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第9話 魔石だけ抜いて帰るな

「緊急事態だ! 誰か、手の空いている討伐部隊はいないか!」


 朝の冒険者ギルド。日々の依頼を求める者たちでごった返す喧騒を切り裂くように、血まみれの伝令が駆け込んできた。


「西の街道で、倒されたはずのグリフォンが起き上がった! 腐魔化だ!」


 ギルド内に居合わせた冒険者たちの間に、ざわめきと動揺が広がる。魔物を倒して魔石を得るのが彼らの生業だが、死骸が再び動き出す腐魔化は、予想外の危険を伴うため誰もが忌避する現象だった。


 その頃、黒田慎吾たち回収班の一行は、ギルド奥の応接室にいた。本来であれば、本日はギルドの代表者たちを集め、死骸処理の重要性を説明する会合が開かれる予定だったのだ。


「グリフォンの腐魔化か……」


 慎吾は作業手袋をはめた手で顎をさすった。


「ルチア。グリフォンってのは、討伐してからどのくらいで腐魔化するものなんだ?」


「個体差はあるが、高位の魔物であれば討伐から丸一日は保つはずだ。だが、夏場の直射日光や、傷口の露出具合によっては数時間で危険な状態に移行することもある。放っておけば瘴気を撒き散らし、周囲の動物まで巻き込んで二次魔獣を生み出すだろう」


 ルチアの言葉に、慎吾は静かに舌打ちをした。


 昨夜、浄化院の裏門から巨大な『地下経路』を発見したばかりだ。帳簿から消えた七割の廃棄物がどこへ送られているのか、一刻も早くあの謎の経路を調べたかった。


 しかし、街道を利用する行商人や近隣住民の命には代えられない。


「地下経路の調査は、今日の夜に回す。あのデカい施設が一日で逃げてなくなるわけじゃないからな。謎を放り出す気はないが、今は街道の被害を食い止めるのが先決だ」


 慎吾の決定に、リオラも静かに頷いた。


「賛成です。街道での腐魔化は、被害の拡大が早すぎます。放置すれば取り返しがつかなくなります」


 慎吾たちは直ちに予定されていた説明会を中止した。慎吾、リオラ、ダント、ルチア、そして案内役としてギルドの代表者を馬車に乗せ、急ぎ西の街道へと向かう。


 揺れる馬車の中で、ギルド代表の初老の男が渋い顔で口を開いた。


「……黒田殿。冒険者の仕事は、あくまで魔物を討伐し、民の安全を守ることだ。死骸の処理まで冒険者に義務付けられては、割に合わんという不満の声が確実に出る」


「全部自分たちで綺麗に片づけろとは言ってない。討伐後の現場を、俺たち回収班に安全に引き継ぐための最低限のルールだ」


 慎吾はそう言うと、代表者の目の前で指を三本立てた。


「俺が冒険者に求めている最低義務は、たったの三つだけだ」


 馬車内の視線が、慎吾の指に集まる。


「一つ、正確な討伐地点を記録すること。二つ、毒や発火性のある『特に危険な部位』を報告すること。三つ、死骸を残す場合は俺たち回収班へ連絡すること」


「……それだけでいいのか?」


「ああ。今は処理費の負担や面倒な事務手続きのことは置いておく。とにかく、この三つさえ守ってくれれば、先日王都が吹き飛びかけたような大事故は防げるんだ」


 討伐した場所が分からなければ、回収班は現場に向かえない。危険部位が分からなければ、二次災害が起きる。連絡がなければ、腐魔化が始まるまで放置される。現場の収集運搬を十八年やってきた慎吾にとって、排出者が守るべき最低限の義務だった。


 腕を組んで聞いていたルチアが、深く頷いた。


「私も黒田の意見に賛同する。討伐した魔物が再び人を襲うなど、冒険者の名折れ。報告の手間を惜しんで民を危険に晒すなど、言語道断だ」


 やがて馬車は、西の街道へと到着した。


 だが、ギルドに届け出られた座標周辺には、巨大なグリフォンの死骸など影も形もなかった。


「おい、場所が違うぞ。ここら一帯には戦闘の跡すらないじゃないか」


 ダントが荷車の御者台から周囲を見渡しながら言う。


「しかし、報告書には確かにこの街道沿いの平原だと……」


 ギルド代表者が書類を見て首を傾げる中、慎吾は道端に残った羽根と、草を押し潰した跡を見つけた。腐敗臭は街道の先ではなく、風下の斜面から上がってくる。


「こっちへ落としてる」


 慎吾は街道を外れ、深い茂みの奥へ進んだ。そこは人が寄り付かない急斜面で、下から強烈な臭いが漂っていた。


「ダントさん、荷車は上に置いておいてくれ」


 慎吾たちが木々に掴まりながら斜面を滑り降りると、そこには目を覆うような惨状が広がっていた。


 半ば腐敗し、ドロドロに溶けかかった巨大な猛禽類――グリフォンの死骸が、木々に引っかかるようにして無惨に捨てられていたのだ。胸元の魔石と、換金価値の高い鋭い嘴や鉤爪だけが、無造作に抉り取られている。


「なんてことだ……。わざわざ街道から見えない斜面の裏に、死骸を蹴り落として隠してやがる」


 慎吾の顔が険しくなる。


 さらに最悪なことに、斜面の下には澄んだ小川が流れていた。このまま腐敗した毒性の血液が流れ込めば、下流の水源が広範囲に汚染される。


「リオラさんは死骸の腐敗を止めろ! ダントさん、下で血を受ける溝を掘る。俺も行く!」


 リオラが死骸から新たな血とガスが生まれるのを抑える間に、慎吾とダントは小川の手前へ浅い溝を切った。防護布を敷き、すでに流れた血を樽へ汲み取る。


 その時、茂みの奥からガサガサという不気味な音がした。


 現れたのは、通常の森の動物とは明らかに違う、異形の姿をした野犬の群れだった。目が赤く濁り、体表から黒い瘴気が漏れ出している。放置されたグリフォンの毒性の血を舐め、二次魔獣化し始めているのだ。


「チッ、もう二次被害が出てやがる! ルチア!」


「任せろ!」


 ルチアが白銀の槍を構えて跳躍する。彼女の槍は力任せな破壊を避け、二次魔獣化した野犬たちの胸の奥にある『核』だけを正確に貫いていった。戦闘による肉片の飛散を防ぐ、回収を見据えたプロの戦い方だ。


 戦闘が落ち着き、慎吾が残された野犬の残骸を『隔離積載庫』へ収容していると、グリフォンの死骸のそばに落ちていた金属の破片が目に入った。


 剣の装飾の一部らしい、特徴的な意匠が施されている。


「ルチア、これに見覚えはあるか?」


 破片を受け取ったルチアの顔が、怒りに歪んだ。


「これは……《白金の牙》の装備だ。間違いない。危険な依頼を引き受ける腕利きだが、最近は負傷者が続いていると聞く」


「腕があるなら、なおさら聞かなきゃならんな」


 慎吾は死骸へ続く足跡を見た。複数人で街道から押し出した跡があり、そのうち一つは途中から片足を引きずっている。


 魔石だけを抜き、死骸を水源の上へ落とした。しかも報告地点は数キロ離れている。緊急避難だったのか、意図的な隠蔽だったのか。現場だけで動機まで決めつけることはできない。


 ただし、虚偽の報告によって回収が遅れ、二次被害が出た事実は変わらなかった。


「魔石だけ抜いて終わりにはできない。本人から事情を聞くぞ」


 慎吾は作業手袋の汚れを払い、後ろで立ち尽くすギルド代表者を鋭い目で見据えた。


「なあ、代表さん。こいつらがギルドに提出した討伐報告書、どうなってる?」


 代表者は青ざめた顔で、手元の書類を震える手で読み上げた。


「……記録によれば、グリフォンの討伐地点はここから数キロ離れた、安全な平原ということになっています……」

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