プール当日
夏空の下、目の前に広がる『サンシャインアクア』の巨大なプール施設は、どこを見渡しても熱気と歓声に包まれていた。
眩しい日差しが水面でキラキラと反射し、波の音と楽しげなBGMが心地よく耳に届く。
「うわぁ……! 悠くん、見て見て! 流れるプール、すごく広いよ!」
紺色のフリル水着に身を包んだ彩花が、子供のように目を輝かせながら俺の手を引いて走ろうとする。
「おい彩花、走ると滑るぞ。落ち着けって」
「だって、すっごく楽しみだったんだもん! ほら、早く行こ!」
無邪気に笑う彩花の姿に、俺は思わず苦笑いを浮かべた。
だが、その背中や細いウエスト、眩しいほどの素肌が視界に入るたび、胸の奥が妙にソワソワして落ち着かない。
いつも学校で制服姿を見慣れているはずなのに、今の彩花はどこか遠い存在のようにも見えて、無意識のうちに緊張してしまっていた。
「はいっ、悠くんの分の浮き輪も借りてきたよ! まずは流れるプールから出発〜!」
「お、おう……」
俺たちは二人並んで流れるプールへと足を踏み入れた。
ひんやりとした水の感触が、夏の暑さを一瞬で吹き飛ばしてくれる。
ゆったりとした水の流れに身を任せながら、プカプカと浮かぶ俺たち。
彩花は大きなピンクの浮き輪に胸を乗せるようにして浮かび、嬉しそうに足をパタパタと動かしていた。
「ねえ悠くん、プールに来たのっていつ以来だっけ? 小学生の時、みんなで市民プールに行った以来かな?」
「俺はそうだなぁ」
「ふふっ、そうだね。でも……今日は二人きりだね」
彩花がふとこちらを向き、水面越しにじっと俺の顔を見つめてくる。
上目遣いに見つめられ、水滴に濡れた長いまつ毛や、ほんのり赤みを帯びた頬が嫌でも目に入り、俺は慌てて視線を前方に逸らした。
「……そうだな」
「あ、照れてる! 悠くん、顔赤くなってない?」
「なってない。日差しが強いだけだ」
「嘘だ〜! 可愛いところあるじゃん」
「うるさい」
クスクスと嬉しそうに笑う彩花。
そんな他愛もないやり取りをしているだけでも、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。
◇
「ねえ悠くん! あっちのウォータースライダー行ってみようよ!」
流れるプールを二周ほど楽しんだ後、彩花が指さしたのは、施設内で一番の目玉である巨大な二人乗りウォータースライダーだった。
高さ二十メートル近くから、暗闇のチューブを一気に滑り降りる迫力満点のアトラクションだ。
「あれ、二人乗りの専用ボートで滑るやつだろ? 彩花、絶叫系大丈夫だったか?」
「悠くんと一緒なら大丈夫! ……それに、二人乗りって楽しそうだし」
最後の言葉を小声で呟きながら、彩花はそっぽを向いた。
長い行列に並ぶこと約二十分。ついに俺たちの順番がやってきた。
「前が彩花で、後ろが悠くんね。しっかり掴まってて!」
「おう」
ゴム製の二人乗りボートの前座席に彩花が乗り、そのすぐ後ろに俺が跨る。
必然的に、俺の両腕で彩花の体を後ろから包み込むような格好になった。
すぐ目の前に彩花の華奢な肩があり、シャンプーと甘い香水の交ざったいい香りがふわりと鼻腔をくすぐる。
「……っ」
「っ……悠くん、しっかり掴まっててね……?」
背中に触れる彩花の温もりと柔らかさに、心臓が跳ね上がる。
彩花の方も緊張しているのか、背中が少しこわばっているのが伝わってきた。
『それじゃあ、カウントダウン行きますよ〜! 3、2、1……ゴー!』
係員の声とともに、ボートが一気に急勾配のチューブへと滑り出した!
「きゃあぁぁぁっ!?」
激しい水飛沫とともに、一気に加速するボート。
暗闇のチューブの中を右へ左へと大きく揺られながら滑り降りていく。
「悠くんっ、怖いっ……!」
「大丈夫だ! 掴まってろ!」
思わず彩花のウエストを強く引き寄せると、彩花も俺の腕にギュッと自分の手を重ねてきた。
水飛沫と疾走感の中、二人の身体がこれ以上ないほど密着する。
暗闇の中で交わす息遣いと、お互いの激しい鼓動が、水音を突き抜けてはっきりと伝わってきていた。
ドッパーン!!
激しい勢いとともにプールへと飛び出し、眩しい日差しの中へと戻ってきた。
「ふはぁっ……! すごかった……!」
呼吸を乱しながら笑う彩花。
俺の手はまだ彩花の腰に回ったままで、二人はプールの中で抱き合うような姿勢になっていた。
「あっ……ごめん」
慌てて手を離そうとすると、彩花は赤くなった顔で首を横に振った。
「ううん……ありがとう、悠くん」
濡れた髪を耳にかけながら微笑む彩花の姿は、息を呑むほど魅力的で、俺はしばらく言葉を失ってしまっていた。
◇
スライダーを終え、少し休憩しようということになり、俺たちはサンシェードのエリアへと向かった。
「私、パラソル下のベンチ確保しておくね! 悠くん、飲み物買ってきてもらってもいい?」
「おう、スポーツドリンクでいいか?」
「うん、ありがとう!」
彩花をベンチに残し、俺は近くの売店へと向かった。
売店には少し列ができており、俺はスポーツドリンクを二本買って戻るのに十分ほどかかってしまった。
(待たせちゃったな……)
冷えたペットボトルを手に彩花のもとへ急ぐ俺。
だが、パラソルの手前に差し掛かったところで、俺は思わず足を止めた。
「ねえ君、一人? これから俺たちとあっちの波のプールで遊ばない?」
「連絡先教えてよ。この後メシでも行こうよ」
チャラけた雰囲気を纏った大学生くらいの男二人組が、ベンチに座る彩花を囲むようにしてしつこく話しかけていた。
「あの……すみません、私、一緒にお友達が来てるので……」
彩花はあからさまに困惑した表情で、体を縮こまらせている。
胸の奥で、カッと熱いものが込み上げるのを感じた。
(おいおい、ナンパかよ、、、)
俺が助けに入ろうと一歩踏み出した、その時だった。
「キャー! ねえねえ、そこのお兄さんカッコよくない!?」
「本当だ! スタイルめっちゃいい〜! お兄さん、一人〜?」
横から派手な水着を着た女子高生グループがやってきて、なんと俺の腕を両側から掴んできたのだ。
「っ……!?」
「ねえねえ、これから一緒に遊ぼうよ! インスタ交換しよ?」
「いや、俺は連れが——」
まさかの逆ナンに捕まり、身動きが取れなくなる俺。
慌てて振り払おうとするが、女子グループはしつこく腕に絡みついてくる。
そしてその光景が、ナンパされていた彩花の目にも入ってしまった。
「悠くん……!?」
彩花が目を見開き、こちらを見る。
男たちからナンパされている彩花と、女子グループに絡まれている俺。
一瞬、静寂が二人を包んだ。
(クソッ……こんなところでモタモタしてる場合じゃない)
「すみません、連れが困ってるんで!」
俺は強引に女子グループの手を振り払い、大きな足取りで彩花のもとへと駆け寄った。
「ちょっとお兄さん!? 待ってよ〜!」
背しろからの声を無視し、俺は彩花と男二人の間に割り込むようにして立った。
男たちを鋭い視線で睨みつける。
「……何か用ですか? 俺の連れなんですけど」
「チッ……なんだよ、彼氏気取りかよ」
「なんだ男連れか、シラけるわ」
俺の圧に押されたのか、男二人は舌打ちをしながら捨て台詞を残して去っていった。
同時に、俺を追いかけてきそうだった女子グループも、気まずそうに別の場所へと散っていく。
「ふぅ……」
男たちの背中が見えなくなったのを確認し、俺は安堵の息を吐いた。
そして、ベンチで固まっている彩花へと振り返る。
「彩花、大丈夫だったか? 遅くなって悪かった」
「あ……うん。大丈夫……」
彩花は小さく頷いたものの、どこかぎこちない表情でうつむいていた。
俺は冷えたスポーツドリンクを一本、彩花に差し出す。
「ほら、飲めよ」
「……ありがとう」
スポーツドリンクを受け取り、ちびちびと口をつける彩花。
パラソルの下、どこか気まずい沈黙が流れた。
「……ねえ、悠くん」
「ん?」
沈黙を破ったのは彩花だった。
膝の上でギュッと拳を握りしめながら、彩花が不安そうな目で俺を見上げてくる。
「さっきの女の子たち……悠くんのこと、カッコいいって言ってたね」
「は? あんなのただのノリだろ。興味ないよ」
「でも……悠くん、背も高いし……私服もカッコいいし……プールでもすごく目立ってたよ。私、見てたんだから……」
彩花の声が、少しずつ小さく震えていく。
「私……すごく嫌だった」
「え……?」
「悠くんが他の男の人にナンパされてる私を助けてくれたのは嬉しかったけど……悠くんが他の女の子たちに囲まれてるの見た時……胸がすごくキュッてなって……すごく嫌だったの……!」
ポロポロと涙がこぼれ落ちそうになるのを必死に堪えながら、彩花は俺のサーフパンツの端をギュッと掴んできた。
「私ね……今日のために、悠くんに『可愛い』って思ってもらいたくて、一生懸命水着選んだんだよ……? なのに……男の人に話しかけられて、悠くんにも心配かけて……他の女の子に見とれられちゃって……なんだか全部、うまくいかなくて……っ」
自分の不甲斐なさと、嫉妬のような感情に乱されている彩花。
その健気で素直すぎる想いが痛いほど伝わってきて、俺の胸は激しく打たれた。
(他の女の子に見とれてたわけでも、忘れてたわけでもない……)
俺は深く息を吐き出すと、彩花の前に屈み込み、目線を合わせた。
「彩花」
「……なに?」
「俺が他の女子に見とれるわけないだろ。さっき売店から戻ってきた時も……周りの男どもがお前のこと見てて、焦って走ってきたんだよ」
「え……?」
驚いたように目を見開く彩花。
俺は少し恥ずかしさを感じながらも、ハッキリと自分の言葉で伝えた。
「お前が今日のために水着選んでくれたのも、めちゃくちゃ似合ってるのも……ちゃんと分かってる。さっきからずっと、眩しすぎて直視できないくらいだ」
「悠……くん……」
「だから、他の女子なんてどうでもいい。今日、俺が一緒にいたいのは……彩花だけだから」
「〜〜〜〜っっっ!?」
彩花の顔が、一瞬で真っ赤に染まった。
耳の先までリンゴのように赤くなり、大きな目をさらに大きくして俺を見つめている。
「そ、それって……っ!」
「……へ、変な意味じゃないぞ! 幼馴染として、今日は二人で遊びに来たんだから、他の奴らに邪魔されたくないって意味だ!」
自分の言ったセリフの青くささに気づき、慌てて補足する俺。
だが、彩花はさっきまでの落ち込みが嘘だったかのように、パぁっと満面の笑みを浮かべた。
「ふふっ……あはは! 悠くんってば、また照れてる〜!」
「笑うな! 真面目に言ったのに……」
「ううん、嬉しい! すっごく嬉しいよ、悠くん!」
彩花は立ち上がると、俺の腕にギュッと自分の両腕を絡めてきた。
水着越しの柔らかい感触と温もりが直接伝わってきて、今度は俺の顔が熱くなる。
「ちょっと彩花、近いって……!」
「いいの! 私、悠くんの『特別な一人』なんだもんね? もう絶対に離れないんだから!」
「誰もそんなこと言ってねぇだろ……」
「言ってたも同然です〜! ほら、次はあっちの波のプール行こ!」
「あ、おい、引っ張るな……!」
嬉しそうに俺の腕を抱きしめたまま歩き出す彩花。
周囲からの「なんだあのカップル」という羨望と嫉妬の視線が突き刺さるが、今の彩花には一切届いていないようだった。




