19 婚約者失格
幕引きは、実に呆気のないものだった。
それ以上、シャルロッテもリズメルも、反論しようというような雰囲気はない。
「それでは、お互い謝罪して、それで手打ちにしましょう」
ベラがそう言ったのに少し驚いたけれど、徹底的にシャルロッテのことを糾弾しようというつもりは無いようだった。
というよりは、これ以上シャルロッテを責め立てる材料もそこまで無いからだろうか。
ベラからの提案に、シャルロッテは先程までの反論してきていた様子からは考えられないくらい簡単に「……マーシィ様、突然犯人だと決めつけて申し訳ありませんでした」などと頭を下げてくる。
さっきまで、あんなにも私を恨めしく見ていたくせに、今度の彼女は本当に申し訳なさそうな顔をして、私のことを見ていて。
それが、更に恐ろしかった。
例えどれだけ上手な演技だったとしても、その変わり身の速さには多少の違和感があるはずで、こんなにもすんなり受け入れられるはずがない。
すんなり受け入れられすぎて、それこそ違和感だった。
彼女の言動が完全に本心のように、濡れ衣を着せられそうだったのだとわかっている私でさえ、思ってしまう。
それほど異様な感覚だった。
――それこそ、まるで魔術でもかけられているみたいに。
困惑しつつ私の方も合わせるしかあるまいと「……ええと、こちらこそ勘違いさせてしまって、すみませんでした」と返事をする。
シャルロッテは困ったように、そして恥ずかしそうに少し笑みを浮かべた。
それが本性ではないことには気づいているのだけれども、否応なしに彼女の印象をまるで善い人であるかのように揺さぶってくる。
シャルロッテは、しばし周囲の人にも騒ぎを起こして申し訳なかったという旨の謝罪をして回って。
――それから、勘違いをしてしまった天然なご令嬢であるかのような雰囲気を纏って、やや経ったのちに広場から去って行った。
リズメルは少し放心したような状態だったけれども、やがて慌ててシャルロッテの方を追いかける。
二人が居なくなると、ざわついていた群衆もやっとこの事件が終わったであろうことを理解し始めて、それぞれの日常に戻って行った。
このいざこざは、解決したかに思われた。
「……全く、面倒なやつに絡まれましたわね」
二人が完全に広場から出ていったのを眺めたあと、ベラは呆れたように私を見て言った。
少し疲れたようにため息を吐いて、扇子をパチンと畳む。
いつの間にか、笑顔が疲弊に変わっていた。
あの魔術の授業の時と同じように、また彼女に助けてもらってしまった。
ありがたい気持ちと、彼女に助けてもらってばかりで不甲斐ない気持ちが湧き上がってくる。
「ありがとうベラ。私、あのままだったら、また同じように暴走してしまうところだった」
それでもとにかく、まずは彼女に感謝しなければ。
もしあの時、彼女が庇ってくれていなければ、私は魔力が暴走していた。
あるいはそうでなかったとしても、あのままの流れなら犯人に仕立てあげられていただろう。
彼女は私の感謝の言葉を聞くと、眉根を寄せた。
いつものように恥ずかしがるでも嬉しがるでもない。
彼女はため息を吐くと、少し怒ったように口を開いた。
「ええ。沢山感謝してくださるかしら。姉様はもう少しちゃんと相手に言い返すことを覚えるべきですわ!」
その言葉はいつもの面白がった皮肉でも、罵倒でもない。
ベラはいつになく神妙な顔をしてそう言う。
急に怒られて面食らってしまい、私はすぐに何か言おうとしたのだけれど返事が思いつかなかった。
……確かに、彼女の言う通りではある。
私は彼女のようには上手く相手に反論をすることはできないし、黙り込んでしまうことが多い。
けれどそれは、どれだけ悲痛な叫びをあげようとしたって、平坦な声しか出ないからだ。
どうせ、それでは信じられることなどないと思ってしまっているからだ。
そんな私の心を読んだみたいに、彼女は続けて言った。
「姉様にとって感情をさらけ出すのが難しいことなのはわかります!それでも……!諦めて自分の意見を言わないのはおかしいですわ!自分が我慢して事が過ぎればそれでいいと思うのはやめてください!」
危機が去って安心していたのに、冷水を浴びせられたような気持ちになった。
彼女は、どうしてこんなにも怒っているのだろう。
そんなの、今更だ。
私は昔からこうだったじゃないか――なんて気持ちがよぎって。
けれど、彼女が言いたいのはきっとそういうことではないのだろうと思い直す。
いつも彼女に頼りっきりで、自分一人ではまともに意見を出せない。
そんなことの繰り返しで、もしかすると、彼女に愛想を尽かされてしまったのだろうか。
心配になって「ごめんなさい」と言いながら、私はベラの顔を見つめた。
彼女の赤い瞳が、一層燃え上がるように真っ赤に見えた。
けれどもやがて目をそらして。
「それに……エルフィン様、貴方はもっと全力で声をあげるべきでしたわ!」
そう言ってエルのほうを振り返ると、更にムッとした顔で扇子を彼の目の前に突いた。
エルは驚いたように後退りするけれども、彼女はそんなことはお構いなしに口を開く。
「貴方はいつも口だけのヘタレですわね!守りたいなどと、それに無理をさせたくないなどと言いながら、大切な婚約者が濡れ衣を着せられそうなのを前にして、何もできていないではないですか!」
ベラの気迫は相当のもので。
私は咄嗟に、彼女を止めようとした。
そんなことはないと思ったからだ。
エルだって、私を庇おうとしてくれていた。
シャルロッテに反論して、私を守ろうとしてくれていた。
何もできていないわけではなかったはずだ。
けれども、それよりもエルが口を開く方が早かった。
「……ああ、ベラトリーナちゃんの言う通りだ」
彼はそう言うと、申し訳なさそうに、やるせなさそうに。
私に向かって頭を下げた。
「すみません、マーシィ様。僕はまた、何もすることができませんでした……」
違う。
そんなことはない。
私は、そんなことはないと思う。
彼はベラが助けに来てくれる前から、私を信じる発言をしてくれていた。
確かにそれで状況を変えるような力はなかったけれども、私を助けようとしてくれたのもわかる。
何もすることができなかったわけじゃない。
「全然、そんなことは――」
すぐに、そんなふうに言いかけたのだけれども。
ベラに「姉様、エルフィン様を甘やかすのはやめてください」と低い声で遮られた。
「相手のことをどれだけ思っていようとも、行動が伴っていなければ何も考えていないのと同じことですわ!自分の婚約者が濡れ衣を着せられようとしているのなら、失礼だと思われようとも、迷惑をかけようとも、誰になんと思われようとも!なりふり構わず反論するべきです!
一丁前に覚悟を決めたようなフリをして、その実何も具体的なことを成し遂げられない!そんなものでは、姉様を大切に思っているだなんてただの欺瞞ですし、はっきり言って婚約者失格ですわ!」
シャルロッテと対峙していた時よりも、よほどベラの口調は激しくなっていた。
表情は険しくなり、扇子を握る手に力がこもる。
彼女が本気で怒っているのは明白で。
エルは暗い顔をして俯いて、何も言い返すことはなかった。
違う……。
ベラが言いたいことも確かにわかる。
ベラには感謝しているし、彼女の叱責には正しさが大きく含まれている。
けれど……それでも。
……もしもそれをエルが肯定してしまったなら、私はどうすればいいというのだろう。
エルは私のことを考えて行動してくれたと思っている。
ベラの言うことだって正しいかもしれないけれど、婚約者失格だなんて思わなかった。
それでもエルが『その通り。自分は婚約者失格だから、やっぱり婚約解消を提案して正解だった』なんて思い始めたら、私は……。
ベラは、私と彼がヨリを戻すのを協力してくれるのではなかったか。
あるいは、そうだとしても我慢できずに怒りを口にしたのかもしれない。
けれど、エルに対してそんなことを言われるのはこちらだって嫌だった。
「ベラ、もうやめて」
そう声をかけるのが、精一杯だった。
彼女は不機嫌な顔のままに私のほうへ少し顔を向ける。
それからやがて、待ち続けてもエルが何も言い出さないことに、諦めのようなため息を吐いた。
「ええ、そろそろ授業が始まる時間ですもの。こんな男に構っている暇などありません。行きましょう、姉様」
言いながら、彼女は私のほうまで歩いてくると、パシッと私の手を取って、強引に歩き出す。
広場から見える時計台の時刻は、確かにそろそろ授業の始まりそうな時間を指していた。
けれども、私はまだ彼と何もまともな会話を交わしていないのだ。
積極的に話しかけろと言ったのはベラのほうなのに。
協力してくれると言ってくれたのに。
怒りはないけれど、私にも意地がある。
すぐに、ベラの手を振りほどこうとして――
「欺瞞なんかじゃないっ!」
その時、エルの必死な声が背後から響いてきた。
「マーシィ様のことを大切に思っているのは本当です!それで……確かに、僕がヘタレっていうのも本当だとは思います……!」
ベラは歩調を緩めない。
それでも、私はすぐに振り返って彼の顔を見た。
「その……それでも、僕はマーシィ様を幸せにしてあげたい……!その気持ちは確かにあります!だから……だから、僕は……」
勢いに任せて飛び出したそれは、果たして彼の本音だったのだろうか。
それとも、ベラに怒られたのでムキになって反論しようとして、そんな言葉が出ただけだったのだろうか。
彼はそこで言葉に詰まって。
それから口をもごもごとさせると、何か言いたいのに、言えないような。
核心を掴み損ねては霧散していくような、やるせないような表情をする。
ただ、彼は強い意志だけを瞳に宿らせて、振り返った私の顔を見ていた。
前はすぐに目を逸らしたというのに。
今日の彼はずっとそうだ。
何が言いたいのだろう。
何か言おうとしているに決まっている。
それをエルが言えるようになるまで、私はいつまでも待てる。
それなのに、ベラは一瞬立ち止まって冷たい声を響かせた。
「口先だけでそう言うことが何になると言うのです?……本当に大切に思うのなら、幸せにしたいと思うのなら。自分はヘタレだからと諦めるのではなく、自分は相応しくないからと責任を放棄するのでもなく、行動に移さなければならないのではないかしら」
それだけ吐き捨てると、またベラは歩調を速める。
私の手を握る力は強く、エルとどんどん離されていって。
広場を去って、一本の廊下の突き当たりまで辿り着くと、ベラはやっと立ち止まった。
何か言うと思ったけれども、彼女は何も話さない。
ただ、不機嫌な様子で、壁を見つめているだけで。
――私からも、彼女に何か話しかけることはできなかった。




