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26 加護

「嘘を……つかないでください」


 そんな言葉がポツリと漏れた。


 彼が言ったような事実を信じたくはないし、信じられるはずもなかった。


 きっと嘘に違いなかった。

 エルは人の心を弄ぶようなことはしない。

 この十数年のあいだ、黙っているはずがない。


 ――しかし、エルは吐き出すように言った。


「ごめんなさい……マーシィ様。……本当にごめんなさい。嘘じゃないんです。……その話はっ、本当なんです……」


 涙声になって震えながら彼は私を見た。


 嘘じゃない……。


 なら、彼はやっぱり私を騙して――


 思いかけて頭を振る。


 そんなわけはない。

 そんなことがあるはずはない。


 頭の中で唱え続けていると、不意にフライスが落ち着いた口調で話しかけてきた。


「勘違いしないでやってくれよ。エルフィンだって相当苦心したに違いないのだからな。なにせ彼自身、加護持ちだと知ったのは、2年生になってすぐの頃だ。それまでただ無意識に、君の好意を捻じ曲げていただけでね」


 やけに理路整然とフライスはそう説明した。

 自分がエルの懇願を無視して話したのに、今度は彼のフォローをしてあげるみたいに、いやに余裕のある態度だった。


 そんな態度が癪に触って。


「……そのことが本当だとして。貴方は何故、エルの加護のことを知っているのです。詳細な効果や、2年生になってから彼がその存在を知ったということが、何故わかるのです」


 その言葉はまだわずかに、フライスが嘘をついているだけであるかもしれないという気持ちを込めての問いだった。

 けれども、フライスは平然と「気になるか?」と言って、メガネをクイと上げる。


 そこに答えがあることが恐ろしくて、息を呑んだ。


「何故ならそれは、エルフィンが加護持ちであることを見抜いたのが俺で、それを教えてやったのも俺だからさ。そうだな……良い機会だし、少し前の話をしてやろう」


 言い出すと、フライスは何か思い出でも思い返すように唸る。

 それから、話し始める。


 彼が、エルに加護のことを教えた時のこととやらを。



     ★



 ――数カ月前。


 それは静かで薄暗い日だった。

 橙色の闇が、窓の外の空を濁ったグラデーションで染め上げている。

 

 学園の図書室の埃っぽい雰囲気の中で、隅の方の席に二人。


 学業において優秀な二人の生徒が――その頃においてはまだ親しい友人として――この場で勉強をしていた。


 二人のあいだには、親友ほどの雰囲気もない。


 なんとなく、図書室で席が隣り合ったのが最初だった。


 日が経つにつれ、図書室でばったり会うことの多かった二人は段々と交友を深めていって。

 そして、時たま悩みなどを話し合う仲になったのである。

 

 それらのほとんどは、些細なものだった。

 けれど、やがて関係が深まってきた頃に、二人のうち、片方が言った。


「僕はあまり人に好かれるような人間ではないような気がして……それなのに、昔から周囲に理由もなく気にいられることが多いんだ。……それで、才能だけを見られているような気がして、あまり気分がよくないんだよ」


 彼は目を伏せて、気まずそうに打ち明けた。

 その悩みを打ち明けることで、どこか相手ともっと仲良くなる1歩を踏み出そうという気持ちがあったのだ。 


 その悩みを聞いて、もう片方が言った。


「確かに君には才能があるが、才能だけで人が好かれたりはしない。君は臆病なヤツだから、ただの人間不信かもしれないとも思うが……そうでないなら、何か原因があるはずだろうな」


 彼は冷静な口調で。

 どこか、分析官のように真面目な口ぶりだった。


 読んでいる本から目は離さなかったが、話を聞いてくれていないという感じはしなかった。


「やっぱり、そう思うか?……昔は気にならなかったんだが、最近はどうも人からの好意を不自然というか、何か――偽物のように感じてしまって……」


 とにかく、少しでも同調してくれたことが嬉しくて、続けてそう言った。


 とはいえ、この悩みはただの愚痴として笑い飛ばされるはずだった。

 大きな悩みだったけれども、そうしてくれたほうが嬉しい気持ちさえあった。


 しかし――

 

「実は……それについて、心当たりがあるんだ。最近、ある論文を読んでね」


 そう持ち出されたことで、悩みを打ち明けた男は困惑した様子で聞き返した。


「論文だって?」


 その口調には、どこか好奇心と興味も含まれていた。

 友人にとっては他愛もない悩みであろう自分のこのことに対して、あちら側からも話を持ち出してくれたことにまた一種の嬉しさがあったからだ。


「……少し話が逸れるが、君は加護持ちか?幼い頃に検査はしただろう。君ほどの男なら持っていてもおかしくはないと思うのだが」


 彼はそこまで言うと顔を上げて目を合わせた。


 一瞬、これまでとは関係のない話のように感じて。


 不思議に思いつつ、男は質問に答える。 


「加護か……。実は、魔力の総量的に持っているはずだと言われている。……ただ、それがどんな能力であるかはまだわかっていないんだよ。加護について、調べる方法もまだ確立されてないしな。家族には良い能力であったらいいと期待されているけれど、正直少しプレッシャーで……」


 困り笑いをしながら少し自虐的にそう言った。

 そうすると言われた方の男は、少し俯いて小さく呟くように相槌を打った。


「……そうか。良い家族を持ったな」


 その返事が、どこか陰を持ったものに感じて若干引っかかる。


 けれども、とにかく今の話題のことばかりが気になって、我慢できずに尋ね返した。 


「そのことと、君の読んだ論文になんの関係があるんだ?」


 聞くと、相手の男はもったいぶるように思案を始める。

 それから、パタリと本を閉じて答えた。


「……その論文では……主に加護の特性に関して述べられていたんだ。加護といっても、本質は魔力の歪みだからな。……むしろ本人の望む形での能力でないことのほうが多い、というのはわかるだろう」


「それは、そうだろうが……」


 相手の男は、身体をこちらへ向けていつも真面目な顔を、いっそう真面目にして言っていた。

 その様子にどこか気迫を感じて、思わず少しだけ息を呑む。


「知っていたか?あるケースによっては、加護は本人の意思とは無条件に発動し続けるらしい。また、能力の特性によっては、他人の心を改ざんすることがある。曰く……あまりにも強大な魔力は他人の感情に影響を及ぼすようになるんだとか」


 相手の男は続けてそう言うと、何か意味ありげに目を細めて。


 どういうわけか、鋭く睨んでくる。

 いつもはどうとも思わない彼の三白眼が、少しだけ恐ろしく感じた。


「……いや、ちょっと待ってくれ」


 どうして今、心の改ざんだとか、そんな話をするのか。

 関係がない……。


 そう言い切れないと思ってしまったのが、怖くて。


 何か、とんでもないようなことを言われそうな雰囲気がして、咄嗟に止めようとした。

 しかし、相手の男は喋るのをやめなかった。


「もしも、君が加護を持っていて……。もしも、君の加護の能力が『人の心をねじ曲げる能力』だとしたら。例えば『相手に自分への好意を強制する能力』だとしたら。……これまでの全てに、説明がつくんじゃないのか」


 言われて、息が止まる。

 

 数秒のあいだ、沈黙が訪れた。

 図書室の完全な無音が苦しくなって。


 それから、喉から絞り出すように声を出した。


「それは……もしもの話だろう。冗談にしては、趣味が悪いぞ」


 彼が語っているのは、ただの仮説だ。

 冗談だ。

 雑談の種にするために、ほんの少しパンチの強い話に持っていっているだけに違いなかった。


 そう思いたかった。

 けれども、やけに本気の態度で語るので暗い推測が頭によぎり続けていた。


「そうかもしれないし……そうではないかもしれない。……だが、君は人に本気で怒られた記憶があるか?悪い印象を持たれたり、嫌われたことがあるか?――ないだろう」


 突然、そんなふうに断定され、頭を振る。


「そんなことは……」


 咄嗟のことでそう呟いたが、図星だった。


 他人が激怒されているところは見たことがある。

 

 けれど自分にその災難が降りかかったようなことは、ほとんどなかった。


 とうとう、言われるたびに彼はこのことが酷く恐ろしくなってきた。


「……なあ、このもしもの話に。実は確証がある――と、言ったら。君はどうする?……これまで何度も君の悪い噂を、できるだけ巧妙に様々な手段で学園中に流したつもりだったのに。しかし、とうとうただの一人だってそのことを信じなかったと、そう言われたらどうだ」


 気がつけば、相手の男の瞳は暗く燃えていた。

 どす黒い深淵であるのに、それは触れれば何者をも焼き尽くしてしまうような暗く深い情熱であった。


 底のない穴に、黒い炎が燃えたぎっていた。

 

「たとえば今ここで、本棚を倒し、いくつかのページを破って帰ってみてもいい。そうしたらきっと、明日叱られるのは僕だけだろう。僕でなくてもいい。普段信用のある他の人間が、君がテストでズルをしているのだと根拠をもって先生に告げたりしても、先生はまともに取り合いもしないだろう。何故なら、君は加護のおかげで、常に好かれているからだ。それら全て、君が善人だからというだけでは説明がつかない」


 早口できっぱり言い切った。

 それは刺々しく、これまでにないくらいに冷たい口調だった。


 相手の男は急に立ち上がる。

 本を小脇に抱えて、見下ろしながら、言ってくる。


 数分前まで友人だったとは思えない、憎しみのこもった瞳をしていた。


「君は君と関わる周囲の人間の心を、常に操っている。……そういうところには、正直言って反吐が出るほどの嫌悪を抱くよ」


 最後の一言は特に憎しみのこもった声だった。

 

 ぶるりと身震いをした。

 そんな言葉は、これまでに言われたことがなかったから。

 

 けれども。


「……どうして、そんなに酷いことを言うんだよ。フライス」


 気丈にも、なんとかそう問い返した。


 友人に対して親しみを込めて悩みを打ち明けたというのに。


 こちらの名誉を傷つけるようなデタラメを突きつけるように話されたことには、納得がいかなかった。

 

 しかし相手の男は、やはり冷徹な口調でもって答えた。


「だったら、君に黙っていればよかったのか?周囲の人間を騙していると知らずに過ごしていたほうがよかったとでも?……エルフィン、君は常に優しく愚かすぎる。俺と親しくできていると思っていたのなら、認識を改めたほうがいい」


 どうして、彼は急にそんなことを言い出すのか。

 これまで自分たちは何の変哲もない友人だったではないか。


 今更、友人ではないと言われても、そのような事実を信じろというほうが無理な話だった。


 去っていこうとする背中に向かって、縋り付くように言葉を吐いた。


「……もし、僕が君の言う通り、人に好意を抱かせる加護を持っているというのなら。……君も僕に好意を持っているはずだろう。それなのに、君は僕を嫌っている。……矛盾しているじゃないか」


 ただ一つ、その論理の破綻に飛びついて指摘する。

 そして、その通りであってほしいと願った。


 しかしそれは足掻きのようなものであって。

 相手の男は至って平静を乱さずに答えた。


「……確かにそうだな。俺も疑問に思っているところだよ。しかし、君の加護はきっと関わりを持ち始めた時点で発動するのだろう。……俺は君と関わるずっと前から君のことを嫌っていた。加護の発動範囲に入るずっと前から。それが理由だと思う……と言ったら、いくらか説明にはなるか?」


 説明にはなっていなかった。

 何もかもが突然過ぎて、理解が追いつく隙はなかった。


「ここまで言われても信じきれないというのなら、これからは、自分と関わる人間の振る舞いを十分に観察してみればいい。それが不自然なのは君からでもわかるはずだ。……それでは、さようなら。エルフィン」


 一人は図書室を去り、もう一人は思い悩みながら、空が暗くなるまでずっとそこに居た。


 彼は考えた。

 相手の男の言ったそれが、本当なわけはないと思う。

 しかし万が一本当ならばと思うと、確かめてみる他にない。


 だから、存分に確かめた。

 親しくしてくれる周囲の人間の振る舞いを。


 他の生徒に比べて、明らかに自分を贔屓する教師の振る舞いが、まず最初の疑念を打ち破った。

 それからこれまで見て見ぬフリをしていた、言い寄ってくる令嬢の多さは、この仮説に十分な根拠を持たせた。


 それ以外にもたくさん、どうしてこれまで気づかなかったのかというくらいに、彼の身の回りは嘘でまみれていた。


 ここまで来れば、信じないというほうが無理だった。


 完全に周囲の振る舞いに不信を感じた頃になると。

 

 彼は、多くの人間の心を操っていることに酷い罪悪感と焦燥を覚え始めた。


 そして……すぐに自分の婚約者のことに気が向いた。


 白くすべすべとした華奢な肢体に、少しくせのある可愛らしい黒髪と、吸い込まれてしまいそうなほどの黒く魅力的な瞳の、婚約者。


 彼女はいつだって泣かず、怒らず、自分に笑いかけてくれない人だった。

 口数は少ないし、何を思っているのか全くわからない。


 いつも彼女から感情を引き出そうとしては失敗して……。

 それでも、一緒にいるのが好きだった。

 どこか彼女の気持ちをわかっているつもりでいた。


 両想いではないのかという希望さえ抱いていた。


 そして遂に彼は、本当に両想いであったことを知ると同時に。


 ――その両想いが偽物であることも知った。

 

 そして、知ってからすぐに覚悟を決めた。


 自分は臆病で甲斐性なしだけれども。

 何よりも大切な婚約者の心だけは、これ以上操っていたくない。

 

 だからこそ彼は、愛する婚約者に対して、彼女を傷つけてしまうとわかっていても、婚約解消を提案することに決めたのだった。



     ★



 ……私は、何かを言葉にしようとして。


 そのたびに、泡になって逃げていってしまうような空虚感を覚えた。

 

 どんなことを言えばいいのか、どんな感情でいればいいのか、それさえ定まらなかった。


 何か、心の中にぽっかり穴が空いてしまったような。

 そして、その穴はとっても、とっても大きいのに、どこに空いたのかもわからないような。


 気がつけば、手足の感覚がなくなっていて、力が入らない。

 意識は鮮明なのに、何か考えることさえ、ままならない。


「これでわかったろう。エルフィンがずっと秘密にしていたことを。……知っても、君は婚約者のままでいられるか。……まあ、加護の力が強ければ、いられるだろうがな」


 フライスは、倒れているエルをじっと見つめながら声だけで私に言った。


 彼の瞳や、口調に、もう嘲笑はない。

 暗い侮蔑と、憎悪の影だけが全てを黒く満たしていた。


 私は彼を見ながら、何も答えることができない。

 広い闘技場で、しばらく穏やかなそよ風の吹く音と、エルのすすり泣く声だけが響いた。


 やがてフライスは言った。


「邪魔したな。そろそろ俺は散歩に戻ることにするよ。宮廷魔術師様も戻ってくる頃合いかもしれないしな。……マーシィ、次に俺が提案したときには婚約の申し出が受け入れられるようになっていることを祈っておこう」


 言い終わって、また私のことをじろりと刺すように眺めると、彼は背を向けて歩く。

 どんどん遠くへ、背中はどんどん小さくなっていく。


 隣のエルは、まだ泣き続けていた。


 彼が泣いているのは心苦しいと思った。

 だから慰めようとして、右手を伸ばした。

 背中をさすろうとした。


 途中で、手が止まった。


 自分でもわからない。

 数秒固まって、自分の手のひらを見る。


 パチッと光った僅かなそれは、先程より遥かに弱く、花が萎れるかのように消えていった。


 私はいつまでも、エルの背中を見つめていることしかできなかった。

2章完結です。

ここまで読んでくださりありがとうございます!次話に挿話を挟んで、その次からは3章になります!


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