24 優しくする必要なんて
僅かな閃光はパチパチッと踊った後に、静かに消えていった。
私は呆然として、何も言葉が出てこなかった。
「マーシィ様!やったじゃないですか!」
エルが嬉しそうに声をかけてくれる。
最初、私はぼうっと手のひらを見ていて。
彼にそう言われてから、やっと少しずつ実感が湧いてきた。
今、私は魔力を……。
これまでよりずっと弱かったけれども……確かに扱ったらしい。
「えぇ……そうですね」
私は一言、そう呟くことしかできなかった。
最初に胸中に流れ込んできたのは、嬉しさではなく恥ずかしさだった。
やはり彼を好きだと思うこと、それ自体が魔力を放出させるためのトリガーであることが、証明されたからだ。
けれど、私にはやっぱり魔力がある……。
魔術を……使える。
「すぐには難しいと思いますが、少しずつ今のと同じようにしてコツを掴んでいけば、いずれは慣れて行けると思いますよ」
エルは私の動揺も焦りも全く悟らずに、ただ優しく純粋な笑顔でそう言ってくれた。
――しばらくのあいだ、私たちは魔力を放出させるために身体を慣らす訓練に勤しむ。
エルは、私がひとまず魔力を放出できたあとも、それを更に安定させるためのコツを指導し続けてくれた。
それで、言う通りにするたびに「いい感じですよ!」と、褒めてくれて。
……正直、魔力を持っていることや、魔術を使えることなど、私にはどうでもよいことだった。
ただ、彼が笑いかけてくれるのが久しぶりすぎて。
話しかける口実ができたのが嬉しかった。
このことで、今後は関わりを増やしていけるのではないだろうか。
魔術のことについて教えて欲しいなんて頼めば、エルと話すことができるかもしれない。
どこかで誤解を解くことだってできるに違いない。
私は貴方のことが嫌いなわけではないんだって。
無理をしているわけでもないんだって。
貴方のことが、好きなんだって。
……そう、思いたかったけれど。
同時に、ふと、違和感が胸を突いた。
……そんなのは、上手い話すぎる。
こんなのは、おかしい。
本当は……ずっと気になっていた。
気になっていて、一時の気まぐれだろうと思おうとしていた。
だって、そのことを疑問に思うことはとても辛いことだったから。
それでもやっぱりおかしい。
今日の彼は……優しすぎる。
得意な魔術のことだから、つい饒舌になっているのかと思うけれども、それだけでは説明がつかない。
この人は、私に婚約解消を提案したのだ。
それなのに後暗い感情も、気まずさも、一つだって見せない。
それはとても、おかしなことだ。
この前までは、私のことを避けていたじゃないか。
私との会話にも消極的だったじゃないか。
「最終的には身体イメージと近づけていくのが良いんです。例えばですけど手の平を開いて、正面に思いっきり突き出すような動きをする時、一緒に魔力を放出するイメージがしやすいですよね?」
彼は、私に笑いかけながらそう言った。
優しい青の瞳が、煌めいている。
……その優しさが、全く関わりのない他人に向けるようなよそ行きの優しさだと気づいたのは、すぐのことだった。
「まずは身体イメージを作っていく方が大事なので、試しに、腕を伸ばしてみてください。それから、手のひらを開くのと、魔力放出のトリガーとなった感情を同期させていって――」
言いながら、エルは私の腕に触れる。
……私は、言われても腕を伸ばさなかった。
だらんと力を入れないままで。
「どうして」
思わず、声を漏らした。
それはエルに聞かせようというものではなかった。
そもそも、さっき私が好きと言った時には聞こえていなかったくせに。
「……マーシィ様、どうかしましたか?」
彼は、私のその呟きに勘づいて尋ねてきた。
咄嗟に「いえ……なんでも――」と言いかける。
けれども、彼が心配そうな目を向けてくるから。
「エル。一つだけ、よろしいですか」
気がつくと、私はそう切り返していた。
その一言でエルが背筋を伸ばし、身構えるのがわかった。
「ええ……なんでしょう」
彼は、咄嗟に私の腕から手を離して、かしこまった様子で尋ねてくる。
さっきまで平気で私と接していたくせに、何故か私が問いを投げかけようという時になって、我に返ったみたいに私から視線を外したのだ。
私は、彼が腕を離したことの仕返しのつもりでこちらから腕を掴んでから、口を開いた。
「今日の貴方は、何故そこまで親しいように振る舞うのですか。……婚約解消を提案してきてからずっと……私のことを避けていたでしょうに」
エルは、私の発言を聞いた瞬間に大きく目を見開いた。
何か、痛いところを突かれたような様子だった。
けれどもすぐに首を振って、彼は後退りしようとする。
「それは……ただ。気まずいからといって、避けるのは違うと思ったからですよ。……公爵様にも頼まれましたし、婚約解消のことと魔力のことは関係がない。頼まれるなら手伝います。……それに」
どこか引け目でもあるみたいに、彼はずっと顔を逸らしたままで話し続けた。
「僕が貴女を避けたから、婚約破棄の噂が流れてしまって、貴女が悪く言われてしまった。それをずっと申し訳ないと思っていましたし……ベラちゃんにも、この前あんなふうに怒られてしまったでしょう。……だから、少なくとも婚約を正式に解消するまでは普通に接していようと……責任を取ろうと思っただけです」
それを聞いて、私の胸の中には暗い気持ちが立ち込めた。
思っていた答えと、違ったから。
……薄々、期待してしまっていたのだ。
本当は、彼も心変わりしたんじゃないか、と。
この数日のあいだに、彼はやっぱり私と婚約者のままでいようという気になったんじゃないかと。
でも違った。
彼は優しいから、私と普通に会話してくれて、目を合わせてくれて、笑顔を向けてくれる。
それ以上でも、それ以下でもないのだ。
……そんなのは、おかしいじゃないか。
私を避けたことで婚約破棄の噂が生まれたことを申し訳ないと思うなら。
婚約解消なんかしなくたって……いいじゃないか。
「……貴方は、自分と比べられて私が悪く言われるのが耐えられないと言っていたでしょう。だから、婚約解消をすると、言いましたね。……でも結局、貴方と別れても、私は悪口を言われ続けるんですよ」
暗い気持ちを吐き出すように、そのまま口にした。
エルは肩を震わせて、何も言わずに俯いていた。
彼と一緒にいるから、相対的に嫌われ者だなんて、私はそんなレベルの人間じゃない。
元からの嫌われ者が、人気者とくっついているというだけだ。
……それなら、別れないでくれたほうが。
心の支えになってくれたほうが、何千倍も、何億倍もいい。
……それでも婚約解消をしたいというのなら。
やっぱり彼も……。
――心の底では、私が嫌いなんじゃないか。
私が無理をしているなどと言いがかりをつけて。
その割には優しいから、私の前でも善人のフリをするのだ。
けれど、私のことが嫌いだというのなら、どうしてわざわざ優しくするのか。
無理に接しようとしなくても、すぐにでも私との婚約を破棄すればいいじゃないか。
私だって最初から優しくされなければ、彼をここまで好きになることもなかっただろう。
婚約解消の提案をされてまでも、まだ本当は彼も私を大切に思ってくれているんじゃないかなんて妄想することもなかったのに。
意識が思考に偏って身体から力が抜けた隙に、エルは私が掴んでいた腕を引き抜く。
それが妙に気に障って、私は吐き出すように言葉を発した。
「本当に私のためを思うのならば、婚約解消なんてしなくてもいいのではないですか。……以前も言いましたが、私は貴方との婚約解消を望んでいません。これからも婚約者で居たいと言ったではないですか」
ふざけるな、と思った。
例え私のことを好いていないとしても。
本当に申し訳ないと思うのなら、私と婚約者であるのが道義だ。
それでも別れたいと言うのなら、最初から優しくする必要なんてなかった。
それは……心のどこかでは理不尽な怒りであるとわかっていたけれど、抑えることができなかった。
「それでも……マーシィ様のためなんです。わかっていただけませんか」
エルは、諦めたような無気力な声で言った。
どうして彼はそんなに悲しそうな顔をしているのだろう。
蒼い瞳を潤ませているのだろう。
その顔もまた、癇に障った。
「……貴方はいいですね。私のためと言い張って、あと二ヶ月半もしたら、面倒な婚約者とおさらばすることができるんですから」
悲しいのはこっちのほうだ。
好きな人に突然別れたいなどといわれて、泣きたいのはこっちのほうだ。
悲しいのに私は泣けない。
涙のひとつも流れやしない。
泣けないから私が何を思っているかなんて、何一つ伝わりやしない。
心の中の叫びは次第に大きくなって。
けれどその時だった――
「なぜマーシィ様は……そんなに悲しそうな顔をなさるのですか」
言われて、一瞬息が詰まった。
……悲しい顔など、していない。
私はいつも無表情なのだ。
無表情で、何を考えているかもわからない恐ろしい氷面の令嬢なのだ。
「いえ……別に悲しんでなどいません。表情だって変わらないのに、どうしてそんなふうに決めつけられるのです」
私は急なことでムキになってそう言い返した。
するとエルは困惑したような様子で「そ、そうですか……。すみません、見当違いでしたよね……」などと言う。
見当違いではない。
けれど、私は咄嗟に素直になることができなかった。
そんな私の顔を見つつ、エルは、いつの間にか覚悟を決めたような顔でこちらをまじまじと眺めていた。
「マーシィ様こそ、どうしてそこまで必死になるのですか。魔術が急に使えるようになったのも、そのトリガーとなった感情に僕が関係しているというのも……。僕を繋ぎ止めるために、嘘をついているんじゃないんですか」
彼は、どこか自暴自棄な言い方でそう言った。
今や、彼の言動の何もかもが癇に障って。
「嘘なわけがないでしょうっ」
身振りを大きくして、全身で語った。
けれども、彼はすぐに「そうだとして、そこまで必死になる理由はなんなのですか」と返してくる。
瞬間。
飛び出すように、言いかけた。
「そんなの当然でしょう。私は貴方のことが――」
……言葉が続かなかった。
言えない。
喉まで出かかっている。
今にでもこぼれるように漏らしてしまいそうな言葉が、それでも出てこない。
さっき無意識に呟いてしまった時と違って、言おうとすればするほど、むしろ蓋をしているみたいだった。
「僕のことが……なんですか」
ここまで言いかけて、とうとう私は言えないのか。
彼と結ばれたいという覚悟はどこへ行ったのか。
数秒の静寂ののち、私は何も言うことができずに――
「好き、なんだろう」
そんな言葉が響いて、私はビクリと身を震わせた。
ハッとしてエルの顔を見るが、彼もぽかんとした様子で私を見る。
少しのあいだ混乱して。
ややあってから、その声はエルのものではないのだと気がついた。
突然で、しかもその声が男性のものであったから混乱していただけだったのだ。
声が聞こえてきた方向へ、顔を向ける。
紫髪に、眼鏡をかけていて、レンズ越しに切れ長の目が見えた。
どこか気怠そうに腕組みをする、その声の主は。
「フライス……。どうしてここに居るんだ?」
エルが、静かに尋ねた。
フライスは、ニヤリとやけに面白そうに笑う。
「いや、校庭を散歩していたら、たまたま闘技場から魔術学の先生と宮廷魔術師様が出てくるのを見かけてね。何かやっているのだろうかと気になっただけさ」
そして冷静な口調で、何もおかしなことなどありはしないようにそう言った。
ただ、じとりと私を睨むその目は、とても不気味で。
これまでのエルへの怒りが嘘みたいに冷めていく。
今は、以前フライスと会った時の得体の知れない恐怖だけが胸の内を支配し始めた。




