完璧なお姉ちゃん
「彩花……? なんでここに……」
呆然と立ち尽くす菜奈さんの前に、彩花は荒い息を吐きながら仁王立ちした。
肩口や前髪から雨滴がぽたぽたと床に落ち、水たまりを作っていく。
「軽音部の部長さんから連絡があったの! 明日使うはずだった音響機材が届かないかもしれなくて、生徒会室で大問題になってるって! お姉ちゃんが一人でパニックになって電話しまくってるって!!」
「っ……!」
理由を聞いた菜奈さんが息を呑む。
文化祭のメインステージである体育館を使う軽音部。その部長が異様な空気を感じ取り、生徒会長の妹である彩花に助けを求めて連絡を入れたのだ。
「生徒会室の外まで声は聞こえてたよ! みんな心配になってるんだから少し落ち着いて!!」
「これは私が確認を怠ったのが原因で、生徒会長として責任を持って処理しようと——」
「責任って何!? 一人で倒れるまで電話をかけ続けるのが責任なの!?」
彩花の怒声が生徒会室に響き渡る。
いつも明るく朗らかな彩花が、見たこともないような強い眼差しで実の姉を睨みつけていた。
「私、知ってるんだから! お姉ちゃんが毎日遅くまで残って、缶コーヒー何本も飲んで、家でもずっと書類と睨めっこしてたこと! 『大丈夫だから』って笑いながら、全然大丈夫じゃない顔をしてたことくらい、私にだって分かってたよ!!」
「それは……みんなに迷惑をかけたくなかったから……! 私だって、完璧な生徒会長として——」
「完璧なんて誰も頼んでないよ!!」
彩花の声が、悲痛に裏返った。
「私が誇りに思ってるのは『完璧な生徒会長の柏村菜奈』じゃないよ! ドジで、ポンコツで、家ではだらしなくて……でも誰よりも優しくて、一生懸命な『私のお姉ちゃん』だよ!!」
「……っ」
「どうしてみんなを頼ってくれないの!? なんで悠くんや霧島先輩や私に『助けて』って言えないの!? 一人で全部抱え込んで……壊れちゃったら、文化祭が成功したって私はちっとも嬉しくないよ!!」
彩花の目から、ポロポロと大きな涙が溢れ出す。
それは怒りではなく、大好きな姉を心から心配する妹の、痛切な心の叫びだった。
その言葉を受けた菜奈さんは、まるで糸が切れた人形のように硬直した。
「あ……」
張り詰めていた緊張。
全校生徒の期待に応えなければならないという呪縛。
『完璧な生徒会長』を演じ続けることで保っていたプライド。
そのすべてが、最愛の妹の涙によって、ガラガラと崩れ去っていく。
「私……私、だって……っ」
菜奈さんの目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「本当は……すっごく怖かったよ……っ! 自分のミスでみんなの文化祭を台無しにしちゃったらどうしようって……っ! みんなに失望されたらどうしようって……! もう、どうしたらいいか分からないよぉ……っ!!」
ドサリ、と菜奈さんはその場に膝をついた。
両手で顔を覆い、子どものように声を上げて泣きじゃくる。
そこにはもう、完璧な生徒会長の仮面などなかった。
ただの、限界を迎えて崩れ落ちた一人の少女の姿だけがあった。
「お姉ちゃん……」
彩花が駆け寄り、泣きじゃくる菜奈さんの肩を優しく抱きしめる。
しとしとと打ち付ける雨音の中、生徒会室には姉妹の泣き声だけが響いていた。
俺は二人から少し離れた場所で、静かにカバンを持ち直した。
これで、彼女を縛り付けていた呪縛は解けた。あとは——
(……やれやれ。陰キャの俺が表舞台に出るなんて、柄じゃないんだけどな)
俺はポケットからスマホを取り出し、ある『人物』の連絡先画面を開いた。
この絶望的な状況を覆すための、唯一の起死回生の手札を打つために。




