16 嫉妬
とはいえ、エルを探そうといってもそんなにすぐに見つかるわけはないだろう。
前は彼が学園でよくいる場所は裏庭だったけれども、今は私を避けたい関係もあって、むしろあそこへ立ち寄ることはないはずだ。
ましてや、寮の部屋にでも戻っていたら絶対に会えないしなあ、なんて思っていたのだけど……。
食堂を出てから、私とベラは思いのほかすぐにエルの姿を見つけることができた。
中庭にある広場は、いつも多くの生徒が集まっていて賑やかだ。
真ん中には小さな池があって、そこを取り囲んで何人かが雑談していることも多い。
今日も広場は賑やかで、その中に彼の姿もあった。
見れば、今度の彼の周囲には寄って集っているご令嬢たちの姿はなかった。
今はたまたま居ないだけだろうか。
……それとも、彼が追い払いでもしたのだろうか。
背中から「ほら、早く行くのです姉様!」というベラの後押しを受けて、私はガチガチに緊張しながら彼の方へ歩いていく。
エルは他に誰かと一緒にいるわけでもなく、池の傍に座り込んで、何かの授業のノートでも整理しているみたいだった。
ものすごく気が乗らない……。
生け花の授業の時は結局かなり気まずい終わり方になってしまったけれど、彼はまた私と会話を交わしてくれるのだろうか。
婚約解消を撤回させる、だなんて、あんな宣言をしたせいで、引かれていたらどうしようかな……。
今すぐにでもやっぱり逃げ出したいけれど、遠くの柱の陰からベラが目を光らせているのを見つけて、無理なのを悟った。
話しかけるしかない。
せめて何か、当たり障りのない話でも……。
ドキドキしながら、私は1歩、また1歩と近づいて行って。
そして「あの、エル――」と声をかけた。
彼は少しの間、ペンを走らせていて、けれど遅れて気がついたようにこちらを見上げる。
目が合った。
すぐに目を逸らされたらどうしよう、今は忙しいからなどと理由をつけて断られたらどうしよう。
彼は、少し驚いたような顔をしていた。
ああ、やっぱり断られるだろうか。
そう思っていたけれども、彼は少し躊躇い混じりながら「……マーシィ様、どうかしましたか」と返事をしてくれた。
彼が、返事をしてくれた。
生け花の授業の時もそうだったが、ただそれだけのことでも嬉しい。
彼と、これから話ができるのだから。
そう思っていた――のだけれど。
「エルフィン様!」
会話にちょうど割り込むようにしてエルの名前を叫ぶ声がどこからか響く。
振り向くとそこには一人のご令嬢が立っていた。
制服に豪奢な飾りをつけた、華やかなご令嬢。
彼女はずかずかとこちらへ歩いてくると、まるで私などこの場に存在しないみたいに私とエルのあいだに横入りしてきて、目の前に立ち塞がってきた。
「すみません!さっきの授業でわからないところがあって!エルフィン様なら詳しいと思ったのでお尋ねしてもよろしいですか?」
ピンクの髪をユラユラと揺らして、そのご令嬢はキラキラした声でエルに尋ねた。
この子は一体、急に現れてなんなのだろう……。
困惑したのはエルのほうも同じだったようで、一瞬、彼女の肩越しに私をちらと見てきた。
それから、彼女に顔を合わせて、少し困ったように言った。
「ああ……ええと、シャルロッテ様ですか。残念ながら、そこに関しては、僕も今悩んでいたところで。……先生に尋ねてみてはどうです?」
それはきっと、やんわりとした断りの意であろう。
けれども、シャルロッテと呼ばれたそのご令嬢は、言われても全くその場から引かなかった。
先生に聞きに行くことはせずに、にこりと笑って。
「あら、そうだったのですね!それじゃあここで、エルフィン様と一緒に考えたいです!」
そう言って、その場にしゃがみ込むと、エルと横並びになる。
……お互いの名前を知っているということは、二人は顔見知りではあるのだろう。
彼女は、彼の友人なのだろうか。
そうだとして……どのくらい親しいのか。
しかし、友人にしてはエルも困惑気味だし、親しさを感じさせるようなやり取りをしているわけでもない。
エルの横に座ってニコニコ笑うシャルロッテを見ていると、胸の奥でちりちりと何かが燻るような感覚が湧き上がった。
きっとエルだって困っているはず。
困った様子なのに、ベタベタするのはおかしい。
何より不思議なのは、私と彼が会話をしていたことはあの状況なら流石に気がついているはずなのに、まるで私が居ないもののように無視されているということだ。
もしかして私は今、この子に嫌がらせをされているのだろうか。
本当に気がついていない可能性もあるかもしれないけれど、反射的にそんなことを思い浮かべてしまう。
混乱しながらも私は少し考えて。
意を決して彼女に「あの……今、私が先に話しかけたのですが」と声をかけてみた。
シャルロッテはすぐに顔を上げる。
……その顔は嫌がらせかと予想していた割には、意外にも愛想の良い笑顔で。
彼女は微笑みを浮かべながら、今この瞬間にやっと私がここに居るのに気がついたみたいに、ハッとして手を叩いた。
「あら、マーシィ様でしたよね?もしかして、エルフィン様に何か用でしたか?」
その顔に、特に嫌悪や蔑みのような感情があるようには見えない。
明るくて、気さくで、愛嬌のある笑顔をしていた。
嫌味っぽさが全く感じられない。
ピュアな子にしか見えないのが。
逆に私の心の中の火種を更に燻ぶらせる。
ただ、次の瞬間に、彼女は信じられない言葉を口にした。
「でしたら申し訳ありませんが、私は今エルフィン様と授業の問題について話し合っていますので、後にしてもらえませんか?」
言われて、私は途方に暮れてしまった。
私が彼の婚約者であることを、きっと知らないわけではないだろうに。
……遠慮もないなんて。
ただの嫉妬による思い込みとはわかっていても、私のほうがエルの隣にいるのに相応しい、なんて言われたみたいな気持ちになってしまう。
胸に重いものがのしかかり、頬が熱くなる。
……こんなもの、前は仕方がないと割り切れていたのに。
複雑な気持ちになるけれど……。
たかだか、一回割り込まれたくらいのこと。
二人の会話を無理やり止めるのも違うかと思って……私は、渋々踵を返そうとした。
また、会話が終わった時にでも話しかければいい。
そんなに長話とも限らないし――
しかし、そう思った時。
不意にエルが口を開いた。
「あの……すみません、シャルロッテ様。僕、先にマーシィ様との話を終わらせたくて。授業の問題はまたあとでわかった時に教えますから」
それを聞いて、面食らってしまう。
彼が、私を避けるでもなくむしろ優先しようとするなんて。
今度は嫉妬とは別の意味で頬が熱くなる。
言われたシャルロッテは、数秒、驚いた顔をしていた。
まるで、自分が拒絶されることなど有り得ないとでも思っていたみたいだった。
少しのあいだ、なんだか暗い顔をして俯いていたけれど。
「……わかりました。ではまた今度、失礼のならない機会に尋ねに来ますね」
すぐに切り替えたように明るい声でそう言って、広げていたノートを閉じる。
そうして顔を上げて、もう一度まじまじと私に目を合わせてきた。
「すみません、マーシィ様。立ち上がるのが大変で。少し、手を貸していただけませんか?」
今度もまた、愛嬌のある笑顔で。
それを見ると、断ることはできなかった。
嫉妬やちょっぴりの苛立ちはある。
それでも、エルの言われてこんなにあっさり引くなんて思っていなかったから。
なんだか、疑っているほうが悪い気がしてしまう。
純真そうなイメージもあるし、それに、悪意だって感じられない。
思い始めると、なんだか彼女に対して嫉妬心を湧き上がらせたのが申し訳なくなってきた。
罪悪感からのささやかな償いで、私は彼女が差し出してきた手を掴む。
そして、ぐい、と引っ張った瞬間。
彼女は大きくバランスを崩した。
前につんのめった体勢になると、彼女は――
バシャッ!と大きな音を立てて池に落ちた。
水しぶきが飛び散って、スカートの裾が少し濡れる。
私はそんなに力を込めていないのに。
まるで。
私に引っ張られて落ちたみたいな――そういう落ち方だった。
にわかに、広場中の視線が私に集まるのがわかった。
少しして、びしょ濡れになったシャルロッテが池から顔を出す。
その顔は悲しみでいっぱいになっている。
彼女は大きな声をあげて言った。
「マーシィ様!どうしてこのようなことをするのですか!?」




