第36話 明日も暮らせる街
大災害から数日後。王立高等法院は、重苦しい静寂に包まれていた。
証言台の前に立つのは、かつて王都の清潔さを一手に担っていた男、グレゴール・ハイゼン。彼に対する最終的な判決が、今まさに下されようとしていた。
「……以上の証拠および証言により、被告人グレゴールが灰谷への不法投棄を継続し、多大な犠牲を隠蔽した罪は明白である」
三人の裁判官が認定したのは、違法転送、記録改竄、補助金横領、灰谷住民への加害だった。二十年前に王都を救った決断と、最後に停止作業へ協力した事実も記録されたが、その後二十年にわたって制度を続けた責任とは分けて扱われた。
グレゴールには、身分と不正に得た財産の没収、生涯にわたる禁錮が言い渡された。
判決後、傍聴席にいたエレノアが王家を代表して立った。転送制度へ王家の承認印が使われながら監督を怠ったことを認め、灰谷へ正式に謝罪する。補償原資には没収財産だけでなく、王領収入と王族予算の一定額を充て、外部監査を受けると公表した。
グレゴールは反論しなかった。衛兵に伴われて法廷を出る前、灰谷の代表席へ一度だけ頭を下げた。許しを求める言葉はなかった。
法廷の喧騒から離れた、王宮の一角。
そこには、新設された『王国環境整備局』の仮事務所が置かれていた。
浄化院の処理部門を引き継ぐ一方、帳簿を検査する監査官は王国会計院へ移された。処理する者が自分で自分を監査できた古い仕組みを、まず切り離したのである。
「おい、この『搬送記録票』の運用ルールだが、少し現場の実態に合ってないぞ」
山積みの書類を前に、作業手袋をはめた慎吾がペンを走らせていた。
「俺の能力に頼る札じゃ駄目だ。排出者、運搬人、処理施設が同じ番号の控えを持つ。監査所にも番号だけ登録する。どこか一枚を書き換えても、残りと合わなくなる仕組みにしよう」
「緊急討伐で事前の票を作れない場合は?」
「仮票を現場で発行して、翌日までに照合する。記録がないから回収しない、で住民を危険にさらしたら本末転倒だ」
「分かりました。例外も含めて書式を修正させます」
局の最高責任者となったエレノアが、慎吾の現場判断を素直に受け入れ、部下の文官に指示を飛ばす。彼女はドレスではなく、動きやすい実務用のコートを羽織っていた。
オフィスの扉が開き、ルチアとダント、そしてミカが入ってきた。
「黒田、冒険者ギルドへの通達が終わったぞ」
ルチアは誇らしげに腕を組んだ。
「今日から、ギルドは『処理計画の提出』がない討伐依頼を一切受理しない。魔石の報酬支払いも、処理が完了したという公的搬送記録の提出が条件だ。文句を言う奴もいたが、私が直々に『冒険者処理教育の責任者』として指導してやった」
「暴力で言うことを聞かせたんじゃないだろうな?」
「馬鹿を言うな。実地研修として、魔獣の解体と血抜きの正しい手順を朝までみっちり教え込んでやっただけだ」
ルチア自身、火竜を放置した当事者だった。その失敗まで教材にすると聞き、反発していた冒険者たちも黙って手順を覚えたという。
「運搬部門の方も手配は済んでるぜ」
ダントが分厚い配車表を机に叩きつける。
「積載の偏りと危険物の隔離輸送を、王都中の馬車引きに教える。俺の頭だけに入れといちゃ駄目だから、橋の耐荷重と迂回路も配車表へ書き出した」
「それなら、ダントさんが休んでも回るな」
「休ませる気はあるんだろうな?」
「もちろんだ。俺も一緒に休めと言われそうだが」
慎吾が頷くと、ミカが胸を張って前に出た。
「おっさん、あたしも新しい腕章もらったぞ!」
ミカが身につけているのは、ぼろぼろの貫頭衣ではなく、環境整備局が支給した『正式な見習い回収員』の真新しい作業着だった。
「字の読み書きも、毎日少しずつ勉強してる。臭いだけじゃなく、記録もちゃんと書けるようになるからな。おっさんがいなくても、あたしが現場を仕切ってやるよ」
「頼もしいな。だが、まだ俺の背中を見て学ぶことは山ほどあるぞ」
「間違ってたら、後ろから止めろよ」
「もう一回やってるだろ」
ミカが胸を張る。慎吾は苦笑して、新しい腕章のずれだけを直した。
「……皆様、第一処理炉の改修案がまとまりました」
奥の部屋から、銀灰色の髪を揺らしてリオラが姿を現した。
彼女の胸元には『技術部門長』のバッジが光っている。かつて死臭の魔女と蔑まれ、地方へ追放された彼女は、名誉を回復し、王国の環境を技術で支える最高責任者として表舞台に立っていた。
「燃やすのは、分別済みの生骸と木材だけです。煙は冷却室と吸着層を通します。毒物、呪物、金属、焼却灰は別施設で隔離保管します」
「何でも燃やせる炉じゃないんだな」
「そんな炉はありません。灰谷で、それを一緒に学んだでしょう」
「そうだった。なら、無理をしない良い設計だ」
慎吾が微笑むと、リオラは微かに頬を染めて目を伏せた。
夕刻。
王宮の裏庭には、青白い光を放つ巨大な『帰還門』が開いていた。
慎吾の視界にあるシステムウィンドウのカウントダウンが、残り数時間を切っている。
――《帰還プロセス、最終待機中》
慎吾が門の前に立っていると、虚空の裂け目から、ハラリと一枚の紙切れが落ちてきた。
それは、数日前に慎吾が元の世界へ送った、たった一通の手紙に対する『返答』だった。
『慎吾さんへ。急にいなくなって焦りましたが、こっちの区域のルートは俺たちでちゃんと回してます。心配すんな。生姜焼きは帰ってきたら奢りますよ』
見慣れた同僚の乱暴な字。
それを読んだ慎吾の顔に、心からの笑みがこぼれた。
十八年間、ごみ収集車に乗っていた人生。それは決して失敗でも、無駄でもなかった。あの地味な日常で培った知識と習慣が、この異世界の王都を救い、新しい制度を作り上げたのだ。
「……いい職場だったな、本当に」
慎吾は手紙を丁寧に折りたたみ、作業着のポケットにしまった。
「……黒田慎吾」
背後から、リオラの静かな声がした。
振り返ると、彼女が一人で立っていた。その瞳は、青白く光る帰還門と慎吾の顔を交互に見つめ、微かに揺れている。
「手紙の返事、届いたのですね。……もう、時間は」
「ああ。すぐそこだ」
慎吾はポケットから、もう一枚の紙を取り出してヒラヒラと揺らした。
「だが、俺はこっちにサインしちまったからな」
それは、環境整備局との『現場作業員としての雇用契約更新書』だった。
「向こうの現場は、あいつらが回してくれてる。こっちには、俺が続けたい仕事と、一緒に働きたい連中ができた」
永住するとか、骨を埋めるとか、そんな大げさな宣言はしない。まず半年、契約を更新して明日も働く。それが慎吾の選んだ答えだった。
リオラは目を丸くし、やがて、せき止めていた感情が溢れ出すように、大きく息を吸い込んだ。
「……局長との雇用契約は、王国とのものです」
彼女は一歩、慎吾へ近づいた。
「ですが、私個人としても……あなたと契約を結びたい」
「仕事の契約なら、技術部門と現場でいくらでもすり合わせるぞ?」
慎吾がとぼけると、リオラは真顔のまま、しかし確かな熱を帯びた瞳で彼を真っ直ぐに見つめた。
「仕事上の契約とは別に、です。……明日からも、その先も、私の隣にいてほしい」
それは、不器用な彼女なりの、精一杯の好意の言葉だった。
慎吾は目を細め、静かに微笑んだ。
「……光栄だ。俺の方こそ、頼む」
慎吾が差し出した右手を、リオラが両手でしっかりと握り返す。
何度も同じ泥に入り、間違えば互いに止めてきた。その手を、今度は仕事のためだけではなく握っていた。
二人の背後で、青白い帰還門がゆっくりと光を失い、やがて完全に空気に溶けて消滅した。
翌朝。
快晴の空の下、王都にはまだ消毒薬と泥の臭いが残っていた。壊れた石畳の脇では復旧作業が続いている。それでも、閉じたままだった店が一軒、また一軒と戸を開けていた。
環境整備局の前に停まった頑丈な馬車に、ダントが手綱を握って座り、ルチアが荷台で槍の手入れをしている。
「おっさん、遅いぞ!」
ミカが窓から身を乗り出して叫ぶ。
「悪い悪い。新しい手袋を下ろしてた」
真新しい作業着に身を包み、まっさらな作業手袋をはめた慎吾が、リオラと共にオフィスから出てきた。
そこへ、局の職員が血相を変えて駆け込んでくる。
「黒田主任! 西の海岸に、見たこともない巨大な海獣の死骸が漂着しました! すでに激しい悪臭を放ち、腐魔化の兆候があるとのことです!」
また、放っておけない現場が来た。
「よし、新しい現場だ。急行するぞ! ミカ、匂いを嗅ぎ分ける準備はいいか! ルチア、護衛を頼む! リオラさん、魔力の調子は!」
「万全です。いつでもいけます」
「ダントさん、馬を出せ!」
「おう、しっかり掴まってな!」
ダントが鞭を振るうと、馬車が力強く石畳を蹴った。
明日も人々がこの街で暮らせるように。
回収班の馬車は、きれいになった王都の朝の光の中を、高らかに走り出していった。
(第一部・完)




