4 だって姉様、エルフィン様のことを好いていたでしょう?
今まで意地悪く笑っているところばかり見てきたもので、彼女がここまで怒っている姿を見るのは初めてだった。
あの令嬢2人を鬼も泣いて震えるような形相で追い払ってからも、ベラはずっと不機嫌そうな顔のままだ。
授業中だってイラつきが収まる様子はなく、延々と愚痴を吐きながらペンをぶすぶすと何度もノートのページに突き刺していた。怖い。
しかも、何十分か経って既に授業も終わったというのに怒りが冷めた様子はまるでなかった。
次の授業のために他の生徒たちが続々と教室を出ていく中、ベラは周囲をはばからずに大きな声で不満を口にする。
「はーっ、ムカつく……!一体どういうことですの……!?」
「……私も、突然言われたものだから」
あの令嬢2人が去っていったすぐ後のこと。
私はベラからすぐに事の詳細を問いただされた。
エルフィン様に棄てられた、というのは、一体どういうことなのか。
本当のことなのか、と。
最初は、知らない、と答えようとした。
何故なら、元より婚約解消の話は私とエルだけの秘密であるはずで、三ヶ月以内になかったことにしたい私としてもこの情報を他人に知られたくはなかったからだ。
たとえそれが、いつも傍に居る従妹だったとしても。
それなのにあの令嬢2人が知っていることが、そもそも絶対に有り得ないことだった。
……けれど、私はそう思いながら、これまで単純な欠陥を見落としていたことに全く気がついていなかったのだ。
さっき、あの令嬢2人は、ベラに追い払われる前に確かにこう言っていた。
「あら、知らないのですか?最近はマーシィ様が婚約破棄されたなんて楽しい噂で持ち切りですのに!ねえ、マーシィ様!いつも卑しくベタベタとまとわりついてるから、エルフィン様に愛想を尽かされたんでしょう?そうなんですよね?」
「お優しいエルフィン様はこれまで貴女を許していたみたいだけど、やっと相応しくないと気づいたのだわ!どんな手で誑かしていたのか知りませんけれど、残念でしたね!あははっ!」
私はすっかり見落としていた。
ベラの罵倒とはわけが違う。
それ以上に、私はとてもとても理不尽に、多くの人に嫌われているのだということ。
きっと、どこかから私とエルの話が漏れたのではない。
私は、学園内でもエルといつも一緒に居た。
学部は違うけれど、授業が被れば座るのは隣同士だったし、お昼ご飯もいつも一緒に食べていた。
食べ終わると、裏庭のひとけの無い静かなベンチに二人で座って、他愛もない話をする。
そこへたまにベラが乱入してきたりするのがいつもの日常で。
それでも、婚約解消の話し合いがあってからは、お互いに気まずくなって、ここ3日間はお互いをなんとなく避けていた。
たったそれだけのこと。
けれど多分、傍から見た時に婚約破棄の噂をでっちあげるのには十分すぎる理由だった。
「アイツら……!聞いていれば好き勝手ほざきやがるんですから!貴族の体裁が無ければ木の下にでも埋めてやりましたのに!」
ベラはイラついた口調でそう言うと、恨みがましく唇を噛む。
広げていた教科書をバタンと力強く閉じると、不意に私のほうを睨んできた。
「姉様も姉様です!最近はずっと、どこか暗い顔をしていると思っていましたのよ!それなのに何も言わないで!姉様が黙っていたから噂だって一人歩きしたんですわ!そういうところがムカつくのです!さっきの噂が本当だって言うのなら……姉様!ハッキリしてくださるかしら!隠さず正直に話してほしいですわ!」
さっき、あの令嬢2人にブチギレていた時から、私はずっとベラに驚きっぱなしである。
正直、婚約解消されそうなことを話せば、彼女はまたそれに絡めて楽しそうに笑いながら、なんやかんやと私のことを罵倒してくると思っていた。
そんな無表情なら、愛想を尽かされて当然だ、とか。
けれどそうではなかった。
こんなにも真剣な顔をして、まるで私のために怒ってくれているみたいな……こんな態度を向けてきたのは出会ってから初めてだったから、ビックリしてしまって。
彼女が悪意を持っている時、わざわざ嘘をつくような人間ではないことを私は知っている。
少なくても、彼女がここまで怒っているのを演技だとは思えるわけがない。
そう思うと、とても彼女に隠し事をしようとは思えなかった。
噂は嘘であること。けれど、私の慢心のせいで、実際に婚約の提案をされてしまっていること。
そして、このままだと三ヶ月後には噂が本当になってしまうこと。
言うと、彼女は扇子をぎゅうと強く握りしめた。
「そんな……!……エルフィン・シャングルトン!そんな理由で姉様を……!前からヘタレだとは思っていましたが、そのような馬鹿げた提案をするとは、姉様のことをなんだと思っているのかしら!」
興奮してか、ベラはこれまでより一際大きな声でそう言う。
それで、教室に残っていた何人かの生徒がドキリとした様子でこちらに注意を向けてきたが、当のベラは全くもって意に介していないようだった。
元より、彼女が他人の評価をあまり気にしない主義なのは知っている。
けれど、彼女がここまで周囲のことを忘れて怒るとは何事だろうと思った。
「……そんなにエルのことを悪く言わないで。元は、私が悪いんだもの」
彼女をなだめようとして私はそう言った。
怒ってくれるのは嬉しいけれど、エルが悪いように言うのは違う。
婚約を提案されたのは、やっぱり私が彼に相応しい婚約者としての振る舞いをできていなかったからだ。
そのせいでこのような苦難が降りかかるのは当然のこと。
そう、私は思っている。
けれど、そのことを伝えてもベラは納得がいかなそうに頬を膨らませていて。
私は気になって「ねえ、ベラはどうしてそんなに怒ってくれているの」と尋ねた。
そうすると、ベラは当然とでもいった様子で眉根を寄せて。
「だって姉様、エルフィン様のことを好いていたでしょう?」
当たり前のことのように、そう言った。
……すぐには返事をできなかった。
1拍おいて、息を呑む。
私は、ずっと一緒にいたエルにさえ、まともに愛を伝えることができなかったのだ。
それなのにベラは――
「……気づいていたの」
驚いて思わず呟くと、ベラはむしろわけがわからないといった顔をする。
「気づくも何も、当たり前です!毎日顔を見ていればわかりますわよ!いつもエルフィン様と一緒に居ましたし、口を開けばエルエル言うのだから嫌でも気づきますわ!」
悪態を吐くみたいに彼女は言って、不意にガタッと椅子から立ち上がる。
それから、不機嫌そうな顔になって、私の方を睨んできた。
「それなのにアイツと来たら、何よ……!姉様が無理をしているなんて決めつけも甚だしい!あれで自分が嫌われているとでも!?こっちは毎日惚気を聞かされてうんざりしていましたのに!」
言われつつ、とびっきり憎たらしい瞳が突然こちらへ向けられる。
惚気って……。
……私がそんなことを言っていたことがあっただろうか?
突然私が悪いみたいにそんなことを言われても、あまり心当たりがなくて、私は困惑してしまった。
思い返してみるが、私はただ、エルと一緒に居て楽しかったことを逐一報告していただけで、これまでに特に惚気けたような記憶はないのだが……。
例えば、何気ない時に目が合ったとか、喋り出しが被ったとか、一緒にお茶を飲んだとか、目が合ったとか、目が合ったとか、目が合ったとか。
嬉しいことを報告することがそんなにいけなかったのだろうか?
ぽかんとしていたら「なんですか!その自分は何も関与してませんみたいな顔!ムカつきますわね!」と怒られてしまった。
ずっと真顔だから表情は変わっていないのに。
理不尽である。
とはいえ、彼女が私のエルに対する好意に勘づいていたことは、少し恥ずかしくもありながら、嬉しくもあった。
つまりそれは、感情の表に出ないこんな私でも、それだけすれば人に好意を持っていることが伝わるという証明であったからだ。
ベラにそういう形でバレていたのなら、頑張ればエルにだって、貴方のことが好きだという気持ちが伝わるかもしれない。
……それは、ささやかな希望だった。
「はぁ……とにかく、事情はわかりましたわ。確か、次の授業は魔術の実技授業でしたわよね。……ということは、ちょうどエルフィン様にも会えます。私が思いっきり文句を言ってやりますわ」
ベラは憎悪を滲ませた声でそう言うと、何か決心したようにまた扇子をぎゅうと握る。
一体、彼に何を言うつもりなのだろうか。
その様子が嫌に不安で「ねえ、ベラ。気を遣ってくれなくてもいいから」と釘を刺しておく。
今、怒ったベラに暴走されてしまったら、なんとなく収拾がつかないようなことが起きるような気がしたから。
けれども彼女は私の言葉など意に介さない様子で「別に姉様の為でもないのだから私の勝手でしょう?私はあの男に猛烈にイラついているのですから、一度文句を言ってやらなきゃ気が済みませんわ!」などと大声で返してきたかと思うと、何故か自慢げに腕組みをしてきた。
どうしよう……。彼女の行動が悪い方向に転がらないといいんだけど……。
不安だが、これ以上彼女を止められる気もしなかった。




