第34話 王宮より先に救う場所
「王都の南西、市民区域で逃げ遅れた数百名が孤立! 同時に王宮区画の収集門も破砕し、魔力炉が過熱しています!」
血まみれの伝令の叫びが、王宮の中庭に重くのしかかった。
南西の市民区域は、長屋が密集する王都で最も人口の多い場所だ。逃げ遅れた数百名が腐魔化の波に飲まれれば、一瞬で全滅する。
一方で、ここから最も近い王宮区画の地下収集門には、今も貴族や高官たちが閉じ込められている。もし魔力炉が暴走して爆発すれば、王宮そのものが吹き飛び、王国の指揮系統は完全に麻痺するだろう。
二つの致命的な危機。だが、慎吾たち現場の処理班は一つしかない。
「黒田殿! すぐに王宮の地下へ救援を! このままでは貴族の方々が!」
近衛騎士が悲痛な声で訴える。身分と国家の重要度で考えれば、王宮を優先するのが異世界の常識だった。
だが、慎吾は作業手袋の拳を握り締め、即座に決断を下した。
「……第一区域だ。市民区域へ向かうぞ!」
「なっ……! 黒田殿、正気ですか! 王宮が吹き飛べばこの国は終わりだ!」
「王宮の地下扉には魔法防壁がある! まだ持ちこたえていると報告も来てる。だが、市民区域のバラックじゃ五分も持たない! 俺が救うのは身分じゃない、今すぐ死にかけてる命の数と危険度だ!」
慎吾の怒鳴り声に、騎士が言葉を詰まらせる。
「黒田慎吾の判断を支持します!」
市民区域の臨時指揮所から、魔法通信の魔導具を通じてエレノアの凛とした声が響いた。
「王家はすでに多くの民を見殺しにしてきました。これ以上、民草を切り捨てる判断を私は許さない。王宮の防衛は近衛騎士団の残存兵力で限界まで時間を稼ぎます! 回収班は、市民を救いなさい!」
「……っ、承知いたしました! 近衛第一小隊、王宮地下の防衛へ回れ!」
エレノアの覚悟に背中を押され、騎士たちも迷いを捨てて動き出した。
「リオラさん! ミカ! 市民区域へ急ぐぞ! ダントさん、馬車を出してくれ!」
「おう!」
慎吾たちはダントの馬車に飛び乗り、泥とごみにまみれた王都の裏道を南西へと爆走した。
市民区域に到着すると、収集門から溢れた生骸系の廃棄物が石畳へ積み重なり、内側から膨らみながら広場へ迫っていた。逃げ場を失った数百人の市民が、女神像の台座に身を寄せ合っている。
「『腐敗封じ・広域展開』!」
馬車から飛び降りるなり、リオラが杖を掲げて銀色の魔力を放つ。
肉塊の膨張が鈍り、新たなガスの噴出が止まる。すでに崩れ始めた先端は止まらない。
慎吾は生骸だけの部分を選んで積載庫へ収め、兵士たちは戸板と土嚢で残りを支えた。市民へ届くまでの短い時間が生まれる。
「今だ、ダントさん! 馬車を突っ込ませろ!」
「乗れ! 一人残らず乗るんだ! ガキと年寄りを先にしろ!」
ダントは先頭の馬車を広場へ入れ、後続の小型荷車を三列に分けた。市民を一台へ詰め込まず、子どもと歩けない者から複数の退避路へ流す。ミカも鼻をヒクつかせながら、安全な道を大声で示した。
「こっちの道はまだ毒が回ってない! こっちへ走れ!」
慎吾は分類の済んだ生骸を最前線で回収し続けた。肩口の筋肉が軋み、魔力中毒による激しい頭痛が視界を歪ませる。
十数分後。
「……最後の一人が広場を出た! 各車、避難所へ向かえ!」
ダントの叫び声に、慎吾は大きく息を吐き出し、能力を解除して膝をついた。
市民区域の救出は、なんとか間に合ったのだ。
「休んでいる暇はないぞ! 次は王宮区画の中央収集門だ!」
慎吾が立ち上がろうとした、その時。
ズズズンッ……!
王宮の方角から、腹の底を揺らすような嫌な振動が伝わってきた。
「おい、あんちゃん……あれを見ろ!」
ダントが指差した先。王宮区画の空に、赤黒い雷のような魔力の奔流が渦巻いていた。
「……魔力炉の暴走が始まってる! 近衛の防衛線が突破されたのか!」
慎吾の顔が蒼白になる。急いで王宮へ引き返さなければ、今度こそ王都の中枢が吹き飛ぶ。
「ダントさん、市民の避難誘導は任せる! 俺とリオラさんで王宮へ戻る!」
「おう、死ぬんじゃねえぞ!」
慎吾はリオラの手を引き、王宮へと続く大通りを全速力で駆け出した。
だが、二人の前に、マンホールの下水溝から噴き出した大量のスライム廃液――《瘴液系》の猛毒の泥流が、川のように道を塞いだのだ。
「チッ、道が分断された!」
慎吾が『隔離積載庫』で吸い込もうとするが、容量は先ほどの市民救出ですでに限界に近い。
「黒田慎吾!」
リオラが叫び、泥流に混じる腐肉へ術をかけた。増殖が鈍った隙に、慎吾は脇へ積まれた割れ石のうち無害な物だけを圧縮し、泥流へ間隔をあけて置く。道路班が残した戸板を、その上へ渡した。
「足場は長く持たない。走るぞ!」
二人は細い板の上を駆けた。だが道の中央で泥流が増し、石の一つが傾いた。
「……ッ!」
リオラの足元から戸板が外れ、彼女の身体が毒の泥流へと傾く。
「リオラさん!」
慎吾は咄嗟に身を翻し、泥に落ちる寸前の彼女の腕をガシッと掴んだ。
そのまま彼女の身体を引き寄せ、泥まみれのまま、力任せに自分の背中へと背負い上げる。
「く、黒田慎吾……降ろしてください! 私を背負ったままでは、走れません!」
「馬鹿言うな! あんたを置いていく現場指揮官がいるか!」
慎吾はリオラを背負ったまま、沈み始めた板の道を必死に駆け抜け、なんとか対岸の石畳へ転がり込んだ。
「ハァ……ハァ……ッ」
二人で荒い息を吐きながら、王宮へと続く坂道を見上げる。
リオラは慎吾の背中にしがみついたまま、微かに震える声で囁いた。
「……どうして、そこまで……。私はただの、腐肉を扱う魔術師です。あなたが命を懸けて救うような……」
「職業の身分なんて関係ないって、何度も言ってるだろ」
慎吾は息を切らしながら、ぽつりとこぼした。
「俺は……現場の人間関係ってのを、適当に割り切れるほど器用じゃないんだ」
「あんたがいてくれないと……困るんだよ。俺の異世界の仕事も、……その先も」
リオラは息を呑み、慎吾の広い背中に頬を押し付けた。
だが、二人は足を止めなかった。今は答えを確かめる時ではない。
「……ええ。私も、あなたがいなければ困ります」
リオラはそう短く答えると、自らの足でしっかりと地面に降り立った。
「行きましょう。私たちの最後の現場へ」
「ああ」
二人は前を向き、暴走の兆候を示す王宮区画の地下、中央収集門へと再び走り出した。
王宮の地下へ辿り着いた時、そこはすでに凄まじい熱に包まれていた。
分厚い魔法防壁は粉々に砕け散り、巨大な『中央収集門』の金属の扉が、内側からの圧力でひん曲がっている。
そして、その扉の隙間からは、絶え間なく《発火系》《瘴液系》《呪物系》の未分別の廃棄物がどろどろに混ざり合って噴出していた。
「……おいおい、冗談だろ」
慎吾は噴き出す廃棄物の山を見て、絶望的な呻き声を漏らした。
ただごみが詰まっているだけではない。枝管から剥がれた古い残渣と現在の廃棄物がどす黒いヘドロとなり、魔力炉の制御核へ張りついて放熱を妨げていた。
「これじゃ、能力で一気に隔離することも、圧縮することもできない。魔力炉ごと空間を切り取っちまう……!」
中央門を止めるには、魔力炉に張り付いたあの巨大な混合廃棄物の山を、手作業で、種類ごとに丁寧に引き剥がして『分別』するしかない。
それは慎吾一人では、どう計算しても間に合わない作業量だった。




