23 トリガー
やがて、エルが先生に連れられてやってきた。
今日は休みだし、寮でくつろいでいたりしていただろう。
突然のことだったろうから、彼もここへ連れられてきたことに困惑している様子だった。
私と父様の姿を見ると、ギョッとした顔をして少し固まる。
それでも彼はすぐさま頭を下げて礼をした。
「ええと……メルクロン公爵様、おはようございます。あの、僕は何故ここに……?」
言いながら、わけがわからないというような様子で私のほうをちらと見てくる。
けれど、こちらだってどういうことなのかわからないのだからしようがない。
どうしてこんなことに……。
今の私は、これまでより一層、彼と顔を合わせるのが気まずかった。
ベラが私と彼を説教したあの日以降、顔を合わせてあの時のことを清算するような機会が無かったからである。
当のベラ自体はもう怒りも冷めていて、いつも通り元気にあることないこと口から垂れ流しているから、正直問題はない。
けれど、それはそれとして、やっぱりあんな出来事の後なのだ。
なんとなく気まずいものがあった。
彼と関われることが幸運なのか不運なのか、微妙な気持ちのままに、ちらと彼の顔を見ると、目が合った。
彼から目を逸らすかな……と思えば逸らされないので、数秒見つめ合ってしまって。
慌てて、いかにも自然に見えるように視線を他の方に流した。
「やあ、久しぶりだな。エルフィンくん。会わないうちに随分と好青年に育っているじゃないか。マーシィとは上手くやっているかな?」
父様は笑顔でエルを出迎え、そんなふうに声をかけた。
上手くやっているか、という質問に少しヒヤッとする。
けれど、彼が無難に笑顔で返してくれたので、ホッとした。
少しのあいだ社交辞令めいた会話をしたあとに、父様はようやく彼の質問に答えた。
今は、私の魔力検査をしている最中であること。
その検査をするに際して、手伝いを彼にもしてほしいということ。
一気に説明されれば彼も困惑すると思っていた。
けれど意外にも、ある程度納得した様子で彼は頷いていて。
それから、不思議そうに父様に尋ねた。
「……とりあえず概要はわかりました。ですが……呼ばれたのが僕である理由はなんなのでしょう?」
それに関しては、私も気になっていたので、少し前のめりになる。
どうして、彼が呼ばれる必要があったのだろう?
疑問に思っていると、父様はちらと私のほうを見て言った。
「君を呼んだのは、マーシィの魔術発動のトリガーが、君に関係しているからだ」
トリガーとは一体……。
いまいちピンと来ていない私に反して、エルは驚いたような顔をしている。
そんなに衝撃的なことなのだろうか。
彼は不思議そうに軽く私の方をちらと見てくる。
わけもわからず、私はあんまり目を合わせすぎないように、けれども露骨に避けすぎないようにするのでかなりクタクタになった。
「僕への、何が……トリガーになったのですか?」
ややあって、彼は父様へ聞いたのか私へ聞いたのか、曖昧な様子で尋ねてきた。
何が、と聞かれても。
そもそも、私自身にもよくわかっていないのだ。
けれど、トリガーと言うからには。
魔術を出すきっかけになった感情のことかもしれない、と、そう思い当たる。
――そうだとするなら。
それはますます彼には言えない。
私は顔を熱くして、何にも言葉を出せず押し黙っていた。
押し黙っているのに、彼は更に不思議そうに私の顔をまじまじ見てくる。
しばらくなんとも言えずにもじもじしていたところ、そんな私へ助け舟を出すように父様はすかさず口を挟んでくれた。
「まあまあ、それはあまり大したことではないだろう?とにかく、魔術が発動した時の感情が再現出来ればそれでいいんだ」
エルはまだどこか不思議そうな様子だったけれども、父様に言われてそれ以上追及する気がなくなったのか、一応納得したふうになる。
私は、父様の気遣いに深く感謝した。
けれど、顔を見れば得意げに私のほうを見てきていたので、なんだかからかわれているような気持ちになってやっぱりムッとした。
ややあってから父様は、気を取り直したように神妙な顔をする。
「そういえば……感情のトリガーについての説明を、まだマーシィにはしていなかったな」
そう呟くと、エルと私の顔を交互に見て口を開いた。
「さっきも言ったが、誰しも最初はマーシィと同じようなもので、魔術を自由には扱えないものだ。自由に扱うためには魔力を身体に慣らしていく必要がある。この時に、最初に魔力を放出したきっかけになった感情が重要になってくるんだ。その感情というのは、その人が最も魔力を放出させやすい感情だ。最初は、同じ状況を何度か繰り返したり、その時の感情を思い浮かべたりして何度も練習をするものさ。エルフィンくんを呼んだのは、そのためというわけだ」
魔力を、身体に慣らす……。
感情と魔力が連動しているなんてことは、幼い頃から何度も耳にして、知っていることだった。
けれども、それは自然に扱えるようになっていくものだと思っていて、みんながそんなふうな行程を経て魔術を使えるようになっていくのだとは知らず、素直に感心する。
……なるほど、一応の理屈は理解できた。
理解、できたけれど。
……今の父様の説明でいけば、つまり、私が魔術を身体に慣らすためには、エルと一緒に居なければいけないということなのだろうか。
思えば、私が魔力を放出したあの二件では、いずれもエルが傍にいた。
昂らせた感情も、エルに対してのものだった。
私の魔力放出のトリガーは――エルに対しての気持ち。
うっすらと理解してきた頃になって。
父様はここぞ絶好のチャンスとでも言わんばかりに得意げになってあることを切り出してきた。
「というわけでまずは検査の前に身体に慣らす訓練をしていこう、と言いたかったところなのだが……いやあ、参ったなあ!私と先生はマーシィの魔力のような前例が無いか、図書室で論文を調べてこなければいけない!一旦中断しようかとも思うんだが……しかし、エルフィンくんなら、優秀だし慣らしていく手順自体はわかるだろう?すまないが、しばらくのあいだ、2人きりで進めていてくれないか?」
私は絶句した。
2人きり……。
今ここで……?
こんな、闘技場の真ん中で……?
……これまでは、会話するにしたって何かしら距離があった。
魔術の実技の時はそもそもベラが会話していただけだった。
生け花の授業は周りに他の生徒も居て、ペアという建前があった。
中庭の時だって、周囲には人がいてなんとなく気まずい雰囲気ではなかった。
けれど今この場では、私たち二人は、完全に婚約者同士としてここに取り残されていくのだ。
によによ笑っている父様が恨めしくなる。
善意なのかもしれないし、もしかしたら本当に論文をすぐにでも確認しなければいけないのかもしれない。
けれど、それはそれとして、そんなことがあっていいはずがない。
「……父様。やはり学生2人だけでそんなことをするのは危険なのではないですか。父様が呼ばれたのは、私が魔力暴走を起こしたのもあっての派遣なのでしょう」
思い切って尋ねてみるが、父様は少し悩んだ風に唸って。
最初から用意していたであろう言葉を、いかにも今思いついたように話した。
「しかしまあ、エルフィンくんはとても優秀だしなあ。今でも宮廷魔術師として志願すれば見習いとして雇われるであろうほどの実力があるし、任せても大丈夫だろう。マーシィ、お前も婚約者なのだから信じなさい」
変に説教臭い言葉にすぐに反論しようとしたけれども、否定しづらい言い方をされてぐうの音も出ない。
先生もいつ口裏を合わせたのか納得している様子だし、それならエルはどうなのかと彼の方を見る。
すると、彼はどこか狼狽えた様子だったもので代わりに何か口を挟んでくれないだろうかと期待した。
しかし……よく考えれば、自分の婚約者の父親に対して何か口出しをする勇気などあるだろうか。
私にはないし、多分彼もそうだった。
なけなしの反論も虚しく、父様と先生は闘技場の退場口の方へ歩いて去っていく。
姿が見えなくなるまで手を振って。
見えなくなってからも、恥ずかしさ隠しに手を振り続けて。
……やがて、流石に振り続けていてはおかしいという頃になると。
私はゆっくりエルの方に身体を向けた。
「マーシィ様……その、よろしくお願いします」
彼の口調はどこか曖昧だった。
私も危うく噛みそうになりながら「よ、ろしくお願いします」と返した。
すぐに気まずい空気が流れ出すかと思った。
けれども、エルは早速「よろしく……とは言いましたが、ええと……困りましたね」と苦笑いを浮かべながら言ってくれる。
ほんのり、生け花の授業の時のことを思い出す。
あの時は、私とあまり関わらないようにしているのを感じたけれど、彼はその時よりなんだか随分と柔らかい雰囲気になっている気がした。
「ええ……。魔術の慣らしと言っても、何をすればいいのかわかりませんから」
私がなんとなくそう返すと、エルはまだぎこちない様子ながらも、説明してくれた。
「そうですね……。とりあえず、僕が居ることで生まれる感情がトリガーってことなら……その感情をまずは心の中でわざと昂らせてみることが大切かと」
心の中で昂らせる……。
改めて振り返ってみれば、最初に魔力を放出するきっかけになったのは多分、彼を取られそうになったことによる嫉妬や、彼に嫌われたくないという不安だった。
けれど、嫉妬や不安を今この場で抱くというのは無理がある。
どうすればいいというのだろう。
悩んでいると、エルはちょうどそんな心を見抜いていたみたいにアドバイスをしてくれた。
「その、例えばなんですけど、もし感情のトリガーが何かに対する悔しさや怒りだったとしても。悔しくなったのはそれに期待していたからで、怒ったのはそれを失いたくなかったからだったりするでしょう。なら思い浮かべるべきは、それに対する期待や愛着とか、元のほうの明るい気持ちのほうです。一時的な激情は浮かびやすいぶん不安定なので、そちらのほうが安定しやすいかと……」
なるほど、そんな論理があるのか……。
私は「ありがとうございます」とお礼を言ってから、再度考えてみる。
彼の例に沿えば、私が思い浮かべるべきは、嫉妬や不安ではなく、もっと根源的なもの。
……ええと、つまりは……。
彼に対する『好き』という気持ちそのもののことだろうか……。
好き、を昂らせる。
父様が彼を呼んだ理由がようやく私にもわかってきたかもしれない。
私は意を決して、しっかりとエルと顔を見合せた。
そうして、心の中で彼のことが好きだと念じてみる。
彼の煌めくような金髪が好きだ。
すらりと伸びる体躯が好きだ。
宝石のような深く輝く青い瞳が好きだ。
親切で臆病なところも、それでも頑張ろうと努力する姿も好き。
好き、好き、好き……念じているといつの間にか夢中になってくる。
彼が、私の婚約者だなんて、こんな奇跡があるだろうか。
ああ、しかし私は婚約解消を提案されているのだった。
こんな悲しいことがあるだろうか。
夢中になるうち、私は彼の顔を見つめながら小さく声を漏らしてしまった。
「……好き」
まずい。
私は何を言っているんだ馬鹿。
すぐに口を噤んだ。
心臓が破裂してしまうんじゃないかというくらい、爆発的に拍動する。
彼は今、聞いていただろうか。
聞いていたかもしれないし、聞いていなかったかもしれないけれど……やっぱり聞いていたかもしれない。
焦りに焦った末に私は「いや、今のは違います」と意味のわからないことを口走る。
しかし、幸いだったのはエルが「あれ、何か言いましたか?」と、全くの純粋な表情で尋ねてきたことだった。
よかった!
彼には何も聞こえていない!
安堵するも、急な焦りでまだ心臓は早鐘を打ったままで。
その時だった。
パチパチッと小さく音が鳴ったような気がした。
まるで、火花が散るような……いや、微かに電流が空を駆けるような……。
なんだか不思議な感覚になって自分の手元を見る。
僅かだった。
けれども。
そこには確かに、小さく明滅する紫の閃光の姿があった。




