変わりたい理由
彩花を見つけた俺は、その隣に腰を下ろして目の前を流れる川を静かに眺めていた。
彩花も同じように、膝を抱えたままじっと川面を見つめている。
しばらくの間、俺たちは無言のまま時を過ごした。
「……何も、聞かないの?」
「聞いてほしいのか?」
「分かんない……聞いてほしいのかもしれないし、聞かないでほしいのかもしれない」
「そうか」
そしてまた、静寂が流れる。
こんな時に不謹慎かもしれないが、この無言の時間がどこか心地よく思えてしまった。静かな河川敷で川の流れを見守る。それだけで穏やかな気持ちになれるのは、自然の持つ力なのだろうか。彩花がここへ逃げてきた理由も、なんとなく理解できる気がした。
「私ね、テストの順位……2位だったの」
「見たよ。すごいな」
「ううん……全然だよ……」
「それなら、2位以下の生徒はみんなダメダメってことになっちゃうな」
「……いじわる」
「そう思うなら、自分を過小評価しすぎないことだな」
俺がそう告げると、彩花は気まずそうに目を伏せ、再び膝の中に顔を埋めてしまった。
つい説教じみた言い方になってしまったが、俺は別に彩花を責めたいわけではない。そんな意味も理由もないからだ。
じゃあ、俺は何がしたいのか。それは俺自身にも分からない。
だからこうして、何も言わずに彩花の隣に座っている。それが今の俺にできる、唯一の最善のような気がしたからだ。
「悠くんはさ……変わりたいって思ったこと、ある?」
「変わりたい?」
「うん……『こういう自分になりたい』とか」
「ないな。俺は今の自分に満足してるし」
「……すごいね」
「何も凄くなんかないさ。人と関わるのは避けるし、面倒事からは全力で逃げようとする。基本的にはやる気もゼロだ。ただのロクでなしだよ」
「……それなら、どうして変わりたいって思わないの?」
「自分でそれを望んだからだ」
人と関わるのを避けて一人でいる時間を増やしたいのも、面倒事から逃げて楽をしたいのも、やる気を出さずにダラダラと過ごしているのも、すべて俺が自分で望んで決めたことだ。
そこに大層な過去や理由なんて存在しない。ただ俺がそうしたいから、そうしている。
ロクでなしのエゴイスト。それが今の俺という人間だ。
「悠くんは、強いんだね……」
「いや、逆だよ。俺は弱いから、開き直って自己肯定していくしかないんだ」
「私には……それすらできないよ……」
「だから、変わりたいのか? 自分で自分を認めるために」
「……私は、出来損ないだから」
「彩花が出来損ないなら、俺はどうなるんだよ」
彩花のことを『出来損ない』なんて評価する人間は、誰一人としていないだろう。
容姿は学年トップクラス、勉強もできて運動神経も悪くない。才色兼備という言葉がこれほど似合う奴も珍しいはずだ。そんな彩花が出来損ないなら、世の中の大半の人間は出来損ない以下になってしまう。
「私ね……ずっと、お姉ちゃんみたいになりたかったの……」
「菜奈さんみたいに?」
「うん。お姉ちゃんは昔から、何でもできたから。頭も良くて、運動神経も抜群で。テストはいつも学年1位だったし、中学生の頃は陸上部で表彰もされてたの」
「あの菜奈さんが……?」
「うん。普段はちょっと残念なところもあるけど、お姉ちゃんは本当にすごいの」
(……『ちょっと残念』で済むレベルなのかは甚だ疑問だが、大事なのはそこではない)
あぁ見えて、菜奈さんは完璧超人だった……らしい。俺は菜奈さんのそういった一面をまだ見たことがないが、実の妹である彩花が言うのだから間違いないのだろう。
そして彩花は、そんな完璧な姉にずっと憧れ続けていた。
――だが、それがどうしたというのだ?
「菜奈さんに比べて、自分は出来損ないだって思ってるのか?」
「……うん」
「常に学年1位を取り続けている奴の方が、俺からしたら異常だと思うけどな」
「周囲からも『あの人の妹なんだから』って思われて……どれだけ努力しても褒めてもらえなかった。1番になれなかったら馬鹿にされたの」
「……」
「誰も『私自身』を見てくれなかった。いつも私は『お姉ちゃんの妹』。だから……私、変わりたかったの。高校生になってからは、お姉ちゃんを越えようって。お姉ちゃんが学年1位を取り続けるなら私もそうしよう、お姉ちゃんが生徒会長になって学校を変えるなら、私はそれよりもすごいことをしようって……。でも、ダメだった……」
「……」
「馬鹿みたいでしょ……?」
そう言ってこちらを見上げてきた彩花の顔は、泣き出しそうなのを必死に堪えて笑おうとしている、痛々しく歪んだ表情だった。
これが、彩花が一人で抱え込んできたものの正体。
俺にはその重圧や、どれほど辛かったのかなんていうのは、これっぽっちも分からなかった。
だからこそ俺は――俺に理解できる『事実』だけを、彩花に伝えることにした。
「……そうだな。彩花は、馬鹿だよ」




