第35話 後始末の勇者
王宮地下の中央収集門では、現在も王都のどこかから流れ込む汚染物が、古い残渣を巻き込みながら魔力炉の冷却口を塞いでいた。
肉と血、薬品、砕けた呪具、建材。長年、分けずに送り続けてきた物が幾層にも絡まり、熱を受けてゆっくり膨らんでいる。
制御盤の圧力計は振り切れ、警告灯が赤く明滅していた。
「保って十五分です!」
生き残った施設技師が叫んだ。
「正確な数字ではありません。冷却口が完全に塞がれば、もっと早い!」
一度に吸い込めば、混ざった廃棄物は積載庫の中で反応する。圧縮すれば毒と熱を濃縮する。慎吾の能力で塊ごと消すことはできない。
「十五分で全部を片づけるんじゃない。冷却口まで道を通す」
慎吾は周囲を見回した。
「知らない物には触るな。分かった物だけ、手で分けて運ぶ。焦って混ぜたら、その場で終わりだ」
エレノアが近衛兵と徴用した作業員を連れて到着した。荷車、担架、革袋、長柄の鉤。それぞれ、集められるだけ集めてある。
慎吾は入口から冷却口までを三つの作業区画に分けた。
ミカが臭いを確かめ、赤、青、白の布を結ぶ。赤は発火物、青は瘴液、白は分類不能で手をつけない印だ。
リオラは腐敗の進んだ肉塊に術をかけ、それ以上ガスが増えるのを抑える。
ルチアは廃棄物から起き上がる二次魔獣だけを、作業区画から離れた場所へ引きつけて核を突く。
ダントは地下道の幅と傾斜を見て、小型台車を一台ずつ通す一方通行の搬出線を作った。
「外の馬車を種類ごとに分けろ。満載にするな。ここで車軸を折ったら後ろが全部止まるぞ!」
エレノアはその指示を受け、兵士と市民の混成班を配置していく。
最初の鉤が肉塊を引いた。
奥から紫色の液がにじみ、ミカが即座に手を上げる。
「止めろ。薬の臭いが混じってる」
作業員が下がり、薬品に詳しい浄化院の元職員が採取棒で確かめた。酸性の瘴液と分かると、土器へ少量ずつ受け、蓋をして青印の台車へ載せる。
一本の通路を作るだけで、何度も作業が止まった。
それでも、止めるたびに事故を一つ避けている。
慎吾は《巡回最適化》で、台車の往復と人員交代の順序を組み替えた。能力が示すのは、物を瞬間移動させる道ではない。誰がどの台車を押し、空いた帰路で何を運び込めば渋滞しないかという、地道な動線だった。
分類が確定した安定物だけを積載庫へ一時退避させ、均質な骨片と煉瓦だけを圧縮する。それ以外は人の手で運ぶ。
数分が過ぎても、冷却口は見えなかった。
「慎吾、右の山が動く!」
ルチアの声と同時に、腐肉をまとった獣の頭が持ち上がった。
槍が核を貫いたが、崩れた肉塊が作業路へ雪崩れ込む。
リオラが両手を伸ばした。銀色の光が肉塊を覆い、腐敗による膨張だけを止める。
「支えられるのは、長くて数分です」
声はかすれていた。
「十分だ。ダントさん、迂回を」
「無理だ。左は床が抜ける」
ダントは即答した。
慎吾は反論しかけ、灰谷で自分の焦りが人を傷つけたことを思い出した。
「……分かった。俺の案は捨てる。通せる道を頼む」
ダントは天井から垂れた整備用の鎖に目を留めた。滑車を組み、崩れた肉塊を少しずつ吊り上げ、その下へ板を差し込む。人が一人通れる隙間ができると、ミカが先に鼻を近づけた。
「熱い鉄と古い油。向こうに機械がある」
瓦礫の奥から、低い声がした。
「……冷却口ではない。保守用の放熱路だ」
半身を石材に挟まれたグレゴールがいた。全門封鎖を実行したあと、制御室の崩落に巻き込まれたのだ。
近衛兵の一人が、逮捕対象だと足を止める。
「生きてる人間は回収対象じゃない」
慎吾は鉤を置いた。
ダントが支点を決め、ルチアが指示された石だけを割る。慎吾は崩れた小さな瓦礫を積載庫へ退避させた。三人がかりでグレゴールを引き出す。
「放熱路を開ければ、時間を稼げるのか」
「完全には止まらん。だが炉の熱を逃がせる。冷却口を露出させるまで保つはずだ」
グレゴールは血のついた指で、壁の三つの弁を示した。
「順序を違えれば蒸気管が破裂する。上、右、最後に下だ」
エレノアが施設技師に確認させる。古い図面にも、壁の奥へ続く保守路の記載があった。
「実行します」
彼女が命じた。
上の弁は二人で回った。右の弁は錆びつき、ルチアと兵士が柄に綱をかけて動かした。最後の弁をダントがゆっくり開く。
壁の奥を熱風が走った。赤い圧力計の針が、わずかに下がる。
「効いてる!」
技師の声に、誰も歓声は上げなかった。
時間を得ただけだ。
作業列が再び動く。
ミカが判別し、リオラが腐敗を遅らせ、作業員が分け、台車が運ぶ。ルチアは背後を守り、ダントは詰まりかけた動線を直す。エレノアは負傷者と交代要員を途切れさせない。
慎吾はその全体を見て、止めるべき場所で止め、空いた場所へ人を回した。
やがて鉤の先が、汚泥ではなく金属格子を叩いた。
「冷却口だ。格子を壊すな。目詰まりだけ取る!」
骨片を抜き、布をはがし、固まった脂を薄く削る。最後の一塊は火炎獣の脂と分かり、冷やした鉄箱へ手で移した。
冷却口から風が吸い込まれた。
魔力炉の唸りが少しずつ低くなり、圧力計の針が赤い範囲を離れた。
施設技師が計器を一つずつ確かめ、ようやく振り返った。
「過負荷、解除。炉は停止手順へ移れます」
地下に歓声が広がったのは、その言葉のあとだった。
慎吾は壁にもたれ、床へ座り込んだ。腕は震え、積載庫に残した重量が肩へ食い込んでいるようだった。
グレゴールは担架の上から、泥だらけの作業列を見つめていた。
「私には、あれを動かすには命令が必要だと思えていた」
「命令だけじゃ人は動けない。何を触ってよくて、どこへ運べばいいか。そこまで決めて、やっと仕事になる」
「……そうか」
慎吾は立ち上がろうとして、膝をついた。
リオラが無言で肩を支える。
近衛兵がグレゴールの担架を囲んだ。
「停止手順を教えたことと、あんたの罪は別だ」
慎吾が言うと、グレゴールは目を閉じた。
「分かっている。裁きを受ける」
王都のすべてが片づいたわけではない。地上には隔離された廃棄物が残り、負傷者がいて、灰谷の汚染も続いている。
ただ、明日へ作業をつなぐ時間だけは取り戻した。
その時。
慎吾の視界に、無機質な文字が浮かび上がった。
――《原世界への『帰還門』、接続完了》
――《帰還プロセスを、いつでも実行可能です》
この世界での仕事が終わっていないと知ったその時、元の世界へ帰る道が開いた。




