知らない生徒会長
文化祭準備期間が始まって、3日が経過した。
1年5組の教室は、放課後になるとまるで戦場のようになっていた。
女子たちが中心となって喫茶店の装飾やメニュー表を作成し、男子の一部は大道具として机や椅子の配置変更、看板の作成に追われていた。
「悠くん、そこもう少し右!ううん、行き過ぎ! 戻して!」
「……こうか?」
「そう! バッチリ!」
巨大なダンボールを繋ぎ合わせ、ガムテープとカッターを駆使して組み上げた『クラシックカフェ 5組』の特大看板。学校の規則で釘や危険な工具は使えないため、強度を出すために骨組みのダンボールを二重構造にする作業を、俺は黙々とこなしていた。
手伝いとして名乗りを上げた俺だったが、カッターでの切り出しやダンボール工作のような地味な裏方作業は得意分野だ。余計な接客スマイルも要らないし、黙々と手を動かしていればいい。
「ふぅ……これで看板のベースは完成だな」
「悠くんすごーい! 手際良すぎない? 職人さんになれるよ!」
「職人は言い過ぎだ。丁寧にカッターを入れてガムテープで補強しただけだ」
作業を終えて一息つくと、彩花がタオルと冷えたお茶のペットボトルを差し出してきた。
「はい、お疲れ様。悠くんがいてくれて本当に助かっちゃった」
「……どうも」
自然な流れでタオルを受け取り、汗を拭く。
周りの男子たちが「柏村さんにドリンクもらえるとか羨ましすぎるだろ……」「あの2人ってあんな距離だったか?」とヒソヒソ囁いているのが聞こえるが、聞こえないフリだ。日陰者の生存戦略である。
「ねえ悠くん。今日、生徒会の方はお休み?」
「あぁ。霧島先輩から『今日は生徒会室の書類整理だけだから、翡翠くんはクラスの準備に専念してくれ』って連絡があった」
「そっか!」
彩花は嬉しそうに頬を緩め、俺の隣にすっと腰掛けた。
「ねえ、シフトのことなんだけどさ」
「ん?」
「私、午後の時間帯を『休憩』にして希望出しておいたから。悠くんもそこに合わせて提出してね?」
「……相変わらず仕事が早いな」
「当たり前でしょ。悠くんと一緒に校内回るの、すっごく楽しみにしてるんだから」
屈託のない笑顔で言われ、俺は生返事を返しながらお茶を飲み干した。
土曜日の水族館といい、最近の彩花は好意を隠そうともしない。嫌な気は全くしないのだが、不意打ちを決められると、どうしてもドギマギしてしまうのが目下の悩みになってきたな……。
——と、そんな平和な時間が過ぎていた、まさにその時だ。
「失礼するわね——」
ガラリと教室の後ろのドアが開き、凛とした声が響いた。
教室中の視線が一斉にそちらへと向かう。
立っていたのは、菜奈さんであった。
「あ、生徒会長だ!」
「マジで美人だな……」
クラスの連中から感嘆の声が漏れる。
いつもの隙がない完璧な立ち姿、そして凛とした佇まい。全校生徒が憧れる『カリスマ生徒会長』そのものの姿だ。
(……いや、どちら様ですか??)
俺の知っている『お姉ちゃんを助けてぇ!』と叫んでいたポンコツ生徒会長とは完全に別人だ。周りから『生徒会長』と崇められている人物と、俺の頭の中の菜奈さんの像がまるで一致しない。
「1年5組の進捗状況の確認に来たわ。実行委員は……彩花ね」
「うん、お姉ちゃん。看板のベースが終わったところだよ」
「そう、順調みたいね。……あ、悠くんもちゃんと手伝っているみたいね」
菜奈さんは俺の方を向くと、上品かつ優雅にクスリと微笑んでみせた。
「明日からは生徒会室の方も本格的に忙しくなるから、覚悟しておいてね?」
「……お手柔らかにお願いします」
俺は淡々と返答した。
いや、もう本当に猫被りすぎだろ……。あまりの演技力とギャップに脳が追いつかず、俺は機械的な生返事を返すのが精一杯だった。
クラスの連中も「生徒会長すてきすぎ……」と感心した様子で見つめている。完全に騙されている。
……だが、散らばったダンボールの端材を片付けながら、俺はふと手を止めた。
ほんの僅かな違和感だった。
クラスメイトの問いかけに応じる直前、菜奈さんの返答にほんの「一瞬」だけ言葉が詰まる間があった。
ほんの少しだけ、視線が空中を泳ぎ、すぐにいつもの完璧な生徒会長の顔に戻る。
周りのクラスメイトからすれば、言葉を選んでいる丁寧な態度にしか見えないだろう。
だが、俺の知っている菜奈さんは、俺の前では情けないくらい感情を丸出しにする人だ。だからこそ、その「完璧すぎる立ち振る舞い」の隙間に見えたほんの僅かな言葉の遅れと視線の揺らぎに、言いようのない引っかかりを覚えた。
(……気のせいか?)
連日の文化祭準備で多少疲れているだけかもしれないし、全校生徒をまとめる立場としての緊張感かもしれない。
深く追求するのも野暮だと思い、俺は「考えすぎか」と自分に言い聞かせて作業に戻った。
「悠くん? どうしたの、お姉ちゃんの後ろ姿ばっかり見て」
振り返ると、彩花が少し不安そうな、そして嫉妬の混ざったジト目で俺を見上げていた。
「いや……別に何でもない」
「もう、浮気はダメだからね?」
「浮気って何だよ……」
呆れつつも、俺は切り揃えたダンボールを教室の隅へ片付けて今日は帰宅するのだった。




