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第21話 王都から届いた病

「……ふざけやがって。もう人に飲ませられる代物じゃない」


 灰谷の地下空洞。慎吾の手の中で、泥を拭われた王立第一病院の薬瓶が鈍く光っていた。


 それは保管不良で変質し、王立第一病院が使用を禁じた沈静薬だった。それを「魔法の薬」と信じて飲んでいた子どもたちと、熱に苦しむ集落の病人たち。


 豪雨と二次魔獣の脅威を退けたばかりの慎吾たちの前に、王都の無責任が生んだ、最も残酷な結果が姿を現していた。


「おい、ミカ。この薬瓶の他に、似たような匂いのする場所はないか?」


 慎吾の問いに、ミカは鼻をヒクつかせ、空洞のさらに奥、魔獣が巣食っていた背後の暗がりを指差した。


「あっちだ。甘ったるくて、吐き気がする匂いが固まってる」


「案内してくれ。リオラさん、ルチアも来てくれ。ダントさんは子どもたちを頼む」


「おう、任せな」


 ミカを先頭に暗がりへ足を踏み入れると、そこには他の生活ごみや魔物の死骸とは明らかに異なる、異様な廃棄物の山があった。


 慎吾の『分別眼』は医療廃棄物と呪物の混在を警告した。リオラが封印印を読み、感染患者に使った器具と、呪詛を吸わせた包帯だと確かめる。


「注射器みたいな針や、血のついた包帯がそのまま捨てられてやがる……!」


 医療現場で厳重に封印し、専用設備で処理すべき感染性廃棄物。それを何の前処理もせず、ただの「ごみ」として灰谷へ送り込んでいたのだ。


 リオラが震える手で、汚泥の中に落ちていたカルテの束を拾い上げた。


「……これは、十年前に王都の第一病院で使われていた書式です」


「十年前の?」


「はい。当時、王都で小規模な瘴気病の流行がありました。処理しきれなかったその時の汚染物が……ここに」


 そこで、ミカが思い出したようにポンと手を打った。


「そういや、最近集落で流行ってる病気、変なんだ。ただの風邪じゃない。最初は高熱が出て、そのあと肌に黒い斑点ができる。最後は息ができなくなって……」


 ミカが語る症状を聞き、リオラの顔からスッと血の気が引いた。


 銀色の瞳が見開かれ、手からカルテの束が滑り落ちる。


「……高熱、黒い斑点、呼吸困難……」


 リオラの唇が微かに震えた。


 それは、十年前、地方へ左遷された彼女の母の命を奪った病と、全く同じ症状だった。


 王都の汚染された医療廃棄物が、時を超えて灰谷の人々を蝕み、そして自分の母を殺した病と同じものをこの地に蔓延させていたのだ。


「……許さない」


 地下空洞に、かつてないほど冷たく、そして激しい魔力が膨れ上がった。


 リオラの銀色の髪が逆立ち、足元の泥が凍りつくように白く変色していく。


「浄化院の奴ら……自分たちを守るために、こんなものを平然と他人の土地へ……!」


 感情表現が極端に苦手な彼女の顔が、怒りと悲しみで激しく歪んでいた。彼女の視線は、医療廃棄物の山のさらに奥、ごみが送られてくる『転送廃棄門』の巨大な排出口へと向けられていた。


「壊します。あんな門があるから、王都の連中はいつまでも責任から逃げ続けるんだ! 今すぐ魔力回路を焼き切って、二度と使えないように……!」


 リオラが転送門へと駆け出そうとした瞬間。


 慎吾が、その腕をガシッと掴んだ。


「離してください!」


「落ち着け、リオラさん!」


「落ち着けるはずがありません! 私の母は……この灰谷の人たちは、あんなもののために!」


「門を壊してどうなる!」


 慎吾の低く厳しい声が、地下空洞に響いた。


「今あの門を壊せば、灰谷へのごみの転送は止まる。だが、王都の連中がごみを出すのをやめるわけじゃない! あいつらは、ただ別の『見えない場所』を探して、またそこにゴミを捨てるだけだ! 次の灰谷が生まれるだけなんだよ!」


 リオラはハッと息を呑み、動きを止めた。


「俺たちは、ごみを消す魔法使いじゃない。後始末の専門家だ。必要なのは、怒りに任せて設備を壊すことじゃない。誰が捨てたのか、どういう経路で来たのか、その『責任』を公の場で証明して、こんな腐った制度そのものを終わらせることだ!」


 慎吾の目は真剣だった。


 彼は安易な慰めの言葉も、共に復讐してやるという甘い約束も口にしなかった。ただ、現場の現実と、専門職として果たすべき責任を真っ直ぐに突きつけた。


 リオラから溢れ出ていた冷たい魔力が、ゆっくりと収まっていった。


「……っ、うぅ……」


 彼女は顔を覆い、その場にへたり込んだ。声なき嗚咽が、薄暗い空間に漏れる。


 慎吾は彼女の隣に無言で腰を下ろした。気の利いた言葉はかけない。ただ、彼女が立ち直るまで、そばに座り続けることだけを選んだ。


 少し離れた場所で、ルチアもまた、黙って槍を下ろし、壁に背を預けていた。王都の繁栄が、辺境の犠牲の上に成り立っていたという事実。それを目の当たりにした王国最高位の冒険者は、自身の無知を恥じるように目を伏せていた。


 しばらくして、リオラがゆっくりと顔を上げた。その瞳には涙の痕があったが、専門職としての強い光が戻っていた。


「……申し訳ありません。取り乱しました」


「気にするな。あんたの怒りは正当だ」


 慎吾が立ち上がり、リオラへ手を差し伸べる。彼女はその手を取り、しっかりと立ち上がった。


「でも、おっさん。どうやって証明するんだよ?」


 ミカが医療廃棄物の山を指差す。


「こいつらが王都から来てる証拠はあっても、誰が送ったかまでは分かんないだろ?」


「ああ。だから、門が動く瞬間を狙うんだ。動いている門から転送経路を逆算できれば、王都のどこと繋がっているか確実に特定できる」


 慎吾は巨大な転送廃棄門の排出口を見上げた。


「ミカ。この門、いつ動くか分かるか?」


「うん。それが最近、ちょっとおかしいんだ」


 ミカは鼻をヒクつかせながら、排出口の周囲に残る魔力の痕跡を嗅ぎ分けた。


「昔は少しずつ毎日ごみが落ちてきてたのに、最近は詰まってるみたいで、全然落ちてこない日がある。その代わり……『満月の夜』になると、空が裂けたみたいに、上から山ほどごみが降ってくるんだ」


「満月の夜……」


 慎吾は天を仰ぐように上を見た。地下にいるため月は見えないが、日付の感覚は確かだ。


「おい、ルチア。次の満月って……」


 ルチアが顔をしかめて答える。


「……明後日だ」


「明後日……!」


 慎吾の背筋に冷たいものが走った。


 浄化院の処理能力を超えた数ヶ月分の王都の廃棄物が、一度にこの谷に降ってくる。


 ただの不法投棄の証明ではない。集落を丸ごと飲み込むほどの『ごみの災害』が、すぐそこまで迫っていた。

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