第23話 千台分のごみが降ってくる
灰谷の上空。どんぐりほどの大きさだった空間の亀裂が、瞬く間に巨大な渦となって空を真っ二つに引き裂いた。
地鳴りのような轟音とともに、渦の中から真っ黒な滝が降り注ぐ。
否、それは水ではない。
王都八十万人が数ヶ月かけて排出した生活ごみ、放置された魔物の死骸、錬金工房の毒々しい廃液、そして呪いを帯びた武具の残骸。それらが一切の分別もされず、文字通り『千台分の荷車』をひっくり返したような絶望的な質量となって、灰谷の底へ向かってなだれ落ちてきたのだ。
「嘘だろ……! なんだよ、この量は……!」
制御室から飛び出した慎吾は、眼前に広がる圧倒的なごみの豪雨を前に、思わず絶句した。
「殿下が転送を止めてくださるはずじゃ……!」
ルチアが白銀の槍を握る手を震わせる。
「王都側の圧力が異常すぎたんだ。制御室からの緊急遮断が、物理的なごみの圧力で押し負けた……!」
慎吾の視界の『分別眼』は、もはや個別の危険を警告する機能を失い、灰谷全域を「致死性汚染区域」として真っ赤に塗りつぶしていた。
最初のごみの塊が灰谷の斜面に激突し、腹に響く衝撃が走った。
凄まじい衝撃波が走り、長年積もっていた既存のごみ山をも巻き込んで、巨大な土砂崩れならぬ『ごみ崩れ』が発生する。
「……集落が、危ない!」
リオラが悲鳴のような声を上げた。
このままでは、谷底のバラック小屋など一瞬で押し潰されてしまう。ダントが住民を避難させているはずだが、逃げ切れる保証はない。
「クソッ、俺が全部まとめて圧縮してやる……!」
慎吾が両手を突き出し、『超圧縮』と『隔離積載庫』を同時に発動しようとした、その時だ。
「やめろ、おっさん!!」
横から飛び込んできたミカが、慎吾の腕にすがりついて体重をかけた。
「邪魔するなミカ! 今止めなきゃ集落が……!」
「よく見ろよ! あれ、ただのごみじゃない! 混ざっちゃいけない匂いが、いっぺんに降ってきてるんだぞ!」
ミカの必死の形相に、慎吾はハッと我に返った。
分別眼の赤いフィルター越しに、降ってくるごみの滝をよく観察する。
火竜の脂肪が詰まった樽と、発熱性の鉄くず。
呪いの帯びた武具と、強酸性のスライム廃液。
単独なら圧縮できるものも、これらがごちゃ混ぜになった状態で強烈な圧力をかければどうなるか。
――《混触禁忌物:広範囲無差別圧縮による、超巨大連鎖爆発の危険性・臨界》
「……ッ!」
慎吾は背筋が凍るのを感じ、慌てて能力を解除した。
もしミカが止めていなければ、自分自身の圧縮能力が引き金となって、この灰谷を吹き飛ばす大爆発を起こしていたところだった。
「よく止めてくれた、ミカ。……危うく、取り返しのつかないミスをやらかすところだった」
慎吾は冷や汗を拭い、ミカの肩を叩いた。
「俺一人の能力じゃ、この量はどうにもならない。なら……現場のやり方で捌くしかない!」
慎吾は大きく息を吸い込み、腹の底から声を張り上げた。
「ルチア、リオラさん、ミカ、集落へ急ぐぞ! 避難と分別を同時にやる」
「避難を続けるのですか?」
「子どもと病人、年寄りは高台の石切り場へ。動ける大人にも強制はしない。家を守るため作業へ残る者だけ、装備を渡して班に入ってもらう」
慎吾の瞳には、絶望ではなく、巨大な現場に挑む専門職としての強烈な光が宿っていた。
「俺たちの三日間の仕事を見せてやる。いくぞ!」
四人が谷底の集落へ駆け戻ると、ダントが住民たちを高台へ誘導しようと必死に声を枯らしていた。
「ダントさん、避難はそのまま続けてくれ! 同時に、残ると決めた大人を作業班に分ける!」
「避難と迎撃を同時に回す気か。人手が割れるぞ」
「だから優先する。命が先だ。そのうえで、あんたの運搬指揮で、この集落全体を五つの仮置き区画に分ける」
慎吾は地面の泥に持っていた野帳のペンで素早く線を引き、集落の図面を描いた。
「『発火物』は水から遠い北の岩場へ。『腐敗物』は風下の南へ。『医療物』と『呪物』はそれぞれ隔離。残りの『一般ごみ』で防壁を作る。……混ざるから爆発するし、毒になるんだ。なら、降ってきた端から仕分けして、別々の区画にぶち込めばいい!」
ダントは図面を食い入るように見つめ、やがてニヤリと笑った。
「……無茶苦茶な現場だが、荷を分けるってんなら俺の専門だ。任せな!」
ダントは住民たちの方へ向き直り、荷運びの親方としての野太い声を響かせた。
「作業へ残る者は前へ! 布を濡らして口を覆え。子どもと病人を運ぶ者は西の道だ。どっちも立派な持ち場だ、勝手に入れ替わるな!」
住民たちは自分の意思で持ち場を選んだ。避難班は歩けない者を荷車へ乗せ、作業班は板と長棒を手に、直接触れずにごみを振り分ける準備を始める。
ごみの雪崩が集落の境界へ衝突し、第一波が押し寄せてきた。
「来たぞ! 第一波は……」
「臭い! 生肉と、酸っぱい毒の匂いだ!」
先陣を切ったミカが、赤い腕章をつけた腕で南の方向を指差した。
「青の印だ! こいつは『腐敗物』と『医療物』だ、南の区画へ流せ!」
ミカの嗅覚による素早い判定を受け、ダントが荷車で即席の壁を作り、ごみの雪崩を南の区画へと誘導する。
「リオラさん!」
「はい! 『腐敗封じ・広域展開』!」
南の区画へ雪崩れ込んだ生肉と医療廃棄物の山に、リオラの銀色の魔力が降り注ぐ。腐敗と感染の進行が一時的に止まる。危険が消えたわけではなく、触れないための猶予を作っただけだ。
「いいぞ、その調子だ!」
慎吾が叫んだ、次の瞬間だった。
グチャァッ、という不快な音とともに、第二波のごみの山の中から、赤黒い瘴気を纏った異形の姿がいくつも這い出してきた。
王都から転送される過程で、すでに中で混ざり合い、発生してしまっていた『二次魔獣』の群れだ。
「チッ、やっぱりおまけ付きか!」
ルチアが白銀の槍を構え、魔獣の群れへと突進する。
「住民には指一本触れさせん! ハァァァッ!」
ルチアの槍が閃き、魔獣の核を的確に貫いていく。彼女が倒した魔獣の残骸は、慎吾がすかさず『隔離積載庫』へと回収し、再生の隙を与えない。
上空からは次々とごみが降り注ぎ、ミカが危険を判定し、ダントが誘導し、リオラが封じ、ルチアが魔獣を討ち、慎吾が全体の流れを指揮して圧縮と回収を行う。
絶望的な質量による災害を前に、五人の専門性が完全に噛み合い、数百人の住民が手足となって動く。一人の英雄の力ではなく、組織化された『作業手順』が、この巨大な人災を食い止めようとしていた。
しかし、第一波を振り分けた時点で、ダントが血相を変えて慎吾のもとへ走ってきた。
「あんちゃん、この置き方じゃ次の波までに満杯だ! 五区画の中にも進入路と逃がし道を作らねえと、人も荷車も詰まる!」
慎吾は額の汗を拭い、ごみの山を見渡した。
確かに、入口だけで山を作ればすぐに溢れ、別区画の廃棄物と再び混ざる。
「区画の中を段に分ける。運び込む班と積み上げる班を分離だ。危険物は一時保管まででいい。今は燃やさない」
慎吾は、迫る第二波を見上げた。
「まずは混ぜずに朝まで受け切る。それが今日の仕事だ」




