第26話 証拠を消しに来た兵士たち
「浄化院の直属兵だと? なぜ奴らがここに!」
ルチアが白銀の槍を握り直し、灰谷の入り口へと続く緩やかな斜面を睨みつけた。
ダントの報告通り、松明を手にした百名規模の兵士たちが、足音を揃えて灰谷へと下ってきている。彼らの鎧の胸元には、天秤を模した浄化院の紋章が刻まれていた。
「……感染拡大防止を名目に、証拠を押収する気だ。あの焼夷油の量を見る限り、現場の指揮官は家まで残すつもりがない」
慎吾の視界の『分別眼』が、兵士たちの手にする松明とは別に、彼らが腰に下げている無数の黒い壺を捉えていた。
――《発火系・混触禁忌物:軍用焼夷油。広範囲延焼リスク・極大》
あの壺を投げ込まれれば、バラック小屋が密集するこの集落は一瞬で火の海になる。分別も避難もない焼却は、処理ではなく破壊だ。
慎吾が奥歯を噛み締める中、兵士たちの先頭に立つ小隊長が、拡声の魔導具を使って冷酷な声を響かせた。
「灰谷の住人および、不法滞在中の魔物回収班に告ぐ! 我々は王国浄化院直属部隊である! この地において致死性の瘴気病が発生したとの報告を受け、感染拡大防止のための『特別浄化命令』が下された! これより、谷の汚染物すべてを炎にて浄化する!」
「ふざけるな!」
ルチアが斜面に向かって一歩前に出た。
「その命令は王家の承認を得たものか! 我々はエレノア殿下より現地調査権限を与えられている! 王命なくして、この地を焼くことは許さん!」
ルチアの凄まじい覇気に、兵士たちが一瞬たじろぐ。しかし、小隊長は嘲笑うように手元の書状を掲げた。
「これはグレゴール・ハイゼン院長の署名入り『浄化院独自命令』である! 汚染物の封鎖と押収、感染が確認された建物の焼却を命じられている。緊急時には王家への報告を事後とすることも法で認められている!」
「建物の確認もせず、谷じゅうへ火を撒くつもりか! 命令の範囲を越えているぞ!」
ルチアが槍を構え、迎撃の姿勢をとる。
彼女は王国最高位の冒険者だ。本気で暴れれば、百人の兵士を止めることも不可能ではない。だが、相手は国の正規機関の兵士。彼らを殺傷すれば、ルチア自身が国家への反逆者として追われる身となってしまう。
「ルチア、待て」
慎吾はルチアの肩を掴んで制止した。
「……黒田。ここで引けば、住民たちが焼かれるぞ」
「引くとは言ってない。だが、奴らを皆殺しにしても解決にはならない。俺たちがやるべきは、現場を力で制圧することじゃない。奴らが証拠を消しに来たってことは、俺たちが集めた証拠が『致命傷』になるって分かってるからだ」
慎吾は作業手袋の拳を握り込み、仲間たちを見渡した。
「俺たちは、この灰谷が王都のゴミ箱にされているという決定的な証拠を王都に持ち帰り、公の場で奴らに突きつける。暴力じゃなく、事実と証拠で奴らの制度を終わらせるんだ」
慎吾は即座に指示を飛ばした。
「ルチア! あんたは最前線で住民の壁になれ! だが絶対に殺すな、武器と焼夷油の壺だけを正確に弾き飛ばせ!」
「……了解した。死なない程度に痛めつけてやる」
「ダントさん! 住人たちを誘導して、昨日作った防護壁の内側に避難させてくれ! それから、王都への帰還用に一番頑丈な馬車を一足早く裏道から抜けさせて、峠で待機させておけ!」
「おう、任せとけ!」
「ミカ、リオラさん! 俺と来てくれ。奴らが火を放つ前に、絶対に確保しなきゃならない『証拠』を回収するぞ!」
ルチアが斜面へと飛び出し、迫り来る浄化院兵士の群れに単騎で突っ込んでいく。白銀の槍が旋風のように舞い、兵士たちの手から次々と松明と焼夷油の壺が叩き落とされていった。
その間隙を縫って、慎吾、ミカ、リオラの三人は、集落の奥に保管していた証拠品の回収へと走った。
「ミカ、昨日分けておいた『王立第一病院の紋章が入った変質薬』と、暴走した『転送装置の劣化部品』を頼む!」
「分かってる! 匂いで一番状態のいいやつを選んどいた!」
ミカが指示された物品を袋に詰め込む横で、リオラは分厚い古文書の束を抱え込んでいた。
「こちらは、第一病院が提出した『正規の廃棄依頼書』の控えです。私が浄化院にいた頃の記録と照合すれば、彼らが確実に医療廃棄物を受け取ったことが証明できます」
「完璧だ」
慎吾は二人が集めた証拠の品々に、次々と『搬送票』を貼り付けていった。
さらに、慎吾自身の手には、王都の地下倉庫で捕まる直前にダントが抜き取った搬入記録の束と、交戦中に小隊長が落とした『浄化院独自命令書』がある。命令書本文と、現場に持ち込まれた焼夷油の量を並べれば、指揮官が命令を拡大解釈したことも示せる。
王都から送られた現物、その出所を示す帳簿と依頼書、そして魔法による移動経路の記録。
「……これだけ揃えば、もう『単独では証拠にならない』なんて言い訳は通用しない」
すべての証拠を頑丈な木箱に詰め込み、慎吾はそれを『隔離積載庫』へと放り込んだ。
「黒田、急げ! 数で押されている!」
集落の入り口で、ルチアが息を切らしながら叫んだ。
殺さないように手加減して戦うのは、彼女ほどの達人であってもひどく体力を消耗する。兵士たちは倒れても次々と後続が押し寄せ、集落の防護壁のすぐ手前まで迫っていた。
「ダントさん、住民の避難は!?」
「子どもと病人は西の石切り場へ入れた! 残った処理班も裏道へ散らしてある。炉の監視役だけ、風上の壕に残した!」
「よし、撤退だ! ルチア、道を開けろ!」
慎吾の合図で、ルチアが槍の石突きで地面を強打し、凄まじい土煙を巻き起こす。
その目眩しに乗じて、慎吾たちは集落の裏道へ駆け込み、石切り場の避難所で代表者と合流してから、峠へ向かった。
背後では、小隊長の命令で空になったバラック小屋の一部へ焼夷油が投げ込まれ、無残な炎が上がり始めていた。命令に疑問を持って立ち尽くす兵もいたが、火を止める者はいなかった。
峠に待機していた馬車に飛び乗ると、ダントがすぐに手綱を振るい、馬を走らせた。
揺れる荷台の中から、遠ざかる灰谷の炎を見下ろしながら、ミカが悔しそうに顔を歪めた。
「……燃やされちゃった。あたしたちの家が」
「ごめん、ミカ。俺たちの力が足りなくて」
慎吾が謝罪すると、ミカは首を横に振って、赤い腕章をつけた腕で涙を乱暴に拭った。
「おっさんのせいじゃない。火を撒けって決めた奴と、止めなかった奴の責任だ」
慎吾は、ミカのその言葉にハッとした。
彼女はもう、ただごみを拾って生きるだけの無力な子どもではない。現場の責任の所在をはっきりと理解し、何と戦うべきかを見据える専門職の目を持っていた。
「……ああ。誰が何を決めたのか、記録で突き止める」
慎吾は、自身の『隔離積載庫』に収められた証拠の重みを感じながら、王都の方向へと鋭い視線を向けた。
「俺たちは逃げるんじゃない。この証拠を王都に持ち帰り、公の場で奴らの喉首に突きつける。それが俺たちの、本当の後始末だ」




