荒れる生徒会長
「……そこをなんとかお願いできませんでしょうか!? 機材の搬入だけでも、いえ、オペレーターなしで機材をお借りできるだけでも構いません! どうか、どうか……っ!」
静まり返った生徒会室に、菜奈さんの切羽詰まった声が虚しく響き渡る。
トラブルが発覚してから、すでに二時間が経過していた。
放課後の賑やかさはとっくに消え去り、窓の外はいつの間にか土砂降りの雨が降り始めている。窓ガラスを打ち付ける荒々しい雨音が、室内の重苦しい沈黙をさらに際立たせていた。
菜奈さんはスマホを両手で強く握りしめ、何度も、何度も頭を下げていた。
電話越しの相手には彼女の姿など見えるはずもないのに、まるでそうして謝罪の姿勢を保ち続けなければ、今にも膝から崩れ落ちてしまいそうなほど、その背中は小さく、痛々しく震えていた。
「……そうですか。急な無理を申し上げてしまい、本当にすみませんでした。お時間をお取りして申し訳ありません。失礼いたします」
カチャリ、と静かに受話器が戻される。
これで一体、何件目の断りだろうか。
近隣の音響専門業者、イベント設営会社、周辺の高校の生徒会、果ては近隣の市民ホールやライブハウスの備品管理室に至るまで。手当たり次第に受話器を握り締め、頭を下げ続けてかけた電話は、そのすべてが「前日での対応は物理的に不可能」という冷酷な現実で突っぱねられていた。
「菜奈……もうやめましょう。今から全校生徒に向けて状況の報告と謝罪文を出して、体育館のステージはアンプ直繋ぎの簡易音響で切り抜けるよう各団体に説明して——」
見かねた霧島先輩が、限界を迎えている菜奈さんの肩にそっと手を置こうとする。
「ダメよ!!」
菜奈さんが弾かれたように声を張り上げた。
その凄まじい気迫と悲痛な叫びに、部屋の隅に控えていた各学年の実行委員たちが息を呑む。
「有志バンドも、ダンス部も、演劇部も……みんなこの文化祭のために何ヶ月も前から放課後を潰して練習してきたのよ!? それを体育館のショボいマイクとスピーカーひとつで『はい終わり』なんて……そんなの絶対に許されないわ! 私の……私の確認不足という初歩的なミスのせいなんだから、私がなんとかしなきゃいけないの!」
菜奈さんの瞳は血走り、肩は激しく上下していた。呼吸は浅く、途切れ途切れだ。
全校生徒が憧れる、あの隙のない『完璧な生徒会長』の仮面。
それが今、内側から溢れ出す焦燥と過呼吸によって、ガラガラと音を立てて内砕しようとしていた。
「菜奈さん、一度落ち着いてください」
俺は一歩、前へ出た。
「もうやめましょう。今夜奇跡的に業者が見つかったとしても、搬入と設営は明日の早朝です。今から徹夜で交渉を続けて、明日の本番を菜奈さんが倒れた状態で迎えたら、それこそ文化祭全体が破綻します」
「大丈夫だから! 悠くんは黙ってて!」
菜奈さんが叫ぶ。俺に向けられたその言葉には、今まで彼女が見せたことのないような、剥き出しの鋭利な拒絶が籠もっていた。
「私は生徒会長なの! 全校生徒の期待に応えなきゃいけないの!」
それは、誇り高さゆえの拒絶ではなく、あまりにも痛々しい悲痛な叫びだった。
彼女が戦っていたのは、目の前にある音響機材の手配という問題だけではない。
「全校生徒の理想の生徒会長」であり続けなければならないという、自分自身でかけ続けた呪縛。誰にも弱みを見せられず、限界を超えて自分を追い詰め続けることでしか保つことのできない、あまりにも脆く肥大化した責任感。
「……大丈夫じゃないよ」
俺は淡々と、冷めきった声で言い放った。
自分でも冷酷すぎる言い方だと思った。だが、これが俺にできる精一杯の静止だった。
「俺は菜奈さんに頼まれて補佐としてここに来たんです。菜奈さんがここで倒れたら、罪悪感で俺は彩花に顔向けできなるなります。……俺の平穏な高校生活のために、ここで無理をして倒れられては困るんです」
「……っ」
菜奈さんが息を詰まらせ、言葉を失ったまま俺を睨みつける。
その瞳には、隠しきれない疲弊と涙が溜まっていた。
静まり返る生徒会室。叩きつける雨音だけが、室内を支配していた——その時だった。
ガラッ!!
静寂を切り裂くように、荒々しく生徒会室のドアが開け放たれた。
そこに立っていたのは——濡れたビニール傘を握りしめ、肩を大きく上下させて息を荒らげる、彩花の姿だった。
制服の肩口は雨でぐっしょりと濡れ、息を切らしているところを見るに、雨の中を走ってきたのだろう。
彩花は部屋の中の重苦しい空気を一瞬で見抜くと、真っ直ぐに姉の元へと歩み寄った。
「お姉ちゃん……! いい加減にしてよ!!」
雨の音すら跳ね返すような妹の怒声が、途切れていた生徒会室の時間を再び動かすように響き渡った。




