35 門前町
学園の麓に広がる門前町。
そこへ行く機会と言えば、これまではノートやペンなどの学用品を買いに来るくらいのものだったので、ここまでちゃんと見て回ることはあまりなかった。
「マーシィ様!見てください!あそこにケーキ屋さんがありますよ!あ、あそこでは果物を売ってるみたいです!包み焼きパイですって!美味しそう!」
リズメルは常に私たちの3歩くらい先を歩きながら、街中の食べ物を売っているお店をひっきりなしに指さしては楽しそうにはしゃいでいる。
横に並ぶベラがイラついたような口調で「うるっさいわね!そんなに食べ物のことばかり考えているから贅肉が付くのですわよ!」と文句を言ったが、そうするとリズメルは不服そうな顔をした。
「もう、失礼ですね!いっぱい食べて筋肉を蓄え、胸板を厚くする!これが騎士の基本なんですよ!」
胸板か。
リズメルのものはどう見ても板ではない。
ふと、ベラの胴体に目を向けてじろりと見やる。
板ならベラのほうが――
「……姉様、今なにかとても失礼なことを考えていませんでした?」
急にベラが眼光を鋭くしてこちらを見てくるので、私は慌てて目を逸らし「別に」と答えた。
最近思うが、この子は本当に勘が良すぎないだろうか。
ムスッとした様子のベラと目を合わせないようにと、私は街の風景を眺めて。
こんなふうに誰かと、あてもなくただ街を散策するような日が来るとは思っていなくて、少し不思議な気分になった。
――元々、町へ行きたいと言い出したのはリズメルだった。
私がリズメルを信じてあげたいと言ったすぐ次の日である今日は休日。
朝早くに寮の部屋に彼女が尋ねてきて。
何の用だろうと不思議に思っていると、大事な話があるんです、などと言い出したのだ。
それが、あまりに神妙そうな切り出し方だったので、私はてっきりこれから更に重大な話でも打ち明けられるかと身構えていた。
それだというのに、蓋を開ければこれである。
リズメル曰く「まずは交友を深めるのが大事だと思うんです!なので、一緒に街を散策しましょう!」ということらしい。
けれども、今になって思う。
彼女はただ、食べ歩きがしたかっただけでは……。
「わはー!見てくださいよこのパイ!アツアツですよ!わっ!美味しい!」
気がつくと、リズメルはさっき指さしていたお店のパイを買って、ニコニコしながらかじりついていた。
全く、昨日の彼女のかっこいい姿はどこへ行ったのやら。
呆れながら彼女のはしゃぐ姿を眺めて……ふと、ため息を吐く。
本当なら私もこんなことをしている場合ではない。
――そろそろ、自分の気持ちにもけじめをつけなければいけない頃なのに。
主にリズメルを先頭にして、私たちは街をぶらぶらと歩き回った。
露店を見て回っては、食べ物の話ばかりするリズメルに、最初はベラもうんざりしている様子だった。
けれども、薬草を売っているこじんまりしたレンガ造りの店を見つけると、ベラは目の色を変えて入店していく。
それから、棚の上に並べられた鉢植えをしげしげと吟味し始めて。
何か買うつもりなのだろうか、と思っていると、一つの鉢植えに目をつけ、店主に何やら交渉を持ちかけ始めたのが遠目からでもわかった。
そうして最終的には、聞いた3秒後には忘れてしまいそうなくらいに難しい名前の薬草を、あれやこれや弁舌を尽くした上に、相場の半分の値段で購入して、店主のおじいさんを苦笑いさせつつ、ご満悦で退店してくるではないか。
「街に売っている薬草なんて粗悪品ばかりだと思っていたけれど、意外と品揃えも悪くないものですわね」
私には全部同じ草にしか見えなかったけれど、曖昧に「……そうなんだ」と返事をした。
こういう一面を見ると、そういえば、ミリエール家はもともと名のある商会だったことを思い出させられる。
そんなことで感心していると、ふとリズメルの姿がないことに気がついた。
すぐに周りを見回すと、往来の人々の隙間から特徴的な水色の髪が見える。
向かい側の果物屋にいるのが確認できて、呆れながら近づいていった。
けれど今度は、ただ店の前に並べられた果物を物欲しそうに眺めているだけではなくて、何か店主と話し込んでいる様子だった。
「ほんとにこれにヒビを入れるだけで果物3個を無料でいただけるんですか!?」
リズメルは、何やらまん丸い人の頭ほどもある大きな木の実を抱えながら目を輝かせてそう尋ねている。
対して、陽気そうな店主は親指を立てて応じた。
「もちろんだ。そこにハンマーやノミだってあるし、少しでもヒビが入れば、無料にしてやろう!ただし、そいつはイワグルミって言ってな、どんな道具を使っても容易には割れないほど文字通り岩のようにすこぶる硬い!嬢ちゃん、プロポーションが良いのは認めるが、そんな力は――」
まだ店主が話している最中に、ベギィッ!と音を立てて、周囲に破片が飛び散る。
手のひらの上で粉々に砕けた、岩のようにすこぶる硬いはずのそれを、リズメルは切なそうに見つめて「ご、ごめんなさいっ!力入れすぎました!……あの、お掃除とか手伝ったほうがいいですかね!……えと、大丈夫ですか?」と、店主に呼びかける。
が、肝心の店主は青い顔をしてただ呆然とするばかりで、反応はしばらくのあいだなかった。
結局、完全に破壊してしまったことの戦利品として大量の果物と、出禁を言い渡されたリズメルだったけれども、とにかく無料で貰えたことが嬉しかったのか、そんなことは気にもせずに紙袋を抱えてニコニコしながらこちらへ戻ってくる。
記念碑の像を押し返した時に、彼女の怪力ぶりは十分理解していたつもりだったのに、改めて見せられると戦々恐々としてしまった。
けれど同時に、次に何を起こすかわかったものではないが、一周まわって段々と楽しく感じてきた。
その後も、路傍にいた紫の装束を着たいかにも怪しそうな老婆の占い師が、人相占いをしてあげようとふっかけてきたりなどした。
私としてはあまり占いを信じてはいないし、リズメル、ベラともに当たり障りのないことを言われたりしていたので、私の番が回ってきても適当なことを言われるのだろうと思っていた。
「お嬢さんは……こんなに読めない顔は初めて見た……。申し訳ないけど占えないねえ」
いやいや!
いくら真顔でも人相くらいあるだろう!
辛うじて目も鼻も口もついてるんだし、のっぺらぼうじゃないんだぞ。
適当なインチキ占いすらもしてもらえないくらい、私の無表情というのは酷いのか……。
しばらくして少し歩き疲れ、噴水のある円形の広場に並んだベンチに座り込んで、休憩をする。
噴水の傍では子供たちが楽しそうにはしゃぎ回っていて、それをなんとなく眺めていると、ふと、リズメルが子供たちを肩車してあげている光景が視界に入った。
リズメルの周りには、たちまち子供たちが集まって人気者になっている。
確かに、子供に好かれるような、裏表のない性格だものなあ、なんて思って。
……子供に人気、か。
私はリズメルの姿を見ながら、自然と。
学園に入る前くらいのエルの面影を、彼女に重ねていた。
まだ随分と幼い令嬢や令息も参加するような社交界で、エルはその幼い子供たちに随分と人気だった。
一緒に遊んであげている姿がとても微笑ましくて、今みたいにこうして、遠くから眺めていたのを思い出す。
あんなふうに人気だったのも、今思えば加護のおかげだったのだろうか。
大切な思い出の一つを、そんなふうに思いたくはないけれど……ふと考えると、様々な思い出に、そのことが適用されてしまって。
思い切りかぶりを振った。
今、私はベラとリズメルと、街に遊びに来ているのだ。
こんなに暗いことを考える時間じゃない。
心を落ち着けようと、少しのあいだぼうっとリズメルと子供たちが遊んでいるのをただ眺める。
しかしそのうち、リズメルが「ベラトリーナ様もこの子たちと一緒に遊びましょうよ!」なんて言い出して、私の隣に座っていたベラを指さした。
「嫌ですわ!庶民の子供は話が通じないもの!」
ベラは急に名前を呼ばれてすぐに眉間に皺を寄せ、そんなことを言っていた。
けれども、数秒後には、子供たちが集まってきて、リボンをことごとく引っ張られ「このっ!やめなさい!ガキども!」とか言いながら追いかけっこを始めている。
そんな風景を眺めて、またほっこりした気持ちになって。
そう、これでいい。
今はこれで。
引き続き見ていようとしていると、今度はリズメルが「マーシィ様も来てくださいよ!」なんて呼びつけてきた。
……やれやれ、やっぱりこうなるかと思いながら立ち上がる。
ベラを呼んだ時点で、予感はしていたのだ。
貴女と違って、そこまで体力もないんだけどな……なんて思いながら、立ち上がりざまに、子供たちと目が合った。
近づいて行こうとした瞬間。
数人が一斉に、リズメルの陰に隠れていった。
それはどこか……私から逃げるような動きにも見えて。
何故だろう。
――怯えている。
瞳に、恐怖と不信を抱いて、身体を震わせながら私のことを見つめている。
まるで私が、とっても恐ろしい化け物にでも見えているみたいに。
……その光景に、私は覚えがある気がした。
ああ……そうだ。
あの、社交界の時もそうだった。
『マーシィ様もこちらへ来ませんか!』
笑顔で私を呼んでくれるエルと、私が近づいた途端に笑顔を歪ませる子供たち。
――ややあって、私は嘆息を漏らした。
ああ、そうか。
この感覚を、ずっと忘れていた。
貴族社会の中では、恐怖され、蔑まれるのが当たり前だったから。
だから、私という人間が、もっと根本的に、誰にでも怖がられ、疎まれ、嫌われる人間であることを忘れていた。
噂なんかなくたって、ありもしない嘘を吹聴されなくたって。
私は、何もなくても怖がられる人間なのだ。
数秒、私は固まってしまって……それから、ゆっくりとまたベンチに座り直した。
リズメルは、私と、自分の足元に隠れる子どもたちとを交互に見やって、不思議そうな顔をしている。
胸が締め付けられるような感覚になって、自然と拳に力が入った。
「……私はいい」
心配そうな顔を向けるリズメルに、俯いて、情けなく私はそう返事をした。




