お姉ちゃんはおしまい
文化祭の最後を飾る後夜祭。
薄暗くなったグランドの中央には大きなファイヤープリットが用意され、赤々と燃え上がるキャンプファイヤーの炎が夜空を温かく照らしていた。
軽快な音楽が流れる中、生徒たちが輪になって笑い合い、祭りの終わりを惜しむように思い思いに踊っている。
「ふいーっ! 後夜祭の進行も順調! これで本当に、今年の文化祭は終了だね〜!」
ファイヤープリットから少し離れた本部テントの前で、菜奈さんが大きく両手を広げて背伸びをした。
朝からの立ち仕事で疲弊しているはずなのに、その瞳には達成感と溢れんばかりの充実感が宿っている。
「本当にお疲れ様でした、菜奈さん。大成功でしたね」
「うん! 悠くんがいてくれたおかげだよ。本当の本当に、感謝してるんだから!」
「お姉ちゃん、どさくさに紛れてまた悠くんに引っ付かないでよー!」
後片付けを終えた彩花が、走って俺たちの元へと駆け寄ってきた。
彩花は自然な動作で俺の右腕に自分の腕を絡めると、少しだけ自慢げに菜奈さんを見つめる。
「今日の後半は、悠くんと二人でたっぷりデートしたんだからね! お姉ちゃんだけズルいのはナシ!」
「も〜っ、彩花ったら素直じゃないんだから! 私だって悠くんにお礼のハグくらいしたいのに〜!」
「だーめ! 悠くんは渡さない!」
顔を真っ赤にしながら俺の腕を強く抱きしめる彩花と、それを見てくすくすと楽しそうに笑う菜奈さん。いつもの賑やかなやり取りに、俺は呆れつつも胸の奥が温かくなるのを感じていた。
その時、スピーカーから流れる曲調ががらりと変わった。
アップテンポなナンバーから、ゆったりとした美しいヴァイオリンとピアノの旋律——ワルツの楽曲へと移り変わる。
「あ、この曲……!」
彩花が目を輝かせた。
「後夜祭のラストダンス! ねえ悠くん、踊ろうよ!」
「えっ、踊るって言われても俺、ダンスなんて——」
「大丈夫、フォークダンスみたいな簡単なステップだから! ほらっ!」
戸惑う俺の手を引いて、彩花はファイヤープリットの光が届く円陣の中へと連れ出した。
周りの生徒たちも、楽しそうにペアを作ってステップを踏み始めている。
「こうやって手を繋いで……はい、ワン・ツー・スリー、ワン・ツー・スリー!」
彩花の手を取り、炎の揺らめきの中でステップを踏む。
社交ダンスのように向かい合い、手を重ねてゆっくりと回る。目の前で揺れる彩花の笑顔、光を反射して輝く瞳。
「ふふ、悠くん意外と筋がいいよ!」
「彩花がリードしてくれてるからだろ……」
「だって、悠くんと踊るの、ずっと楽しみにしてたんだもん」
彩花は嬉しそうに目を細めると、ぎゅっと握る手に力を込めた。
「今日は最高の文化祭だったね。……私にとっても、忘れられない一日になったよ」
「……あぁ、そうだな」
曲の途中でパートナーを交替するフォークダンスの流儀に倣い、隣のペアへと滑り込むように身体が入れ替わる。
次に俺の手を取ったのは——琥珀色の髪を揺らす、菜奈さんだった。
「はいっ、交替〜! 悠くん、次は私ね!」
「菜奈さん……っ」
菜奈さんは慣れた手つきで俺の手を包み込むと、優雅で洗練されたステップを踏み始めた。
先ほどまでのポンコツな姿が嘘のように、背筋をピシッと伸ばしたその立ち姿は、まるで本物のパーティードレスを纏った貴婦人のように美しかった。
「へへ、驚いた? 私、少しだけ社交ダンス習ってたんだ〜」
「なるほど、道理で上手なわけですね……俺が足を踏みそうで怖いです」
「大丈夫、悠くんの動きに合わせてあげるから。……私に身を委ねて?」
耳元で囁かれる甘い声に、心臓が跳ね上がる。
ファイヤープリットの赤い炎が菜奈さんの横顔を照らし出し、その瞳に妖艶な光を宿していた。
しばらく無言で、旋律に合わせてゆっくりとステップを踏み続ける。
二人だけの世界に入り込んだかのような、静かで、けれど濃厚な時間が流れていく。
やがて、曲が終盤に差し掛かった時。
菜奈さんがふっと優しく目を細め、俺の顔をじっと見つめてきた。
「そういえば、悠くん」
「はい?」
「私のこと、『菜奈お姉ちゃん』って呼んでないでしょ?」
「……っ」
不意を突かれた問いかけに、俺の手が一瞬止まりかけた。
菜奈さんはそれを優しくフォローするようにステップを続けながら、小悪魔的な笑みを浮かべる。
「『菜奈さん』とか『会長』とか……」
「……」
「ふふ。わたし、気付いてたんだからね?」
隠し事を暴かれた子どものように、俺は気まずく視線を泳がせた。
まだ罰ゲームの事を覚えていたとは……。幼馴染の姉である彼女を、菜奈お姉ちゃんと呼ぶのはどうしても、どこか気恥ずかしさと抵抗があったのだ。
「……ごめんなさい」
小さく謝る俺を見て、菜奈さんは嬉しそうにくすくすと笑った。
「別にいいよ。悠くんには今回、色々助けてもらったからね。……それにね」
菜奈さんはステップを止めると、俺の手を両手で包み込み、ぐっと身体を寄せてきた。
顔と顔が、息が触れ合うほどの距離に近づく。
「……え?」
菜奈さんの唇が俺の耳元に近づき、誰にも聞こえないような、けれど甘くはっきりとした声で囁いた。
「私、もう悠くんのお姉ちゃんになりたい訳じゃなくなったから」
「……っ!?」
心臓が肋骨を突き破らんばかりに激しく打ち鳴らされる。
固まる俺の反応を楽しむように、菜奈さんは少し顔を離すと、今まで見たこともないような、あまりにも魅惑的で攻めた笑みを浮かべた。
「彩花には悪いけど——悠くんには、私の旦那さんになってもらうね!」
「〜〜〜〜〜っ!?」
爆弾のような言葉が、俺の脳内を直撃した。
だ、旦那さん!? 今、このポンコツ生徒会長はなんて言った……!?
「ふふっ! 覚悟しておいてね、悠くん!」
言葉の意味を処理しきれずに呆然と立ち尽くす俺を残して、曲の終了とともに菜奈さんはパッと手を離し、軽やかにくるりと一回転してみせた。
「ちょっとお姉ちゃん!! 最後になに悠くんにコソコソ耳打ちしてんの!!」
曲が終わると同時に、異変を察知した彩花が怒とうの勢いで割り込んできた。
「え〜? なんのことかな〜? 内緒だよ〜だっ!」
「あ! ズルい! 絶対に変なこと言ったでしょ! 悠くん、顔が真っ赤だよ!?」
「あ、いや……これは……」
「ほーら、悠くんが困ってるじゃん! お姉ちゃん、生徒会長だからって調子に乗りすぎ!」
「ふふん! これからは『柏村菜奈』としてアタックするって決めたんだもんね〜!」
「なっ……! 宣戦布告のつもり!?」
夜空に打ち上がったフィナーレの大きな花火。
その光に照らされる中で、バチバチと火花を散らす美人姉妹。
完璧な仮面を脱ぎ捨てて本気になった菜奈さんと、独占欲を爆発させる彩花。
二人の美少女ヒロインに挟まれた俺の「平穏な日常」は、文化祭の終わりとともに完全に崩壊し、新たな波乱の日常へと突き進んでいくのだった。




