9 裏庭の思い出
私が魔力暴走を起こしてから、2日が経った。
この2日のあいだに、私はベラに洗いざらい今の状況や私の考えを話した。
エルと早くヨリを戻したいこと。
けれど、今は何も具体的な行動に移せていないこと。
だからこそ、二人で協力して何か作戦を練っていきたいということ。
そのために、以前から一人で温めていた秘策――「最終的には寝込みを襲うしかないのではないか」という検討事項についても、包み隠さずに共有した。
本当に、とっておきの秘策だったのだ。
それなのに、検討の余地ありと踏んでいた私のその意見はなんと、全部話し切った瞬間にベラによって、シンプルかつ全力で罵倒され切り捨てられてしまった。
「馬鹿じゃないですの!? 淑女の矜恃はどこへ捨てたのですか!?」
顔を真っ赤にしたベラはそう叫ぶと、私の頭をペチンと扇子で叩いてくる。
……そんなわけで、私の捨て身の作戦は、作戦会議の段階で永久欠番となってしまった。
いや、私だって本気で言っていたわけじゃないのだ。
それしか無いんじゃないか、と冗談程度に話しただけだというのに、きっと私が真顔だったから本気で話していると思われたのだろう。
これだから無表情体質は困る。
ちょーっとくらいは有り得るかもしれないから、計画くらいはしておこうと思った程度なのに、怒られてしまって不満である。
表情は変わらないが、気分だけムスッとした顔になっていると、そのうちにお昼休みの時間になった。
直前の授業は、私とベラで違うものを取っていたから、口うるさく何かを言われることもなく私は一人で廊下を歩く。
いつもは食堂で学食を食べるが、今日は購買でパンでも買ってひとけのない場所でゆっくり食べよう。
歩きながらそう考えていたのには、理由があった。
まだ扇子で叩かれたことに拗ねていて、ベラを避けるためにとかそういうわけじゃない。決して。
――原因は他の場所にあるのだ。
ふと前を見ると、私と同じように、先程授業を終えた生徒たちだろうか。
ようやっとの自由時間に解放された気分で楽しそうに雑談している集団がいる。
私はそのあいだを掻い潜るようにして廊下を歩こうとしていた。
……けれども、近づいた時点から、周囲の空気がにわかに緊張感のあるものへ変わった。
すれ違う生徒たちが、明らかに私から距離を取る。
恐れているのか、私を嫌っての行動か。
前は、どちらかだろうと結論づけることが容易かった。
けれど、今となっては違う。
「ねえ、あの人が……」
「本当にあんな魔術を……?」
ヒソヒソとおっかなびっくりに話し合う声が聞こえる。
いつもの陰険な陰口とはどうも調子が違うようで、逆に居心地が悪かった。
「信じられないわ……」
「でも私、目の前で見たのよ……」
そうやって話すのが聞こえて無意識に興味を惹き付けられると、一人の令嬢と目が合った。
彼女は私と目が合うと、まるで冷酷な処刑人にでも睨まれたみたいに恐れでいっぱいの顔をして、頭を下げる。
何かがおかしい。
以前ならむしろ、私をまるで悪人だとでも言いたげに睨み返してきたじゃないか。
どうも、これまでとは微妙に違う周囲の雰囲気が薄気味悪くて。
私がひとけのない場所を求めるのはこれが理由なのだ。
2日前、魔力暴走を起こしてから、私は何故か以前にも増して周囲の生徒に注目されるようになってしまった。
多くの生徒が私をチラチラと見て、ぶつぶつと何かを囁く様子が、嫌でも目につく。
そうやって注目を集めているのがどうにも落ち着かないから、とにかく人が少ない場所へと行きたかった。
もちろん、裏庭をめちゃくちゃにした事件の張本人なのである。
注目くらいはされるだろうし、あんなことをすれば、こんなふうに怖がられることくらい当たり前のことであろう。
幸い私の魔術は、校舎や裏庭にそびえ立つ記念碑などの像には傷をつけなかった。
すぐに先生が防衛術を使ってくれたのもあって、地面をとんでもなくぐちゃぐちゃにしただけで済んだらしいというのは聞いている。
それから、意図しない完全な事故であったことも加えて、弁償沙汰にはならなかった。
けれど、それでも大きな事件であったことは事実で。
現にあの後、先生にはめちゃくちゃに叱られてしまったし、両親には手紙まで出されてしまった。
寮のポストに返事の手紙が届くのは一体いつ頃になるだろうか……。
私はつい5日前に帰省していた実家の屋敷のことを思い浮かべて、恐ろしくて身震いをする。
あんな大規模にやらかしてしまったのだから、怒っているだろうことは想像にかたくない。
今更、娘が魔術を使ったなどと言われて二人はどんな反応をするか……。
魔術を使えない、いわば貴族の権威の根本となる能力を持ち合わせていない娘のことを、それでも仕方ないと受け入れ16年間育ててくれたのだ。
きっと他の貴族からも否定的なことを言われ続けていたであろう。
そんな時、突然実は使えました、となったなら、今まで我慢していたのはなんだったんだという話になりかねないのではないだろうか。
魔術を使えない私のために配慮してきた全てが、無意味になってしまうのではないだろうか。
そんなことを考えると、両親からの手紙の返事がいつ帰ってくるか怖くてたまらなかった。
とにかくそんなわけで、私だって事の重大さを理解していないわけではない。
注目されるのだって仕方のないことだろうという自覚はちゃんとあるのだ。
けれども、やはりなんだか前とは違う異様さが気持ち悪いのは変わらない。
私はいそいそとパンを購入すると、逃げるようにしてひとけのない裏庭のベンチに座った。
前はエルとよく一緒に来ていた穴場であるが、今では私が魔力暴走を起こした影響でとんと人を見かけない。
ここなら、安心してパンを食べられる、と袋を開けようとして。
……ふと、なんだか感傷的な気持ちになった。
――目の前に広がる裏庭の光景は、私の魔力暴走のせいで以前とは異なってしまっている。
けれども、まだ残っているものもここにはある。
裏庭の隅のほうにある、よく小鳥が止まる木や、校舎の際から奥の森のほうまでずっと続く、赤と白の花畑。
いつもエルフィンと一緒に眺めて楽しんでいた。
今も座っている、この木の匂いが香るベンチに、二人で並んで。
ただ人目を避けたくてこの場所に来ただけだったけれど、やっぱりここに来ると色々なことを思い出してしまう。
彼と、たくさんの会話を交わした場所だから、沢山の記憶が詰まっているから。
私は一息ついてから、ふとベンチの木目を撫でた。
感触は以前と同じように少しザラザラしていて、くすぐったかった。
撫でながら、私はかつての思い出に浸った。
『今度の休暇にまた、メルクロン邸にお邪魔させていただきますね』
あれは確か、1年生の終わり際のことだったろうか。
夕暮れ時に二人で並んでベンチに座っていると、彼は不意にそう言った。
ただ、隣同士に座っているだけなのに、心臓を誰かに鷲掴みにされているみたいに苦しくて、楽しくて。
私にぱあっと笑いかけてくれる彼の笑顔の破壊力と言ったらない。
うなじから香る清涼感のある香水の花の香りが、鼻腔をいっぱいに包むあの時間が好きだった。
ちょうど、2年生に上がるまでのあいだにある休暇のことで、何をする予定かと他愛もない話をしていた最中に彼に切り出され、私は有頂天になっていた。
休暇中は彼としばらく会うことができないかと思っていたので、そう言ってくれたことが嬉しかったのだ。
『それなら、エル。お願いがあるのですが……また青いバラの花畑を広くしたいんです。頼んでもよろしいですか』
もじもじして、太ももの上で手をこねながらそう言う。
これまで何度もお願いしてきたことで、もう飽き飽きしている頃だと思うと申し訳なかったけれども、それでも私は彼が青いバラを咲かせるところを何度だって見たくて。
私が返すと、エルはちょっと呆れたように笑った。
『良いですけど――』
彼は少しだけ思い悩むようにそう言って。
それから、目の前に広がっている赤と白の花畑のほうを眺める。
その時、彼の横顔が目に映った。
凛としていると言うには、幼さを感じさせる丸い輪郭。
けれど、それもまた私の心臓をぴょんと跳ねさせる。
『もっと……色とりどりな花畑にしても良いんじゃないですか?青だけだと、面白みに欠ける気もしてしまって』
多分それは、彼なりの善意の提案だった。
彼からすれば、青いバラを咲かせることはきっと庭を綺麗にしてほしいという頼みごとの一種だと思っていたのだろう。
けれど私は、そんなのはとんでもないことだ、と思わず立ち上がってしまいそうになりながら、肩を震わせ否定した。
『いえっ、青いバラがいいんです』
私にとって、青いバラの花畑であることが大切だったから。
どれだけ素晴らしい色とりどりの花畑であろうとも、それには及ばないのだ。
私が答えると、エルフィンはちょっとだけ呆気に取られた顔をする。
無表情のどこからか、私の必死さを汲み取ったのか、微笑んで。
『どうして、青いバラが好きなんですか?』
そんな質問を唐突にしてきた。
どうして……好き。
それに対して、どう答えればいいか、かなり迷ったのを覚えている。
貴方の瞳の色に似ているから。
貴方が初めて魔術を見せてくれた時に、好きになった花だから。
――あの時、そう答えることができていたなら、今頃何か変わっていただろうか。
当時の私はそれを言うことがとても恥ずかしくて。
結局、言い淀んだ末に、誤魔化してしまった。
そのことをとても後悔している――後悔はしているけれど、それでも大切な思い出で。
感傷的な気持ちになりながらも、この空間で一人、物思いに耽るのも悪くはないと思った。
ここに来てエルとの思い出を回顧することは、存外、決意を新たにすることには役に立つ。
どうせこんな寂れた場所には誰も来ない。
私は昼食を食べながら、このひとときを楽しもうと改めてパンの袋を開封しようとした。
――のだけれど。
不意に、草を踏みしめるような足音が近づいてくるのがわかった。
キョロキョロあたりを見回すが、裏庭のほうには誰もいない。
……となると、校舎の方からか。
誰が来ようと、別に関係はない……のだけど、なんだか誰も来ないはずだと思っていたので咄嗟に身構えて振り返ってしまって。
しばらく音の近づいてくる方向を見ていると、やがて足音の主が姿を現した。
「やあ、マーシィ・メルクロン。少し貴女と話がしたいのだが、いいだろうか」
現れた令息は、まるで私がここにいるのが最初からわかっていたみたいに、唐突に名前を呼んできた。
校舎の陰から出てくると、やけに姿勢良く真っ直ぐに歩いてくる。
そうして、腕組みをしながら私の前に立った。
その姿は、どことなく威圧的だった。
一体誰なんだ、この人は。
どうして急に話しかけてきた?
疑問に思っていると、それを見透かしたようにして彼は話し始める。
「突然ですまない。ただ、どうしても貴女と話をしたくて、探していたんだ。少し用がある」
言い切ると、彼はかけているメガネをクイッと押し上げた。
紫がかった髪色の、切れ長の目をした人で、なんだか真面目そうな印象を受ける。
探していた……とはいえ、こんな裏庭にまでわざわざ来るだろうか。
もし私を探していたわけではなかったならば、偶然で説明がつくけれど、むしろそう言われてしまうと、後をつけられていたのでは……という疑念が少しだけ湧く。
「すみません。私は貴方のことを知らない。名乗っていただけますか。それから、どんな御用でしょうか」
真面目そうな印象なだけに、なんだか嫌な予感がして、私は丁寧に、かつ慎重に答えた。
緊張から、握っていたパンの袋を膝上に置く。
「俺の名前は、フライス・ノルト。ノルト子爵家のことは……まあ、弱小貴族だからな。知らなくても当然だろう」
彼は自嘲するように鼻で笑い、それから神妙な顔になった。
「ああ……それでなんだが、用というのは、貴女への提案でね。俺は回りくどいのが嫌だから、単刀直入に言わせてもらうが……」
ほんの少し、彼は言い止めて。
私をじっくり、吟味するように眺めてから口を開く。
「俺と、婚約を結ばないか?」




