砦の変化(2)
婚約者――シャーリーが帝都に来て一ヶ月になる。
が、ジルグロッセは未だギャランゼ砦から出られそうにない。
留守にしていた間の書類仕事が溜まりに溜まり、終わりが見えない。
ギャランゼ砦は、事実上ジルグロッセの“領土”のような扱いであるためだ。
領内の出来事の把握、問題の報告、予算、そして最前線の様子の監視。
「それで、ニュージブはどうなっている?」
「緊張状態に突入しました。オズブ国は同盟国のマーゴン国に海と陸から兵を借り、迎撃の準備が進められていますが……間に合わないでしょうね」
「こちらの進言は遅かったか」
「情報収集の手を抜いていたオズブの落ち度でしょう。なぜ我が国の傘下でもないのに情報収集を怠ったのか。ジルグロッセ様が気に病まれる必要はございません」
そう言って書類をさらに増やしてきたのは副官、ソルド。
相変わらず容赦がない。
しかし、事実でもある。
属国ではないオズブとマーゴンを助けてやる義理はない。
助けるということは、こちらにも損害が出るということ。
命が失われるということ。
厄介なことだが、九神教にはそれなりに優秀な軍師がいるらしい。
ジルグロッセの破格の魔力がなければ、前線を押し返すのは難しかったと言われているほど。
溜息を吐く。
前線ではないにしろ、近所で戦火が燻っているこの状況……呑気に婚約者に会うため帝都に帰っている場合ではない。
せっかく彼女が遥々帝都に来てくれたというのに。
しかし、この一ヶ月彼女からの手紙の返事は定期的に届く。
こちらの状況を報告すると、そこから察して二つ、三つと多くの助言が入っていた。
まさに一言えば十理解する女性だ。
なんという聡明な女性だろうか。
書類仕事に飽きてきていたこともあり、自然に引き出しを開けて彼女からの返事の手紙を持ち出してしまう。
「そうそう、シャーリー様のお手紙にあった保存食。コックたちが絶賛していましたよ。これなら遠征に出ても前回の倍以上のメニューを出せる、と。特に“漬物”というのは素晴らしい。野菜を塩で漬けるだけで、料理の幅も増えたといっていました。アレをパンと肉と挟んで食べるなんて斬新ですよね。それから冬支度にも使えそうだからと平民にもレシピを配り、広まっているそうです。今年の冬は平民たちの食生活がだいぶ豊かになりそうですよ。ああ、あと燻製! あれも素晴らしい! 食べましたか? 燻製のチーズとゆで卵! 木の香りが移っただけであれほど芳しく、酒が進むようになるとは思いませんでしたよ! しかも、水分を抜いて塩につけておけば長期保存もできるというではないですか! あんな保存方法があったとは……」
よく喋る。
普段それほど喋る男ではないのだが、シャーリーが手紙で送ってくれた食材の保存方法を試してからシャーリーの信者か? と思えるほどに彼女を絶賛するようになった。
実際、砦内の食生活の改善は目まぐるしい。
むしろ今までなぜ知らなかった? と思えるほどにどれもこれも有用なものばかり。
「彼女は我々のアルヴァーニュの聖女ですね」
「妙な噂を流すなよ」
「わかっていますよ。だから“我々の”と言ったではありませんか」
「それならばいいが……」
アルヴァーニュの聖女――正確には知識の神アルヴァーニュの転生者は、もう数百年生まれていない。
もしも彼女がその転生者だと真偽も不明な噂だけが一人歩きしてしまえば、それを利用しようとする者が現れるのは容易に想像がつく。
また、九神教にとって戦神オーディール以外の転生者はすべてロドリゲスに下るべきという教えを主張している。
なんでも、戦神オーディールはこれまで信仰されていた八柱の神々の上にある絶対神だと。
後づけの神が、そんなはずもないだろうに。
だからこそ他の神の生まれ変わりは九神教に命を狙われ、九神教の支配地域からロゲオス帝国の庇護を求める。
如実なのは転生者の多く生まれるティヴァロニ王国。
シャーリーの祖国だ。
あの国は九神教が勢力を強めてきた途端、すぐさま帝国に庇護を求めてきた。
神々の力を持つ聖人、聖女を守るために。
その判断は間違っていない。
むしろ、非常に英断だった。
「ジルグロッセ総帥、帝都よりお手紙が届いております」
「預かろう」
「よろしくお願いします!」
コンコン、と数回ノック。
入ってきた伝達兵から数枚の手紙を受け取ったソルドが、ジルグロッセの方へと歩いてくる。
すべて彼の魔法――【鑑定】で安全性を確認し、ペーパーナイフで中身を取り出して検閲してから、盆の上に載せられて手渡された。
その中の一つに、次兄ミゲイルからのものがある。
珍しい。
予算関係の内容ではないにも関わらず、【隠蔽】の魔法で強固に内容をぼかされている。
その上で、『至急、帝都へ帰れ』というシンプルな呼び出し。
思わずソルドと顔を見合わせた。
「帝都でなにかあったのでしょうか」
「そのようだな」
手をかざして手紙にまとわりつく兄の魔力を感じ取る。
間違いなく、兄の魔力だ。
ジルグロッセを強制的に砦から引き剥がそうという、敵の工作ではない、ということ。
今、この緊張状態の中で帝都に帰らねばならないのは不安が大きい。
それはソルドも同じ気持ちだったのだろう。
表情がかなり渋い。
しかし、帝都でもなにか――緊急性の高いことが起こっている。
「……仕方がない。ここは任せていいか」
「もちろんです」
「行ってくる」




