砦の変化(1)
「ジルグロッセ様! ご指示通り牛の胃を加工したものを吊るしました!」
「では湯を用意する。シャワーを希望する者は列に並べ」
「はっ!」
ジルグロッセはシャーリーの手紙を読んでから、すぐにあらゆることを実行した。
小麦を収穫したばかりの畑には豆を植えるように指導し、ティヴァロニ王国シャレルット領から豆の種を取り寄せる。
この辺りは時間がかかるので、村民たちに任せる。
すぐに実践できそうな体臭対策。
そして、火葬。
帝国兵は遺族が望まぬ限り土葬が一般的だが、周辺に病が出ることがあった。
まさかその原因が土葬だったとは。
まずは敵兵たちを火葬して、骨だけになったら大穴を掘って埋める。
確かにこれだけでもかなり質量が減って埋葬が楽になった気がした。
さらに、近隣と砦内の村の謎の奇病は『脚気』というらしく、それには豚肉とシャレルット領のシャレ豆が治療に有効だと書いてあった。
原因不明だった病の正体ばかりか、その解決法まで書いてあったことには、それはもう驚いた。
彼女は知識の女神の生まれ変わりなのではないか? と、勝手に思ってしまうほど。
そして、本日はもう一つのことを実践する日。
体臭対策、シャワーだ。
体臭に関しては、シャーリーへの手紙に書いていない。
しかし、実際体臭による喧嘩やトラブル、苦情、士気の低下は長年の問題点だった。
それを見抜き、改善方法を幾つか提案してくれたのだ、本当に、本当に驚いた。
彼女はどこまで自分のことがわかっているのだろう?
手紙をもらってからすぐに実践を開始。
牛の胃の皮を手配し穴を開けてもらう。
手に入ってから、外に板を張り出し人一人分の大きさの穴を長く繋げ排水する場所を確保して、穴に被せるように隙間のある板を置く。
上に穴の空いた牛の胃の皮を設置したら、手のひらを空へ掲げる。
「湧け」
上空に数メートルもある水球を生み出す。
皇族の中で、ジルグロッセが若くして戦地に向かったのは帝位争いから逃れるため。
もう一つの理由は皇族の中でもっとも膨大な魔力を持って生まれたため。
聖人、聖女の子孫の中に時折、ジルグロッセのような膨大な魔力を持って生まれてくる者が現れる。
聖人、聖女の持つ力は神の力。
魔力とは別のもの。
だから比べることはできないが、それでもジルグロッセ並みの魔力を持つ人間は世界を探してもいないだろう。
十数年間、勢いのあった九神教を押し返してきたのは他ならぬこの魔力のおかげと言っても過言ではなく、またジルグロッセが『血飢えの皇子』などと恐れられるようになった要因でもある。
それでも、その生み出した水球を一瞬で湯に沸騰させるほどのこの魔力を、人を殺める以外に使えるという事実。
目を細めつつ、ゆっくり湯を革へと垂らして流し込む。
列をなしていた兵たちは、革の穴から降り注ぐ温かな湯に歓喜の声を上げた。
髪を洗い、体を洗い、笑顔で個室から出て次の兵と交代する。
シャワーの心地よさに皆、どれほどぶりかわからない楽しそうな表情と明るい声。
「ありがとうございます! ジルグロッセ様!」
「気持ちよかったです!」
「またぜひ! シャワーの日を設けてください!」
「ありがとうございます!」
「ああ」
排水の問題もあるので、その日のシャワーを浴びられたのは百人ほど。
しかし、それでもシャワーを浴びた者たちの晴れやかな笑顔を見て『本格的にシャワー室を設置するのはありかもしれない』と検討するきっかけになった。
いちいちジルグロッセが出てきて実施するのは正直現実的ではないからだ。
それでも効果は絶大。
ならば、いつでも兵たちが自由に使えるよう、設備をしっかり整えたシャワー室を建設した方がいいだろう。
士気向上にも繋がるので、一石二鳥と言える。
「シャワーはかなり好評ですね」
「ああ。予算を増やしてもらえないか、兄に頼んでみよう。シャワー室を作りたい」
「よいお考えかと。まさかこれほど士気が上がるとは」
その上、健康にもいいときた。
直属の部下や上層部は貴族出身が多いので、砦の中で風呂を沸かして入ることがあるが、下級兵たちはこの喜びよう。
部下たちも賛成してくれたことだ。
これなら予算も下りるだろう。
「ついでに石鹸なども発注してみよう。それで兵たちの健康と士気が上がるのなら、安いものだろう」
「そうですね。目録に加えてみます」
家族と離れ、遠い故郷から徴兵されてきた兵たちが戦場以外の――流行病、問題になっていた脚気などで倒れて帰らぬ人になるよりずっといい。
いや、できれば戦場でも。
(それは将として考えてはならないことだが)
一人でも多くの兵を徴兵期間を満期で終えて帰ってもらいたい。
そして二度と、戦場に戻ってこないように。
生きて帰れるように。
そんな願いから一番前に出て魔法で敵を屠る。
ジルグロッセ・ドゥロッテ・ロゲオスが選択したのはそんな道。
(まさか、平々凡々な子爵家の彼女がこれほど寄り添ってくれるとは思わなかった。彼女は、本当にすごいな)
そしてとてもありがたい。
この結果はぜひ、次の手紙に書いて感謝を伝えなければと口元に笑みが浮かんだ。








