第27話 王都へ持ち帰るもの
灰谷を見下ろす西の石切り場には、昨夜避難した住民たちが身を寄せていた。谷底からは、焼かれたバラック小屋の燻る匂いがまだ上がっている。
だが、絶望して立ち止まっている暇はない。慎吾たちには、浄化院の裏帳簿や命令書、そして医療廃棄物といった『王都の不法投棄の証拠』を、一刻も早く公の場に突きつけるという明確な締切があった。
「ダントさん、馬車の車軸の調子はどうだ?」
「おう、昨日の悪路で少しガタが来てるが、王都までなら十分に保つように調整したぜ」
ダントが手綱を握りながら答える。
慎吾は一つ頷き、集落に残る住人たちの方を振り返った。
数人の代表者を王都での証人として連れて行き、大多数の住民は石切り場の仮設避難所と谷の監視に残る。
「五つの区画は絶対に混ぜるな。炉は訓練を受けた三人がそろった時だけ、安全確認済みの木材と有機物を少量ずつ入れる。判断できない物と呪物には触らず、記録だけ残して待ってくれ」
慎吾の指示に、灰谷の回収屋の老人や職人たちが頷く。自分たちだけで全処理ができるわけではない。それでも、何を動かさず、どう監視すべきかを共有できたことは、王都の回収班が戻るまで命を守る力になる。
「おっさん」
出発の準備を終え、慎吾が馬車の荷台に足をかけようとした時だ。
背後から、ボロボロの貫頭衣を着た獣人の少女、ミカが歩み寄ってきた。彼女の腕には、昨日慎吾が巻き付けた『危険臭判定担当』の赤い腕章がしっかりと結ばれている。
「どうした、ミカ。留守番の引き継ぎで分からないことでもあったか?」
「違う。あたしも、王都に行く」
ミカは真っ直ぐに慎吾の目を見て、はっきりと言い放った。
その言葉に、荷台にいたルチアが身を乗り出した。
「ミカ、王都の査問会は遊びではないぞ。浄化院の連中がどんな手を使ってくるか分からない。子供が行くには危険すぎる」
ルチアの言葉は正論だ。だが、慎吾はルチアを手で制し、馬車から降りてミカの正面に立った。
「危険だから連れて行かない、なんて理由は俺の現場じゃ通用しない。だが、保護してやるからついてこい、とも言わないぞ」
慎吾は作業手袋のまま腕を組み、厳しいプロの目つきで少女を見下ろした。
「お前は腕章をつけた現場の人間だ。だったら、王都の現場に『お前が必要な理由』を、仕事の能力で説明してみろ」
ミカは怯まなかった。ピンと尻尾を立て、堂々と声を張り上げる。
「あたしの鼻は、灰谷の廃棄物だけじゃなく、王都の連中がこれから捨てようとしてる隠された毒や火薬も見分けられる。査問会ってのがどんな場所か知らないけど、証拠品の中に混ざってる危険な匂いを証明できるのはあたしだけだ!」
ミカは一歩踏み出し、慎吾を指差した。
「それに、おっさんはちょっと自分の眼と知識を過信しすぎるところがある。昨日みたいな分類不能なバケモノの残骸が出た時、あたしが鼻で嗅ぎ分けて止めてやらないと、またドジを踏むだろ!」
「……違いない。痛いところを突かれたな」
慎吾は苦笑して肩をすくめた。
さらに、ミカは懐から一片の薄い木の板を取り出した。そこには、赤と青のチョークで、不器用だがはっきりとした「危険物の位置と種類」を示す図形が記されていた。
「文字はまだ上手く書けないけど、記録の付け方は覚えた。あたしはもう、ただごみ山を漁るだけの子どもじゃない。おっさんの回収班に必要な、危険臭の判定員だ」
慎吾は木の板を受け取り、そこに刻まれた確かな作業記録の痕跡を見つめた。
自分の感覚を、他人の命を守る記録に変える。ミカは教わった方法を、すでに自分なりに使い始めていた。
「……文句のつけようがない。立派な専門職の主張だ」
慎吾はミカに木の板を返し、その小さな肩にポンと手を置いた。
「合格だ、ミカ。今日からお前を、俺たちの『見習い回収員』として正式に雇い入れる。馬車に乗れ」
「へへっ、やった!」
ミカが満面の笑みを浮かべて荷台に飛び乗る。
だが、慎吾はその背中に向けて、いつになく真剣な声を投げかけた。
「いいか、ミカ。見習いってのは、俺の後ろをただ歩いて、言われた通りに手伝いをするだけの存在じゃないぞ」
「え?」
「俺が間違えたら止める。俺が見落としたら指摘する。そして……将来、もし俺がこの現場にいなくなったとしても、お前が一人で現場の安全を判断して、仲間を動かせる人間になれ」
ミカは目を丸くした。
それは、ただの師弟としての言葉ではない。自分の技術と責任を受け継ぐ『後継者』としての、明確な指名だった。
「……分かった。おっさんがいなくても、あたしが全部綺麗に片づけられるようになってやるよ」
ミカは真っ直ぐに慎吾を見つめ返し、力強く頷いた。慎吾はその返事を聞いて、初めて彼女を守るべき子どもではなく、仕事を継ぐ者として馬車へ迎えた。
「良い弟子を持ちましたね、黒田慎吾」
荷台の奥から、事の顛末を静かに見守っていたリオラが、微かに口元を和ませて言った。
「ああ。俺にはもったいないくらい、筋のいい相棒だ」
慎吾が照れ隠しに作業服の襟を正し、馬車に乗り込もうとした、その時だった。
ピィィン……!
突如、慎吾の視界のど真ん中に、今まで一度も見たことのない無機質な青白いシステムウィンドウが浮かび上がった。
『分別眼』の表示ではない。それは、彼がこの異世界に『大浄化の勇者』として召喚された直後にだけ表示された、世界の根幹システムからの直接のメッセージだった。
――《召喚者の役務進行度を規定値まで確認》
――《次元接続の安定化に伴い、原世界への『帰還門』が開放されます》
「……は?」
慎吾は思わず足を止め、虚空を見つめた。
メッセージは冷酷なまでに事務的に、信じられない事実を告げていた。
――《帰還門・開放期限:残り10日》
――《※特記事項:帰還門接続完了までの間、原世界(日本)の指定座標との一往復通信が一度のみ可能です》
「おい、あんちゃん? どうした、忘れ物か?」
御者台のダントが不思議そうに振り返る。
「……いや。なんでもない。出してくれ」
慎吾は動揺を悟られないように馬車に乗り込み、幌の奥に腰を下ろした。
馬車が揺れ出し、灰谷の景色が徐々に遠ざかっていく。
残り、十日。
それは、元の世界――日本へ帰れるという、召喚者にとって最大の報酬の提示だった。
だが、慎吾の視線は、向かいの席で真剣な顔でチョークの記録板を眺めるミカと、王都の闇を暴く覚悟を決めたリオラの横顔を無意識に追っていた。
元の世界に帰れば、ミカに現場の安全を教える時間は、あと十日で終わる。
リオラたちを置いて、自分だけがごみ収集車に乗っていた日常へ戻るのか。慎吾にはまだ答えが出なかった。
王都へ持ち帰るべきものは、証拠の木箱だけではない。自分がこの異世界で築き上げた『仕事』と『後継者』に対する責任の重さが、帰還のカウントダウンとともに、慎吾の胸に重くのしかかっていた。




