ただそれだけ
俺が率直に告げると、彩花は一瞬何を言われたのか理解できなかったかのようにキョトンとしていたが、やがて自嘲気味に笑い出した。
「……そこは、優しく慰めるところじゃないかな?」
「慰めてほしいのか?」
「……ううん」
「それに、彩花が菜奈さんみたいになる必要なんてどこにもないだろ」
「……え?」
「彩花に比べたら、確かに菜奈さんは優秀なのかもしれない。でも、それだけだろ?」
「それだけって……私のさっきまでの話、ちゃんと聞いてた?」
彩花は少し憤慨したようにこちらを睨んでくるが、もちろんすべて聞いていた。
要するに「優秀な姉と比較され続けたせいで、誰も自分を見てくれなくなった。だから高校では自分を認めてもらうために優秀な姉を越えようとした。けど、駄目だった」。それだけのことだ。
そもそもの話として問題の本質はそこにはない。
「仮に優秀になったとして、彩花は本当に周りから『望む形』で見てもらえると思うのか?」
「えっ……」
「『優秀な姉の妹はやっぱり優秀だった』ってだけで終わりじゃないのか?」
「それは……」
「彩花が本当に見られたい『自分』って、一体なんなんだ?」
「……」
彩花は何も答えない。答えようにも、答えを持ち合わせていないのだろう。
当然だ。彩花が目指してきたのは「他人から認めてもらえる自分」。周りからどう見られたいかという虚像を追いかけていただけだから、本当の自分なんて見えているはずがない。
つまるところ、彩花は自分自身が一番自分というものを見限っていたのだ。自分一人では無理だと心のどこかで諦めていたからこそ、分かりやすい完璧な指標でとして菜奈さんにすがろうとした。
「そんなの……分かるわけないよ……」
「だろうな。俺だって、周りからどう見られたいかなんて分からないし」
「!?」
「周りからの評価なんて、自分じゃコントロールできないだろ? ある程度なら意識的にそう仕向けることはできても、最終的に自分のことをどう見るかは相手が決めることだ」
自分以外の他人全員が、自分に対して同じ印象を抱くなんてあり得ない。
俺自身を例にしてみてもそうだ。クラスメイトの大半は俺のことを「陰キャで根暗なやつ」と認識しているだろう。これは俺が意識的にそう仕向けている結果だ。
だが智也は、俺のことを「面白い友人」だと言って頼りにしてくれる。菜奈さんは俺のことを「可愛い」と言い、妹の楓は俺を「理想の兄」だと思っている。
俺自身がそれを否定しようが肯定しようが、判断を下すのは相手だ。世界中の人間の思考を思い通りに統一したいなんて、人間には不可能な領域だし、それを望むのは傲慢というものだ。
「でも……だったら私は、どうしたらいいの……?」
「別に、どうもしなくていいだろ」
「……え?」
「確かに彩花のことを『菜奈さんと比べて出来の悪い妹』と勝手に判断する奴もいるだろうさ。けど……彩花が関わってきた人全員が、彩花のことをそんな風に見てたか?」
「ううん……そんなことは、ない……」
俺の言いたいことを察したのか、彩花の瞳からぼろぼろと涙が溢れ出した。
それを手の甲で拭おうとするが、次から次へと溢れ出る涙は留まることを知らず、拭っても拭っても止まる気配がない。
「だろ? 少なくとも俺は、彩花のことをそんな風に思ったことは一度だってない。智也だって『柏村は優秀で可愛い』って褒めてたしな。楓だって『彩花お姉ちゃんはいつも優しくて素敵』って言ってたぞ」
「うん……うん……」
「だから、無理に自分を変える必要なんてないんだよ。変わりたいと思う気持ち自体は悪くないけど、自分を押し殺してまで変わろうとするのは馬鹿のすることだと俺は思う。だって……そんなことしたって、しんどいだけだろ?」
「うん……本当に……馬鹿みたいだよ……私……っ」
「だから言っただろ。彩花は馬鹿だって」
「うん……うん……っ」
そう言って彩花は、もう堪えきれないとばかりに俺の腕に額を押し当てて泣きじゃくった。年甲斐もなく声を上げて。
俺はそんな彩花を無理に抱きしめるでもなく、ただ腕だけを貸して、静かに目の前を流れる川を見つめていた。
――しばらくそうしていると、ようやく彩花も落ち着いたようで、俺の腕から顔を離して目元を拭った。
彩花の目元は真っ赤に腫れており、頬も薄く赤らんでいた。
「もう、大丈夫か?」
「うん……ありがとね……」
(……さて、ここで俺はなんて声をかけるのが正解なんだ?)
幼馴染とはいえ、泣き終えたばかりの異性にどう接すればいいのか分からない。泣いていたことなんて見なかったことにしてやるのが、優しさなのだろうが……。
「なんか、子どもみたいに泣いちゃったな……」
「号泣だったぞ」
「むぅ……恥ずかしい……」
まさか自分からその話題を振ってくるとは思わなかった。そして案の定、華麗に自滅して膝の中に顔を埋めてしまった。……馬鹿なのか?
「悠くんはさ……今のままの私でいいと思う?」
「ん? そうだな。彩花まで菜奈さんみたいになったら、俺一人じゃ対処しきれないしな」
「ふふ。そうだね」
「だろ?」
「なんか……泣いて言いたいこと全部吐き出したら、すごくスッキリしたよ。ありがとうね、悠くん」
「気にするな」
「でも……私だけ恥ずかしい思いをするの、不公平だよね?」
「は?」
彩花は何を言い出すのだろうか。不公平も何も、俺は何も悪くないはずだ。ここで理不尽な被害を被る筋合いはないのだが。
「私ね、お姉ちゃんみたいになりたかったのには、もう一つ理由があるの」
「そうなのか?」
「うん。なんだと思う?」
「……わからん」
少し考えてみたが、彩花が菜奈さんに執着する理由なんて他に見当がつかない。
菜奈さんの「優秀さ」を省いたら何が残るというのだ? ……少し性格が残念なお姉ちゃん? 絶対になりたくないはずだ。
「悠くんって、昔お姉ちゃんのこと好きだったでしょ?」
「!?」
「ふふ。気づいてないと思ってた?」
「昔……昔の話だ……!」
「私ね、悠くんのことが好きだったんだよ。昔だけじゃなくて――今もね」
そう囁いた瞬間、彩花が俺の頬へと顔を寄せてきた。
――ちゅっ、と。
柔らかくて温かい感触が、俺の頬に触れる。
俺は何が起きたのか理解できずにしばらく呆然としていたが、自分の唇にそっと人差し指を立てて微笑む彩花を見て、嫌でも状況を理解させられた。
「な、な、な、なにしてんだ!?」
「ふふ。悠くんも少しは照れてくれた?」
「お前な……!」
「今は返事はいらないよ。でも――覚悟だけはしておいてね、悠くん!」
そう言って悪戯っぽく微笑む彩花には、『学年一の美少女』と称されるに相応しい強烈な魅力が確かに存在していた。
だが……俺にとっての彩花は、まだ恋仲になるような存在ではない。
初恋の人の妹で、学年一の美少女。
今の俺にとってはまだ――ただそれだけのことなのだから。




