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14 母親への告白

 自分の親にさえ、婚約を解消しろと言われてしまった。

 普通なら驚くのだろう、悲しむのだろう、怒るのだろう。


 けれど今回の私は、自分でも不思議なくらい冷静に「それは、何故でしょうか」と返答していた。

 無意識な返答だった。


 母様は少し憂いを帯びた顔をする。

 俯いて、まるでこれから償いでもするかのように、申し訳なさそうな声で言った。


「……昔から、ずっと気にしていたのよ。メルクロン家は代々、魔術の名門として栄えてきたわ。そんな中で、貴女が産まれた。がっかりした気分になることなんてない。だって、腹を痛めて産んだ子なんですもの。娘を愛さないわけはないわ。……それでも、私たちは貴族で。家を存続させるためにはどうしても、魔術の使える跡継ぎが必要だった」


 母様はどこか悔しそうにため息を吐くと。

 また、恨めしそうに自分の萎えた脚をゆっくり擦った。


「もしも、貴女に弟や妹が居たら、何か変わっていたかしらね……。あるいは、もっと酷かったかしら……。とにかく、その線はすぐに絶たれてしまって。残された道はといえば、分家に継がせるか……もしくは、他の家の男の子を婿養子として迎え入れ、貴女との婚約を無理やり取り付けるしかなくなった」


 唇を噛んでいた。

 それでも母様はなんとか苦笑いを浮かべながら続けていた。


「そんな時、シャングルトン家の方から、縁談を持ちかけられたわ。うちの魔術の才能のある次男を、そちら方のお嬢様と婚約させてくれないだろうかと。そうすれば、あちらはメルクロン家との関係を強化できるし、こちらだって、跡継ぎの問題も解決する。……お父さんも私も焦っていたわ。だから、その提案にすぐに飛びついて。……そして、まだ年端もいかない貴女に了承も得ず、婚約を結ばせてしまった」


 まるで自分の悪事を陳述するかのように、母様はそうやって淡々と言葉を並べた。

 心底申し訳なさそうで、瞳はずっとゆらゆらと揺れ動いていて。


 ……確かに、そうだ。

 私とエルフィンは、まだこれから先、一生一緒に暮らす相手のことについて深く考えることもできないような年齢の時に、無理やり婚約を取り付けられた。

 それは確かに、親のエゴだろう。

 

 ……でも、それと同じように、家名を存続するためにした行動としては立派なものであることも確かなはずだ。

 母様が申し訳ないと思うのもなんだか筋違いのような気がして。


 反論する言葉を探しているうち、母様は少し明るい顔に戻ると、にこりと笑顔を向けてくる。


「でも、マーシィは魔術を使えるようになったわ。もう、エルフィンくんとの婚約もそこまで重要ではなくなった。だからね、マーシィ。貴女はもう、自由に相手を選んでいいのよ」


 母様からすれば、それはまっさらな善意からの言葉なのだろう。

 それから、私への償いの言葉でもあり、そしてある意味では私に手を差し伸べているのだろう。


 ――それでも。

 私にとってそれは、一度与えられた大切な宝物を、没収すると言われているようなものだった。

 

 母様は無理をした笑顔で続けた。


「それに、エルフィンくん、去年なんかは学園の魔術大会で優勝もしていたでしょう。小さい頃からは考えられないくらいの伸び具合で、このままだと宮廷魔術師だって夢じゃない。それは、すごいことだけれど……。でも、魔術を使えない貴女と、魔術を使えるエルフィンくん。二人で保っていた均衡が崩れかねないわ。貴女が魔術を使えるのだと知れば、力を一つの家に集中させるな、と批判してくる貴族だってきっと出てくる。だから、ここが潮時かもしれない」


 均衡……。

 均衡が崩れる……?


 私と彼は、元々釣り合いが取れていないんじゃなかったのか。

 それなのに、均衡がどうとか……。


 言われて、暗い気持ちが胸中に渦巻き始めた。


「――それに、宮廷魔術師の夫はね、仕事ばかりで全然相手にしてくれないわ。当事者の私が言うんだから、間違いないわよ!」


 母様は最後に冗談っぽくそう言って、私の目を見る。

 きっとそれは、私を和ませるためだった。

 けれど、私からすれば、全く笑えない。


 昔から、私はエルフィンと釣り合わないと言われ続けてきた。

 魔術を使えない娘が、あんな優秀な子とどうして婚約を結んでいるのかと、散々蔑まれてきた。

 

 それなのに、魔術を使えるようになったら。

 彼と釣り合うのに、一歩近づいたら。


 均衡が崩れるらしい。

 それはそれで、文句を言われるらしい。


 どう考えても、それはおかしいじゃないか。

 理不尽じゃないか。

 母様を見ながら怒りが湧きそうになったけれども、悪いのは母様ではないからと必死に収める。


 落ち着け……私。

 

 ……魔術を使えるようになったことは、エルフィンとの婚約に有利にならないことなど、最初からわかっていたのだから。


 ――母様が口に出した、1年前の魔術大会。


 あの日、決勝戦でエルを応援していた時の景色をうすらと思い返す。

 

 私の通う学園は国内でもトップの魔術レベルであるから、年に1回、学園の中で魔術の腕の一番を決める大会はとてつもなく注目される。

 毎年、その時ばかりは身分を問わず様々な者が観客席に列挙して、歓声をあげる。


 私はベラと並んで生徒用の観客席に座って彼の試合を見守っていた。


 最終戦。

 エルの相手は三年生で、魔術学部の優秀な生徒であり、学生の身分にして既に魔術の論文を12も書き上げた秀才。

 学園内でも有名な生徒だった。


 対して、エルは一年生で、その時はまだ功績すら上げていない、知る人ぞ知るだけの無名の令息であり。

 通常ならば、エルは絶対に負けるはずだった。

 

 実績からではなく、人間の身体の作りからの観点としてだ。

 15歳と18歳の魔力量には圧倒的な差があるようにできている。


 そして、その年齢帯での魔力量の増加に合わせて、この世の秩序は出来上がっている。

 成長速度に個人差はあるといっても、その3年という差は縮められるわけがないはずのもので。

 

 そんな、誰でも知っている常識からしてみれば、運良く決勝戦まで上がれてきただけであろうこの一年生の令息に、大会で優勝できるだけの実力などあるわけがないと、誰もが思っていた。


 けれど――


 ようやく試合が開始するといったところで、やっと緩みきっていた観客のエンジンにも少しだけ火が灯ったかと思えば。

 それはすぐに業火のごとく燃え上がった。


 エルフィン・シャングルトンは――


 誰に尋ねても、圧倒していたと口を揃えるほど、簡単に優勝を決めてしまった。


 あの時の歓声が、その場にいた全員の光った目が、今でも鮮烈に脳裏に焼き付いている。


 隣にいるベラが「見ました?アイツ、今表彰台に乗ろうとして躓きましたわよ!」と笑う中、私には暗い気持ちがずっと宿っていた。


 私は、彼と一緒にいていいのだろうか。

 やっぱり、釣り合うはずがないのではないだろうか。


 これだけの群衆の胸を熱くし、感動される彼の婚約者に相応しくないのではないだろうか。


 この大勢の中には、きっと王室関係の者もいるだろう。

 彼はものすごい大物になるかもしれない。


 そんな彼の隣に、私の座れる椅子は無いのではないだろうか。


 婚約解消をしようという発想は出なかったにしろ、最初にそう思ったのはきっと、彼ではなくて1年前の私のほうだ。

 彼が大勢の人間に囲まれているのを見て、そこへ駆け寄っていく勇気もでない自分のことが惨めになって。


 それでもエルは、試合が終わって人々の質問攻めから抜け出してくると、私を校庭のあの裏庭に呼び出して、話をしたいと言ってくれた。


 二人でベンチに座ると、気落ちしているのが伝わらないようにと、私はすぐに彼の勇姿を褒める言葉をかけた。


「……あの、おめでとうございます。本当にすごかったです。一瞬で優勝してしまって」


 どうにか言葉を絞り出すと、彼は困ったように笑う。


「ありがとうございます」


 くしゃっと笑顔で言いながら、手元に優勝した証のメダルを持っていた。

 指先でいじっているのを横目で見て。

 流石に、少し感慨深くなったのを憶えている。

 

 祝福したい気持ち自体は本当だった。

 だから、彼が嬉しそうにしているのはこちらとしても嬉しくもあり。

 それでも――やっぱり落ち込むような気持ちが湧き上がって。


 胸中はぐちゃぐちゃになっていて。

 そんな時、ふと横に座っている彼の方を見ると。


 その横顔は、どこか寂しそうだった。

 言いづらそうにしながら、エルはあることを尋ねてきた。


「……その。言っていいのかわからないのですが……。マーシィ様は――本当は僕の優勝が嬉しくないんじゃないですか……?」


 言われて、息が止まりそうになった。

 青い瞳が、こちらを真っ直ぐ見ている。

 

 どうしてそれを言い当てられたのか、当時の私には全くよくわからなかった。

 ただ、驚いて。


 すぐさま誤魔化すように手を振って「……そんなことはないですよ」と答えた。

 その時の驚きや動揺や、切実な想いは全く伝わらず、ただ平坦な声だけが響く。


 もっと強く否定しておいたほうがいいだろうか……。

 

 心の中だけで静かにパニックになっていると、エルはまた穏やかな顔で少し笑った。

 それからメダルをポケットにしまって、ベンチから立ち上がった。

 

「すみません。こんな質問は無粋でしたよね。わかっているんです。……マーシィ様は優しい人ですから、僕を魔術の能力だけでは推し測っていない。そこが、僕は心地良いですよ。能力のことだけで言い寄ってくるよりもずっと」


 彼は物憂げに顔を上げて、夕焼けの方を見る。

 心地良い、という言葉を不意に言われて、私は息を呑んだ。


 彼は何度か瞬きをしたあと、こちらを振り返って続きを言った。


「僕も、貴女を能力では見ていません。だから何か、引け目を感じるところがあったなら遠慮なく言ってください。貴女に頼られて迷惑だなんて思わない。僕は貴女に喜んでいてほしいんです」


 その言葉が、凄く嬉しかった。


 不安を全て消し飛ばしてくれるとまではいかない。

 けれど、釣り合わないのではないか、隣に居てはいけないのではないか、という気持ちを彼が全て抱きしめてくれた気がしたから。


 昔から……ずっと幼い頃から、私が魔術を使えるかどうかなんて、彼は全く気にしていないのだ。

 ただ、私がどう思っているか、どう感じているかをずっと寄り添って気にしてくれていて。


 ――今思えば、彼はあの時からずっと、悩んでいたのかもしれない。


 私が魔術を使えるかどうかも、それで周囲の人間が私とエルの釣り合いを気にすることも、全部関係ない。


 ……いや、本当は少し気にしている。

 気にしている、けれども。

 

 彼が私を能力で見ていないと言ってくれたことと同様に、彼が魔術大会で優勝したことなど、私はどうだってよかった。


 そんなことを抜きにしても大量に余り有るほど、私は彼のことが好きなのだから。


 ――記憶の回廊から、現実へ意識を戻す。


 そして、目の前に居る母様のことを、少しだけ鋭く見据えた。


 母様の言っていることは、きちんと筋道が通っている。

 それでも、私の感情を置き去りにしているのも確かだ。


 最初にエゴで私とエルを婚約させた。

 それでも、私はエルを好きになった。

 それなのに今度は、私と彼を別れさせようと言うのだったら、最初に婚約をさせた時のエゴと何が違うのだろう。


 悪意がないのはわかっている、からこそ。

 しっかりと言わねばならない。


「母様」


 私は愛想良く笑顔を浮かべてくれている母様をじっと見つめて。

 椅子から真っ直ぐ立ち上がった。

 にわかに母様から笑顔が消えて、少し狼狽えた顔になるのがわかる。

 

「お言葉ですが、たとえ母様の意向がそうだとしても。私はエルフィンと別れたくはありません」


 私は、普段より更に平坦で、更に堅くて、鋭さを持たせた口調でそう言った。


 母様は困った顔をして、瞳を震わせていた。

 息を呑んで、少し考えるように目を瞑って。

 

 けれど、それから前のめりになって、神妙な顔で尋ねてきた。


「それは、どうして……?私やお父さんの面子を立てているわけではないでしょうね。それは貴女の心からの言葉かしら」


 先程までは、少し驚いたような様子だったのに、すぐに態度を切り替えて。

 母様は鋭い目つきで私を見ている。

 その質問からは、本気で答えなさい、という無言の圧力を感じた。


 試すような目に怯んではいけないと一層気持ちを強くして、答える。


「もちろん、心からの言葉だと誓います。母様の提案を拒否する理由は、面子を気にしているからではなく、私が……私自身が、エルフィンのことを好いているからです」


 母様は、一瞬なんの反応もしなかった。

 けれど少しして、呆気に取られたように目を見開いた。

 

 大きく息を吸う。


「そう、だったのね……」

 

 安堵の表情とも、申し訳なさそうな表情とも取れるような顔をした。

 母様は身体から力が抜けたかのように、背もたれに身体を預けて。

 少し自嘲気味に笑っていた。


「……ごめんなさい。私、全然気づいてあげられていなかったわ。……それなら、私は貴女に対してずっと酷な提案をしてしまっていたのね。エルフィンくんのこと、好きだったのね……」


 ……酷な提案だったか、と言われればそうだ。

 しかし、そうだとしても……エルとで合わせてくれたのもまた、母様や父様のおかげであり。

 

 母様がそのことで罪悪感を覚えるのは、私には筋違いにしか思えなかった。


「母様、自分を責めないでくださいますか。元より、これは私のわがままでもあるのです。わがまま……だけれども、絶対に譲れない。私は、エルフィンと婚約を結び続けていたいのです」


 言い切った、その途端に少しだけ恥ずかしい気持ちが込み上げてきて。

 けれども、情熱で押し殺す。


 妙に足の裏に力がこもって、背筋が張り詰めた。


 そんな、私の必死さがどこか伝わったのかもしれない。

 母様はくすくすと笑い出して。


「んふふ……そう。……そういうことだったのなら、もう余計な口出しはしません。どんな事情があっても、好きという気持ちは優先したほうがいいもの。……ちゃんとその気持ち、エルフィンくんには伝えているの?」


 ――そう、質問してきた。


 ……それはきっと、母様からすれば何気ない質問だったのだろう。


 けれども、なんだか唐突に図星を突かれたような感覚になって。


 伝えていない。

 伝えていないから、こんな状況になっている。


 私は、僅かのあいだ婚約解消の提案について打ち明けようか逡巡して。

 ……しかし、母様を騙った。


「これから、伝えるつもりです」


 言うと、母様は満足そうに頷いた。


「そう。そういう気持ちは、伝えられる時に伝えられるのが一番だわ。早めに伝えてあげるのよ」


 にこりと笑ってそう言われ、ドキリとする。

 胸が締め付けられるような感覚に襲われて。


 私は自分に言い聞かせるように心の中で唱えた。

 

 ……まだ、遅くないはずだから、大丈夫……。

ここまで読んでくださりありがとうございます!次話からは2章となります!


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