君と出会ってから(3)
「わあーーーーっ」
図書室に連れて行くと、シャーリーは小声で感嘆の声を上げる。
そして大きく深呼吸。
なにをしているんだ? と見下ろしていると、恍惚とした表情で「ああ……本の匂い……」と呟く。
本の匂い?
首を傾げそうになりつつ、シャーリーの真似をして少し多めに息を吸い込み、匂いを意識してみる。
(なるほど。確かに匂いがする。古い紙、新しい紙。表紙、背表紙に使われた接着の薬剤の匂い。これが、本の匂い、か)
胸がじんわりとする。
不可思議な感覚。
シャーリーに出会ってから、血以外の匂いをよく感じるようになったと思う。
シャワーで兵たちが使う水と石鹸の匂い。
ゆで卵や干し肉を燻製にした、燻した木の香り。
そして、本の香り。
(火薬の匂い、人の焼ける匂い、血の匂い……それ以外にも匂いがあるのか)
そんな当たり前のことも忘れていた。
シャーリーに出会わなければ今も思い出せなかったんだろう。
まるで踊り出しそうな足取りで、城の図書室に進んでいくシャーリー。
その後ろをついていく。
城の図書室はどれほどぶりだろうか。
「国公図書館よりも数は少ないだろうが」
「そんなことはありません! 国公図書館にはない、貴重なものがたくさんありますよ! ほら! これなんて歴代皇帝陛下の書かれた伝記です。恐らく日記帳や起こった事柄、事件などを参考に読みやすくまとめられたものでしょう。ジルグロッセ様のご先祖様がどんなことをなさって、どんな困難を乗り越えてこられたのかが書かれているのですよ」
「は、はあ……」
「それに、このあたりは帳簿ですね。もちろん数百年前から、数十年前の……きっと文官の方々の資料で、外部に持ち出せない、資料室に置いておけないからこちらに置いてあるのでしょうね。こういったものもある意味歴史書ですよ! 過去の様々な出来事が、ここから読み取れます。帝国の成長が詰まっていますよ」
「は、はあ……」
棚を一つ一つ眺め、ジルグロッセの手を掴んで「ここはこういう本が詰まっていて〜」と説明してくれる。
だが、ジルグロッセとしてはシャーリーに手を掴まれていることの方に気を取られてあまり集中ができない。
婚約者というのは、こんなことをしてもいいのか。
いや、いいのか。なぜなら婚約者だから。
手を繋ぐぐらいは、許されるのだろう。
女性とのこのような接触、生まれて初めてで動揺がすごい。
細い指、柔らかな肌、小枝のようで折ってしまいそうで、不安。
シャーリーはまったく気にしていなさそうで、少しだけ『こんなに緊張しているのは俺だけか?』と不安になった。
男女の機微などわからない。
これが正しいのだろうか。
握り返すべきなのか、握り返したら折れてしまうのではないか。
「あ、すみません。手を掴んでいたらジルグロッセ様が本を読めませんよね」
「あ、い、いや」
「ジルグロッセ様はこの図書室の本を読んだことがあるのですが?」
「……いや、ここに入る前に戦場に出た。城に戻っても報告ばかりですぐに前線に戻っていたから、ここ来る暇はなかったな」
「そうなのですね。もったいないですけれど……」
しょんぼりするシャーリー。
おそらく読んだ本の感想を語り合いたかったのだろう。
少なくともこの図書室でジルグロッセが読んだことのある本は、ない。
だが読んでみたい本はあった。
「これは読んでみたいと思った」
「え? どれですか?」
一番上にあった本を取る。
城や皇族の歴史や経済系の本が多い中、上の方には『皇女のお茶会』や『後宮』についての記載がある本が並んでいた。
現在進行形で女性に関してどうしていいのかわからないジルグロッセにとって、藁をも掴む思いだった。
その中でも興味を引いたのは『恋愛のススメ』。
「え!? ジルグロッセ様はそれが読みたいのですか!?」
「恋愛というものがどういうものなのかわからない。君とは結婚したい。君のことは幸せにしたい。だが、それなりに強引に話を進めた自覚はある。学ぶべきだと思っている」
「ジルグロッセ様って真面目ですよねぇ。でも、私も同じです。私、ジルグロッセ様と生涯をともにする覚悟はできているのですが、今の私のこの気持ちが恋愛かどうかはわからないんですよね。私も読んでもいいでしょうか?」
「一緒に学ぶか」
「はいっ」
窓辺のソファー席に二人で座り、恋愛についての指南書を開く。
これは主に皇族の男から女性にどのようにアプローチをするのか、という内容。
さわりだけ学んだことだが、お茶会のマナーの細かな部分などは初めて知った。
いや、学んだのかもしれないが、お茶会の参加などここ十三年、記憶にない。
シャーリーと出会ったパーティーでさえ人生で三回目ぐらいなもの。
「俺は本当に、かなり無茶をしたのだな」
「それはそうかと思いますけれど、私はジルグロッセ様に見つけていただいてよかったと思っています。毎日ご飯を食べられますし、ベッドはふかふかですし、着る物もたくさん買っていただけましたし……なにより、本をたくさん読めます! 一番嬉しかったのは、自分の部屋に自分の本棚があったことです! 私のためにジルグロッセ様が用意してくださったとアビゲイル様にお聞きしました。本当に嬉しかったです! ありがとうございます」
「――そうか」








