6 覚醒
結局、魔術の授業が始まるまでにエルと私のあいだに何かが起きることはなかった。
何かが起きてほしくて、けれど、起きるのが怖いところもあって、少しだけホッとしている自分がいた。
平原の真ん中には、一体の魔術用ダミーが置かれている。
授業が始まると先生の指示で生徒は1列に綺麗に並んだ。
視線の端には、彼の金髪が見える。
私より少し前の列に並んでいるようだった。
背中しか見えない。
けれど、それでいい。今はまだ、顔を見る勇気がなかった。
「各々が1番得意だと思う属性の魔法をダミーに放ってください。出来栄えを評価しますが、必要に応じて威力は加減するように。流石にダミーが壊れることはないと思いますけど、あまり威力が強すぎると周囲の方を危険に晒すこともありますからね」
先生のその一言で、生徒全員が少し身構えた。
きっとここにいる誰も、先生の忠告を守ろうとなんて少しも思っていない。
むしろ、自分の魔術がどれだけ凄いかを見せつけたくてそわそわしているのだ。
こういう授業は実質、自分の魔術がどれだけすごいかを見せつける場所でもある。
魔術が得意だということはそれだけで権威になる。
たとえば、私の先祖がそれで代々隆盛を誇ってきたように。
そしてそれが、私のもう一つの不安の種でもあった。
「ねえ……あの子がそうなんでしょ……?」
「そうそう、聞いたことある……。魔術が全然使えないんだって……」
「え~可哀想……」
自分の後ろに並ぶご令嬢や令息がやけに口々に言っている。
こういうものは、本人に聞こえる距離で言うものではないと思う。
陰口を平気で言われていることにムカムカしながら前に並ぶベラを見るが、こういう時に限って、魔術用ダミーを指さして嬉しそうに悪意マシマシの顔で「見てくださいよあの無表情!姉様の友達ですわ!」とか馬鹿なことを言っているので、私はこの板挟みに耐えるしかないようだった。
――私は、魔術の授業があまり好きではない。
それは、私が疎まれている大きな原因の一つだから。
生まれつき魔術を使うのが苦手だった。
しかも、それだけならよかったのに、よりにもよって私は、魔術の名門貴族の一人娘だった。
「あれじゃ、メルクロン公爵家も落ちぶれるな」
「エルフィン様も、どうするつもりなんだか」
後ろからは、相変わらず陰口が聞こえてくる。
けれど私はいつも通り、聞こえないふりをする。
魔術を使うには、感情の昂りが重要だ。
原動力はなんだっていい。
怒り、悲しみ、喜び、幸せな気持ち。
なんだっていいのに、いつも無表情の私には、感情を形にするイメージが全くと言っていいほどできなかった。
貴族の娘でありながら、魔術を一つも使えない無能。
だから私は蔑まれ、疎まれている。
同じく魔術の名門であるシャングルトン伯爵家と婚約したことに目をつけられ、ことある事に釣り合わないと言われてしまっている。
「でもむしろ、魔術が使えないのをエルフィン様に補助してもらうための婚約なんだろ?」
「多分ね。メルクロンだって、魔術が使える跡継ぎが欲しいでしょうし……」
私はいつも、言われている悪口に概ね賛同している。
私が、エルと釣り合っているとは思わない。
婚約破棄を提案された日、彼は自分のことを私の重荷になっていると言っていた。
けれど違う。
言うならきっと、私が彼の重荷になっていると言ったほうが何十倍も正しいのだ。
ふと、前列のほうで、わあと歓声が湧き上がるのが聞こえてきた。
エルが、魔術を使っている。
彼の放つ光弾は色とりどりで、きらりと光るとダミーにぶつかり、大きく砂埃が舞った。
先生が「やはり、エルフィンさんはとびきり優秀ですね」と手を叩いて褒めている。
私も数秒か、彼の魔術に見惚れて、けれどそれから心にどす黒いものが巻きついて、反射的に俯いた。
彼があそこまで魔術ができるようになったのは、私のせいだ。
私が魔術を使えないから、そのぶん彼が私の代わりに頑張らなければならなかった、その産物。
湧き上がる罪悪感から、彼を見ていられなくて。
「ふん!見応えのない優等生ぶった平凡な魔術ね!もっとドカンと1発デカいのを出せば面白いのに!」
私がそんな状態だというのに、横では、ベラが呑気に辛口評論家を気取っている。
「それだと、誰か巻き込んでしまうかもしれないでしょ」と不意に口を挟んでみたら「何か問題でも?」と、平然とした顔で返事をされてしまった。
「マーシィ・メルクロンさん、前へ」
しばらく時間が経った。
気がつけば私の順番が回ってきていて、名前を呼ばれて少しだけビクリとする。
いや、別に怖がることはない。
自分に言い聞かせながら、1歩1歩と、ダミーの方へ近づいていく。
そして、ダミーへ手をかざす。
……もちろん、何か起きるわけでもない。
私の魔力は、奔流どころか、せせらぎどころか、一滴の水が周囲に与える影響より更に弱い。
というよりは……そもそも空っぽなのだから。
「なあ、あれって……」
「先生も酷いことするわ……。もう、知っているでしょうに」
周囲がざわついている。
何もせずに立ち尽くす私を見て、面白そうにしている。
わかっている。
どうせ、私は魔術が使えないから、今までもこういう状況には何度だって直面してきた。
もう慣れっこだ。
どうってことない。
少ししたら、無理でした、と言って列から外れて、そして笑い者になるだけだ。
それだけで終わる。
――なのに、何故だろう。
今日ばかりは心臓の底が鋭く冷たかった。
「ねえ、エルフィン様ぁ、あの子大丈夫なんですか?」
ふと、一人のご令嬢が、懲りずにエルと無理やり腕を組んでいるのが見えた。
本来なら、そこに居たのは私のはずだ。
その光景を見ていると、なんだか段々と息が熱くなって、足の指にぎゅうと力が込もった。
そして、自然と願っていた。
魔術を……使いたい。
使って、あの子や、周りの人を見返してやりたい。
ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから。
彼と釣り合っていると、周りにそう思わせたい。
何より、私自身にそう思わせて欲しい……。
これまでは一度もそんなことを思ったことがなかった。
彼と釣り合うだなんて、それこそ高望みだからだ。
……傲慢だからだ。
釣り合おうだなんて勘違いも甚だしい。
私は無能で、可愛げもなければ、エルを不安にさせるばかりで、跡継ぎの役割だって彼に押し付ける予定にある。
正直に好きだという気持ち一つすら吐けず、感情が表に出せないのならとせめて言葉にする努力さえしない。
馬鹿だ、阿呆だ、愚か者だ。
――それでも……そうだったとしても。
あそこに他の女がいるのはおかしい。
私でなければいけない。
そんな傲慢な想いが、理性を押し潰していた。
悔しくって、腹が立って、私は願った。
願った、けれども魔術は、当然のようにちっとも出てこない。
身体はどんどん熱くなるのに、必然のように何も起きやしない。
立ち尽くしていると、そのうち先生が気まずそうに「……マーシィさん。もう、下がって大丈夫ですよ」と声をかけてきた。
……でも、私はまだ使えていないのに。
「もうちょっとだけ……」
人生で一度も出したことがないのだから、どう出すものかもわからない。
ここまで強く出したいと思ったことさえなかった。
それなのに今は、私がエルの婚約者であることに文句を言われることがたまらなく辛い。
わけもわからず踏ん張っていたら、周囲からクスクスと笑い声が上がり始める。
それがやけに私をムキにさせて、それで頑張るのに、やっぱり何も起きなくて。
そうしていたら、先生が「次の人の時間もありますから!」とにわかに声を大きくして注意してきた。
数秒無視して続けるけれど……。
――それから、ぐったり力を抜く。
……やっぱり、私には何にもできないらしい。
ため息を吐いて、それからすぐに意地を張っていた先程までの自分が、ちょっぴり滑稽に思えた。
観念して、次の順番の生徒のために私はその場から去ろうと歩き出す。
……まあ、仕方ない。
元々、そういう体質なんだから。
私にはどうしようもないことなんだから。
大丈夫、気にしなくてもいい。
そう思って、自分を慰めようとした、けれど……。
でも……それは、どうして?
どうして、私は魔術を使えないのだろう。
どうして私は、感情をちゃんと表に出せないのだろう。
「え~、あんな子がエルフィン様の婚約者なんですかぁ……?」
その時、遠くの方で、また猫撫で声が聞こえてきた。
エルが困った様子で引き離そうとしている。
けれど彼女は構わず彼にくっついていて。
――そしてそれを、他の誰も異様な目で見てはいない。
傍から見て、普通なのか?
あれが物凄く不快なのは、私だけなのか?
私とエルが一緒にいる時は、みんなおかしな目で見てきただろう。
それなのに、これは違うのか?
何が、違うんだよ。
その時、何故だか突然、ぐわっと心臓が燃え上がった。
どうして、ダメなの?
私が婚約者だったら、何が良くないの?
呼吸が荒くなって、沸騰した血が身体中を駆け巡るような感覚になる。
――頭の奥で、何かがぷつりと切れた音がした。
「どうしてっ、どうっ、どうしてっ」
急に、叫び出したくなって。
それなのに、喉に栓をされているみたいに上手く声が出ない。
燃えたぎる声は、いつも通り平坦なままに飛び出ていく。
「あの、マーシィさん……?大丈夫ですか?」
おろおろとした様子で先生が尋ねてきたが、返事ができない。
こんな自分が嫌いだ。
頑張ったって、何一つまともにできやしない。
大体、好きなら好きって素直に言っていればそれで終わった話じゃないか。
感情が自然に出ないのに、その上で気持ちを言葉にすらしないなんて意味がわからない。
それでもエルにわかってほしかった。
なんで察してくれなかったの、という彼に対する怒りさえ少しよぎる。
けれど何より――
「私の、婚約者なのにッ……」
私の婚約者なのに、私の恋人なのに、私のエルなのに。
奪おうとしてくるやつらが許せない。
全部わがままだ。
ただの独占欲だ。
なんの正当性も、合理的な意味さえ持ち合わせていない。
それでも好きなのだ。
ただ、大好きで、取られたくなかった。
自分の元から去ってほしくなかった。
自分でも感情が暴走しているのはわかっていた。
それでも止められなかった。
「マーシィさん、あなた一体何をっ……」
先生が言った数秒後には地響きが始まった。
周囲がどよめく声が聞こえる。
私自身、何がなんだかわからなかった。
髪が逆立つ。
身体が僅かに浮くような感覚に襲われた。
そして――
一閃、轟音とともに紫の雷が落ちてきて地面に衝突する。
バチバチと音を鳴らして、足元の草が燃えていく。
焦げ臭い匂いが鼻を突くとともに、私の周囲が帯電するのがわかった。
異様な魔力に包み込まれて、それが自分の魔力だと気づいた頃には全く制御が効かなかった。
私の目の前で、ダミーが一瞬にして破裂した。
それだけでなく、周囲に雷鳴が轟き、あちこちに落雷するのがわかる。
悲鳴があちこちから断絶的に聞こえてきて、目まぐるしく紫の閃光が飛び交った。
自分でも感情が抑えきれない。
先生が何かを叫んでいるが、雷鳴のせいで何も聞こえない。
不意に、視界がフラフラと揺れた。
足元が覚束無くなって、倒れそうになる。
「マーシィッ!ちょっと、どいてくれッ!」
その時、私の名前を呼ぶ声が微かに聞こえた気がした。
ふらりとそちらを見ると。
叫んでいたのは、エルだった。
他のご令嬢をぞんざいに跳ね除けて、何故か必死に私の方へ走ってきているのが見える。
エル……危ないからこっちに来ないで。
言いたいのに、声が出せなかった。
そのあいだに、彼は酷い魔力の嵐を無謀にも突っ切ってくる。
危ないのに、怪我をしてしまうかもしれないのに。
どうして?
そのうち、私は立っていられなくなって、ついには倒れてしまいそうになった。
けれどその瞬間、エルに抱き留められて。
「マーシィ様ッ!大丈夫ですか!?あぁ……しっかりしてください!」
意識がうっすらと途切れていく。
霞のように揺れる視界で、エルが心配そうに私を見ているのだけがわかった。




