↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
11/14

11 僕の婚約者

 ああ、私のパン……。


 後悔から置き忘れてきてしまった自分のことを恨むけれど、そんなことでは帰ってこないことはわかっている。


 裏庭に取りに戻ろうかなと思うけれども、戻ればフライスに出くわしてしまうかもしれない恐怖もあって、どうにも足が動かない。

 

 いっそのこと、購買に行ってパンを買い直そうか……いやいや、でもそうしたらお小遣いが無駄になってしまう!


 なんて、そんなことをぐるぐる考えていた折、とうとうお昼休みが終了間近になってしまった。

 ああ……こんなのでは私の思惑が台無しだ。


 せっかく彼と話ができるかもしれないのだから、万全の状態でいたかったのに……。


 惜しみながらも観念して、私は急いで次の授業の教室へと向かう。

 けれど、到着してもすぐには入らずに、私は廊下で足踏みをした。


 扉から中をちらと覗いて、無性に鼓動が早くなって、彼の姿も確認できないうちに目を背ける。

 別にいつもと何か違うわけでもないのにちょっと自分の身だしなみを確認して緊張を和らげてみたりしては、むしろ緊張して深く呼吸をした。


 いや、この授業自体は、なんの変哲もないのだ。

 本当に、なんの変哲もない、貴族のマナーとして覚えておこうと思って取っただけの生け花の授業。


 問題は、授業の内容とは別のところにあって……。

 いや、ある意味では関係があるのかもしれない。

 

 問題は、この授業がどの学部の人でも受けられる授業であることであり。

 

 そして、エルも私と同様にこの授業を取っていることであり。


 それから――


 まだ婚約解消の提案をされるなんて思ってもみなかった学期の初め。

 この授業では共同作業をしたり批評しあったりするために、ペアを決めなければいけないと言われて――もちろん婚約者である彼とペアになったことである。


 時計を見れば、もうすぐ授業が始まる時間だ。

 本当ならこの場から逃げ出したいくらいだが、このまま、まごまごしていては埒が明かない。

 

 私は勇気を出して、足早に教室に入っていくしかなかった。


 意を決して部屋の中を見渡す。

 エルはいつも通りに、決まった椅子に着席していた。


 私には気づいていないのだろう。それとも、気づかないふりをされているのかもしれない。

 彼は窓の外をぼんやりと眺めている様子で、窓から差す陽射しが彼の金の髪を煌めかせていた。


 私はそれを見て少しホッとした。

 少なくとも、彼はまだここにいる。

 もしかすると、私を避けるためにもうこの授業には二度と来ないかもしれないと考えていたから、視界に彼が映るだけでも安心した。


 そしてそれと同時に、緊張で身体がぶるっと震えた。

 私はゆっくり、ぎこちない動きにならないように努めながら、おずおずと彼の隣の椅子に座る。


 ペアだから、隣同士の席に座らなければならない。

 それは授業で取り決められていることであって、さして大胆に行動したわけでもないが、ただ座るという動作ひとつに、足の置き場がわからなくて手こずるくらいに私は動揺していた。


 授業が始まる前に、何か一言くらいは声をかけておいたほうがいいだろうか。

 迷っていると、エルは窓の外を見るのをやめて急に正面へ向き直った。

 そのまま、私のほうを見てくるんじゃないかと思うと咄嗟に身構えてしまって、心臓が思わずぴょんと跳ねる。

 

 けれど、彼は私の方を見るでもなく。

 ただ、落ち着いた口調で「マーシィ様、よろしくお願いします」と言ってきた。


 彼の方から話しかけてくれるなどとは思っていなかったから「あ、うん……よろしくお願いします」と、ぎこちない返しをしてしまう。


 もちろん、彼からすればきっと、私の声はまた平坦にしか聞こえていないのであろう。

 わかっているけれども、恥ずかしくて膝に置いていた手にぎゅうと力がこもった。


 いや、それでもエルから話しかけてくれた。

 彼はずっと私を避けているのだと思っていたけれど、今日は、少しだけ会話ができるかもしれない。

 希望を持つと同時に、私は焦燥する。

 

 何を話そうか、何を尋ねようか。

 ……どうやったら、婚約者のままでいられる?


 考え始めると、あんなに事前に練ってきた会話デッキが嘘みたいに白紙になっていく。

 それでも、何か。

 何か話さなければと、息を吸い込んで。

 

 ――吐き出そうと思った瞬間、言葉を遮られてしまった。


「あ、あの!マーシィ様!少しお話を!」


 バタッ、と勢いよくテーブルの上に腕を置いてそんなふうに声をかけてきた令息は、そのまま突然私の腕を掴んでくる。

 

 なんだ……この人は。

 びっくりして声も出ずにいると、その令息は素っ頓狂な声で話しかけてきた。


「2日前のあの魔術を見て、俺、なんてすごい人なんだって感心したんですよ!だから、是非マーシィ様と話をしたかったんです!まさか同じ生け花の授業を取っていただなんて今まで気が付きませんでした!」


 彼のそれは大袈裟な口調で、不自然なほどの明るさだった。

 まるでその真意を隠そうと精一杯演技でもしているみたいに。

 

 一体、何を考えて私なんかに急に話しかけてきたのか。

 

 今はとにかくエルと話がしたいのに、割り込まれては困る。

 それに、魔術の話だってするつもりはない。

 

「いや、そういうのはちょっと――」


 断ろうとして言いかけたところで、また別の方向から大きな声が飛んできた。


「オレもだ!オレだってマーシィ様と話がしたい!」


 そう言って、また私の発言を遮るようにしてもう1人別の令息が割り込んでくる。

 今度の彼は空いているもう片方の手を無理やり握ってきて、跪くようなポーズを取ってきた。

 

 驚いて手を引こうとするが、彼のほうが力が強くて振りほどくこともできない。

 

「オレは他の奴らとは違って、前からマーシィ様はすごい人だと思ってたんだ!この機会に是非とも懇意にしていただきたい!」


 彼は自信満々にそう言ってくると、握った私の手を更にぐいと引っ張ってきた。

 まるで自分は紳士的な立ち振る舞いでも心がけているかのように言うが、明らかに力加減を間違えていて手首が痛い。


 なんでもう1人増えたのだろうか……。


 わけがわからずに「いや、だからちょっと離してください――」と彼らに断りを入れようとする。


 こんな強引な人たちと会話をしたくはないし、いきなり手を掴んできて正直気持ち悪い。

 今すぐどこかへ行って欲しかった。


 それだというのに――またも私の言葉を遮るような絶妙なタイミングで「わたくしも話をさせてもらっていいですか!」と更に別の令息がやって来た。


 えぇ……何なんだ貴方たちは!

 

 今からエルと話そうというのになんでこのタイミングで邪魔してくるんだ!

 しかも3人連続。

 無限湧きの敵か。


 そう思いながらも私のムカムカが伝わることはなく、気がつけば私は複数の令息に完全に包囲されてしまった。


「君たちはそもそも魔術がどうのと言いますが、わたくしは元からマーシィ様はお美しい方だと思っておりました」


「それならオレだってそうだとも!貴女の顔を恐ろしいなどと言うやつもいるが、オレからすればむしろ生まれながらに与えられた整然とした装飾品のようなお顔立ちで――」


「あなたたちは容姿でしかマーシィ様を判断できていないじゃないですか!彼女の無表情はまさに内面の強さを表しているんだ!いつでも無表情でいるのがどれだけ大変なことか!」


 私を挟んで、そんな美辞麗句が飛び交う。

 それと同時に両手を掴まれて反対方向にぐいぐい引っ張られているので、放っておいたらそのうち身体が裂けるんじゃないかと思った。


 どうしてこんなことになっているのか。

 困惑して頭を抱えたくなったが、その時、薄らと昼のフライスのことを思い出して。


 ――ぞわりと寒気がした。


 フライスと同じで、私が魔術を使ったから、彼らは私と話がしたいのだ。

 私に取り入ろうと、それだけのことを考えて、ここまで強引に距離を縮めようとしてきているのだと思うと、彼らに対する嫌悪が胸の内から込上がってくる。

 それならむしろ、最初から私に本音を示したフライスのほうが幾分かマシにすら思えた。


「あの、ですから私の話を聞いてください」


 意を決してそう言っても「はい!話をさせてください!」などと抜かしてくるので話にならない。

 

 違う。

 私はこんな人たちと会話をしている暇はないのだ。


 私は。

 私はエルと――


 その時、ガシリと一人の令息の腕が掴まれた。

 私の背後から伸びたそれは、目いっぱい力が入っているように見えて、私の手から令息の腕を引き剥がす。


「あの、もうすぐ授業が始まりますし、席に戻ってくれませんか?こんなふうに僕のペアの邪魔をするのはやめてください」


 そんなエルの声が聞こえて、私は後ろを振り返って。

 何度か、目を瞬かせた。


 私は、彼がこんなに不機嫌そうな表情になっているのを今までに見たことがない。

 こんなに眉根を寄せているのを見たことがない。


 こんなにも、あの綺麗な青い瞳が鋭く刺すような冷たい視線になっているのを見たことがない。


 彼はそんな目で令息を睨みつけていた。


「じゃ、邪魔だなんて、そんなことはしていない!オレはただマーシィ様と話したかっただけで――」


 腕を掴まれた令息はそう言った。

 そうすると、エルは鬱憤の塊みたいなため息を一つ吐いて言った。


「一度言うんじゃ分からないんですか。僕の婚約者に対して不快なことをするのをやめろって言ってるんです」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。