
そっと十九個戻した。
「一個でいい」
誰も怒っていない。
誰も取り締まっていない。
ただ。
子どもに聞かれただけ。
そんなに必要なの?
それだけだった。
周りを見る。
住民が入ってくる。
誰も走らない。
誰も奪わない。
誰も必要以上に確保しない。
必要な分だけ手に取り。
普通に出ていく。
「……嘘だろ」
俺の予想が。
また外れた。
無料なら。
人は奪う。
そう思っていた。
でも。
この国では。
無料なのに。
誰も奪わない。
商売がないだけじゃない。
俺が「商売は必要だ」と信じてきた理由まで。
ここにはない。
その瞬間。
初めて思った。
世界一の百貨店を作った俺は。
この店のない国に。
負けるかもしれない。
第21話 完
次回 第22話
「無料なのに、誰も奪わない」
無料なら、人は多く取る。
得をするために、奪い合う。
直人はそう信じていた。
だが、この国では誰も必要以上に取らない。
働くことすら強制されていない。
それでも人々は働き、作り、分け合っている。
そして直人は、人生で初めて疑う。
商売は、本当に人間に必要なのか。
続きは Momokun note でも公開しています。
https://note.com/momokun1




