10 婚約拒否
耳を疑った。
驚きとかよりも、まず混乱が先行して。
婚約……?
いま、婚約と言ったのだろうか……?
いや、聞き間違いか……?
こんにゃくを結ぶと言ったのかもしれない。
は?
とにかく混乱して理解が追いつかずに、私は口を半開きにして「はあ……」と言ってしまった。
それで、あまり理解していないのが伝わったのだろう。
フライスはじとりと目を落として。
それから私を見ると「すまない。困惑するのも無理はないだろう。だが、まずは説明を聞いて欲しい」と言って、話をし始めた。
「まず、俺は別に貴女に異性としての魅力を感じたからこのようなお願いをしているわけではない。婚約を申し込んだ理由は他にある。2つだ」
そう言って、彼は指を2本立てる。
異性としての魅力は感じていない。
その宣言に、ホッと安心したようでもありながら、同時に悪口でも言われてしまったようで少しだけ複雑な気持ちになる。
「2つとは、どんな理由でしょうか」
とにかく、聞かなくては話が進まない。
そう尋ねると、彼は唐突ににやりと口角を上げた。
どんな理由かはわからないけれど、何か良くないことを企んでいるには違いない。
私に婚約を申し込もうなどという人間など……普通は居るはずがないのだから。
私は改めて身構えて。
「まず1つ目は、貴女が特異な魔術の才能を持っていること。……俺も先日の貴女の魔力暴走には立ち会っていたからな。驚いたよ。……あの強大な魔力。あれだけでもすぐに、貴女が尊敬に値する人物だと直感した」
うやうやしくフライスにそうに言われて、ほんの少し、拍子抜けする。
……魔力が、強大だったから。
もちろん、それが貴族社会にとってどれだけの意味を持つかは知っているし、ここ数日、周囲の反応の変化でも、改めて思い知らされている。
それでも、それを理由に婚約を申し込まれることになろうとは思っていなかった。
私は少し戸惑いつつ「……えと、ありがとうございます」と頭を下げる。
しかし、フライスは話はここからだとでも言わんばかりに、咳払いを一つした。
「いや、礼をしたいのはむしろこっちの方だ。……実は、昨日の貴女を見ていて、気がついたことがあってね。人前では言えないような重要なことだろうから、ここで尋ねさせてもらうが」
前髪を整えるように触ってから、一歩こちらへ近づいてきて。
彼は勿体ぶるように前置きをすると、重大な核心に迫ったことを強調するように、大きく息を吸う。
それから、続きを言った。
「貴女は本当は昔から魔術が使えたんだろう?その上で、ずっとああやって、自分の実力を周囲に見せびらかす機会を、伺っていたんじゃないのか?今までずっと魔術の使えない無能のご令嬢のフリをして、これまでの行動の何もかもを、あの瞬間の前フリにするために偽ってきたのだろう。違うか?」
興奮したように、彼は早口で言って。
更に1歩私のほうへ近づいてくると、獲物を狙う肉食獣のような、ギラついた目をこちらに向けてきた。
私は驚いて咄嗟に、ぷらんと前に出していた足をベンチの下へ引っ込める。
この人は一体何を言っているんだ……?
最初の堅苦しそうな雰囲気とはえらい変わりようで、困惑で呆気に取られてしまって。
何より、言っていることが全くもって的外れなのが困惑を加速させた。
「いや、ええと……そういうつもりではないのですが」
そう言って私は否定しようとしたのだが、彼は構いもせずにまた早口でまくし立ててくる。
「いいや、俺にはわかる。元々、考えてみればおかしなことだったんだ。魔術の名門貴族であるのに、魔術を一切使えないだなんてそんなことがあるか?それに貴女の無表情は、どう考えても不自然だ。意識して感情を出さないように制御でもしていなければ、そこまで無表情でいられるわけがない。感情と魔術は常に連動している。……だから貴女は、意図してずっと感情を見せ続けないように演技し続けていたのだろう?」
フライスは、まるで重大な秘密に自分だけが気がついてしまったかのように、ともすると俺は見破ったぞとでも言いたげな口調で言ってきた。
ふふんと鼻を鳴らすと、少し興奮してズレたメガネの位置をまたクイッと持ち上げて戻す。
……この人は、なんて鼻につく人なのだろう。
どうして無表情が私の演技だと決めつけられているのか。
別にそこまで大層なものではないし、おかしい、不自然だなどと言われても、事実そうなのだ。
生まれつき不自然ですがそれが何か?
ムカつくなと思いながら「いや、この無表情は生まれつきのものです。別に実力を隠そうと思っていたわけではありません」と説明してみる。
大きな発見をしたと思っているところ悪いが、否定してすぐにでも去ってもらおう。
昼ごはんを食べる時間が無くなってしまうのは困る。
パンの袋をかさかさ弄りながらそう思っていたのだが、フライスは全くもって聞く耳を持たず、言葉を続けてきた。
「何を言う。この期に及んでまだ無表情を貫くつもりなのか。もう魔術を使えることを知らしめたのだから、演技などしなくてもよいというのに。……ふん、芯の強い人間なのだな。だが、俺はちゃんと理解しているさ」
彼は偉そうにそう言うと、名推理でも決め込んだかのように不敵な笑みを浮かべてきた。
何をそんなに誇らしそうにしているのか。
全くもって意味不明である。
私からすれば小さい頃から魔術を使いたくて、それでも使えなくて苦しんできたのに。
それで……これまでずっと蔑まれてきたのに。
心の中で悪態をつきながら私は、気持ちの上では怒った表情で彼を睨みつけた。
実際、私の表情はびっくりするくらい何も変わっていないのだろうけれども。
なんだか頭の良さそうな人に見えたけれども、きっと彼はただの思い込みの激しい人なのだろう。
とにかく、これでは、話を聞いているぶん変に的外れな考察を語られ続けるだけで無駄である。
「すみません。本当にそういうのではないので。話はここで終わりでもいいですか」
意を決して私がそう言うと、フライスは我に返ったように語りを止めた。
まだ何か言おうとしているが、全く聞く気にならない。
彼は少し咳払いをすると「すまない。少し語りが過ぎたな。……これは本当は建前みたいなもので、2つ目の理由のほうが重要なのだが、つい熱くなってしまった。次は本当に簡潔に話すから聞いてくれ」と話す。
重要ねえ……。
私は半ば気にも留めず、他にひとけのない場所でも探そうと立ち上がって。
ほとんど興味を別の場所に向けながら「そうですか。2つ目の理由はなんなんです」と尋ねた。
どうせ、大した理由ではないだろうと思っていたから。
けれど、彼は最初のような真面目な口調に戻って。
いや、それよりももっと冷えた声色に変わると、目を細め。
それから眼光鋭く口を開いて。
「2つ目の理由は、俺がエルフィン・シャングルトンのことが大嫌いだからだ」
そう言った。
あまりに急で、私はどうとも反応ができずに、ただ彼の顔をまじまじと見つめた。
「貴女は……彼の婚約者なのだろう。話はよく聞いている。だが、最近は婚約破棄の噂も聞くし、関係は良好でないようじゃないか。わけがわからないな。あんなにも凄い魔術の才能の持ち主なのに、棄てようとするなんて、彼は貴女の価値を見極められていないんだ。だが、俺ならその能力の真価を認められる。だから俺は、貴女と婚約を結びたいんだ」
フライスは私から目を逸らすと、裏庭の酷い現状をまざまざと目に焼きつけるように見つめる。
地形が荒れて、草花が黒く焦げ付いたその景色を。
まるで、それが私の実績や成果であるとでも言いたげに。
なんだか、にわかに身体が熱くなっていくのがわかった。
才能、価値、能力、真価……。
私をそれらだけでしか語っていないことにも腹が立つが、それ以上に。
「……何故、エルフィンのことを嫌っているのですか」
その点が、何故だか猛烈に私の癇に障った。
何も知らないくせに、どうして彼と私の関係に口を出してくるのか。
馬鹿にするのか。
そう思うと、急に腹が立ってきて。
心臓に熱がこもる。
エルが誰かに嫌われていること、それ自体が珍しいと思ったのもある。
けれど、彼の温かな優しさを、幼げのある笑顔を。
臆病で弱虫で、怖くて震えている背中を。
それらを馬鹿にされたのだと思うと、尋ねずにはいられなかった。
大好きな人を侮辱されて、平気でいられるわけがなかった。
けれど、そんな私の感情が伝わることはない。
尋ねると、フライスは冷静な口調で返してきた。
「どれだけ努力しても、俺がエルフィンには勝てないからだ。……婚約者の貴女なら知っているだろう。彼が、いつも魔術学部の試験で1位を取っていること。俺がどれだけ努力しても、永遠に2番手で、その差は埋まらない。何故なら、エルフィンには才能があって、天才だからだ。勝ちたいのに勝てない。だから嫌う。そういう、単純な理由だよ」
彼は言い切ると、また、さっき目を輝かせていた時とは全く程遠い、冷えきった目を向けてくる。
落ち着いた声だったけれど、そこにはどこか恨みが滲んでいるような気がした。
「俺はエルフィンのことが大嫌いだし、憎んでいる。だから、貴女を利用して、アイツを地の底まで叩き落としてやりたい。要約すれば、つまりそういうことだ」
言っていることは、どこか狂気的で、けれど彼はそれを不気味なほど真面目な顔で口にしている。
本心で思っていても、そんなことを普通は声に出さない。
けれど、彼は冷酷に言い切ってみせた。
頭に血が昇って、怒りで鼓動が速くなる。
天才だから。
そんなものは、ただの嫉妬じゃないか。
自分に才能がないことと、エルに才能があることは、全く関係がない。
相手に能力を奪われたわけでもないのに、実力以外で仕返しをしようとするなんて、逆恨みもいいところだ。
5歳の頃、エルの使った魔術に嫉妬した私自身が、それをよく知っている。
……けれど、それと同時に恐怖が湧きたって、何も彼を責め立てるような言葉が出てこない。
地の底まで叩き落してやりたい、と具体的な行動にまで移す彼の狂気性までは、理解ができなかったからだ。
フライスは「では、改めて。俺と婚約を結んではくれないだろうか」と言って、頭を下げてきた。
――そんなもの、何歩譲っても応じられるわけがなかった。
彼のことは少し変人なだけの理路整然としている人間だと思っていた。
けれど、嫌に人間らしい生々しさを見せつけられて、私の喉は凍りついたように固まってしまって。
「……ふざけないでください。そのような婚約を受け入れられるわけがありません。貴方がどれだけ嫌いであろうと……エルフィンは私の婚約者です。……婚約者を侮辱された私が、その提案に乗るとでも思ったんですか」
なんとか絞り出すようにそう言ってから、私は数歩後退りする。
そう、婚約者。
私は彼の婚約者なのだから、こんな人と関わっていてはいけない。
婚約者が悪く言われて、そんな提案など受け入れるものか。
この人は一体、何を考えているのだろう……。
フライスは「ダメか……」と呟くと、顔を上げ、最初にしたようにじっくりと私のことを吟味するように眺めてきて。
「そうか、わかった。食事中にすまなかったよ。……今の貴女の結論はそうなんだな」
どこか、意味ありげにそう言った。
「……失礼します」
私はとにかくこの場から一刻でも早く立ち去りたかった。
言って、私の方からも頭を下げると、すぐさま彼に対して背を向けて足早に歩き出す。
背中に彼からの視線が向けられていると思うとなんだか無性に怖かった。
それから十数秒かした頃だろうか、やっとひとけのある校舎まで辿り着いて、私はホッと息をついて。
そうしてそこで私は、逃げてくるので頭がいっぱいだったばっかりに、パンの袋をベンチに置いてきてしまった事に気がつくのだった。




