33 役立たずができること
それは、事件と呼んでも良いかもしれなかった。
シャルロッテの母親がある日、他家のお茶会に招待された。
それが元々交流のある家でもあったので、油断というわけでもないが、護衛をつけずに侍女数人だけを連れて馬車で向かうことにしてしまったのがまずかった。
結果、その馬車は行きずりで野盗に襲われた。
野盗に直接……というわけではないが、襲われてパニックになった馬が暴れだし、御者もそれをコントロールできず、そのまま崖から落ちたらしかった。
落下先は岩場で、馬車は粉砕状態で見つかった。
その情報から、母がどんな目に遭ったかは、幼いシャルロッテにも容易に想像ができた。
母とシャルロッテの絆はとても深かったし、いつも優しかった母親が居なくなったことは、大いにシャルロッテを悲しませた。
間もなく、シャルロッテの父親もこれに嘆き、リズメルの父親を糾弾することになった。
事件当日、彼は母親の護衛として同行しておらず、留守番をしているシャルロッテのほうについていた。
これに目をつけ、お前が居なかったので、妻は死んだのだと、リズメルの父親は激しく責め立てられ「自分はついていこうと思ったが断られたのだ」という言い分も受け入れられなかった。
すぐに、彼は処罰にかけられることになり、主君に背いた罪として檻に入れられた。
この時、愚鈍な娘のリズメルには、何が起きているのかまるでわからなかった。
わかっていたのは、ただでさえ母親も居ないのに、父親まで居なくなって、一人ぼっちになってしまったという事実だけだ。
一人ぼっち……だけれども、まだ私にはお姉様がいる。
そんな幼い心を握り潰そうとするかのように、間もなくシャルロッテの父親は、次にこの役立たずな騎士の娘も檻に入れようと決めた。
元々、女の子で魔力無しというところから騎士に向いているはずがなかったのだ。
その上、妻を殺した騎士の娘であるので、自分の娘の護衛をさせることなど彼には到底考えられなかった。
リズメルはこの頃、父親からまだ本格的な指導をされ始めたばかりであったので、体術や剣術の才能も、そしてその怪力を本人でさえ自覚していなかった。
なので、シャルロッテの父親がリズメルのことを愚鈍な役立たずの娘だと考えるのは妥当なことだった。
――しかし、この処分に一番に異を唱えたのはシャルロッテだった。
「……お父様、どうであろうと、少なくとも今回の件はリズメル自体の罪ではありません。彼女を投獄すれば、いよいよクロックワーツ家の伝統もなくなり、ベルシュトラット家の面子にも影響が出るでしょう。……何より、お母様がそんなことは望みませんわ。ですからお父様、リズメルを引き続き私の従者として仕えさせてあげたいのです」
子供とは思えないほどのシャルロッテの理路整然とした意見は、少なくとも父親の心を気変わりさせるほどの効果はあった。
子供のそのような意見一つで、大人の心が変わるのは不思議なことである。
だがこれには、母親が死んだこの頃から、シャルロッテのことを誰もが信じてしまうような、天才的な演技の才と加護が発露しかけていたことが関係していた。
結果、リズメルが檻に入れられることはなくなり、このことに最も喜んだのはもちろんリズメル自身であった。
やっぱりお姉様は、私のことを守ってくれる。
私のことを信じてくれているんだ。
リズメルがそう思うのも仕方の無いことだった。
だから、彼女はすぐに「お姉様!ありがとうございます!私、これからも立派な騎士としてお仕えできるように頑張るので――」とシャルロッテに感謝を伝えようとした。
けれども。
リズメルの感謝はぐしゃぐしゃに握り潰されて捨てられた。
「あんたが……あんたが役立たずだからッ……!あんたが役立たずなせいで、お母様は死んだのよッ!あんたが居なければ、お母様にはちゃんと護衛がついて……それで、死ななかったのに!」
……そう言い返されて、生まれて初めて言葉に詰まった。
何を言われたのか、わからなかった。
自分の、せい。
それまでは、どれだけ無愛想でも、シャルロッテに明確に罵倒をされたことは、たったの一度だってなかった。
……役立たず。
誰にそう言われても、シャルロッテが自分を庇ってくれた。
シャルロッテにはそんなふうには思われていないと本気で信じていた。
「で、でもお姉様っ、私――」
「もう私をお姉様と呼ぶのはやめなさい!……そもそも、いつから、私があんたの姉になったのよ!主人のことを馴れ馴れしくそんなふうに呼ぶなんてはしたないわ!」
……でも、これまではそう呼ばせてくれていたのに。
リズメルはこのことにとても傷ついて。
自分の中で強く心の支えにしていたものが無くなって、深く絶望した。
……絶望すると同時に。
お姉様をこんな風にしてしまったのは自分のせいだと強く自戒した。
――リズメル・クロックワーツはシャルロッテ・ベルシュトラットのことが大好きである。
心の底から慕っている。
たとえ、どれだけ罵倒されることがあろうとも。
自分の大好きなお姉様を取り戻すためには、どうすればいいのか。
幼いリズメルは悩んで、一つの答えに辿り着いた。
……自分が、役立たずでなければいいのだ。
自分が役立たずなせいで、シャルロッテを悲しませ、心を傷つけてしまったのだから。
もっとちゃんとした従者になれば、騎士になれば。
シャルロッテは悲しみから立ち直れるかもしれない。
それに自分が強くなれば、もう彼女の母親のような悲劇は起きない。
自分の価値は強さにしかないのだから、磨いて、磨きあげるしかない。
そう思った日からリズメルは、人より何倍も多く食べ、人より何倍も努力して、雨の日も風の日も鍛錬に励んだ。
――そうして。
数日、数週間、数ヶ月、数年が経ち。
シャルロッテはそのあいだに、どんどんと外面が良いご令嬢になっていった。
人前では、幼い頃のような誰にでもなりふり構わず正直に言葉を投げかけるようなプライドの高さを見せず、お淑やかで気前のいいご令嬢であることに努めた。
それは、亡くなる前の母親に、淑女なのだから嫌なことがあっても顔を真っ赤にして相手に悪口を言うようなことはいけない、と叱られていたことが大いに関係していた。
母親が死に、自分もベルシュトラット伯爵家の一人娘となった。
これまでのままではダメなのだ。
令嬢として賢く生きねばならない。
表では他人に媚びを売り、親切にし……そして。
――優秀な令息をベルシュトラット家の跡取りとして迎え入れなければならない。
そう思い込み続けた故に、プライドが高く正直に物を言う性格はなりを潜めて、それを押さえつけるストレスから魔力の歪みが生じた。
善人を演じることは、やがて元々潤沢だった彼女の魔力に歪みを生み出し、その演技を周囲に信じ込ませてしまう強制力のある加護となった。
その姿は、傍から見ればとても良い人であっただろう。
けれどもリズメルからすると、それはシャルロッテの偽りの姿であった。
この頃のシャルロッテはもう、リズメルが周囲に罵倒されていようと一切の口出しをしなくなったから。
――数年が経ち、シャルロッテの従者として貴族の集まる学園に入学させてもらうことになると、リズメルはもう周囲に馬鹿にされないだけの実力は蓄えていた。
自分はかなり強くなったし、シャルロッテだって表向きには良い主人である。
それに、シャルロッテは最近恋をしたらしい。
それはとても素晴らしいことだし、これを手伝えば、自分は今度こそ役立たずな従者ではなくなるかもしれないとリズメルは期待していた。
この恋愛を期に、シャルロッテが自分の心を正直にさらけ出せるようにもなるかもしれない。
そんなふうに希望を抱いていたけれども、リズメルは彼女の思惑を知ってすぐに手伝うことを躊躇った。
シャルロッテが恋をした令息、エルフィン・シャングルトンには。
……既にマーシィ・メルクロンという婚約者が居たのだ。
そうとなれば、諦める他にはないはずだった。
それなのに、シャルロッテは恋心が興じるあまりにマーシィというご令嬢に恨みを持ち始めた。
その上に、演技の加護を手に入れて以降、シャルロッテはなんでもかんでも自分の思い通りにする悪癖を持って、これを利用してマーシィを貶めようとしていた。
リズメルはこれをすぐに止めようとした。
そんなことをするのは、悪いことで。
何より、リズメルが大事に記憶の底にしまっているシャルロッテ像とは、かけ離れていたから。
……けれども、できなかった。
反対すればますますシャルロッテに嫌われることがわかっていた。
役立たず、という言葉が今でもトラウマで。
もし、その言葉を口にされたらと思うと、恐ろしくて。
どうしても、反対することができなかった。
ある日の昼休み、マーシィが中庭に訪れた時に、その計画は決行された。
シャルロッテが完璧に演技したのに合わせて、マーシィが池に突き落としたのだと嘘の証言をさせられた。
もうだめだと思った。
シャルロッテも、それに従ってしまう自分も、これから堕落していくしかないのだと本気で思った。
――しかし。
……幸いだったのは、マーシィと、それから一緒にいたベラトリーナというご令嬢が、どういうわけかシャルロッテの加護に屈さなかったことだった。
シャルロッテはそれに怒り、フライスなどという新たな令息と手を組んで、更に何か悪巧みを企てている。
けれど、リズメルの中には僅かに希望の光が灯った。
あのマーシィというご令嬢ならば、もしかするとシャルロッテを……お姉様を正気に戻すことができるかもしれない。
『私、リズメル・クロックワーツと申します!それで、突然で申し訳ないんですけど!マーシィ様、私と友達になってくれたりしませんか!?』
……リズメルにとってそれは、大好きなシャルロッテを裏切ることであり、しかし同時に救うことでもあった。
★
胸いっぱいに驚愕が広がった。
リズメルは言い終わってから、どこか恥ずかしい話でも語ったかのように顔をあげる。
しかし、何を恥じることがあるのだろうか。
「ええと、まあ……そんな感じで。一度シャルロッテ様に痛い目を見てもらって、そうしたらちゃんと自分のことを俯瞰して見れるようになるんじゃないかって、そう思うんです。……こんなことにここまで必死になってるなんて、マーシィ様からしたら変なことかもしれないですけど」
苦笑いをする彼女に対し、私は一歩進んで手を握った。
こんなことを考えるのはただの自己満足かもしれないし、傲慢かもしれない。
それでも彼女はどこか、自分に似ていると思ってしまった。
魔力を持ち合わせず、周囲の人間から侮蔑の言葉を投げつけられて。
それでも私と違うのは、彼女は今でも明るく元気で、努力を怠っていないということだ。
私はリズメルに一種の親近感と憧れのようなものを抱いた。
「恥ずかしくなんかない」
言いながら、彼女の手をぎゅうと握った。
これまで生意気な態度を取ってきたのに、今更になってリズメルは恐れ多そうな反応をして目を逸らす。
けれども私は無理やり顔を近づけて話した。
「貴女は自分のやろうとしていることにもっと誇りを持つべき。誰も笑ったりなんかしない。大切な人のために頑張るのは素晴らしいことのはずだもの」
人のためにそんなセリフを吐くのはなんだか小恥ずかしい感じがしたけれど、リズメルにはきっとその自覚がないから、言ってあげなければいけない気がした。
「え、えと……そうなんですかね……」
まだ不安そうに言うリズメルに私はコクリと頷いて。
それから、ふとベラのほうを見やった。
彼女はまだ釈然としない様子で腕組みをしている。
けれど、それでもさっきみたいに文句を言おうというような様子はなかった。
私はそれを見てすぐに「ベラ、信じてあげてもいいでしょう」と確認をした。
ベラはため息を吐いて、数秒リズメルのことを強い目つきで睨む。
けれどもすぐに呆れたような表情になって。
「……私が反対しても姉様は信じるのでしょう?」
そう言って、リズメルの隣に並んだ。
彼女は背伸びをして。
それから唐突に、持っていた扇子でリズメルの頭をパチンと叩いた。
「わっ、なんですか急に!」
驚いて喚くリズメルの顔を見て、ベラは悪戯な笑顔を浮かべる。
それから「姉様が信じると言うから仕方なく私も信じてやりますけれど、裏切ったら容赦しないですわよ!」と強い口調で言った。
かくして、リズメルの粘着は、私たちが彼女のことを受け入れることで終わった。
しつこいから仕方なく、ではない。
彼女のことを、心から信じてあげようと思えたからだ。




