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7. 厨房占拠、水飴を炊く

 休みの日の朝いちばん、うちは厨房の戸を開けた。


 前掛けに、髪はきっちりまとめて、腕まくり。……この出で立ちの公爵令嬢を、ギヨムはんは戸口で三秒眺めて、天井を仰いだ。


「本気ですか?」


「本気や。まず大麦。ええとこの、芽ぇの出かけたやつが欲しい」


「芽の出た麦なんぞ、飼葉(かいば)場行きの失敗作ですぞ」


「その失敗作が、砂糖の代わりになるんよ」


 ギヨムはんの眉が、警戒から困惑へ一段進む。


「……厨房は、私の城です。お嬢様といえど、勝手は――」


「せやな。城主の許しなしに、鍋は振らへん。ほなこうしよ。うちのやり方を一回だけ、横で見とき。あかんかったら箒で追い出し。大丈夫やったら、竈ひとつ貸し」


 職人に筋を通すんは、商店街の作法や。ギヨムはんは長いこと黙って、それから竈をひとつ、顎で指した。


 まず、飼葉場から届けさせた芽麦を乾かして、石臼でごりごり挽く。これが麦芽(ばくが)や。炊いた麦の粥にそれを混ぜて、湯加減は熱め――煮立たせたら絶対あかん、せやけど、指ぇ入れて三つ数えとかれへんくらいの熱さ。そこへぴたりと保って、蓋をする。


「熱すぎては、麦が死にませぬか?」


「ぬるいと働かへん、煮立ったら死ぬ。麦のいちばん機嫌のええ熱さが、ここなんや。竈の隅の熾火で、この熱さだけ守り」


 ギヨムはんが、疑いと感心のあいのこみたいな顔で、熾火の按配を整えはじめる。


「……それだけ、ですか?」


「それだけや。あとは麦が勝手に働く。人間は湯加減だけ守って、邪魔せんと待つの」


「待つ、とは」


「昼までや。……茶ぁでも飲も。あんたの淹れる茶ぁ、まだ飲んだことないわ」


 湯を待つあいだ、ギヨムはんの淹れた茶ぁを二人で飲んだ。渋みの角がきれいに取れとる。……うん、ええ腕や。ええ腕の人の茶ぁは、黙って飲むに限る。


 沈黙の途中で、ギヨムはんがぽつりと言うた。


「……亡き奥様も、時折、お忍びで厨房にいらしたものです。林檎を、蜂蜜で煮ておられました」


「――覚えとるよ。うちも、こっそり味見さしてもろた」


「……覚えて、おいででしたか」


 誰にも内緒ですぞ、と笑うた母様の、砂糖より甘い声も。……台所の血ぃは、争えんもんやなあ。


 昼を回って、蓋を開ける。ほのかに甘い匂いが、ふわりと立った。とろりとしとった粥が、さらりと汁の多い姿に変わっとる。ギヨムはんが匙で一口すくって――目の色が、変わった。


「……甘い。砂糖なしで、この甘さが出ますか」


「麦の力や。人間で言うたらな、休ませて引き出す甘さや。追い立てて絞る甘さとは、別もんなんよ」


 布で漉すと、(おり)が取れて、今度こそ澄んだ飴色の汁になる。それを銅鍋に移して、ことこと煮詰める。木杓子の先で、琥珀(こはく)色の艶がとろりと糸を引いたら、水飴の上がりや。冷たい水に一滴落として、指先でくるんと丸める。


 ――ああ。この匂いや。


 てるやの、冬の仕込みの匂いや。五十年、毎年この匂いで冬が来た。夫がおった頃は二人で炊いて、おらんようになってからは一人で炊いて、ほんで今は……竈の横に腕組みの職人はんがおって、戸口に眼鏡が一人立っとる。悪うない眺めや。鼻の奥がつんとしたんは、湯気のせいにしとこ。


「毒見です」


 いつの間にか入ってきた調査官どのが、皿の試作一号をつまんで口に入れとった。三秒の沈黙。


「……所見は?」


「職務上の所見は、異状なし。個人の所見は……もう一粒」


「それは毒見とちゃうやん、おかわりや」


 夕方には侍女の子らがどこからか集まってきて、厨房はそのまま試食会になった。甘いもんに慣れてへん子ぉらの顔が、一粒でほろっとほどけていく。ドルテさんまで、頬を押さえたまま黙り込んどる。


「お嬢様……これが、砂糖なしで、本当に……」


 いちばん若い洗濯係の子ぉなんか、口に入れた途端、ぽろっと涙をこぼしとる。聞けば、甘いもんを口にしたんは、里の祭り以来三年ぶりやそうや。……砂糖の値ぇが、庶民の舌から甘みを取り上げとるんやな。この国の甘いもんは、高すぎる。


「麦と、手間と、湯加減だけや。……なあギヨムはん。これ、竈と麦がある限り、なんぼでも炊けるやろ?」


「炊けます、が……釜も薪も、お高くつくのでは」


「ほな、勘定しよか。芽麦は飼葉場行きの失敗作やから、大麦の値ぇでええ。一袋、銅貨三十枚。一袋から飴が五百粒。薪と包み紙と、人手の日当まで乗せても――十粒の袋あたり、銅貨二枚半や」


「に、二枚半……。砂糖の菓子なら、その何十倍は」


「せやろ。十粒銅貨十枚で売っても、日当稼ぎの人が、その日のうちに買える甘さや。……せやけどな、ギヨムはん。売るんは、あとや」


 ギヨムはんの指が、空で算盤を弾くみたいに動いとる。職人の指ぇは正直や。


「何にお使いになるおつもりです?」


「配るんや。まずは、配る。売るんは、配ったあとの話や」


 その晩、うちは文机で招待状を書く。宛名は教室の窓際の子ら――招かれたことのない子ぉらばっかりや。


 書きあぐねとるところへ、様子見に寄ったオルテンシアが、宛名の束をめくって片眉を上げた。


「……本気ですのね。壁の花だけの茶会なんて、社交界への喧嘩ですわよ?」


「喧嘩とちゃう、商売や。……手ぇ、貸してくれる?」


「招き方には、作法がありますの。紙の格、届ける順、添える花の一輪まで。――ようございますわ。わたくし、そういうことは、得意ですの」


 いけずの筆頭やった子が、いけずで鍛えた目ぇで、招かれん子ぉらの茶会を設計しはじめる。……ええ絵ぇや。前世の商店街に貼り出したいくらいや。


       ◇


 王室調査記録 第六報。対象、グランハルト公爵令嬢テレージア。対象は本日、麦から甘味を製した。錬金術ではない。麦と、湯加減である。本官は工程の一切を記録した。再現は可能と思料する。また本官は試作品の毒見を二度実施した。職務である。なお対象は「壁の花だけの茶会」を計画中である。社交界がどう受け止めるか、本官には予測がつかない。観察を続ける。以上。


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