30 人を見下す人間になるくらいなら
とにかく、面倒なことになってはいけない。
私は即座に「うるさくて申し訳ありません」と謝罪をして。
それから、二人の喧嘩を止めようと目を向ける。
しかし、私が止めるまでもなく、既に二人は取っ組み合いをやめていた。
ベラはムスッとした様子で不満げに腕組みをしている。
けれど、リズメルは申し訳なさそうに慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさいっ!うるさかったですよね!」
謝罪はちゃんとしている……が、言い方が気に食わなかったのだろうか。
ご令嬢はギロリと鋭い視線でリズメルのことを頭からつま先まで眺める。
そして、嘲るように鼻で笑ってから口を開いた。
「はしたない振る舞いに喋り方……貴女、武芸学部の子でしょう?なんとまあみすぼらしい制服ですこと!せいぜい準貴族止まりの下級騎士のくせにこんなところへなんの用かしら?マーシィ様も、こんな従者を雇うなんて、メルクロン公爵家もずいぶん落ちぶれたものね」
それは、とっても嫌味な言い方で。
リズメルが武芸学部の生徒のための軽装の制服を着ているのを見て、そう言ったのであろう。
彼女の見下すような笑みには、この哀れな騎士の女にはどうせ反論はできまいと思って、面白がるような気持ちが含まれているのが、見て取れた。
身分が上の自分に対して、文句を言ってくるはずがないという傲慢があった。
けれど、いくら騒がしくしてしまったからと言って、リズメルがそこまでの身分差別をされるいわれはないじゃないか。
本当に貶したいのは私なのだろう。
けれど曲がりなりにも私が公爵令嬢であって、表立って悪く言うと自分の面子に関わってくるかもしれないから。
だから、リズメルを何かにつけて非難しつつ、それに絡めて遠回しに私を馬鹿にしようとしている。
その姑息なやり方に、私の胸には不快な気持ちが込み上げて、傷ついていないかと心配になってリズメルの方を見た。
けれど、予想に反して彼女はきっぱり反論をし始めた。
「ちょっと待ってください!まず!私はマーシィ様の従者じゃありません!仕える方は他にいますし……それに、確かに私はマナーがなっていないのかもしれないですけど、それとマーシィ様のことは何も関係がないじゃないですか!」
貶されているのは自分であるのに、リズメルは強い口調で私を庇うような言い方をする。
どうして私のことを気遣うようなことをするのか、私にはわからず困惑してしまった。
彼女が貶されているのは私のせいだ。
もう少しくらい、その理不尽に怒ってもいいくらいだった。
彼女が一切敵対的な態度を出さないのは、不思議なことで。
ダメだと思っていても、リズメルに好意的な感覚を覚えてしまう。
しかし言われたご令嬢は、反論されたことに心底驚いた様子になって、一層リズメルを強く睨み始めた。
たぶん、彼女の価値観では言い返されること自体が有り得ないことだったのだろう。
「ああそう……まあ、マーシィ様が主人でないのだとしても、貴女が無礼なことには代わりがないわ!貴女のような人を雇っている主人もどうかしていると思ってしまいますわね!」
彼女はまたそう言って意地汚く笑う。
すると先ほどまで申し訳なさそうにしていたリズメルの目つきが、にわかに変わるのがわかった。
「シャルロッテ様はそんなんじゃ……!」
その呟きは小さく、多分相手のご令嬢には聞こえていなかったであろう。
ハツラツな様子と打って変わって、どこか悔しそうに拳をぎゅうと握りしめる彼女を見る。
ふと、ベラが同じようにシャルロッテを罵倒した時の彼女を思い出して。
あの時も、こんなふうだった。
そのことになると、取り乱しそうになるほど、リズメルはシャルロッテを罵倒されたくないらしかった。
リズメルは上手く言い返せないふうになるので、なんだか可哀想になって。
「あの……」
何か、言ってあげようと口を開こうとするが、ベラに制止される。
「……姉様、私たちにあの子をわざわざ助ける義理はありませんわ。無関係を貫けばそれでよいでしょう」
彼女は小声で、私にそう告げた。
……合理的に考えれば、それはそうだ。
リズメルは信用ができない。
私たちを騙そうとしているかもしれない相手を、わざわざ助けるだなんて、おかしい。
でも……リズメルは可哀想だった。
何か声をかけてあげたくてたまらなかった。
たぶんそれは、昔の……悪口に傷つけられてきた自分に重ねてしまったからだった。
――けれど、それよりも先に遮るようにして。
ベラは一度大きくため息を吐くと、それから冷たい声で言った。
「……そこの貴女、さっきから何やらわけのわからないことを喚きますけれど、授業開始前の自由時間に何をしていてもこちらの勝手でしょう?……それに、私たちだってそこの女の被害者ですわ。四六時中つきまとってくるので我慢も尽きて争っていただけなのですし、仲間のように言われるのは心外です。彼女のことなどどうでもいいですわ」
その声は、リズメルのことを冷たく突き放すような声だった。
令嬢は数秒、どこか面食らったような、拍子抜けしたような様子になって、私とリズメルのほうをちらちらと交互に見やった。
私たちが仲間であろうと思って絡んできたのであろうから、恐らくベラのその言いようは彼女にとって予想外だったのだ。
ご令嬢は少し言い淀んだ。
しかしそれでも気丈に「……あ、あらそう!……それは失礼したわ。……けれど、マーシィ様もこんな子に付きまとわれるだなんて大変ね!たかだかポッと魔術が使えたくらいのことなのに、公爵令嬢という肩書きだけで勝手に期待されて、その上厄介なストーカーまで現れるなんてなんて可哀想!本当は実力もそこまで大したものではないでしょうに!」などと叫ぶ。
そうか……そのことで私は目の敵にされているのか。
……魔力を持ち得ることは、どうであれ権威である。
私は魔術を使えるようになってから、居心地の悪い視線を集めるようになって困った生活を送っていた。
それでもよそから見れば、落ちぶれていた令嬢が突然チヤホヤされ始めたように見えて、気分が良くなかったのだろうか。
私はこのことに、どうにも反論が持てなかった。
この私自身でさえ、今になって都合よく魔術を使えるようになったことに対して1ヶ月経っても完全に納得していなかったから。
何より、リズメルがすぐにもう一度強く否定の言葉を吐いたので、私が何か言う暇などなかった。
「そこまで言うことないでしょう。政務学部って何やるのか知らないですけど……世間体と面子ばっかり気にして人を必死に見下して……それでもたかだか魔術が使えるだけで免罪符になって、貴女が全部偉いことになるって、そう教えられてるんですか……?……少なくともマーシィ様は貴女に何にも悪口なんか言ってないし、マーシィ様の方が実力だって上に決まっています。それが道理なはずです」
リズメルは、最初よりずいぶんと落ち着き払った様子で、令嬢に向き合い淡々とそう言った。
拙く鈍いその言葉は、鋭さの欠片もなかったけれども。
分厚く重い鈍器のように、令嬢のプライドを叩き潰したらしかった。
令嬢は言われて、大きく目を見開くと、弾けるように喚いた。
「なっ!貴女!私のことを侮辱しているの!?いいえ、今のは学部生全員を侮辱する言葉だわ!魔術の高尚さを理解してもいないくせに、貴女に何がわかるというのよ!」
「わかりませんけど。でも、人を見下す人間になるくらいならわからなくて構わないです」
きっぱりと言い返されて、令嬢は行き場をなくしたように狼狽えて数歩後ずさりする。
それから、ギロリと標的を変えたように私を睨みつけて「貴女たちだってこの子に困らされていたのだったら何か言ってやりなさいよ!」などと言い出した。
ベラのほうをちらと見る。
きっと私にも、何も言うなと思っているに違いない。
けれど……これぐらいなら、言い返してもいいだろうと口を開いた。
「すみません。私たちには関係のないことなので」
目を合わせてしっかりと答えると、令嬢は一層私のことを恨めしそうに睨みつけた。
「何よ……何なのよ!明らかにおかしいじゃない!私がわざわざ注意してやっているのに、その態度は何!?調子に乗らないでよッ!」
彼女はこれまでで一番大きな声で叫んで。
騒がしいことの注意を口実に、話しかけてきたのに、今やその本人こそが一番騒ぎ立て、周囲の注目を集めている。
ご令嬢は、周りをちらちらと気にするように見回してから、やがて何か吹っ切れたように呟いた。
「私と、戦いなさいよ……」
顔を伏せながら、小さな声で言うので何か聞き間違いか何かだと思った。
だから私は「いま、なんと……」と尋ね返した。
けれども、彼女は辱めでも受けたみたいに顔を上げてもう一度大きな声で叫んだ。
「だからっ、私と戦えと言ってるのよ!」
どうして急に、そんな論理に飛躍したのだろうか。
声とともに、見切る暇もない刹那。
空間でも切り裂くような異音とともに、風の斬撃が私のすぐ横を通り過ぎ、空に消えていく。
「え……」
間抜けな声が出た。
彼女は今、私に向かって躊躇無く、魔術を放ってきた。
背後から瞬時に怒号が飛んできた。
「貴女ッ!自分が何をやっているかわかっているのかしらッ!姉様……怪我は……!」
沈黙を守っていたベラが堪らない様子ですっ飛んできたかと思うと、すんでのところで当たらなかった私の右頬を撫でる。
「ふん、こんなの戯れでしょう!マーシィ様だって自分の実力を知りたいはずよ!授業が始まる前に、一度お手合わせ願うことの何がいけないの?自由時間に何をやっても勝手だって、貴女が言ったんじゃないのよ!」
お手合せ願う……完全に不意打ちだったくせに……。
当たっていれば確実に負傷していたし、そのような争い事が起きたとなれば学園からの処分もただではすまないだろう。
だというのに、自分のプライドのためにここまでするなんて。
すぐに周囲の様子を確認するが、人々は息を呑むだけで全くこの事件には関わる気がないようだった。
「やめてください。私には、戦う気などありません」
とにもかくにも、私はすぐに令嬢に向かってそう言った。
他に手立てなどない。
令嬢は息を荒くしていた。
瞬間、周囲の空気が吸い上げられるようにして、あたりの砂や落ち葉とともに渦を作る。
視認することはできた。
けれども、反射的にかわす動きをするような暇さえないほどに、斬撃は素早すぎた。
……絶対に、避けられない。
私は恐ろしくて目を瞑ることしかできなかった。
けれどもその時、横から「危ないッ」と声が聞こえる。
何かに押しのけられたかと思えば、そのまま抱えあげられる。
一瞬、ぐるりと回転した焦点を戻す。
一体何が起きたのかと、視線を動かす。
まさか、彼女が助けてくれるとは予想だにしなくて、唖然としてしまった。
どうやら、私はたった今、リズメルに担ぎ上げられて命を救われたらしかった。




