2 氷面の令嬢
シャングルトン伯爵家を去り、メルクロン領へ戻ってきたのち、私は失意を胸に自室のベッドへダイブした。
あまりのショックに、どうやってここまで帰ってきたのかさえ思い出せない。
ただただ悲しくて無念で、この行き場の無い感情をどうにかしようと、シーツに向かって精一杯に叫んでみるが、平たい大声が「うあああああ」と口から飛び出るだけである。
自分で言うのもなんだが、叫び声すら平坦とは一体どういうことなのだろうか。
こういう時、普通の人なら涙でも溢れそうなものだが、この期に及んで一滴すら涙が流れない自分に腹が立ってくる。
ふと彼に「笑顔を見たことがない」なんて言われたのを思い出して、私だって頑張れば笑顔くらい……!と意地を張り、姿見の前に立って精一杯に口角を上げようと試みた。
けれど結果は、うにょんと口が曲がって蛇みたいな曲線を描いただけだった。
なんだこれは!
笑顔を浮かべるより難しいと思うのだが!
何度かの試行錯誤のうち、嫌気が差して私は床にへたり込んだ。
もう、自分でもわけがわからない。
生まれつきの体質なのか、それ以外の何かなのか。
自身ですらそのことを疑問に思っているのだから。
魔術や学術の名門、メルクロン公爵家に生まれた一人娘であるこの私、マーシィ・メルクロンは、生まれつき驚く程に感情が表に出なかった。
「赤ん坊の頃から全く泣かなくてな」と父様には言われたことがあるし、3歳くらいの頃、一緒に中庭で遊んでいた際に派手に転けてしまったのに「あまりに表情を変えないから、てっきり痛みを感じない子かと思ったのよ」と母様にも言われている。
何を呑気なことを。
心の中では泣き叫んでいたし、今でもタンスの角に小指をぶつければのたうち回るぞ。
ほとんど無表情だが。
よく周囲に勘違いされるが、私は感情が無いのではない。もちろん、他の人に比べれば地で感情は薄い方ではあるだろう。
しかし、ちゃんと喜怒哀楽は備わっているし、気分の浮き沈みだってある。
問題なのは、その感情の変化が全くもって自然な形で表に出ないことなのだ。
自分でも不思議なのだけど、怒りが湧いても自然に顔をしかめるようなことができないし、悲しくても涙が出たことというのはこれまでたったの一度だって無かった。
きっと私は他人からすれば、常に冷静沈着で何を考えているかわからない恐ろしい令嬢なのだろう。
今だって、めげずに笑おうとしているけれど、目に光の無い女が鏡の前で口角をウネウネ動かしているだけになっている。
よほど異様な光景だったのかもしれない。
扉をノックして入ってきたメイドも「お嬢様、失礼します。お帰りになられて……」と声をかけてきたので「なに?」と振り返ったら「ヒッ!」と短く悲鳴を上げて部屋を出ていった。
いや、私はお化けか何かか。
自分でツッコんでいて悲しくなる。
でも、自分でもどうすればいいのかわからない。
いても立ってもいられない気持ちはあって、けれどどこにもそのやり場が無くて。
少しして、私は自分の部屋を出ると、感傷に浸る気持ちでお屋敷の庭園へ出た。
小さい頃は、こちらの庭のほうでもよく一緒に遊んだな……。
思い返しながら、鮮やかな花をつけた低木に飾られた道を歩いていく。
そうして、庭園の奥まったほうまで行くと、青いバラの沢山咲いた花畑に辿り着いた。
屈んで、優しく花びらを撫でる。
彼が咲かせてくれた、私の大好きなお花。
触っていると、自然と穏やかな気持ちになる。
けれど、それと同時に僅かに心がチクリと痛む。
――実は、私は無表情であることとは別に、ある負の特性も背負っている。
……私は、生まれつき魔術を使うことが出来ないのだ。
魔術を使えるということは、それだけで貴族としての品位を表し、また権威ともなる。
つまり、貴族でありながら魔術を使えないということは、とても恥ずかしいことであって。
そして、同時にどうしようもないくらいに致命的なことなのだ。
幼い頃から、そのことで散々揶揄され、疎まれてきた。
――そして、対する婚約者のエルフィンは。
私とは、まさに対照的だった。
ものすごく魔術が得意で。
才能がある、天才だ、と周りの大人によく言われていた。
しかも、それでありながら、魔術が得意であることを鼻にかけずに、全くの無能である私を対等に扱ってくれて。
一緒にこの庭に来ると、いつも私の好きなお花――青いバラを、魔術を使って咲かせてくれた。
本当に、優しい人で。
だから――
だからこそ。
私たちは周囲から『釣り合わない』と言われ続けてきたのだと思う。
大好きな青いバラを、私は貼り付けたような無表情で撫で続ける。
……昔から、ずっとこうだった。
エルフィン・シャングルトン。私の婚約者。
私は彼のことをエルと呼んでいる。
癖っ毛感のある金髪に綺麗な青い瞳。
5歳の頃、彼を見て息を呑んだ。
かっこいいとかよりも、それ以上に。
こんな人と一緒に居てもいいのかという恥ずかしさが幼いながらに込み上げた。
その頃からずっと、私は彼のことが好きだったのだ。
それなのに。
私の愛は、彼に伝わっていなかった。
考えてみれば、当たり前だ。
これまでずっと、伝えようという努力をしてこなかったのだから。
ただ好きと伝えるだけのことが、私には恥ずかしくて。
けれどきっと心の中では通じ合っていて、暗黙の了解のように、それを口にしないだけだと思っていた。
そして、それはただの私の妄想だったのだと思い知らされた。
『貴女は、その……。僕のことが好きではないでしょう?』
彼が言っていた言葉をふと脳裏によぎる。
違う。好きなのに。
……大好きなのに。
その言葉をあの時すぐにでも言い返せていたら、何か変わっていたかもしれない。
それなのに、私は何も言えなかった。
花を撫でるのをやめて、私はおもむろに立ち上がると、花畑全体をゆったりと見渡す。
……まだ、三ヶ月ある。
三ヶ月間、頑張って自然な笑顔の練習でもしようか?
……いや、そもそも自然に笑顔が出るようになったとて、彼に信用されるとは限らない。
それに、下手をすれば更に無理をしていると思われる可能性だってある。
もっと現実的な解決方法を……。
そうは思うけれども、闇雲に考えたところで思い浮かびやしない。
そもそもこれは、正面から好きだと伝えて、それで終わるような単純な問題なのか。
どうすれば、彼に婚約破棄されずに済むのだろう……。
この日から、私の苦悩の日々が始まった。
★
いっそ、寝込みを襲うか……?
学園でのお昼休み、食堂で昼食を口に運びながら散々悩みに悩んだ末に、ふとそんな考えに帰結してしまい、すぐにぶんぶんと首を振った。
彼に婚約解消の提案をされてから3日後のことである。
そんなのいいわけがないだろう!
心の中で叫んでいると、私が無表情でぶんぶん首を振っているのを目撃した通りすがりの見知らぬご令嬢が、見てはいけないものを見てしまったかのように怯えた目をしながら通り過ぎていった。
そっちが勝手に見てきたくせに引かないでくれ。
遺憾である。
しかし、真面目に寝込みを襲う以外になにがあるというのか。
私は料理が下手すぎて、エルを見たことがないくらい青い顔にさせてしまったこともあるし、相手に見合う物を贈る才能がとことんないのを実感してきた経験しかないので、プレゼント作戦は却下。
自慢の手作り料理を出した時の彼の困惑した表情が今でも忘れられない。
あんなことになるなら、きちんと味見をするべきだった。
……この際、彼に対して、正直な想いを綴った手紙を送ることも考えた。
けれど、今更私から手紙が送られてきても、彼はしっかりと目を通さないかもしれない。
それに、あの状態から心変わりしてくれるほどの文章を私が書けるとは思えなかった。
そもそも、対面でさえ感情に訴えることもほぼ不可能なのだ。
まともに悲しい顔もできないのにどうしろと。
となれば、やはり寝込みを襲うしかないのでは――
そうやってまた悩み始めた時だった。
私の考え事をバタリと遮断するように、突然甲高い声が耳に響いた。
甲高くて、それでいてお淑やかさを節々に感じさせる口調。
それでいながらも、仕草や目線の一つ一つに悪意を存分に醸し出している。
声をかけられて、私は咄嗟に顔をあげた。
「あら姉様!今日はエルフィン様と一緒ではないのかしら!いつも一緒ですのに珍しいですわね?うふふ、一人ぼっちで可哀想な人ですわ!」
そこにいるのは、伸びやかで輝くような金髪の縦ロールに、燃えるように美しい赤い瞳を持った小柄で華奢なご令嬢。
彼女は悪女のように高らかに笑い、6人がけのテーブルに一人ぼっちで座る私を嘲るように見下ろす。
まるで獲物をあえて殺さずに楽しむいやに賢い肉食動物かのように、扇子をパタパタと動かしながら、面白そうに私をじろりと見るとニヤニヤとした笑みを浮かべる。
またか……と呆れて、私は小さくため息を吐いた。




