13 メルクロン邸
両親の第一声は一体どんな言葉だろうか。
不安に思いながら馬車に揺られて、気休めに窓の外を見ていても憂鬱だった。
あの生け花の授業から3日後のことである。
私が魔術を使った件で、両親から家へ一度帰ってくるようにと呼び出しの手紙を出され、休日に再度帰省することになったのだ。
胸中は不安でいっぱいで、何か考え事で紛らわせようにも、すぐに生け花の授業の時のことが浮かんでくる。
私は、なんて恥ずかしい宣言をしてしまったのだろうか。
エルは何も返事をしてこなかったし、とにかく狼狽えた様子で、あれ以降授業が終わるまでは気まずくて会話もできるような雰囲気ではなかった。
せっかく、少しだけでも話ができたのに……。
踏み込みすぎただろうか……。
もしかして、更に嫌われた……?
そんなことを想像するとさっきよりも陰鬱な気分になってしまい、俯いて大きくため息を吐く。
すると、それを見た向かいに座るメイドがにわかに顔を強ばらせて、背筋をピンと伸ばした。
私が毒ガスでも吐いたように見えたのだろうか。
同乗しているだけでここまで緊張感を与えてしまうとは、心外である。
私はまた窓の外を見る。
どうやら、雨が降り始めたらしい。
窓に少し水滴がつき始めていた。
★
「マーシィ、お帰りなさい」
メイドに案内されてダイニングホールへ足を踏み入れると、すぐさま母様の穏やかな声が聞こえてくる。
侍女が母様の乗る車椅子を押して、こちらへ歩いてきていた。
「母様、ただいま帰りました」
私も母様の方へ近づいていくとそう言って礼をして、それからそれとなく部屋の中を見回す。
長テーブルのどこにも父様の姿はない。
寮に送られてきた時の手紙は父様からのものだったから、この場に居ないのは少し不思議だった。
「すみません、母様。帰ってきて早々に申し訳ないのですが、父様はいらっしゃらないのですか」
尋ねると、母様は困ったように笑って言う。
「お仕事の都合で、どうしても時間が空けられなかったみたいだわ。いくら宮廷魔術師でも、娘のことにぐらい時間を割けないものかしら」
そうやって、父様を少しだけ皮肉るように悪戯な言い方をすると、母様はにやりと微笑んだ。
それからまた穏やかな声に切り替わると「馬車に揺られて疲れたでしょう。まずは座りなさい。話はそれからのほうがいいわ」と言ってくれる。
母様のそんな穏やかな様子を見て、私は少しだけ拍子抜けしていた。
手紙の文面から感情は把握できなかったけれど、父様も母様も、絶対に怒っていると思っていたからだ。
二人とも優しい人だけれど、今回の件に関しては、16年も経って今更魔術を使った娘に対して問い詰めたいことが沢山あるに違いない。
……そう思っていたから、父様はまだわからないにしても、母様がここまで落ち着いているのは少し意外だった。
私が席につくと、しばし車椅子の車輪の回る音がして、母様は私の向かい側に座る。
間もなくして料理が私たちの前へ運ばれてきた。
母様は「ありがとう、もう大丈夫よ」と礼をして、手伝ってくれた侍女を部屋から退出するよう促す。
そうして部屋の中で二人きりになると、母様は私に向き直って、にこりと微笑んだ。
「それで、マーシィ。学園で魔術を使ったことだけれど……」
来た……。
身構えていたけれど、やっぱり切り出されると緊張が身体に駆け巡る。
気がつけば無意識にピンと背を伸ばしていて。
母様に、どんな重大な話をされるのかと覚悟を決める――が、しかし。
「おめでとう。私としても、すごく嬉しいわ」
母様はそう言うと、にこっと笑った。
私はまた拍子抜けした。
というか、今度は狼狽えた。
「あの、どういうことです。嬉しいとは一体……」
私に祝われるような心当たりは特にないのだけれど……。
疑問に思って尋ねると、母様はむしろ不思議そうな顔をして答えてくる。
「あら?だって、魔術を使えたっていうのはとても喜ばしいことでしょう?マーシィだって、昔は散々使いたいとねだってきたじゃない。そのことで、私もお父さんも随分心を痛めていた。昔はね。だから、貴女が魔術を使ったという手紙が学園から送られてきた時、お父さんと一緒に飛び跳ねて喜んだものだわ。……あ、私は実際には飛び跳ねられないけれどね」
母様はそう自虐すると、カトラリーに手をつけた。
しばし、どちらも話さない時間が続き、ナイフとフォークの金属音だけが部屋に響く。
……言われれば、確かにそうかもしれなかった。
理屈として、理解はできる。
けれど、私はどうしても納得がいかなかった。
これは子供が、特技を隠して持っていたとか、凄技を習得したとか、そういう類の話ではないのだ。
本来ならこれは、メルクロン家の面子に関わる問題であり……私とエルの婚約にもヒビが入るかもしれないことで。
それを、重大なことのように語られないというのは、むしろ私の方が納得いかなかった。
「それは、おかしいです。母様は何故、実は昔から魔術を使えたのを隠していたんじゃないか、と疑わないのですか。もしくは、どうして今更になって魔術を使えるようになったんだ。もっと早く使えるようになっていれば……と、怒ったりしないのですか。どうして私を、もっと問い詰めたりしないのですか」
呑気に食事を始めた母様に対して、私は少し熱を持って尋ねる。
私の、一定の圧を感じさせてしまうような平坦な口調は、この場においてはむしろ最適だった。
しかし、それにしても少し乱暴な尋ね方だったろうか。
心配していると、母様はにわかに真面目な顔つきになり、目を細めた。
「マーシィ、貴女は小さい頃から……私に似て自信がない子ね。娘に対してそんなことをするわけないでしょう。私は、魔術を使ってくれる道具を期待して貴女を産んだわけではないわ」
そう言うと、ナイフとフォークを置いて、ナプキンで口周りを丁寧に拭く。
母様は憂いを帯びた表情をして、私のことを見据えた。
「……昔から、後ろめたく思っていたのよ。貴女を魔術の使えない子として産んでしまって、その上ちょっぴり感情も薄めだった。私は母親だし貴女のことを心から愛しいと思っているけれど、周囲から怖がられている貴女を見ていると、心を痛めていたわ。
その上、貴女を産んだ後、私はこんな身体になってしまって、次の子供も望めなくなって。……貴女1人に、メルクロン家への期待や、跡継ぎの重圧を背負わせてしまったから」
自嘲するようにそう言うと、母様は俯く。
そうして、私を産んでからすぐの事故で、もう十数年使っていない脚を少しさすっていた。
見ていると、こちらも悲しい気分になってくる。
私は別に、母様が私を産んでくれたことを心から感謝しているのに。
「だから、怒ったりなんかしないわ。私は、貴女が魔術を使えたことがとても嬉しいのよ。とっても……嬉しいの」
母様は、しみじみとそう言った。
その言葉には、本心からそう言っているとわかる、重みがあって。
私は納得すると同時に、両親からの想いにどれだけ気づけていなかったかを恥じた。
悲しいような、嬉しいような、不思議な気持ちで、しばらくそれを噛み締める。
しかし、ややあってから。
母様はムッとした顔をして言った。
「ああ、でも一つだけ叱ることがあったわ。学園からの手紙に書いてあったけれど、貴女、魔力暴走を起こして、危うく他の子も巻き込むところだったのでしょう?今回ばかりは初めてで仕方ないところもあるけれど、反省して今度からはこういうことが無いようにするのよ」
……結局、叱られはするのか。
そうは思うけれども、こちらのほうがむしろ不思議と安心してしまう。
ただ祝われるだけでは心の中がモヤモヤしてしまって据わりも悪いから、このほうがいい。
私は「はい……気をつけます」と返事をして、やっとナイフとフォークを手に取った。
――そして、それからしばらくして。
食事が終わって少しの雑談ののちに、母様はまた少しだけ神妙な顔になって切り出してきた。
「……それでね、これはマーシィに伝えておかなければいけないことなのだけれど、学園側から、ちょうど来週末、貴女の魔力を正式に検査させてほしいとお願いされたのよ」
「検査……ですか」
オウム返しに話したけれど、私にはそれが何かわからない。
魔力を検査とは一体、なんなのだろうか?
しかも、学園からのお願い、というのは……。
「具体的には、魔術学の先生と宮廷から魔術師様が一人、学園に遣わされることになったの」
母様が続けてそう答え、私は少しびっくりする。
魔力の検査というのには、わざわざ王室に仕えるほどの魔術師が居なければならないものなのか。
そこまで魔力の検査というのは特別なものなのだろうか。
それか、仮にも公爵令嬢なわけではあるから、立場上の形式的なものだろうか。
どういうことだろうと疑問に思っていると、母様は私の胸中をまるで察したかのように答えてくる。
「別にそれ自体は特別なものではないのよ。普通は、幼い頃、魔術が使えるようになった時点で測定や検査をするものだわ。魔術が使える生徒は、学園に入学する際、その結果を提示してどれくらいの魔力があるか、知らせておくものなの。貴女は最近使えるようになったから、他の人よりちょっとばかし遅いだけ。ただ――」
そうやって、なんてことのないことのように前置きしつつも、母様はため息を吐いて、続きを話した。
「気になるのは……魔術学の先生は貴女の魔力が、通常ではその身に宿すことのできないほど膨大で、特異だと手紙で述べていたことよ。どんな理由かはまだわからないから、詳細に調べる必要がある……と。
……マーシィ、自分の魔術の特徴を知っておくことは重要よ。魔術は感情で操られるもの。使い方を間違えれば、容易に身を滅ぼすわ。だから、真面目に検査を受けてくるのよ」
私の魔力が、膨大で特異……。
それがつまり何を意味するのか、私には全く見当もつかない。
確かに、あの裏庭の惨状から、周囲からこれまでと違う意味での注目を集めたりもして、何かおかしいのだと薄々気づいていたところはある。
例えば、お昼休みに話しかけてきたあのフライスという令息や、生け花の授業での令息たちのように、誰かが寄ってきて話しかけてくることさえこれまでになかった。
ただ魔術を使えたというだけのことでは、あんなことにはならないはず。
だとしたら、私の特異さとは一体なんなのだろう。
「……はい、わかりました」
やや悩んでから私はそう返事をする。
なんにしたって、今考えても答えの出るものではないのだろう。
答えが出るかもしれないとしたら、それは来週の週末だ。
――それで話は終わったかに思われた。
どちらとも食事は終わっていたし、なんとなく区切りのついたような空気だった。
けれども、母様なまだ何か言いたげに私のことを見ていた。
まだ何か重要な話があるのだろうか。
そしてそんな予想に答えるかのように……母様は、どこか言いにくそうにしていた。
目が合って、数秒の間が空いた。
母様はゆっくりと口を開けて。
それから目を一瞬瞑ると、話す。
「……それからね、マーシィ、最後に提案なのだけれど……。これを言うのは、まだ気が早いかもしれない。それでも、跡継ぎの不安は無くなったし、貴女への引け目もちゃんと話すと決めたから……言うわ」
提案……。
引け目とはなんだろうか。
跡継ぎの不安が無くなった、とはどういうことだろうか。
なんだか、ものすごく嫌な予感がした。
提案、という言葉の響きが怖くて。
身構えていれば、私の勘はばっちりと的中してしまったようだった。
「マーシィ……この機会に、エルフィンくんと婚約を解消する……というのは、どうかしら?」




