夏休みの始まり
【第21話:ぐうたらな夏休みと、明日への高鳴り】
期末テストの返却も終わり、校庭のセミの声が一段と高く響き渡る季節——ついに待ちに待った夏休みが始まった。
夏休みの初日。
ジリジリと照りつける太陽とは裏腹に、翡翠家のリビングはエアコンが効いていて天国のように涼しい。
俺はリビングのソファに深く腰掛け、完全に脱力した状態でテレビのバラエティ番組を流し見していた。
「……はぁ、天国だ」
「ん……お兄ちゃん、冷たい……」
俺の膝の上には、部屋着のショートパンツ姿で丸くなった楓が頭を乗せている。
まるで懐いた猫のようにすっぽりと収まり、アイスキャンディーを咥えながらフニャッとした顔でエアコンの風を浴びていた。
「楓、重いぞ。そこどけ」
「やだ。ここが私の特等席だもん。動かない」
「特等席ってなんだよ……」
文句を言いながらも追い払う気にもなれず、頭を撫でてやると、楓は「ふふー」と満足そうに目を細めた。
テスト勉強の喧騒が嘘のような、実にぐうたらで平和な夏休み初日である。
そんなだらけた空気の中、俺のスマホがブブッと振動した。
画面を開くと、彩花からのメッセージが届いている。
『悠くん! 明日はいよいよ約束のプールだからね! 遅刻したら怒るから!』
語尾にウインクしたスタンプが添えられていた。
明日は期末テストで1位を取った彩花へのご褒美——約束のプールの日だ。
画面を見つめながら独りごちていると、膝の上の楓がジッと俺の顔を見上げてきた。
「……お兄ちゃん、だれ?」
「彩花だ。明日、プール行く約束してるから」
「……彩花お姉ちゃんと?」
「おう」
楓は少しだけ口を尖らせると、ぎゅっと俺の服の裾を引っ張った。
「……いいなぁ。楓も行きたい」
「今回は彩花がテスト1位取ったご褒美だからな。今度楓ともどこか行ってやるよ」
「本当!? 約束だよ!!」
「ああ、約束だ」
頭をぽんぽんと叩いてやると、楓は機嫌を直したように「えへへ」と笑い、再び俺の膝に顔をうずめた。
◇
そして翌日。
昨日までのぐうたらな時間から一転、俺は待ち合わせ場所である駅前の噴水広場に立っていた。
日陰でスマホを眺めながら待っていると、後ろからパタパタと軽やかな足音が近づいてくる。
「悠くん、お待たせ! ごめんね、遅くなっちゃった?」
声をかけてきた彩花の姿に、俺は思わず視線を止めた。
白いノースリーブのワンピースに麦わら帽子を合わせた彩花。
いつも学校で見慣れている制服姿とは違い、私服姿の彩花はどこか大人っぽくて、眩しい日差しも手伝って一瞬目が惹きつけられてしまう。
「いや、俺も今着いたところだから大丈夫だ。全然待ってないよ」
「そっか、よかった! ……えへへ、今日の私服……どうかな? ヘンじゃない?」
「……別に変じゃないよ。普通に似合ってる」
「〜〜っ! もう、相変わらず一言多いんだから……」
照れくさそうに麦わら帽子のツバをぐっと引っ張り、顔を隠す彩花。
だが、その隙間から覗く耳の先がほんのり朱色に染まっているのを、俺は見逃さなかった。
「ふふ、それじゃあ行こっか! バス、もうすぐ来ちゃうし!」
「おう、行こう」
バスに揺られること十数分。
俺たちが到着したのは、今年新しくオープンした大型レジャープール『サンシャインアクア』だった。
巨大なウォータースライダーや流れるプールなどが備わった施設で、入り口周辺は夏休みを楽しみにきた人々で賑わっている。
入場チケットを買い、それぞれの更衣室へと向かう。
「じゃあ悠くん、後でね! 先に行っても逃げちゃダメだからね!」
「逃げないって。プール前で待ってるよ」
軽やかなステップで女子更衣室へ消えていく彩花を見送り、俺も男子更衣室でサーフパンツに着替えた。
◇
更衣室を出て、日差しが照りつけるプールサイドで待つこと数分。
「悠くん……! お待たせ!」
声がした方へ振り返った瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
そこに立っていたのは、事前に自分で選んで買ってきたという、新しい水着に身を包んだ彩花だった。
深い紺色を基調としたフリル付きのセパレートタイプの水着。
派手すぎず上品なデザインでありながら、すっきりと伸びた白い脚やくびれたウエストラインが健康的に強調されている。
いつもは見えない華奢な肩や鎖骨のラインが眩しく、直視するのが躊躇われるほどだった。
「……悠くん? あの……どう、かな……? やっぱり、変……?」
俺が無言で視線を逸らしてしまったため、彩花は不安そうに自分の水着の裾をキュッと握りしめる。
俺は慌てて咳払いをし、目を合わせないようにしながら口を開いた。
「……変なわけないだろ。ちゃんと似合ってるよ」
「っ……ほんと……? よかったぁ……!」
素っ気なく返したつもりだったが、彩花は安心したようにパぁっと花が咲くような笑顔を見せた。
「ふふっ、悠くんを驚かせようと思って、この日のために新しく買っておいたんだ〜! 似合ってるって言ってもらえて嬉しいな」
嬉しそうに胸を張る彩花。
だが、周囲の男性客からの視線がちらほら彩花に集まっているのに気づき、俺は視線を遮るように彩花の前へ一歩踏み出した。
「……目立つから、あんまりウロウロするなよ」
「え? ふふっ、もしかして……心配してくれてるの?」
「いいから行くぞ。ほら」
「あ、待ってよ悠くん〜!」
少し歩調を早める俺の後ろを、彩花が嬉しそうに追いかけてくる。
期末テスト1位のご褒美——二人だけの特別なプールデートが、いよいよ幕を開けた。




