18 名女優
扇子を大きく仰ぎながら、ベラはこの状況が堪らなく面白いとでも言いたげに高らかに笑った。
そうして、全く物怖じせずに暴走寸前の魔力を纏った私の近くまでずかずかと進んでくる。
「姉様、こんなやつらを相手に何を本気になっているのです。ムカつくのなら今度は本当に池に突き落としてやってもよかったのに」
ベラはニヤニヤした口調のまま耳元で囁いてきて。
私は少しのあいだ、呆気に取られてしまう。
本当に池に突き落とすって、そんなことをしたら今度こそ私が真の悪者になってしまうじゃないか……。
真面目にそこまで考えてから。
なんだか途端に今の状況が馬鹿らしく思えてきて――ゆっくりと、我に帰った。
そうか……。
言われてみれば。
……私は、どうしてあんなにも本気になっていたのだろう。
彼女が割って入ってきた。
ただそれだけのことで。
びっくりするくらいに、私の怒りはさっぱりと消えてしまった。
爆発寸前だった魔力もゆっくりと沈静化していく。
ベラは続けてシャルロッテの目の前まで、すたすたと歩いていった。
丁寧な足取りで近づいていくと、パシッと扇子を勢いよく閉じる。
「な、なんですか!いきなり割り込んできて!私はマーシィ様に話しかけているのですよ!」
シャルロッテがそう声を荒げると、ベラは反論されたことが嬉しいかのように、にこりと笑った。
「先に自分が割り込んだくせに、人の割り込みを許せないとは随分都合の良い性格ですこと!これまでの薄っぺらな人生の中でぶりっ子と泣き真似だけしかしてきていないのが透けて見えましたわね!」
彼女が意地悪な口調で言ってみせると、シャルロッテと、その傍に居たリズメルが同時に顔をしかめた。
すぐにまたシャルロッテが反論するかと思われた。
けれども、それより先に横に立っていたリズメルのほうが1歩前に出る。
ムッとした顔をしてベラを見つめて、それから彼女は口を開いた。
「貴女!シャルロッテ様に失礼ではないですか!さっきから泣き真似などと!本当に傷ついているんですよ!」
リズメルの身長は、ともすればそのあたりの男性の身長は超えているんじゃないかというくらいに大きくて、小柄なベラと並ぶとかなりの威圧感があるように見える。
しかし、そんなことでベラが怯むわけはなかった。
「仮に、本当に泣いているとして、傷ついているとして、それが姉様……いえ、マーシィ様を犯人だと決めつける根拠にはならないでしょう?咄嗟のことでシャルロッテ様が自分で躓いて落ちたのを勘違いしたかもしれないし、マーシィ様が引っ張ったとしても、悪意があってのことではなかったかもしれない。――もしくは、自分からわざと落ちた上で、落とされたと嘘をついている可能性だって、ありますわよね?」
全てを、可能性がある、という言葉で締めたけれども。
ベラは明確に、最後の言葉を強調して言っていて……それだけしか信じていないことは、傍目からでも明確にわかった。
リズメルはその言われ方に更にムキになった様子で、眉間に皺を寄せる。
「こ、根拠ならありますよ!だって私はシャルロッテ様が落とされるところを見ていましたもの!」
声を荒げる彼女に、ベラは冷静に、それでいて楽しそうに言い返した。
「見ていた?貴女は遠くから駆けつけてきたのではなかったかしら。仮に見ていたとしても、あの距離からハッキリとマーシィ様の故意だったかどうかが判断できるだなんて甚だ疑問ですわね?それに、見ていたというのなら私だって見ていましたわ。私は、あれがマーシィ様の故意ではないと断言します」
「そっ、そんなことを言うなら貴女だって、遠くから見てたんですよね!故意かどうかなんてわかんないんじゃないですか!」
リズメルが若干焦ったようにそう言うので、ベラは心底面白そうにククッと喉を鳴らして笑った。
彼女の余裕そうな態度に、何かこの状況を打開する手立てがあるのかと期待してしまう。
けれども、安心してよいのやらわからず、私はハラハラしながらベラの背中を見つめていた。
「もちろん。私だって見間違いかもしれないですわ。ですから貴女の証言も、私の証言も、全くもって信頼性はありません。それに、ここにいる周囲の皆様も、マーシィ様とシャルロッテ様を近くでじっくり見ていたというわけではないでしょう?この中で確実な証言ができるのは、一人だけですわ」
ベラはそこまで言うと。
エルのほうへ刺すように視線を向けた。
確かに、私たちの現場をしっかり近くで見ていた人といえば、エルだけだ。
彼は、突然名指しされたことに若干戸惑っていたようだったけれども……先程言っていたのと同じように、確信を持った言葉で答えてくれた。
「僕は、マーシィ様がシャルロッテ様を池へ落としたようには見えませんでした」
先ほども同じことを言ってくれてはいた。
けれども、さっきは疑いの色が強すぎた中で、彼の言葉をしっかり聞いている人たちは少なくて。
ベラがこの場の雰囲気を一度冷静に戻してくれたことで、周囲の人間も今度は彼の発言にちゃんと耳を傾けている。
「エルフィン様があそこまで言うなら……」
「あの人が嘘をつくとは思えないものね……」
ベラは周囲の反応にニヤリと笑って、リズメルとシャルロッテの方を得意げに見た。
「少なくとも、エルフィン様はこう言っているようですけれど?」
群衆がざわつき口々に何かを呟いている。
しかしそんな中でも、シャルロッテは動じる姿を見せなかった。
被害者である自分が不当な詰められ方をされているというような不満顔を崩すことはなく。
痛いところを突かれたとも思わせない。
ただ、リズメルのほうはかなり狼狽えた様子で弁明を始める。
「え、あ……で、でもでもっ!エルフィン様だって、近くに居たってだけでちゃんと見たかどうかなんてわからないじゃないですか!よそ見していたかもしれないのに!」
リズメルはいよいよ苦い顔をして、苦し紛れというような言い方でそう言った。
……彼女の言うことも、確かに一理はあるのかもしれない。
エルが一番近くに居たからといって、その証言が確実に正しいとは限らない。
が……それを周囲の群衆に信じさせるには、リズメルの言い方はあまりにも、焦って唐突に飛び出したような言い訳のように聞こえすぎていた。
――その時だった。
一瞬。
シャルロッテの目付きが酷く憎悪のこもったものになったのは。
心臓が跳ねて、何度か瞬きをした。
それは、私だけが気づいていたのか、それとも見間違いだったのだろうか。
鋭く刺すように、私ではなく。
リズメルのことを睨んだように見えた。
それなのに、どういうことだろう……。
次の瞬間には、彼女は可哀想な被害者の瞳に戻っていた。
周囲の誰も、気がついている様子はない。
見間違いだったのか、この状況による混乱で、シャルロッテがたまたま悪人顔をしているように見えただけだろうか。
ベラですら、そのことに触れることもなく、まだ威勢よくケラケラと笑っていた。
「あら、少なくとも、この中で一番信憑性の高い証言だろうと思ったのですが、お気に召さなかったかしら。……では、少し角度を変えてさしあげましょう」
ふと、彼女は目を細めて。
……リズメルから、徹底的にボロを出させるつもりなのだろう。
怪しく扇子をぱたぱたと動かしながら、微笑んだ。
「確か、貴女はシャルロッテ様が池へ落ちた時、すぐにタオルを持って駆けつけていましたわね。……あれはまるで、事前に落ちることを知っていて、用意でもしていたみたいだと私は思ってしまったのですけれど」
指摘された瞬間、リズメルの水色の瞳が忙しなく踊った。
彼女はあわあわと動いて、どもりながら「そ、それはそのっ……いや、ええっと……」と言い、頭を抱える。
答えられないのか。
答えられないということはつまり。
実際にどうかはわからないけれど。
少なくとも、傍から見れば図星を突かれてしまったリズメルが、反論を思いつけずにいるように見えた。
きっと、周囲の生徒たちもそうだろう。
「考えてみればあの子、急に出てきたしね……」
場の雰囲気が、リズメルを怪しむものに変わっていく。
ここまでの空気は私への疑いで一色だったのに。
それを、ガラッと変えてしまったベラに、感心を覚えて息を呑んだ。
この従妹は、一体どこからどこまでが計算ずくなのか。
……けれども、そんな状況をシャルロッテが黙って見ているわけもなかった。
「――お言葉ですが。日常的にタオルを持っていることの何がそんなにおかしいのでしょう?この子は武芸学部の生徒だし、昼休みの前にも実技の授業を受けていたはずだわ。汗を拭くためのタオルを持ち歩いていたところで、なんら不思議ではありません」
リズメルを後ろに引かせて、彼女は反論を紡ぐ。
ベラは言い返さなかった。
鼻を鳴らして、様子見するように腕組みをしながらそれを聞いていた。
「それに貴女は、彼女が池に落ちた瞬間を見ていたことに対して疑問を持ったようだけれど、リズメルは私の家に仕える騎士の家系の子で、つまりは私の従者なのです。普段は一緒に行動しているのですから、私を探していて、遠くからたまたまその瞬間を目撃したというのも不思議ではないでしょう?この説明に何か、おかしなことはありますか?」
シャルロッテの瞳は、今では憎悪もなりを潜めて、また被害者然としたものに戻っている。
ただ、急に池に落とされて戸惑っているはずの張本人にしては、やけに理路整然とベラに反論していた。
それを聞いたベラは、これまでより更に大きく口を開いて豪快に笑って見せた。
「そうですわね!ええ……確かにそれなら、タオルを持っていたところで不思議ではないかもしれませんわ!……しかし、あらあら。自分が運動で流した大量の汗を拭いた後であろうタオルで、なんの断りも入れずに主人の身体を拭き始めるかしら?長年連れ添っているにしては、随分気が利かないものですわね」
言われたリズメルは、動揺しながら忙しなく指をいじる。
「えっ、それはあの……焦っていたっていいますか……」
曇った声で、目線を逸らす。
そんなリズメルを咎めるようにして――
シャルロッテはまた一瞬、彼女のことをキッと睨んだように見えて。
次の瞬間にはまた、そんな表情をするはずもないような可哀想な瞳に戻る。
……まただ。
あれは一体、なんなのだろう。
さっきは見間違いかと思った……けれども、二回目であの目つきは本当のものだと確信した。
――もしかすると、あちら側がシャルロッテの本性の部分なのだろうか。
最初は、あんなに嫌味のない愛嬌たっぷりの令嬢に見えたのに。
考え始めるとそんなふうな気がしてしまう。
奥底の部分を垣間見ているように思えて、そうするとなんだか少し怖くなってしまって。
気がつけば、ドレスの裾を掴んでいた。
「リズメルはきっと、私が突然落ちたので冷静な判断ができなかったのでしょう。それに、私だってそれぐらいのことで怒ったりはしませんもの。むしろ彼女は、従者として立派なことをしてくれたのですよ」
シャルロッテは、すぐに明るい声で言い直した。
リズメルを睨んでいたかと思えば、次の瞬間には、褒めている。
一体、このご令嬢はなんなのだろう。
最初は純真そうで、泣き出せば誰もが可哀想にと庇いたくなってしまうくらいの物悲しい表情になって。
けれども、今では刺すように冷たい視線を一瞬だけする。
その落差が、とても不気味に思えた。
シャルロッテは続けて言った。
「貴女は確か……ベラトリーナ様でございましたよね。先程から自分が失礼極まりない言動をしていることに気がついていないのかしら?これではまるで、私が池に落とされたと偽って、マーシィ様に濡れ衣を着せようとしている悪者みたいではないですか!そうやって扇動しようとするのはやめてください!」
彼女は、群衆の同情を誘いやすいような、いかにも悲痛そうな声をあげた。
その声色があまりにも可哀想だというだけで。
とても嘘をついているようには見えないというだけで。
場の流れは一気に五分五分に戻った。
さっきまで、全部ベラが論理で詰めていて、優勢だったのに。
感情に訴えかけるような振る舞いをしただけで、そうなった。
――なんだかその時、わかってしまった気がした。
そうか……。
彼女が私を貶めようとしてきたのは前提として。
周囲の人間を自分の味方につける力が、このシャルロッテというご令嬢は、ものすごく強いのだ。
どうして周囲の人は、彼女のことをこんなにも簡単に信じてしまうのだろう。
濡れ衣をかけられようとしているこの私でさえ。
少しだけ――彼女のことを信じたいという気持ちを宿らされてしまうのは、一体何なのだろう。
それほどまでに、彼女の悲痛な演技は神がかっていた。
このままで、大丈夫なのだろうか……。
私はにわかに不安になってきて「あの、ベラ……」と声をかけ、数歩彼女のほうへ歩み寄った。
けれども、ベラは片手で私に来るなと合図するような動きをする。
それから、扇子を広げて口元を隠すと、急に困り笑いのような表情をして言った。
「おや、シャルロッテ様の方こそ失礼ではありませんこと?私は、マーシィ様の故意ではない、と指摘しただけであって、そんな扇動をしたつもりは毛頭ないのですけれど。むしろこちらこそ、まるで私が貴女を貶めようとしているみたいな決めつけをされると傷つきますわ」
にっこり。
まず、どう考えてもベラは傷ついていない。
それはわかる。
わかりやすいくらいに、それは演技臭いセリフであった。
けれども――そんな切り返しをされたことでシャルロッテはかなり返答に困っている様子だった。
確かに、シャルロッテが悪者だなんてそんなことは、一度もベラは断言はしていない。
ベラは、私の故意ではないだろうと言っただけで。
「どうしてそこまで敏感に、マーシィ様を貶めようとしたように見られるのを嫌がっているのかしら?私は最初から、そんなことは一言も言っていませんのに」
彼女のその言い方は、あまりにも白々しかった。
けれどそれ以上に、シャルロッテの言い分に少しだけ周囲の疑いが向けられていくのがわかった。
目の前の状況に夢中になっていて、唾を飲み込むことさえ忘れていたことに気がつく。
裾を握る力を更に強めながら、私はシャルロッテの様子を伺っていた。
彼女は考え込んだ後に、また反論してくるかに思われた。
しかし――
「……すみません。確かにそうですね。私、少し気が立っていました」
あっさりだった。
その回答は、あまりにもあっさりだった。
自分が劣勢になったと見るや、ころりと認めてしまった。
「……あなたの言う通り、マーシィ様が故意ではなかった可能性だって、もちろん有り得ます。少し大きく騒ぎ立てすぎましたね」
急に柔らかい口調になると、彼女はそう言った。
あまりにあっけない身の引き方に、私は拍子抜けしてしまう。
……さっきまでは私を加害者のように扱っていたじゃないか。
恨みがましい目で見つめてきたじゃないか。
それなのに。
今では、私に対して困ったような表情をして申し訳なさそうに笑うのが、すごく不気味で恐ろしかった。
本当にこれで終わりなのか……?
戸惑っているうち、群衆の警戒はすぐに彼女の柔らかい表情に絆されていった。
少しずつ、一件落着のような空気が流れ始めた。
ベラも得意げな顔になって扇子を振っている。
しかし、それでもなんだか勝ったような気がしない。
私だけが違う場所に取り残されているみたいだった。




