32 お姉様
「何を言っているのです姉様。信じられるわけがないでしょう!」
ベラがそれをすぐに否定してきたのは、予想外なことだった。
「さっきは確かにこの子に助けてもらったかもしれませんけれど、それとこの子を信じるかどうかは別ですわ!これこそ私たちを騙すためかもしれませんのに!」
彼女は相変わらずきつい目つきでリズメルの方を睨んだ。
確かに、リズメルがここまでしてくれる理由なんてない。
それでも――
「やったあああ!遂に信じてくださるんですね!やりましたよ!ベラトリーナ様!」
「何よっ!ちょっと、抱きつかないでッ!やめなさいッ!」
彼女がここまで目を輝かせて喜ぶのには何かそれ相応の理由があるのだろう、と思う。
これまで見てきて、わかるのだ。
「ベラトリーナ様も、かっこよかったですよ!私のこと守ってくれましたもんねっ!」
「か、かっこよっ……そ、そんなことないですわッ!貴女のことを守ってなんかいないです!勘違いも甚だしいですわよ!いいから早く離しなさいッ!」
目の前を見ると、ベラがリズメルの胸に抱かれて揉みくちゃにされている。
体格差のせいもあってか、ベラが抱き上げられる形になっていて浮いている足をじたばたさせているが、また抗えていなかった。
私はそれを楽しく眺めながらも「リズメル、離してあげて。貴女を信じたいのは、山々だけど。一つ、聞いておきたいことがあるの」と言ってやめさせる。
彼女にはこの場で尋ねておかなければいけないことがあった。
「はい!なんですか?」
リズメルが元気な返事をしてこちらを向く。
もしかしたら、これまでの彼女の反応からしてもあまり言いたくはないのかもしれないけれど、私は意を決して尋ねた。
「貴女が本当に私たちを騙すつもりがないのだとしても……何か隠し事をしているでしょう。そこまで必死になる理由は何なの。話してくれたら、信じてあげる。でも、いつまでも隠されていたら信用できないから話して」
言われたリズメルは驚いたような様子になって、ベラを力なく離した。
曖昧に笑って、少し気まずそうに目を伏せて。
けれどそれから彼女は「本当はすぐ言うつもりで……隠そうなんてつもりはなかったんですけど……」なんて切り出す。
指を忙しなくいじいじして、それから彼女はもごもごと口にした。
「フライス様のことは……マーシィ様も知ってますよね……?」
フライス……。
――言われて、私は戸惑い……同意の声を出そうとして乾いた息ばかりが、出た。
また、彼か……。
彼女の口からその名前が出てくることは、完全に予想外だった。
ベラはいまいちピンと来ていないような様子を見せていたが、私は衝撃で固まってしまう。
エルの加護を暴いた張本人……。
彼が暴きさえしなければ……。
今でも彼の姿を思い浮かべれば、微かに怒りが湧き立つ。
彼がいなければ、今みたいな状況には……。
しかし……。
……彼があそこに現れなければ、私は自分の気持ちを操られていることを、知らなかったかもしれない。
知らなければ、私は今も必死にエルとヨリを戻そうとして空回りを続けていただろう。
だから……きっと知らなければ良かったと考えるのは、筋違いなのだろう。
複雑な気持ちになって、私はなんとも返事をできなかった。
リズメルは、少しのあいだ私の反応をうかがうようにしていたけれども、やがて続きを言った。
「それでその……。フライス様とシャルロッテ様が手を組み始めたって言ったら……伝わりますかね。……利害が、一致しちゃったんです。フライス様は、マーシィ様のことを奪ってやりたいと言っていました。……それに、シャルロッテ様はエルフィン様のことが好きだから、二人で何か悪いことを企てていて……酷いことをするつもりなんです。……私、自分の主人がそんなことをしているのが見ていられなくて」
悲しそうに、それでいて寂しそうに、彼女はそう語った。
私にとっても、その伝えられた事実はとんでもないことだった。
フライスはまだ、何かしてくるつもりだというのか。
エルだって、あんなにボロボロと泣いていたじゃないか。
それでもまだ、エルを恨み足りないというのなら、その原動力は一体なんだというのだ。
しかも……シャルロッテと手を組んでまで。
思えば、彼との初対面は、今と同じこの裏庭でのことだった。
あの時と同じように、私は彼と婚約を結ぼうなどという気持ちはほんの一滴さえない。
けれど、何か企てているというのは、それだけで十分な不安要素だった。
不安と焦燥が入り混じっている中、ベラは――私が何も伝えていないのでしょうがないけれども――私とリズメルの危惧など知らずに、彼女をからかうように言葉をぶつける。
「つまり貴女は、愚かな主人であるシャルロッテに嫌気が差して裏切りに来たということでいいのかしら?」
それはたぶん、リズメルが嫌がることを前提として言った言葉だったろう。
ベラのいつもの意地悪な口調に、嘲るような笑みがそこにあって。
けれども、リズメルは特にそれを否定しなかった。
「ある意味では……そうなのかもしれないです。シャルロッテ様は……よく私を叩いたりしますし、役立たずだとか罵倒もします……。それはもちろん、私がどうしようもない従者だからかもしれないから受け止めているんですけど……でも、悪事に走るのだけは絶対に止めたいんです」
水色の瞳を揺らしながらも、彼女は強い口調で語る。
そこには、強い信念があるのを感じさせられた。
ただ主人のことを尊敬しているというだけなら、そうはならない。
心酔していればむしろ、彼女はきっと、シャルロッテの言うことを忠実に実行し、どんな命令だって彼女のために遂行しようとするだろう。
それこそ、悪事だって。
けれども、リズメルはそうではない。
シャルロッテを大切にしていそうで。
それでいて、絶対に止めたいと言っている。
「それは、どうして」
私は、自然と尋ねてしまっていた。
リズメルは、聞かれると改めて気まずそうに「あのう……」と言い淀む。
それから、小声になった。
「私、シャルロッテ様に救われて今ここにいて……。あの、昔の話をするんですけど、どうか……笑わないでいただけますか……」
いつも快活そうだった彼女が、不安そうに目を瞬いてそう言った。
その目からは、憂いがいっぱいに覗いている。
どのような事情があるのか、気になって息を呑む。
私がこくりと頷くと、リズメルは大きく息を吸って。
それから、意を決したように話を始めた。
★
リズメルが生まれたクロックワーツ家は、代々主君直属の騎士としてベルシュトラット伯爵家に仕えている由緒正しい家柄である。
その歴史は大昔まで遡るほどに長い。
元々はベルシュトラット伯爵家が、王国の軍事的要所に領地を抱えているが故に、幾度となく争いの主戦場となっていたことが起源とされている。
その数ある戦いの中でも、ベルシュトラット家当主と共に戦い、多大なる戦果をあげた騎士がいた。
その騎士こそ、クロックワーツ家の初代当主。
類まれなる武勇を持ち得る名誉ある者として認められたことで、それ以降ベルシュトラット家直属の騎士として仕えることになったのである。
――さて、ある時、ベルシュトラット家とクロックワーツ家の新しい子がほとんど同時期に生まれるといったことがあった。
どちらも女の子で、ベルシュトラット家の子が生まれたあと、すぐ数日後にクロックワーツ家の子も生まれた。
それぞれ、シャルロッテとリズメルという名がつけられ、もちろん大いに祝福された。
けれども、二人が生まれたあとは、シャルロッテの専属の騎士を誰にするかという問題に悩まされることになってしまった。
ベルシュトラット家の伝統として、生まれた子供には一人、クロックワーツ家の人間を専属の騎士としてつけることになっている。
しかし、それが難しい状況になってしまったのだ。
というのも、クロックワーツ家には元々、分家の人間を主君直属の騎士として認めないという伝統があった。
それは、家の正統性を保つための由緒正しい伝統であって……その伝統により、不都合が起きることは、予期されていなかった。
子供に恵まれない代が続くことが重なり、戦死による若くしての死も、何代かに渡って続いた。
その結果、リズメルが産まれる前の時点で既にクロックワーツ家にいた人間は、リズメルの父親と母親のみになっていた。
そして今回、その母親がリズメルを産む際に、難産の末に命を落としてしまった。
とうとう家にいる人間は父親と、まだ赤ん坊で、しかも女の子のリズメル一人だけ。
ただでさえシャルロッテと同い年である上に、生まれたのが男の子でなく、騎士の性別としてはあまり歓迎されない女の子というのは、従者にするには、あまりにも不向きであった。
しかも、リズメルには魔力がなかったので、これも不利に働いた。
貴族の従者として、そして由緒正しい騎士の家系としても、魔力を持ち得ないことはとても恥ずかしいことだ。
それだから、リズメルの騎士としての価値はますますないようにさえ思われた。
しかし幸いだったのは、シャルロッテの母親が、そのことについてはとても寛大であったことだ。
リズメルがまだ騎士としてどのような成長を遂げるのかわからない以上、見捨てるのはあまりにも残酷だと言って、自分についてくれているリズメルの父親の業務を減らしてやり、代わりにシャルロッテの護衛の兼任を命じた。
そして、いずれ成長した時にシャルロッテの手助けがしっかりできるように、幼い頃からシャルロッテとリズメルを密に関わらせた。
――それからお互いがちょうど、7つくらいになった頃。
シャルロッテはまだ幼いながらに魔術の才と、それから立派な貴族の矜持を持ったご令嬢として成長した。
そして、リズメルはお転婆で、お世辞にもお淑やかではないけれども、同じく騎士としての矜恃を持って鍛錬に励むことを怠らない娘に育った。
二人は傍から見ると、友人というほど仲が良いというようには見えなかったけれども、少なくともプライドの高いシャルロッテが、数日早く生まれたということで、リズメルにお姉様と呼ばれ慕われていたのを許していたことからしても、周囲からしてそれなりの信頼関係はあるように見えた。
特に、リズメルが粗相をして他の令息や令嬢に軽んじられた際に、それは発揮された。
リズメルがマナーを覚えることや、空気を読むことを酷く苦手としていたこともまずかったが、女のくせに騎士であり、しかも魔力を持っていないという点は、他の令息や令嬢にとって罵倒してもいい相手と見なすのに十分に値した。
けれども、リズメルが虐げられ馬鹿にされると、シャルロッテは決まって怒り、時にはリズメルを軽んじるということは、私やベルシュラット家のことも軽んじているということであると、憤慨した。
良い意味でも悪い意味でも、シャルロッテは身分のことを気にせず、リズメルが他人に身分のことで馬鹿にされることを決して許さなかったのだ。
普段は優しく接してもらえないけれども、リズメルからすれば、このことだけでシャルロッテこそ自分が仕えるべき偉大な主人であると敬愛を抱くのは当然のことだった。
「お姉様!一緒に駆けっこしましょう!」
そうお願いしても、シャルロッテは嫌な顔をして「ふん、貴族のご令嬢がそんなはしたないことをするわけがないでしょう!」と言うけれども、リズメルがよく外で遊んだり鍛錬をしていたりするのを傍で見てくれていることは多かった。
「お姉様!その野菜、嫌いなら私が食べますよ!」
さり気なくお皿の端に避けられた野菜を指さして言った時も、シャルロッテは赤い顔をして「なっ、べ、別にこれぐらい食べられるわよ……!まあ、食いしん坊の貴女がどうしても食べたいというのなら食べさせてあげるけれど!」などと言いつつ、リズメルを頼ることがあった。
「お姉様!見てください!お庭から綺麗なお花をたくさん摘んできたんですよ!プレゼントです!」
色もまばらで不器用にちぎり取ってきたのであろう花束を受け取った時も、シャルロッテは顔をしかめて「貴女ねえ、お庭のお花は全部庭師が綺麗に整えているのだから勝手に摘んじゃダメよ!何やってるの!」と怒りつつも、自室の花瓶に入れて萎れるまで飾ってくれていたのをリズメルは知っていた。
だからリズメルは、この主人のことがとても大好きだったし、自分を大切にしてくれるこの主人のためにもっと尽くそうと誓っていた。
――しかし。
シャルロッテがリズメルのことを大切にしなくなり始めたのは、それからすぐ。
二人が8つになった頃、シャルロッテの母親が事故に巻き込まれて亡くなってしまったことを期に、彼女は変わってしまった。




