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31 怪力

「ぬああ!ちょっと何っ、離しなさいよぉッ!」


 状況がすぐには理解できずに混乱していたところ、同じく担ぎ上げられたベラが浮いた手足をジタバタさせながら文句を言っているのが聞こえてくる。

 けれど、明らかにそんなことを言っている場合ではない。


 リズメルが咄嗟に担ぎ上げてくれたおかげで、私たちは間一髪のところで助かったらしかった。

 けれども、魔術の猛攻はそうすぐに止むものではなかった。


 視点がぐるぐる変わり、ふわりと浮遊感を覚えたかと思うと、ピタリと静止し、また素早く動き出す。

 リズメルの動きに合わせて、振り回されているのだ。

 

 ただならぬ現状に焦りながら顔を上げる。

 しかし予想に反してリズメルは涼しい顔をしていた。


「ちょこまかと動くんじゃないわよっ!私はマーシィ様と戦いたいと言っているのよ!」


 令嬢の叫び声が、風の吹く音に混ざって聞こえてくる。

 それに返すようにして、リズメルも大声で叫んだ。


「そっちこそ魔術をばかすか撃つのはやめてください!怪我するじゃないですか!」


 言いながら、リズメルは草原を駆けた。

 担がれている人間として、彼女の身のこなしは想像するしかない。

 けれども、あの目に見えないほどに早い魔術を、二人の人間を担ぎながら軽くかわし続けるなんて、一体どんな身体能力をしているのか……。


 しばらくのあいだ、令嬢とリズメルの攻防は続いた。


「馬鹿!早く校舎の陰まで逃げればいいじゃありませんの!」


 ベラが不意にそうリズメルに声をかけたのだけれど、彼女は「それだと、流れ弾が誰かに当たっちゃうかもしれないじゃないですか!」と返して、むしろ人混みを避けるように裏庭の奥へ走った。

 奥のほうには、多くの記念碑が立ち並んでいて、それがリズメルの障害物になってしまうのではと私は少し不安に思ったけれども、その杞憂に対しリズメルは軽やかにかわしていく。

 

 私たちを落とさないようにと、抱える腕に、より一層ぎゅうと力を込めたのが伝わってくる。

 顔を見れば、流石の彼女も必死そうな様子になっていたけれども、それでも動きの鈍る様子は一切なかった。


 不思議だった。

 武芸学部の生徒や騎士というのは、みんなこの身のこなしができるのだろうか……とか、それにしたってどうこの素早い魔術の猛攻を見切っているのか……とか、そんなことより。


 何故、私たちのためにここまで必死になるのだろうか。

 もし、シャルロッテの命令で、私たちに取り入るように言われていたとして、ここまでするだろうか。

 敵の目を欺くためとはいえ、自分の身を危険に晒すようなことをするだろうか。


「有り得ないっ……このっ!避けるんじゃないわよ!私の魔術は一級なのよッ!この下級騎士風情が、避けれるはずなんかないッ!マーシィ、貴女が何か細工したのねッ!そうなんでしょう!?」


 細工だなんて。

 未だ雷を一閃出すくらいのことしかできない私がどうやって細工をするのだ。


 全部、リズメルの地力だ。


 しかし、令嬢にとっては自分より格下と思っていた相手に自分の実力が通用しない現実など有り得ないことだったのだろう。

 彼女は大きく喚き声を上げると、一際大きな斬撃を飛ばした。


 それは、周囲に突風を引き起こし、ごうごうと唸りをあげている。

 これまでより随分ゆっくりとしたもので、私にさえ正確に視認できたそれは、激昂のあまり正確なコントロールを失ったのだろう。

 私たちを狙う軌道から逸れると――ちょうど背後にあった記念碑に衝突した。


 轟音ののちに、砂埃が舞う。

 それは、記念碑の中でもいちばん巨大なものであって、たぶん創立記念の像だった。


 リズメルはハッとした様子になった。


 それから、私たちを咄嗟に地面に放り投げてくる。

 流石に命の危機を感じて、私たちを守ることを放棄したのかもしれない。

 

 しかし、そうではなかった。


 令嬢は、自分の魔術が像に直撃してしまったことで、ようやく事の重大さに気づいたのか、放心状態になった。

 直撃したそれは、ちょうど像を支える基礎の軸を、まるごと破壊したらしい。


 このままだと、倒れてきて何人かの生徒や、魔術を放った張本人であるご令嬢、そして何よりリズメル自身が下敷きになるだろうというのが目に見えてわかった。

 私たちを思い切り放り投げたのは、そのことにリズメルが気づいたからであって……私たちを守るのを放棄したどころか、下敷きにならないようにしてくれていたのだった。


 咄嗟に「リズメル、そんなっ」と声が漏れた。


 ぺしゃんこどころの騒ぎではない。

 恐ろしくて目を瞑りそうになった。


 ギギギギギギギ、像が傾く音がしたが。

 

 ――途中で、像がピタリと止まった。


 目を疑った。

 目の前で起きていることが、魔術によるものだと言われたのなら、私はそれを信じただろう。

 けれども、それが一切魔術のようには見えないものだから、私は何か幻を見ているのだと思った。


 像が止まったのは、何か魔術のおかげではなく、他の不思議な力のせいでもない。

 たまたまバランスを取ったというようなことでもない。


「大丈夫ですッ、マーシィ様……!これくらい、屁でもない……!」


 まさに、怪力と呼ぶに相応しかった。

 リズメルはその大きな身体の、更に十数倍も大きい像を両腕で支え切っていた。


 火事場の馬鹿力などで、説明がつくわけがない。

 両腕で支えながら、しかも像が倒れようとするのをじわじわ押し戻す。

 リズメルはたっぷりと汗をかいて。

 けれども、十数秒の奮闘ののち、少しずつ像を押し戻していく。


 やがてとてつもない轟音と砂埃とともに、像はいくつかの木々を巻き込んで反対側に倒れ込んだ。

 なんだってこんなことが……。


 リズメルは額の汗を拭うと、ちらと気まずそうに私の方を見て「えへへ……」と気まずそうに笑った。


 本当に、ものすごい。

 感心すればいいのか、感謝すればいいのかわからず、私は彼女のことを見ながら黙ってしまった。


 それから、すぐのことだった。


「なんの騒ぎです!……ああ、なんてこと!」

 

 像が倒れた時の轟音もあって、急いで駆けつけてきたのだろう。

 魔術学の先生は早足でこちらまで来ると、倒れた像を見て目を丸くしながら嘆いた。


「何があったのです……?ここで何かがあったのですか?……それとも、誰かがやったのですか?」


 先生はその場にいた生徒全員と、それから像の傍にいるベラと私、そしてまさに目の前に立ち尽くすリズメルを順に眺めながら言った。

 私はその時、ちらとご令嬢の方を見やった。


 彼女は顔面蒼白で、誰とも目を合わせないように俯いて黙り込んでいる。

 ばつが悪そうにドレスの裾を掴んで、その手にはぎゅうと力がこもっているのがわかった。


 しばらく、この場にいる誰もが彼女を糾弾することはなかった。

 それはたぶん、この静けさの中では、彼女がそのうち罪悪感に苛まれて自白するに違いないという気持ちがあってのことだったと思う。


 けれど、その場の全員の目論見はすぐに外れた。


「せっ、先生!……その子が像を壊したのですわ!そこの水色髪の子!それに、マーシィ様も魔術を使っていました!私は確かに見たのですッ!」


 ご令嬢は顔を上げると、私とリズメルに指を指し、まるで犯罪者を告発するがごとく声高に言った。

 先生は言われて私たちの方を改めてジッと見る。


「……本当ですか?貴女たちが、このようなことを?」


 思わず面食らってしまう。


 私たちだけならまだしも、彼女の背後には他にもたくさん、今の事件を目撃した生徒がいるのだ。

 あんな嘘をつくだなんて正気の沙汰ではない。


 すぐに何か反論しようと口を開こうとして「そんなことは――」と言いかける。

 反論しようとしたのは、きっとリズメルも同じだったろう。


 けれども遮るようにして、令嬢は続けて言葉を吐いた。


「見てくださいよ!そこの子は武芸学部の生徒なのに、自分に関係のない授業に忍び込んできてるんですよ!怪しいのは先生からでもわかるでしょう!それに、マーシィ様だって以前魔力暴走を起こした前科がある!二人がグルになって魔術で像を破壊したのですわ!」


 令嬢は、早口で唾を飛ばしながら必死に演説を図る。

 その必死さに、私はますます混乱してしまう。


 もちろん、先生は一部始終を知らないのだから、彼女の言い分は、信用するに値する証言として扱って当然だ。

 ……けれども、ここにいる他のみんなは、それを嘘だと知っているじゃないか。

 

 それなのに誰も、それを嘘だとは言い出さなかった。


 先生は一度、厳しい目でリズメルを見つめた。


「ふむ、確かに貴女は武芸学部の生徒ですね。……なぜ、この場にいるのですか?今回の授業の対象は薬学部と政務学部だけのはずですが」


 尋ねられると、リズメルはどこか後ろめたいような表情で言い淀む。


 ……何を言い淀むようなことがあるのだろうか。

 目の前のご令嬢が暴走したので、私がマーシィとベラを守ったのだ、とそう言ってしまえばいいものを。

 

 しかし、リズメルは言いにくそうに「その……私はマーシィ様に会いに来ただけで……。別に何か変なことをしたわけでは……なくて」と言う。

 どうしてこんな時に限って怪しまれるような振る舞いになってしまうのだろう。


 リズメルの拙い言い分を聞いて、先生が目を細めた。


 それを見て、私は堪らず「違います。先生」と口を開いた。

 あんな風に私たちを助けてくれたあとだというのに、リズメルが怪しまれているのを黙って見過ごすことなどできるはずがなかったから。


 けれども、私の言葉はまたしても遮られた。

 

 今度のその声は、とっても意地悪だった。

 その意地悪な声は、目の前の意地悪な令嬢よりも、もっと意地悪なものだった。

 まるでお手本を見せるみたいに、ベラはもっと悪く高らかに笑って、言った。


「全く、ここまで来て身分を気にするだなんて素晴らしい人達ですわ!貴族のご令嬢が嘘の言い分で人を糾弾していても、その相手が貴族でもなんでもない、振る舞いも作法もなっていない低俗で下品な騎士だから、黙って見ているだなんて、自分の身分に対する矜持がよほどおありなようで!」


 ベラは言い切ると先生の元へ歩いていく。

 サラサラした金髪を翻し、放り投げられたので形の崩れたドレスを整え、扇子を取り出すと、続けて彼女は言った。


「先生、彼女は嘘をついていますわ!私と姉様、それにそこの武芸学部の子も、被害者です!危うく殺されるところだったのですわよ!」


 ニヤニヤ笑いながら、ベラは大袈裟な言い方をする。

 すぐにご令嬢が必死になって「なっ……わ、私は嘘なんかついていません!ましてや殺そうとなんてっ……ソイツがマーシィ様に会いに来ただけだなんて言うほうが怪しいわ!貴女も何よ!ソイツを庇うような言い方をして!どうでもいいんじゃなかったの!?」と反論した。


 けれどベラは、その必死さを嘲るがごとく高らかに笑って一蹴した。


「あら、勘違いしないでもらいたいですわ!私は庇っているんじゃなくて、ただ私を殺そうとした殺人鬼を告発しているだけなのに!そういえば貴女、マーシィ様が魔術を使っていた、と言っていましたわね。それが本当なら、この像にまだ魔力痕が残っているはずですわよね?先生、この場で調べてくださいますか!」


「……ええ、そうですね」


 先生はまだどちらの意見に対しても半信半疑な様子だった。

 けれども、言われて頷き、像に近づきそっと手を触れる。

 証拠は、そこにくっきりと残っていたらしかった。


「これは……風属性の魔術ですね」


 先生がそう言った途端、生徒たちがざわざわとどよめき出す。


 ご令嬢はなんてことのない様子で「え、ええ!マーシィ様が風属性を使ったのですわ!」などと答えた。


 けれども、先生はちらと私のほうを見てため息を吐く。

 ここ最近、先生は毎日のように放課後の魔術訓練に付き添ってくれているのだ。

 だから、私がそんなことをできるわけがないこということを、知らないはずはなかった。

 

「いえ、マーシィさんが使えるのは雷属性の魔術のみのはずですが。ふむ……念の為にお聞きしますが、そこの武芸学部の貴女、お名前を教えなさい。また、どの属性の魔術を扱われますか。後で名簿を見ればわかることなので、嘘はいけませんよ」


 先生は、そう言ってすぐにリズメルの方を向いた。

 リズメルは言いにくそうにして、けれども意を決したように告白した。


「はい……リズメル・クロックワーツです。……私、その……魔力無しで……」


 言われて、先生は優しく頷く。


 事の顛末が、ようやく先生にとってもハッキリしたのだろう。

 私は風属性を扱えないし、リズメルだって魔力を持ち得ないらしい。

 まだ他の人間が犯人の可能性はあるが、少なくとも目の前のご令嬢が嘘の証言をしたことに違いはない。

 

 証拠があると知ると、生徒たちは今更になってざわざわと騒ぎ始めた。

 先生はもう一度大きくため息を吐いてから生徒たちの方へ振り返ると、強い口調で全員に尋ねた。


「他に誰か、見たというものは居ないのですか!」


 証拠があったのだとなれば、話は変わる。

 生徒たちは、少しずつおずおずと手を挙げて、正しい証言を並べ始めた。

 ……さっきは黙り込んでいたくせに、今になって手のひらを返すだなんて。


 先生は着々と証言を集めて、その末に、場にいる全員と、今にも倒れてしまうんじゃないかというくらい青い顔をしている令嬢に向かって言い放った。


「全員、すぐに言い出さなかったのには問題があります。創立記念碑が壊れたというのは重大なことですよ。全員その場でお待ちなさい。貴女は、大事な話がありますからこちらへ来なさい」


 言われて、令嬢は観念した様子になると、フラフラとした足取りで先生についていく。

 そんなふうになるまで、自分のプライドを必死に守ろうとした姿には、もはや感心を覚えてしまう。

 けれども同時に、狂気を感じさせられて。


 ふとリズメルの方を見ると、心から安堵した表情をしているのを目撃し、どこか親近感が湧き上がってしまう。


 そして、一つの大きな疑問が浮かぶ。

 彼女を……このまま怪しんでいていいのだろうか。

 

 ややあって、事件の興奮も落ち着きを見せてくると、私はベラに対してお願いをするように言った。


「ねえ、ベラ。やっぱりリズメルを信じてあげたいの」 

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