7 気弱で臆病で怖がりな、私の大好きな人
夢を見た。
それは、幼い頃の記憶のようだった。
そして――
忘れたくない、私の大切な思い出でもあった。
……小さい頃から、私は魔術が使えなかった。
そして、いつでも無表情だった。
魔術が得意な父と母から望まれたのは、もちろん魔術がすこぶる得意な子供。
けれど生まれたのは、お腹から出てきた時から泣き声ひとつすらもあげない不気味な赤ん坊だ。
両親はそれでも私を愛してくれた。
教えればちゃんと習得してくれるかもしれないと有名な家庭教師を付けてくれた。
一緒に遊んでいればそのうち笑うかもしれないと、よく母様と一緒におままごとをして遊んだ。
でも、それでもダメだった。
私は沢山のお医者様をたらい回しにされて、とうとう無表情の原因もわからなくって。
結局、高名な魔術師様に見てもらって、私は5歳にして魔力がほとんど無いというお墨付きももらった。
両親は私を虐げなかったけれど、困った様子なのは明白だった。
だって私は、周囲の大人に可哀想な目で見られていて。
他のご令嬢にだってバカにされていたから。
「なんでずっと同じ顔なの?気持ち悪い!」
初めてそういう悪口を言われた瞬間が今でも忘れられない。
私は、自分がおかしな子だというのをすぐに自覚した。
親に連れられて社交界に出向くと、大人たちはいつも、隅っこで一人ぼっちで居る私のことを可哀想な目で見つめる。
けれども、私はわざと一人ぼっちで居たのだ。
そうすれば、誰かを不用意に怖がらせることもないから。
一人ぼっちで、お気に入りの人形を抱いて、おままごとでもしていれば、私はそれで良かった。
自分が普通でないと自覚してからは、一人でいようと決めていた。
それなのに……。
両親は、余計なことをした。
少なくとも、その時の私にとってはとても。
とても、余計なことだった。
「マーシィ、お前の婚約者のエルフィンくんだ。これからは一緒に過ごすことも増えるだろうから、仲良くするんだよ」
父様は誇らしげに彼のことを私に紹介した。
綺麗な癖毛の金髪で、青い瞳を持つ男の子。
魔術の才能がある。
天才だと呼ばれている。
まるでその男の子が、私のことを助けてでもくれるかのような口ぶりで父様は言っていた。
けれども、彼はどう見ても臆病で、それでいて頼りがいが無さそうで。
他の令嬢や令息と同じように、私を怖がっている。
向かい合うように椅子に座らされたのに、目すら合わせてくれない。
「あの」
私がそう声をかけると、びくりと身体を震わせて「わっ」と声を上げ、椅子から滑り落ちていた。
がくがくと膝を震わせて、立ち上がる時には、私を悪魔でも見るみたいに怯えた目で見た。
……なんだ、この子も結局同じじゃないか。
他の人と同じように、私を恐れ、時に蔑み、罵倒し……化け物のような目で見る。
私が何かしたというわけでもないのに。
私はただそこに居て息をしているだけだというのに。
どうして、そんな目で見られなければいけないのか。
自分に、絵本で見るような王子様が現れるなどとは最初から思っていなかった。
優しくなくてもいい、かっこよくなくてもいい、真面目でなくても、何かの能力に秀でていなくても、魔術の天才でなくてもいい。
それでもせめて……人として扱ってもらえたら、どれほどよかったか。
……こんな子の、何が婚約者だというのだろう。
ただの、可哀想な男の子。
氷面の令嬢と、無理やり婚約を取り付けられた、可哀想な男の子。
そんなのだから、私の諦めは更に進んでいった。
どうせ私は、誰からも受け入れられることはない。
将来、私と結婚する男の子にさえも怖がられているのだから、どうしようもないのだと思った。
彼と過ごす時間が憂鬱で仕方がなくて。
きっと、彼の方もそうだと思っていた。
私のことを怖がっているし、嫌われているのだろうと諦めていた。
幼い私には、彼のことをそんなふうにしか定義できなかった。
――不思議なのは、そうではなかったということだ。
ある日、親同士の提案でメルクロンの屋敷でお茶会が開かれることになると、連れられてきた彼はすぐに怯えた様子になっていた。
怖がられるのはこちらだって不本意なので、私は適当にお庭の花にでも夢中になっているフリをして切り抜けようとして。
けれど、それでも彼の方から勇気を振り絞った様子で話しかけてきた。
「あ、あの……!お花が、好きなんですか……?」
平然を装っているが、目を合わせてくれないし、足が震えている。
私に手を差し伸べようとして、指がぴくぴく痙攣している。
本当は逃げ出したいほどに怖いのだろうに、どうして彼は、無謀にも話しかけに来たのだろう。
疑問に思いながらも私が「うん」と短く答えると、彼は少しだけ唇の端を持ち上げて顔を明るくした。
「そ、それなら、あのっ……最近覚えた魔術があって!お花を咲かせる魔術なんですけどね!も、もし、マーシィ様が好きなお花があったら……」
私の顔をうかがうようにしながら、そう言う彼の様子はやっぱりどこか怯えていてぎこちない。
どうして、わざわざそんなことを尋ねに来たのか。
意図が読めずに困惑してしまうし、お花が好きだなんて、適当に答えただけだったから、いざ質問されると答えに詰まる。
面倒だ、こんなやり取りは無駄だ。
思いながらも……仮にも婚約者としての体裁を考えれば無下にするわけにはいかなくて、私は数秒悩んで。
……しかし、やはり好きな花などなかった。
花に興味など一度も持ったことがなかったから。
興味なんてない。
……私は、何にも興味がないのだ。
何に対しても無関心で、何を考えているかわからなくて、恐ろしい令嬢なのだ。
みんなが、そう言っているのだから。
彼だってそのことを知らないはずはなかった。
私がそういう人間だと知っていて、好きな花があるかなんて聞くのは……あまりにも愚かだった。
ここは適当に、バラとでも答えておこうか……。
彼の背後のバラの茂みが目について、そんなことを考えながら。
悩んでいる最中に、ふと、彼の顔を見た。
私を怖がる、憎らしい顔。
私のくすんだ黒い瞳とは違う、綺麗な青い瞳が無性に鼻について、苛立たしかった。
けれど……。
同時に……綺麗だとも思った。
その青い瞳は、綺麗だな、と思って。
――とっても、綺麗だと思って。
それから私は何気なく「青いバラ、とか」と答えた。
すると彼は、自分から尋ねてきたくせに、私に答えられて口をぽかんと開けたまま、目を丸くする。
しばらく、間の抜けた顔のままで。
私は、からかわれたのだと思った。
あのマーシィ・メルクロンが、一丁前に青いバラが好きだなんて答えた。
すぐに、笑われると思った。
悔しくて、ドレスの裾をぎゅうっと掴んで。
けれど、少ししてから、彼は「わかりました」と返事をした。
びっくりして思わず「えっ」と声を漏らしているあいだに、彼は地面にしゃがみ込み、手をかざしている。
私は、彼の魔術に興味などない。
天才だろうが、どうだっていい。
どれだけ物凄い花が咲いたところで、何も驚かない。
天才なのなら、それは聞いていた通りのこと。
こんなことで力を誇示したいというのなら、きっと私の心には響かない。
話しかけられた以上は無視するのも居た堪れなかった。
だから、ただそれだけのことで、仕方なく私は横目にそれを見てあげていただけだった。
1本の茎がゆるりと曲線を描いて地面に根差すと。
ふわりと小さなつぼみを実らせて――
やがて膨らんで、ゆっくりと開いた。
――青いバラが1本、地面に咲いたのだ。
彼の瞳にちょうどよく似た、綺麗な青いバラ。
鮮やかで、太陽の光を受けて、まるで煌めいているようにさえ見えた。
予想より随分小さくて、拍子抜けした。
目の前の花は、物凄い花でもなんでもない。
文字通りの青いバラだ。
それが目の前で1本咲いただけのことだった。
けれど私は、たったそれだけ。
それだけのことなのに。
気がつけば何故か――とても見惚れてしまっていた。
そよ風が吹くと、バラは柔らかく揺れる。
彼はそれを見ると微笑んで、それからどこか誇らしげに「どうです?結構、すごくないですか?」と鼻を鳴らして言った。
さっきまで怖がっていたくせに、生意気な態度。
……まあ、確かにすごい。
すごい、けれど――
そう思うと同時に、私は。
気がつけば「なんですか。私が魔術を使えないから、当てつけですか」と声に出してしまっていた。
それは……幼い私の、醜い羨望と劣等感だった。
彼の魔術を見て思ったのだ。
これを、私が自分の手で使えたらどれほど良かったか、と。
私が魔力を持って生まれてきたのなら、こんなことは私だっていずれできるはずだった。
でも、できない。
こんなことに一瞬見惚れてしまうほど、自分は無力だと実感するのが嫌だった。
だから、彼の魔術に感心すると同時に、自然と言葉が口からすり抜けていた。
彼は慌てた様子で「そ、そんなつもりじゃなくてっ!ただ、マーシィ様に喜んでもらえたらって思って……!」なんて大きく手と首を振りながら答えてくる。
私を気遣うようなその言葉が、どこか癇に障る。
気がつけば、なんだかどす黒い感情が私の中に渦巻いていた。
喜んでもらえたら、だなんて綺麗事だと思ってしまった。
嘘つき、そんなわけがないじゃないか。
「あなたは、私のことが怖いんでしょう。それなのに、どうして。わざわざこんなことをする意味があるの」
彼を困らせたい気持ちで、私はそう尋ねる。
私のことが怖いくせに。
怖くて、たまらないくせに。
私はずっと諦めていた。
喜ばせたいだなんて感情を、両親以外の誰かに向けられたことなんて1度もなかった。
だから、私は知っていた。
彼の言葉が本当なわけは無いって。
多分、婚約者としての役割を果たそうと頑張っているのだと、親に私と仲良くしろと言いつけられていて、そうしなければ怒られたりするのだろうと、すぐに見破った。
見破った気になっていたからこそ、彼はすぐにでも虚勢を張って、怖くなんかない、だなんて言い出すだろうと思っていた。
それなのに――
「あの……はい。確かに、マーシィ様のことは、怖いです……」
彼はやけに正直に話してきた。
そんな答えが返ってくるとは思っていなかったから少し面食らってしまって。
私が何も言わずにいたら、彼はムキになった様子で1歩私の方へ近づいてきた。
びくっと肩が震えて、後ずさりしようとするけれど、足が動かない。
「で、でもっ……僕がマーシィ様を怖いって思うより……それよりずっと、マーシィ様の方が、心の中ではいつも怖がっているんだろうなって思うんです……」
必死そうな顔でそう言うと、彼は不意に私の手を掴んでくる。
その手は少し震えていて、けれど力強かった。
怖がっているのに、手の震えだって伝わってくるのに。
彼に、一体私の何がわかるというのか。
彼の手を払い除けたいのに、力が入らない。
怖がっているのはいつも周りの方で……私は怖がってなんかいない。
何も怖くなんか、ない。
それなのに。
「どうしてずっと無表情なのか、全然わからないし、魔術が使えないのってどんな感じなのか、僕には想像できなくって。でも……もしかしたら、泣かないのも怒らないのも笑わないのも……全部、ただ怖いからなのかもって思って。……ただの決めつけなのは、わかっているんです……。けれど、僕は……。
……僕は、マーシィ様の、婚約者なんですよ。
……そうかもしれないと思ったら。マーシィ様がこれからは怖がらなくてもいいようにって、笑ってくれるようにって思うのは、当たり前のはずです。本当は僕が怖がるような人じゃないはずだって、優しい人のはずなんだって。そう信じたいと思うことが……そんなにおかしいですか」
威勢よく啖呵を切った彼は、言い終えてから、疲れたように息を大きく吸い込んで。
相変わらず私の手を握る力は強く。
どこか、覚悟の決まった瞳で私のことを見つめていた。
……かと、思えば。
数秒後には、途端に自分が言ったことが恥ずかしくなったのか、手を離して。
それから急に慌てた様子になると、私から距離を取って、俯いて、ぶつぶつと言い訳をしようとする。
「ええと……だからその……あの……」
口ごもる彼に対して、私は、なんとも返事をしてあげられなかった。
私の事なんて、なんにもわかっていないくせに。
怖がってばっかりのくせに。
それなのに。
どうして……私に向き合ってくれるの。
どうしてそんなふうにしてくれるのか、私にはわからなくて。
全然わからなくって。
……ただ、彼の気迫に息を呑んだ。
かっこいいとかよりも、それ以上に。
――こんな人と一緒に居てもいいのかという恥ずかしさが幼いながらに込み上げた。
その瞬間から、視界が鮮明になった気がした。
草むらの緑が、空の青が、彼の金髪が、青い瞳が。
青いバラが。
ずっと鮮やかになって、私の目に映り始めた気がした。
頬が熱かった。
鼓動が速かった。
胸は相変わらず苦しかったけれど、それは先程までの暗い気持ちではない、他の何かだった。
違う。
彼は他のみんなと、何かが違う。
……同じじゃない。
全然、同じなんかじゃないじゃないか。
しばらくして、私は彼の目をしっかりと見て言った。
「……花を咲かせただけのことで。私は、笑いませんよ。でも……信じてくれるのは、嬉しいです。……ありがとうございます。……エル」
その呼び方をした最初のきっかけは、ただの思いつきだった。
だから、受け入れられるかはわからなかった。
嫌がられるかもしれないし、更に怖がられるかもしれない。
そう思うと、怖かったけれど。
「その呼び方は……。あー、あの……。変な、お願いかも、しれないんですけど。よろしければ……これからも、僕をそう呼んでくれませんか……。そう呼んでくれたら、なんだか柔らかい感じがして……マーシィ様のことを、怖がらずに済む気がするんです」
彼は嫌がるわけでもなく、ただ服の裾を力なく掴んで恥ずかしそうに笑う。
どこか、恐怖が薄れていっているようにも見えた。
――エルは完璧な人じゃない。
むしろ気弱で臆病で、少しドジだ。
一見すれば優しいように見えるかもしれないけれど、本質を見ればただの怖がりで、男らしくなんか全然ない、弱虫で。
けれど、私を怖がらせたくないと、優しい人だと正面から言ってくれた唯一の人。
どれだけ怖くても、私のことを理解しようとして、本気で向き合ってくれた人。
だから、私は彼のことが大好きで。
絶対に、彼を諦めることなどできないのだ。




