第33話 王都を五つに分ける
王都各区から届いた報告札が、王宮の石畳を埋め尽くした。
七か所の収集門から噴出は続いている。慎吾は人数、危険度、道路、必要な専門性を地図へ書き込み、五つの処理区域へまとめた。
「落ち着け。同時多発事故の基本は、現場の区画整理と役割の徹底だ」
慎吾は作業手袋のシワを伸ばし、石畳に描いた王都の図面を力強く指差した。
「王都八十万人の街を、今から『五つの処理区域』に分割する!」
慎吾の低く揺るぎない声が、混乱しかけていた全員の意識を繋ぎ止める。
「第一区域、南西『市民区域』。ここは人口密度が高く、腐魔化による感染リスクが一番高い。エレノア殿下、あんたにここを任せる!」
「私に……ですか?」
エレノアが目を見開く。慎吾は真っ直ぐに彼女の目を見た。
「避難命令と行政権限を直接動かせるのはあんたしかいない。王宮の安全な場所に隠れてちゃ現場は回らない。市民区域に臨時指揮所を置き、避難誘導を指揮してくれ。それと、王室の資材倉庫と王族専用馬車を全部開けろ。怪我人の搬送と防護資材に使う!」
「……承知いたしました! 王家の名において、一両の馬車、一籠の資材も惜しみません!」
エレノアは即座に乗馬服の裾を翻し、近衛騎士たちを引き連れて第一区域へと駆け出した。
「第二区域、北西『商業・冒険者区画』。ここは這い出してきた二次魔獣の密度が高い。ルチア、あんたが討伐の全指揮を執れ!」
「任せろ! だが、討伐後の死骸処理はどうする?」
「第三区域、東『物流・街道区画』のダントさんと連携しろ。ダントさんは運搬路の確保と、死骸を仮置き場へ送る馬車の配車を担当する。そして第四区域、中央『集積・選別区画』のミカ!」
「おう!」
赤い腕章を固く結び直したミカが身を乗り出す。
「ミカ、お前は中央の仮置き場に陣取り、運ばれてくる死骸やごみの危険度を判別しろ。赤は発火、青は毒だ。兵士や冒険者たちに判別基準を伝染させろ。お前が判別ラインの要だ」
「任せとけ! あたしの判定なしでごみを積ませはしないぞ!」
「そして第五区域、王都全域の『腐敗進行停止』。リオラさんと俺で回る。各地の収集門から噴き出す腐魔化の波を、リオラさんの魔法で水際停止させる」
各班から道路と積載量の情報を受け取るたび、『巡回最適化』の経路は更新された。
「一人の強いやつが暴れても街は救えない。五つの区域をつないで、同じ基準で運ぶ。作戦開始だ!」
慎吾の指揮のもと、王都は巨大な処理現場へと変貌した。
第一区域――南西の市民区域。
収集門から溢れ出た腐敗液が石畳を濡らし、瘴気の霧が立ち込める中、エレノアは王宮へ退避することなく、倒壊しかけたバラックの前に自ら陣取っていた。
「王族専用の豪華馬車をすべてここへ! 荷台の装飾を剥がし、傷病者を乗せなさい! 王室の穀物倉庫を開放し、避難した市民に水と食料を配るのです!」
かつて高壇の上から慎吾を召喚失敗と断じた王女の姿はそこになかった。自ら泥に塗れ、王家の罪と責任を背負って市民を鼓舞する彼女の姿に、怯えていた住民たちと近衛兵たちの目が変わっていく。
第二区域――商業・冒険者区画。
ここには、逆流した魔物の死骸から生まれた巨大な二次魔獣が徘徊していた。
「退くな! 核だけを突け!」
ルチアの白銀の槍が閃き、魔獣を倒していく。だが、以前なら討伐して終わりだった冒険者たちの動きが、明確に変わっていた。
「ルチア様! こいつは『発火系』の器官が肥大化しています! 討伐地点の座標は東区画の第三街頭、すぐに回収班へ連絡を!」
声を上げたのは、かつて死骸を放置し、虚偽報告で生じた処理費の負担と実地研修を命じられた高位冒険者パーティー《白金の牙》のリーダー、ガルムだった。
ガルムは研修で叩き込まれた『討伐者の最低義務三点』――正確な討伐地点の記録、危険部位の報告、救命後の回収連絡――を完璧に遵守していた。
「よくやったガルム! 報告手順通り、周囲の血液を砂で覆い流出を防げ!」
「了解だ! 野郎ども、砂袋を持ってこい! 二度と次の魔物を湧かせるな!」
かつて「倒せば仕事は終わり」と考えていた冒険者たちが、制度と教育によって『後始末の担い手』へと成長していた。彼らの正確な報告により、現場の二次被害は劇的に抑え込まれていく。
第三、第四区域でも、ダントの巧みな配車術と、ミカの正確無比な嗅覚判定が猛威を振るっていた。
「東の第三街路は幅が狭い! 小型の荷車三台でピストン輸送しろ! 止まるな、止まれば詰まる!」
ダントが荷運び人たちを喝破し、泥とごみで麻痺しかけていた王都の動脈を力ずくで開通させる。
「そこのお兄さん、そのごみ袋は赤だ! 中に爆発するトカゲの袋が入ってる! 燃えない石の箱に入れろ!」
ミカが指示を飛ばすと、兵士たちが「はいっ!」と素直に従う。かつてゴミ漁りのガキと見下されていた少女は、今や現場の命綱である『危険臭判定担当』として、大人たちを堂々と指揮していた。
そして第五区域――慎吾とリオラは、最も逆流の激しい中央大通りの収集門へ向かっていた。
「『腐敗封じ・広域展開』!」
リオラが杖を掲げ、噴き出す黒い泥と死骸の山に銀色の魔力を浴びせる。
腐敗の進行がピタリと止まり、悪臭が薄れる。
「ふぅ……ハァ……ッ」
肩を激しく上下させ、額から滝のような汗を流すリオラ。彼女の魔力は、すでに限界に近かった。
慎吾はすかさず『隔離積載庫』を発動し、進行の止まった塊を異空間へと収納していく。
「大丈夫か、リオラさん。無理すんな」
「……大丈夫です。私は、専門職ですから」
リオラは浅い息を整えながら、慎吾の作業着の袖を静かに見つめた。
彼女は知っている。慎吾の視界にだけ見えている、あの無機質なカウントダウンを。
彼が元の世界へ帰れる期限――残り、わずか数日。
彼がいなくなるかもしれないという喪失感は、今も彼女の胸を締め付けている。だが、リオラは彼を引き止める甘い言葉も、引き散らすような不安も口にしなかった。
「黒田慎吾。あなたには、帰る場所がある。……だからこそ、今はこの街の現場を、完璧に片づけて見せましょう」
彼女は慎吾が帰るか残るかという答えを急かさなかった。ただ、互いに目の前の仕事を果たし、無事にこの災害を乗り越えて『次の朝』を迎えることだけを前提として、背中を預けていた。
慎吾は手袋をはめた拳を固く握り締め、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……ああ。きっちり片づけて、全員で無事に帰るぞ」
冒険者が残骸の場所と危険部位を報告し、ミカの印を見た兵士が迷わず台車を振り分ける。空になった馬車はダントの配車表どおり次の区域へ回った。慎吾がいちいち怒鳴らなくても、教えた手順が現場を動かし始めている。
その時、王都の地底から激しい衝撃が突き上げた。
「な、なんだ!?」
ダントの叫び声が響く。
南西の市民区域と王宮区画。二方向の警鐘が、ほとんど同時に鳴り始めた。




