第2話 世界一豊かな国には、腹を空かせた子どもがいた
世界を救った百貨店に、今度は**「倒産」**の危機がやってきました。
剣も使えない。
魔法も使えない。
それでも直人には、バイヤーとして培ってきた**「商売」という武器**があります。
第Ⅲ部のテーマは、「豊かさとは何か?」
世界最大の商業国家を相手に、直人とリリス、そして四天王たちの新しい戦いが始まります。
笑いあり、恋愛あり、そして今回は百貨店同士の本気の商売バトルあり。
第1話「魔王城百貨店、倒産します」
新章、開店です。
世界一豊かな国へ着いて、最初に見たのは。
ゴミ箱を漁る少年だった。
ただし。
その光景を目にする少し前まで、俺たちは完全に観光客だった。
世界最大の市場に来ました
「……でかいな」
七海商業王国ヴェネリア。
その第一港へ降り立った俺、高城直人は、四十二歳とは思えないほど間の抜けた感想を漏らした。
仕方がない。
でかいのだ。
右を見ても船。
左を見ても船。
沖にも船。
大小何百隻もの帆船が海を埋め尽くし、その上を荷物を吊った飛竜が横切っていく。
埠頭には木箱が山のように積まれていた。
香辛料。
絹。
魔石。
酒。
薬草。
宝石。
武器。
魔道具。
見たこともない果物。
どう料理するのか分からない巨大魚。
そして。
「店長!」
嫌な声がした。
振り向く。
ゼファーが露店の前で目を輝かせていた。
「珍しい商品を見つけました!」
「買うなよ」
「もう買いました」
「返してこい」
「市場調査です」
「その言葉を免罪符にするな」
到着五分。
早くも一名脱落。
「直人!」
今度はガルド。
もっと嫌な予感がした。
魚市場を見る。
全長三メートルほどの巨大魚。
その前で。
ガルドが剣を抜いていた。
「待て待て待て!」
俺は走った。
「何してる!」
「こいつ、なかなかの面構えだ」
「魚だ!」
「俺を睨んでいる」
「死んでる!」
「だが戦士の目だ」
「魚の目だ!」
店主まで笑いながら、
「兄ちゃん、やるか?」
と煽っている。
やらせるな。
「バルグは?」
俺は最後の一人を探した。
リリスが無言で屋台街を指した。
いた。
巨人族の大男が。
黙々と食べている。
一軒。
二軒。
三軒。
俺たちが見ている間にも次の店へ移った。
「何軒目だ?」
「十二軒目です」
「止めなくていいのか?」
「本人は市場調査だと言っています」
「お前ら全員その言葉好きすぎるだろ!」
リリスが吹き出した。
俺もつられて笑う。
昨日。
魔王城百貨店の物流は止められた。
三十日後には店そのものが世界から消える。
そんな挑戦状まで送りつけられた。
本来なら、笑っている場合じゃない。
それでも。
こいつらがいつも通り馬鹿をやっていると。
まだ何とかなる。
そんな気がしてくる。
たぶん。
店というものは、建物だけではない。
商品だけでもない。
そこにいる人間まで含めて。
店なのだ。
「店長」
「ん?」
「少し顔が戻りましたね」
リリスが言った。
「そんなにひどかったか?」
「はい」
即答された。
「昨日からずっと、倒産寸前の店長みたいな顔でした」
「実際そうなんだよ!」
バイヤーとしては、悔しいほど面白い
市場を歩くほど。
俺は無口になった。
理由は単純だ。
面白い。
悔しいほどに。
ヴェネリアの市場は完成されていた。
船から商品が下ろされる。
種類ごとに仕分けられる。
倉庫へ送られる。
そこから必要な店へ運ばれる。
無駄が少ない。
通路も広い。
看板も分かりやすい。
商品の見せ方まで考え抜かれている。
「……すごい」
思わず漏れた。
「敵ですよ?」
隣のリリスが言った。
「敵だからって、悪いところしか見なかったら負ける」
俺は荷車の流れを目で追った。
「いいところは盗む」
「堂々と犯罪宣言ですか?」
「技術の話だ!」
リリスが笑う。
「店長、楽しそうですね」
言われて気づいた。
確かに。
楽しい。
世界最大の市場。
世界最大の商業国家。
バイヤーだった人間が、これを見て興奮するなという方が無理だ。
「職業病だな」
「またそれですか」
「便利なんだよ、この言葉」
「では私も使います」
そう言って。
リリスが俺の袖をつかんだ。
「これは職業病です」
「何の職業だ?」
「恋人」
「職業じゃない」
「では福利厚生を要求します」
「怖いから内容を聞きたくない」
「考えておきます」
彼女は袖をつかんだまま歩く。
人混みではぐれないため。
それだけ。
分かっている。
なのに。
妙に意識してしまう。
恋人になったから自然になると思っていた。
逆だった。
以前なら気にしなかった距離まで気になる。
四十二歳にもなって。
何をやっているんだ、俺は。
「店長」
「何だ」
「顔が赤いですよ」
「暑いんだ」
「海風、かなり冷たいですけど」
「歩いたから」
「まだ十分くらいですよ」
「四十二歳には十分なんだ」
「自分から年齢を使うようになりましたね」
完全に遊ばれている。
だが。
袖を離してほしいとは。
言えなかった。
《黄金宮殿》
市場を抜けると。
街の顔が変わった。
白い大理石。
黄金の装飾。
魔石で輝く街灯。
磨き抜かれたショーウィンドウ。
宝石。
最高級の衣服。
魔道具。
絵画。
異国の食品。
世界中の富を一か所へ集めたような大通りだった。
そして。
その中心。
「……あれですか」
リリスが見上げる。
「ああ」
巨大な建物があった。
黄金色の屋根。
白い大理石。
正面には巨大な帆船の紋章。
高級百貨店。
《黄金宮殿》
レオナルド・ヴェルガが築いた。
ヴェネリア最大の店。
つまり。
俺たちの敵だ。
「入りたいです」
リリスが即答した。
「視察?」
「もちろん」
「本当に?」
「もちろんです」
目が完全に買い物客だった。
「服飾売場だけ」
「何時間?」
「三十分」
「一時間になるやつだ」
「では十五分」
「二時間になるやつだな」
「信用してください」
「買い物に関してだけは無理だ」
「ひどい」
そのとき。
黄金宮殿の入口から一人の女性が出てきた。
金髪。
白を基調とした上品な服。
年齢は二十代半ばほど。
数人の従業員を従えている。
だが。
俺が目を奪われた理由は容姿じゃない。
目だ。
彼女は歩きながら客を見ていた。
ほんの数秒。
そして指示を出す。
「あちらのお客様には北方産の毛皮を」
「ですが、まだ商品をお探しとは……」
「買うわ」
次。
「青い帽子の紳士には新型の魔導時計」
「なぜです?」
「さっきから左手首を三回見ているもの」
さらに。
「入口の老夫婦は休憩室へ。買い物ではなく待ち合わせよ」
従業員が走る。
俺は思わず足を止めた。
「……すごいな」
「何がです?」
「客が何を求めてるか、見ただけで判断してる」
リリスの表情も変わった。
商品企画責任者として。
何か感じたらしい。
その瞬間。
女性がこちらを見た。
目が合う。
俺。
リリス。
俺の靴。
服。
胸ポケット。
万年筆。
そして。
もう一度、顔。
数秒だった。
だが。
丸裸にされたような感覚が残った。
女は薄く笑う。
そのまま黄金宮殿へ戻っていった。
「……何だったんでしょう」
「分からない」
近くにいた店員が教えてくれた。
「あの方をご存じないんですか?」
「有名人?」
「《黄金宮殿》総支配人ですよ」
名前は。
セレナ・ヴェルガ。
レオナルドの娘。
「なるほど」
思わず笑った。
どうやら。
父親だけじゃない。
この国には。
とんでもない商売人がもう一人いる。
黄金の街から三本曲がると
そこから。
たった三本。
通りを曲がっただけだった。
石畳が消えた。
建物の壁は汚れ。
窓ガラスは割れ。
道幅も狭くなる。
さっきまで香水の匂いが漂っていた街から。
魚。
油。
汗。
潮。
生活の匂いがする街へ変わった。
「……同じヴェネリアですよね?」
リリスが小さく言った。
「ああ」
港湾労働者たちが重い荷物を背負って歩いている。
擦り切れた服。
裸足の子ども。
硬そうなパンを半分に切る老女。
世界中の商品が集まる街。
なのに。
ここには。
商品がほとんどない。
「店長」
「ああ」
俺も。
同じものを見ていた。
表通りでは。
俺は商品を見ていた。
物流を見た。
陳列を見た。
売場を見た。
でも。
商売を見るなら。
本当に見なければならないものは。
そこじゃない。
客だ。
俺たちは。
さらに奥へ入った。
そして。
小さな背中を見つけた。
少年。
八歳くらいだろうか。
痩せている。
服も汚れている。
少年は周囲を確かめると。
路地に置かれた大きなゴミ箱へ手を入れた。
「……店長」
リリスが動こうとした。
「待って」
少年が何かを取り出した。
パンだった。
少しつぶれている。
だが。
カビはない。
少年が笑う。
「よかった……」
包装紙を開く。
俺は。
息を止めた。
そこに。
見慣れた紋章があった。
《魔王城百貨店》
これは、俺の商品だ
「ちょっといいか?」
少年が飛び上がった。
パンを胸へ抱える。
逃げようとする。
「取らない」
少年が止まった。
「……本当?」
「ああ」
しゃがんで。
目線を合わせる。
「その包み紙だけ見せてくれないか?」
少年は警戒している。
当然だ。
知らない中年男が突然パンを見せろと言っている。
俺でも逃げる。
リリスも隣へしゃがんだ。
「大丈夫ですよ」
少年はリリスを見る。
俺を見る。
そして。
リリスへパンを渡した。
「俺じゃないのかよ」
「人徳ですね」
「傷つくからやめろ」
包装紙を見る。
間違いない。
魔王城百貨店。
王都店。
製造日。
出荷日。
賞味期限。
まだ切れていない。
ただ。
赤い印が押されていた。
《返品》
「……そういうことか」
物流封鎖。
ヴェネリアへ輸送する予定だった商品。
港まで届いた。
だが受け入れを拒否された。
送り返せば運賃がかかる。
倉庫代もかかる。
だから。
処分された。
数字だけなら。
合理的だ。
「これ」
少年が言った。
「まだ食べられるよ」
俺は。
答えられなかった。
食べられる。
当然だ。
俺たちの商品なのだから。
品質に問題はない。
それなのに。
捨てられている。
そして。
そのパンを。
腹を空かせた子どもが拾っている。
俺はずっと。
必要な物を。
必要な人へ届ければいいと思っていた。
それが。
商売だと思っていた。
でも。
違う。
商品は。
ここまで届いている。
なのに必要な人へ届いていない。
「君」
「何?」
「朝飯は?」
少年が首を振る。
「昨日の夜は?」
少し考えて。
答えた。
「水」
それだけだった。
たった一言。
なのに。
胸の奥に刺さった。
世界一豊かな国。
世界中の商品が集まる街。
その中心で。
子どもが。
昨日の夕食に水を飲んでいる。
俺は。
何を見ていた?
船?
倉庫?
商品?
物流?
違うだろ。
商売の先にいるのは。
いつだって。
人間だったはずだ。
盗品を返せ
「おい!」
怒鳴り声。
少年の身体が震えた。
三人の衛兵が走ってくる。
「またお前か!」
少年が逃げようとする。
腕をつかまれた。
「離して!」
「盗品を返せ!」
「拾っただけだ!」
「廃棄場から商品を持ち出すことは禁止されている!」
俺は立ち上がった。
「待ってください」
「何だ?」
「そのパンの販売元です」
身分証を見せる。
男の眉が動いた。
「魔王城百貨店……」
「ああ」
「ならなおさら関係ない。ここはヴェネリアだ」
「関係あります」
俺は包装紙を見せた。
「ここには《廃棄》ではなく《返品》と書いてある」
衛兵が黙る。
「返品された商品なら、所有権は販売元へ戻るはずです」
「屁理屈を!」
「契約です」
隊長らしい男の顔が険しくなる。
「黙れ」
手が。
剣へ伸びた。
その瞬間。
「そこまでだ」
低い声。
振り返る。
ガルドだった。
巨大な身体。
背中には大剣。
そして。
なぜか。
巨大魚を抱えている。
「ガルド」
「何だ」
「その魚どうした?」
「勝った」
「何に!?」
「店主がくれた」
「なら買ったんじゃなくてもらっただけだ!」
衛兵が怒鳴る。
「ふざけるな!」
そうだった。
今は魚じゃない。
剣が抜かれる。
ガルドの目が変わる。
リリスの指先から魔糸が伸びた。
「店長」
「殺すなよ」
「分かっています」
「腕も折るな」
「努力します」
「努力じゃ困る!」
ボンッ!
背後で煙が上がった。
「お待たせしました!」
「ゼファー!」
「新商品です!」
「何の商品だ!」
「大量に煙が出ます!」
「見れば分かる!」
さらに。
ドン。
巨体が路地を塞ぐ。
バルグ。
両腕いっぱいのパンを持っていた。
少年へ一本差し出す。
「食べるか?」
「お前だけ時間の流れ違わない!?」
だが。
混乱の中でも。
俺の頭は動いていた。
路地。
木箱。
人の位置。
出口。
避難方向。
「ガルド! 右を塞げ!」
「任せろ!」
「リリス! 衛兵を左へ寄せてくれ!」
「はい!」
「ゼファー! 出口側には煙を流すな!」
「了解!」
木箱を動かす。
通路を作る。
俺には。
剣がない。
魔法もない。
でも。
人がどこを歩くかなら分かる。
百貨店と同じだ。
入口。
出口。
通路。
障害物。
人は。
通れる場所へ動く。
「こっちだ!」
少年へ手を伸ばした。
一瞬。
ためらって。
少年が。
俺の手を握った。
一ゴールドの客
煙を抜ける。
広い通りへ出た。
少年も無事。
リリスたちも追いつく。
そのとき。
背後から衛兵隊長が叫んだ。
「盗品を返せ!」
俺は止まった。
振り返る。
「盗品じゃありません」
「何?」
少年からパンを受け取る。
包装紙。
《返品》
「返品された商品なら」
俺は言った。
「持ち主は私です」
「ならこちらへ渡せ!」
「嫌です」
「何だと?」
俺は。
少年を見る。
「このパン、欲しいか?」
少年は。
戸惑いながら。
うなずいた。
「ああ」
「じゃあ」
パンを差し出す。
「売る」
少年が目を丸くした。
衛兵も。
リリスも。
ガルドも。
ゼファーも。
バルグも。
黙った。
「今、売りました」
俺はパンを少年へ渡した。
「一ゴールドで」
少年が固まった。
しばらくして。
小さな声。
「……持ってない」
「ああ」
「じゃあ、買えない」
「ツケでいい」
「ツケ?」
「あとで払うこと」
「いつ?」
「いつでも」
「十年後でも?」
「いいよ」
「忘れたら?」
俺は笑った。
「そのときは、俺も忘れる」
少年は。
パンを見た。
俺を見た。
もう一度パンを見る。
そして。
笑った。
「……ありがとう」
その一言が。
妙に重かった。
礼を言われるようなことじゃない。
本来なら。
この子が普通に買えなければならないものだ。
働く。
金をもらう。
欲しい物を選ぶ。
買う。
それだけのこと。
なのに。
それができない。
商品はある。
仕事もある。
船も来る。
金も動いている。
世界中の富が。
この街へ集まっている。
なのに。
なぜ。
この子は。
パン一つ買えない?
ヴェネリアへ来るまで。
レオナルドに聞きたいことは一つだった。
なぜ、魔王城百貨店を潰すのか。
でも。
今は違う。
もう一つ。
聞かなければならない。
世界一豊かな国で、なぜ腹を空かせた子どもがいる?
たぶん。
この問いから逃げたら。
俺は。
もう商人を名乗れない。
「……変な商人」
その光景を。
高い建物の窓から見ている女がいた。
セレナ・ヴェルガ。
《黄金宮殿》総支配人。
隣の部下が言う。
「高城直人です」
「分かっているわ」
「一ゴールドの商品をツケで売ったようです」
「見ていたから知ってる」
「利益になりません」
「そうね」
「商人として意味が分かりません」
セレナは。
少年を見る。
パンを食べている。
その隣に。
直人がいる。
彼女は客を見れば分かる。
何を欲しがっている。
いくら持っている。
何を勧めれば買う。
入口から五歩。
それで十分だった。
父から教わったのは。
買える客を探せ。
それが商売だった。
だが。
あの男は。
買える客を探さなかった。
買えない少年を見つけて。
どうすれば商品を渡せるかを考えた。
「……変な商人」
セレナが呟く。
そして。
少しだけ笑った。
「お父様が気にするわけね」
世界一の商人
そのころ。
《黄金海運商会》本部。
最上階。
世界最大級の商人。
レオナルド・ヴェルガの机には。
すでに一枚の報告書が置かれていた。
《高城直人、ヴェネリア到着》
レオナルドは。
静かに笑った。
「来たか」
机の引き出しを開ける。
一枚の書類を取り出した。
表紙には。
こう記されている。
《百貨店対決 契約書》
期限。
三十日。
レオナルドは万年筆を取る。
そして。
自分の名前を書いた。
「君は必要な者へ商品を届けるという」
窓の向こう。
黄金宮殿。
港。
倉庫。
無数の船。
世界中の商品。
すべてが。
彼の築いた商業網の中で動いている。
「ならば証明してみたまえ」
ペン先が。
最後の文字を書き終えた。
「商売で人を幸せにできるということを」
翌朝。
その契約書が。
俺の前へ届けられることになる。
そして。
俺はそこで初めて知る。
レオナルド・ヴェルガが仕掛けてきたのは。
物流封鎖だけではなかった。
世界最大の百貨店を相手に。
百貨店そのもので戦え。
それが。
世界一の商人から俺へ叩きつけられた。
本当の挑戦状だった。
第2話 完
次回 第3話
「百貨店同士で戦争することになりました」
世界最大の商人、レオナルド・ヴェルガとついに対面する直人。
提示されたのは、剣でも魔法でもない。
三十日間の百貨店対決。
同じ売場面積。
同じ初期資金。
そして、売上勝負。
だがレオナルドは笑って告げる。
「君の店で売る商品は、私が選ぼう」
直人の前へ運び込まれた大量の木箱。
その中に入っていたのは。
ヴェネリアで最も売れない商品ばかりだった。
次回。
商人と商人が。
売場で戦う




