34 更衣室での悪巧み
学生ロビーから政務学部寮への長い廊下を歩き、三階の突き当たりの部屋へ。
コンコンとドアをノックすると「入れ」と、冷たい声がして、シャルロッテは足を踏み入れた。
中は埃っぽい更衣室で、壁には多くのハンガーがかかっているが、そのどれにも服がかかっている様子はない。
鏡は黒ずんでいて、部屋の隅には蜘蛛の巣が張られている。
使用感が全くないくせに、この部屋の中はなんとも酷い有様だった。
「どうしてこの場所は掃除が行き届いていないのかしら」
シャルロッテが不思議そうにそう言うと、窓辺に寄りかかり外を警戒していたフライスがふと振り返る。
メガネの位置をクイと上げ直し、腕組みをしてから彼は答えた。
「どうせ誰も使わないんだ。掃除する意味が無いだろう。政務学部の人間は軒並み、プライドだけは王侯貴族並みだからな。他の人間に着替えを見られることを恥と思って、この部屋には来ないのさ。……だから、内緒話をしたところで誰も聞きに来やしない」
彼は呆れたようにそう言って、自身も目をぐるぐる回し部屋の中を一瞥した。
それは、この場を利用したことのない利用者たちのことを、心底軽蔑するような瞳だった。
フライスは常に冷徹で、他人を見下すことにかけては政務学部の人間にも引けは取らない。
そんな彼が、政務学部の人間をまた見下すというのなら、どんぐりの背比べのようなもので、シャルロッテは心の中で嘲笑した。
とはいえかくいう自分も、政務学部の人間のことは嫌いだ。
他に目立った才能がないから、自分は執務に携わり、政治を動かしていくのだと言って、自分可愛さに誤魔化しているだけなのだ。
本当に能力があるなら、なぜ魔術やら薬学やら武芸やら魔導工学とやらの道に進まないのか。
決まっている。
自分は努力をしているのだ、だから自分は大丈夫なのだと言い訳をしたいだけなのだ。
あんなのは努力ではない。
本当の努力家というのは――
「シャルロッテ、君の従者はどこに?」
不意にフライスに尋ねられ、考え事に入り込みそうになっていた彼女はビクッと身を震わせた。
「……リズメルのことなら、今日は体調が悪くて休ませてほしいと言っていたわ。騎士だなんだと言いながら、体調管理もできないのかしら。……役立たず」
そう呟くと、拳にぎゅうと力を入れて、誰を睨むでもなくただ攻撃的な目つきをする。
フライスはその顔をジッと見つめるが、しかし心底どうでも良さそうに手を振った。
「そうか。まあ、俺が手を組もうと提案したのは君だからな。邪魔者が増えても扱いに困るだけだ」
言った瞬間、シャルロッテの目線がフライスに向けられる。
それはあまりにも暴力的なオーラの滲み出た瞳であった。
けれども、次に瞬きした時、シャルロッテは普段の様相に戻っていた。
気を取り直した様子で、彼女は息を吐くとフライスへ質問を投げかけた。
「それで、私はどうしてこんな辺鄙な場所に呼ばれたのかしら?大体、他の人間に聞かれることは本当にないんでしょうね?」
そのシャルロッテの声には、まだいくらか警戒が滲んでいる。
背後の扉の方を気にしていると、フライスはそれに対してなんでもなさそうに答えた。
「君を呼んだのは、以前言った具体的な計画について話し合おうと思ったからだ。部屋には既に遮音の術式を仕込んである。多少大声で口喧嘩しても外には聞こえない。……もし誰か入ってきたら、その時は君の得意の演技で騙せばいいだろう」
なんとまあ簡単そうに言ってくれる。
彼の軽はずみなその言い方にむかっ腹が立って「随分と私の加護を買ってくれているようじゃない。加護なしであることにコンプレックスでもあるのかしら」と返す。
すると彼は更に上乗せするように強い口調で「じゃあ、見くびってくれとでも?」と、刺すような視線でもって言い返してきた。
苦しい反論かと思いきや、図星だったか。
シャルロッテはニヤリと面白そうに笑みを浮かべた。
ややあって、フライスは目を逸らすと。
「計画について話そう」
窓のほうを見ながら、呟くように言った。
「言っておくけど、つまらない計画なら交渉は決裂。手は貸さないわ。それはあんたもわかってると思うけど、どんな話を持ってきたのかしら?」
シャルロッテは言いながら、傍にあった木製のイスに腰掛けて、フライスの反応を待つ。
私たちは今、恋心を攻略しようとしている。
生半可な計画なら許さない。
フライスは少し間を空けて、単刀直入に計画を告げた。
「これから。俺達は惚れ薬を作る。そして、マーシィとエルフィン、それぞれに飲ませる。それが計画だ」
言われてすぐに、シャルロッテは唖然とした。
フライスはなんてことのないような様子でその場に立っている。
彼女は少しの間自分の耳を疑い、けれども確実に聞き取ったので、ますます混乱した。
惚れ薬……惚れ薬ってあの……。
胸の中がざわめいて、シャルロッテはイスから立ち上がり乱暴な口調で喚いた。
「惚れ薬って……禁忌の薬じゃない!そんなものを飲ませて、無理やり好きにさせるって言うの!?そんなのは強引すぎるわ!」
相手の心、感情を捻じ曲げる、禁忌の薬。
そんなもので得た相手からの恋慕など、なんの価値もない。
シャルロッテにも、そんな気持ちぐらいはある。
今、フライスが言ったことがどれほど恥じるべきことであるか、シャルロッテは十分にわかっていた。
そして、フライス自身もわかっているだろうに、そんな計画を軽々と口にした。
このことがそもそも信じられなかった。
しかし、フライスはこれを否定するシャルロッテのほうが信じられないといった様子で振り返った。
「今更になって怖気づいたのか?俺達はこれから悪事に手を染めようというのに、綺麗事を並べている場合じゃないのはわかるだろう。わざと池に落とされた演技をするのと、惚れ薬で好きになってもらうことなんて、五十歩百歩の問題だと思うが」
それは――それは、確かにそうかもしれないが。
元より、エルフィンと結ばれるためには手段を選ばずなんだってするつもりだった。
リズメルに協力させ、加護の力だって、たっぷりに使った。
こうやってフライスに協力を持ちかけられなくとも、いずれは自分だけでまた何かしらの手を打っていた。
だからそう考えれば、惚れ薬など些細な問題ではない……というのは確かにそうだ。
好きになってもらうことができれば、それだけでいい。
しかし、何故だろう。
胸の奥が激しくざわついた。
そんなことをして、良いのだろうか。
シャルロッテは数秒、返答に言い淀んで、口にした。
「そもそも……惚れ薬を作っているだなんてバレたら、大罪人として……二人仲良く檻の中よ。材料を集めるのだって、他の薬と違って簡単じゃないはず……」
弱気になって言うと、フライスは目を細め、軽く鼻で笑った。
それから、所詮そんなもんかとでも言うみたいに、侮蔑の目をシャルロッテに向けて言った。
「好きな相手なんだろう。それぐらいの危険を冒す覚悟もないとは興ざめだよ。君の愛はその程度ということなのだな」
手足に力が入り、急激に頭に血が昇る。
違う。
私は、誰よりもエルフィン様のことが好きなのだ。
フライスの煽りによって、シャルロッテの理性は一瞬にして消し飛んだ。
怒りのあまり罵詈雑言を吐きそうになるが、口を開いてからすんでのところでやめ、決意がより強固になる。
彼女は、今度は強い口調でフライスに言い返した。
「……別に、手を貸さないとは言ってないでしょう!ふん……そっちこそ偉そうに言うけれど、材料のアテはあるのかしら!そんじょそこらの街の露店に売っているようなものじゃないのはあんただって知ってるはずよ!」
それを聞いて、フライスはニヤリと笑い、シャルロッテのほうへ近づいていく。
「もちろんアテはあるとも。……学園の庭に、ガラス温室の立ち並ぶ一画を見たことはあるだろう。薬学部が授業で使う薬草室で、俺達には縁もないが……。その中の一つに、一人の学生が私用している薬草室がある。薬学部で成績が優秀なもので貸し与えられているらしいが、そこでは希少な植物も沢山育てられているらしい。惚れ薬の材料も例外なくな」
言われて、そんな場所が存在したことにシャルロッテは目を丸くする。
そんなふうに施設を丸々貸し与えられるほど優秀な人物だなんて一体何者だ……?
そんなことが少し気になったけれども、今は関係のないことだとすぐに意識を目の前に戻す。
すぐに本題に戻り、シャルロッテは低い声で「……そこへ盗みに入るということね」と尋ねた。
薬草室の位置はなんとなく把握しているが……。
問題は、それを誰がどうやって盗みに入るかということだ。
フライスはすぐに「そうだ」と返事をして「その盗みについてだが――」と切り出してくる。
こここそ捨て駒の使い時だと思った。
「それなら、リズメルに行かせましょう。あの子なら万が一盗みがバレても私たちは被害を受けないし、主人の私には火の粉が飛んでくるかもしれないけれど、勝手にやったと演技すれば怪しまれないもの」
ここでリズメルを有効活用してやるのは名案なはずだ。
役立たずなあの子に仕事を作ってやるのも、主人としての務めだろう。
シャルロッテは得意げになって提案したし、フライスもこれには賛成するかと思っていた。
けれども、すぐに「ダメだ」と反対され、シャルロッテは呆気に取られてしまった。
「材料を間違えて持ってこられては困るし、第一、君の従者は器用に盗みに入れるようなナリをしているようには思えない。……何より。……役立たずと言っておきながら、自分の従者のことを手放しに信頼しすぎていないか」
フライスがどこか訝しむような目で見てきて、シャルロッテは更にぽかんとしてしまう。
そんな様子を見て、彼はため息を吐き、続けて言った。
「少しでも考えないのか?自分の従者が裏切ることもあるかもしれない、と。俺は正直、この場にいない時点で彼女を怪しいと思っているのだが」
言われて、シャルロッテは眉根を寄せた。
リズメルが怪しい?
そんなはずはない。
やけに神妙な顔で言うフライスを見て、彼女は鼻で笑った。
「馬鹿言わないで。あの子が私を裏切るわけがないじゃない。自主性もなくて、私が何か言わなきゃまともに行動することだってできないのよ?それに、私の従者という肩書きが消えれば、あの子は貴族でもないしすぐにこの学園を除籍されることになる。それなのに、私に逆らう意味があるのかしら?」
リズメルが自分を裏切って得になることなど何一つない。
何より、昔から慕われていて、敬愛をもって接されていたシャルロッテにとって、リズメルが裏切るということなど考えられなかった。
フライスは「……どうだかな」と答えて、首を振った。
「とにかく、薬草室に盗みに入ることに関しては、俺がやる。君は惚れ薬の醸造を手伝ってほしいのと……それと、もう一つやってほしいことがある」
彼はそう言うと、突然シャルロッテに『もう一つの仕事』を持ちかけた。
惚れ薬を使うだなんて、最初から王手をかけに行っているようなものだ。
それなのに、他にやることがあるのだろうか。
疑問に思う――けれども、まあ手を打つなら多いに越したことはないとも思う。
話くらいは聞いてやってもいいだろう。
「何よ、そのやってほしいことっていうのは」
シャルロッテは怪しみつつ、その詳細を尋ねて――
――しばらくののち、更衣室から、シャルロッテは恐る恐る退室した。
陰鬱に息を吐きながら、すたすたと廊下を歩く。
……できるかできないかと言われれば、できなくはない。
やりたくないわけでもないが、それにしても大変なことには違いない。
そりゃあ、薬草室に盗みに入るのも十分大変だろうが、とんだ役割を押し付けられたものだ。
フライスとの会話を思い出し、彼女はしかめっ面になりながら歩いて。
するとその時、何かの用事で急いでいたのだろうか。
突然、角から令嬢が走ってきて、シャルロッテとぶつかってしまった。
シャルロッテは若干よろけただけだったが、令嬢は転んでしまった。
相手の令嬢はすぐにぶつかったことの謝罪をと立ち上がり「す、すみませんっ!」と頭を下げる。
その令嬢はいかにも気弱そうな風体をしていて、これから自分の粗相で何か手酷い罵倒を浴びせられるかと覚悟しているような様子で。
恐ろしくて目を瞑っていた。
……けれど、目を空けるとシャルロッテはとても優しい笑顔を令嬢に向けていた。
「何か、急いでいたのですか?危ないですから、気をつけてくださいね」
にっこり笑って、シャルロッテはまさに心優しき令嬢のように振る舞う。
ぶつかった令嬢は心底安心した様子で「は、はいっ!気をつけます!」と答えて、去っていって。
……その背中を、シャルロッテは冷たい視線で眺めていた。




