20 悪役の邂逅
人気のない校舎の最上階。
シャルロッテは誰も来ないであろうことを確認すると、リズメルを睨みつけて、声を荒らげた。
「何をやってるのよ!あんたが変にでしゃばるせいで私が疑われそうになったじゃないの!」
「ごっ、ごめんなさいっ……でもその、私……シャルロッテ様を守りたかったからっ……」
リズメルがおずおずと言うと、シャルロッテは目つきを鋭くして、彼女のほうへ詰め寄った。
リズメルのほうが身長は高いけれども、シャルロッテの威圧に怯えた様子で後ずさる。
どんな理由であろうとも――例えそれが理不尽な叱責であろうとも。
主人に逆らうことは許されないのだ。
「ふんっ、あんたが守る?言いつけたことすらまともにできない無能のあんたに何ができるって言うのよ!あんな女の言い分、反論する余地なんていくらだってあったわ!それをあんたは怪しまれる反応ばかりして!なんでそんなに役立たずなのかしら!貴族の体裁なんか無ければ、すぐにでも捨ててやりたいのに!」
シャルロッテは激しい口撃をしながら、ピンクの髪をゆさゆさ揺らす。
リズメルは恐ろしくて震えた。
水色の短い髪と、瞳も震えていた。
「あの……私、でも――」
そこまで言いかけて、言葉が出てこずに言いやめる。
何か言い返すと、更にシャルロッテの機嫌を損ねるであろうことはわかっているからだ。
それでも私は、貴女のために頑張ったのに。
言いかけた反論に、シャルロッテは目ざとく、まるでそれが自分への反逆であるとでも言いたげに右手を大きく振り上げる。
リズメルは反射的に自分の左頬を庇うようにして手のひらを置いて。
やるせない想いが胸に広がった、その時。
――階段をコツコツ、登ってくる音がして。
シャルロッテもそれに気がついてか、ゆっくりと右手を下ろした。
良かった……。
リズメルが安心しているのも束の間、誰かが階段をゆっくりと登ってくる。
現れたのは、紫の髪が特徴的な男だった。
切れ長の目に、眼鏡をかけている。
一体誰だろうか、リズメルは疑問に思いながらこの男のことを見ていた。
開口一番、彼は言った。
「ベラトリーナ・ミリエールと正面から言い合うとは、君たちも馬鹿なことをするな」
男はあくまで冷静な口調で言い放った。
それは、初対面の人間にしては随分唐突な話の切り出し方であって、リズメルは混乱してしまう。
けれども、シャルロッテは落ち着いた様子で、しばし間を置いて。
彼が先程の自分の本性を見ていたかどうか、探るようにジッと彼を見つめてから。
いたって丁寧な口調で「あら、急な登場ですね。どちら様でしょうか」と明るい声音で尋ねた。
聞くと男は目を細め、シャルロッテを上から下まで吟味するように眺めてから、口を開く。
「俺はフライス・ノルトという。……君は、随分と猫を被るのが上手いみたいだな。あれだけ無理な登場をしても、周囲を信じさせる力を持っているとは。ひょっとすると――加護持ちか?」
図星だったが、動揺は見せない。
やはり、悟られていたか。
シャルロッテはそれを知ると、すぐに吹っ切れて、乱暴な顔になり、フライスを睨みつけた。
「ふん、どうかしらね。……どこの誰かも知らないあんたに教えるわけないでしょう」
一気にシャルロッテの声は底冷えたものになって。
昔から何度もその豹変を目にしてきたリズメルでさえ、毎度のようにその変わり身に怯えた。
言いながら、目の前の男に自分の力が通用しないことに、シャルロッテは少し警戒を強める。
さっきからなんなのだ。
扇子を持った生意気な令嬢しかり、この無礼な令息しかり。
怪訝な顔をするシャルロッテを見ると、フライスは少し鼻で笑った。
「まあ、ベラトリーナには見破られていたがな」
嘲るようにそう言われて、シャルロッテのこめかみに青筋が浮かぶ。
「ベラトリーナ?あの女が何だっていうのよ。あんたには関係ないでしょ?」
彼女は再び強い口調で言い返した。
同時に、鋭い敵意を持って睨んでいて。
リズメルはその刺すような視線に怯えていた。
けれども、フライスは全く動揺を見せず、むしろにやりと微笑んだ。
「関係はある。君は、エルフィンのことが好きだろう」
突然言い当てられて、シャルロッテは元より更に不機嫌そうに眉をひそめる。
どうして、知っているのか。
何故、唐突にそのことを持ち出されたのか。
しかし、やはりフライスは全く意に介さずに話を続けた。
「エルフィンのことが好きだから、マーシィを彼の目の前で悪者になるよう仕向けた。少し前までは婚約破棄の噂もあったし、周囲の目はマーシィを怪しむ方向へ流れやすい。自慢の演技力があれば、二人の関係を悪化させ、エルフィンに取り入ることも不可能ではない。君はそう思っていたのだろう。……違うか?」
シャルロッテは表情を動かさず、微動だにしなかった。
しかし、リズメルのほうは目をぱちぱちとさせて心底驚いていた。
フライスの言うことが、ほとんど当たっていたからだ。
自分たちの企みが、透けて見られているかのような得体のしれない不気味さに、リズメルは打ち震える。
フライスは得意になった様子で、眼鏡のフレームを触ると続きを話した。
「しかし、ベラトリーナと対峙したのが誤算だったな。頭が切れるくせに、世間体や保身を考えない狂人だ。自分に悪いイメージがつくことを考えて身を引いた君とはわけが違う。いつもマーシィにくっついて離れないせいで、不用意に近づくことも叶わない」
言われたシャルロッテは、名乗られてなお、得体の知れない目の前の男を探るように彼をジッと見る。
――フライス・ノルト。
名前自体はかなり聞いたことがある。
同じ魔術学部で、いつもエルフィンに次いでテストで2位を取っているのを何度も見たことがあるからだ。
しかし彼が何故、この場に現れ。
そして何故、自分たちの企みを詳らかにしたがるのか。
「つまり、何が言いたいのかしら」
シャルロッテが尋ねると、フライスはまた腕を組み直す。
身構えていると、彼は不意に目を細めた。
「そうだな……単刀直入に言うならば、俺はマーシィ・メルクロンと婚約を結びたいと考えている。そのためには、彼女と婚約を結んでいるエルフィンが邪魔だ。そこで、君がエルフィンと婚約を結べるように、なんだって協力してやる。代わりに、俺がマーシィと婚約を結べるように協力してくれないか。……と、俺が言いに来たのはそういうことだ」
フライスが言い終わると、数秒静寂が訪れた。
シャルロッテはしばらくのあいだ、彼を蔑んだような目で見つめて。
呆れたように息を吐くと、鼻で笑った。
「ふふっ……なんだ、そんなこと?あんなやつを好きになるなんてあんたも物好きね」
彼女は嘲笑を隠さなかった。
あの氷面の令嬢を好きになるなんて、きっとコイツはまともではないに違いない。
警戒しすぎたけれども、ただの変人だろうか。
あの無愛想で無口な女のどこに可愛げがあるものか。
魔力を持たず、エルフィン様にいつまでも寄生しているだけ。
彼は優しいから守ってあげているだけだろうに、あの女は思い上がっているのだ。
最近になってやっと魔術を使えるようになったとかいう話もあるが、所詮は子供遊び程度に違いない。
そもそもエルフィン様だって、婚約者だとはいえど、あの女にいつまでも構っているのはおかしい。
あの池のほとりで、エルフィン様がマーシィを庇うような言動をしたことが憎い。
『お言葉ですが、マーシィ様があの状況で突然そんなことをするふうには思えません』
あの言葉を思い返すだけで鳥肌が立った。
きっとエルフィン様は無理をしているのだ。
親同士が強引に取り付けた婚約に逆らえないだとか、マーシィに弱みを握られているとか。
――少なくとも、シャルロッテにとっては、そのような理由があるように思えてならなかった。
フライスは、しかし嘲笑されても態度を変えなかった。
むしろ、不思議そうな顔でシャルロッテの顔を見る。
「君のほうが大概だろう。あんな甲斐性無しな男のどこに魅力を感じているんだ?少なくとも、俺はマーシィが好きなわけではない。彼女の魔術に興味があるだけだ」
言われて、シャルロッテは一気に頭に血を昇らせた様子になる。
バタバタと力強く地団駄を踏んで、怒りに身を震わせながら、彼女は声を荒らげた。
「なっ!……エルフィン様を馬鹿にしないでよッ!あんたなんかに彼の魅力がわかるわけないでしょう!彼は優しいし、格好よくて、その上謙虚だわ!」
彼女は大声になって、フライスのほうへ詰め寄りながら喚く。
フライスは一瞬俯いて。
しかし、冷たい声色と刺すような目つきでシャルロッテのことを見据えた。
「違う。綺麗事を並べるな。君がエルフィンのことを好きなのは、ただ単にアイツが才能に恵まれた天才だからだ。君はただエルフィンが特別だから好きなんだ。それ以上でも以下でもない。自分が人を好きになった理由を美化して語るなよ」
その声には、重さがあった。
言っているあいだ、フライスの瞳に一瞬だけ憎しみが渦巻いたように見えて、リズメルは恐ろしさに心臓を縮こませた。
同じ空間に、恐ろしい人間が二人もいる。
リズメルは先程シャルロッテに壁まで詰められた時の状態から体勢を変えていなかったけれども、下手に動けば怒られてしまいそうで、怖くて身じろぎ一つできなかった。
このフライスの気迫には、シャルロッテも少し狼狽えた。
けれども彼女は気丈にもすぐに言い返した。
「そ、それなら、あんただって天才じゃないの。自分がそれでモテてないのに変な理由をこじつけるんじゃないわよ」
――それが、どうして逆鱗に触れたのだろうか。
フライスは一層不機嫌そうにして、憎しみを更にいっぱいに込めた目つきでシャルロッテのことを睨んだ。
彼のその怒りは、熱くなっているというよりはむしろ、冷たいという方が適切なように思われた。
「俺が天才だと……?ふざけるな。俺がアイツと同じなわけがないだろう。天才を舐めるなよ」
フライスのその姿に、流石のシャルロッテも動揺を隠せなかった。
彼女は鼻を鳴らして。
「まあ、その……何でそんなに怒ってるのか知らないけど……気を悪くしたなら謝るわよ」
控えめな態度になって謝罪の言葉を口にする。
フライスはしばし睨みつけるような目つきをした。
けれどもそれから「別に、怒ってなどいない」などと淡白に答えた。
リズメルは思わず顔をしかめた。
絶対怒っていただろうに……。
「とにかく、協力してほしいんだ。俺一人では根回しに限界がある。この際だからはっきり言わせていただくが、君みたいな利用できる駒がいるとすごく助かる」
彼は気を取り直した様子になると、一度咳払いをしてからそう言った。
随分酷い物言いだ。
シャルロッテは、しばらく考えてから、怪訝な態度で腕組みをする。
表情は蔑むような目つきからあまり変わってはいない。
けれども。
「そう。私は、正直言ってあんたみたいな男は信用できない。利用するって言われるのも気に食わないわ。……けれど、何か計画があるというのなら話は別。そんなに自信満々に私の前に登場して、考えなしというわけではないでしょう。もし私がその作戦を気に入ったなら、私もあんたを利用してあげるわ」
シャルロッテはフライスのほうへ更に近づいて行って、そう言った。
彼はニヤリと怪しく笑って、シャルロッテに握手を求めるように手を差し伸べる。
「なら、交渉は成立だな。君はこの作戦を絶対気に入るからだ」
実質的に、合意も同然のような雰囲気が漂って。
そこで全てを見ていたリズメルは、これから何かただならぬことが起きそうな予感がして、おぞましさに俯く。
リズメルにとって恐ろしいのは、自分がその作戦にきっと加担しなければいけないということであり。
何より、主人であるシャルロッテ自身が、堕落していくのではないかという恐怖からだった。
けれど、自分のような従者にはどうすることもできない。
彼女には、恐怖に震えながらも主人を心配することしかできなかった。




