第20話 倒す前に、餌を片づけろ
灰谷の地下空洞に、絶望的な悲鳴が響き渡った。
「いやぁぁぁっ! お兄ちゃん!」
天井から崩落した廃棄物の山が、巨大な壁となって空間を二分していた。
その向こう側に取り残された幼い少女の悲鳴。そして、その悲鳴に引き寄せられるように、醜悪な腕を再生させた二次魔獣が身をよじらせている。
「ミナぁぁっ!」
手前に残された兄の少年が、半狂乱になって崩れたごみの山を掘り返そうとするが、大人の身長を優に超える瓦礫の壁はビクともしない。
「くそっ、間に合え……!」
ルチアが白銀の槍を振るい、瓦礫の壁を強引に破壊しようとする。だが、高く積み上がったごみ山は不安定で、下手に衝撃を与えればさらなる崩落を引き起こし、向こう側の少女を押し潰しかねなかった。
「ルチア、止まれ! 闇雲に壊せば生き埋めになるぞ!」
慎吾の鋭い制止の声が飛ぶ。
「しかし、このままではあの子が喰われる!」
ルチアが焦燥に駆られた声を上げた、その時だった。
「おっさん、あそこの壁の右側! 毒も火薬の匂いもしない、ただの鉄の匂いだ!」
赤い腕章をつけたミカが、崩れた瓦礫の壁の一角を指差して叫んだ。
慎吾の『分別眼』がミカの指定した箇所をトレースする。確かに、その部分の大部分は錆びた鎧や壊れた荷車の車輪など、安全な金属ごみで構成されていた。
「よくやった、ミカ! そこから抜くぞ!」
慎吾は作業手袋のまま、金属ごみの集まる箇所へ両手をかざした。
「『超圧縮』……からの『隔離積載庫』!」
ミシミシと音を立てて金属の塊が圧縮され、異空間へと収納されていく。崩落を避けるため、全体のバランスを見極めながらピンポイントで瓦礫を抜き取っていく。
ポッカリと、大人一人が身を屈めて通れるほどの穴が開いた。
「道ができた! ルチア、頼む!」
「任せろ!」
ルチアが地を蹴り、その穴を潜り抜けて分断された向こう側へと躍り出た。
「グルォォォォッ!」
少女に襲いかかろうとしていた魔獣の触手を、ルチアの槍が一閃して弾き飛ばす。
「ミナ!」
兄の少年が穴をくぐり抜け、腰を抜かしていた妹をしっかりと抱きしめた。
「こっちだ、早く!」
ダントが穴の手前から手を伸ばし、二人の子どもを安全なこちら側へと引きずり出す。
間一髪だった。子どもたちの救出には成功した。
「あとはあの化け物を片づけるだけだ! おっさん、急ごう!」
ミカが鼻をヒクつかせながら、魔獣の周囲に残る「餌」の匂いを嗅ぎ分ける。
だが、事態はそう簡単ではなかった。
「……チッ、まずいぞ」
慎吾は瓦礫の穴越しに魔獣を睨みつけ、舌打ちをした。
子どもたちを救出した安堵も束の間、『分別眼』の表示が最悪のシナリオを告げていたのだ。
――《二次魔獣・融合体:限界飽和状態。腐敗ガス及び瘴液の無差別撒き散らしへ移行中》
「どういうことだ、黒田!」
槍を構えながらルチアが叫ぶ。
「あいつ、周囲の餌を食いすぎて自分でも制御できてないんだ。このまま放置すれば、体内に溜め込んだ毒の血と腐敗ガスを、自爆みたいに辺り構わず撒き散らしやがる!」
その言葉に、全員の顔色が変わった。
もしこの地下空間で大量の瘴液と毒ガスが撒き散らされれば、上にある灰谷の集落まで汚染が広がるのは火を見るより明らかだった。
「私が……核を完全に破壊する。その前に再生されるなら、再生が追いつかない速度で細切れにしてみせる!」
ルチアが魔力を練り上げ、槍の切っ先を輝かせる。
「駄目だ、ルチア!」
慎吾が叫んだ。
「火竜の時と同じだ! 中身が張りつめた袋を刃物で裂けば、全部こちらへ飛んでくる。核を壊せても、その瞬間に体液が散れば終わりだ!」
どうすればいい。
圧縮は生きた魔物には効かない。ルチアの攻撃は飛散のリスクがある。
焦る慎吾の隣で、静かに一歩前に出た者がいた。
リオラだった。
「……ルチア殿。私が、あの大口を開けた魔獣の体内に直接魔力を送り込み、内部から腐敗の進行と膨張を強制的に停止させます。その隙に、核を突いてください」
「なっ……! 正気か、リオラさん!」
慎吾が慌てて振り返る。
対象に触れずに遠隔で魔力を送るには限界がある。確実に内部から封じるには、あの猛毒の瘴気を放つ魔獣の至近距離まで接近しなければならない。
「正気です」
リオラは真顔のまま、慎吾を見た。
「あなたは言いました。私の技術が、誰よりも命を守っていると。……専門職としての私の仕事を、信じてください」
その揺るぎない銀色の瞳に、慎吾は言葉を失った。
「……分かった。ミカ! ダントさん!」
「おう!」
「分かってるよ!」
慎吾は瞬時に覚悟を決め、仲間たちに指示を飛ばした。
「俺とミカで、奴の足元にある『餌』を限界まで引き剥がして動きを鈍らせる! ダントさんはルチアが踏み込むための足場を作ってくれ! いくぞ!」
回収班の総力戦が始まった。
ミカが正確に安全なごみを嗅ぎ分け、慎吾がそれを次々と隔離し、魔獣の再生素材を削り取っていく。ダントが廃材を蹴り飛ばして魔獣の前に平らな道を作り出す。
「今です!」
リオラが瓦礫の穴を抜け、魔獣の真正面へと駆け出した。
「グルォォォォッ!」
魔獣が彼女を喰らおうと、瘴気に満ちた巨大な口を大きく開けた。
その瞬間、リオラは魔獣の顎の真下に滑り込み、両手をその腹部に叩きつけた。
「『腐敗封じ・最大出力』!!」
眩い銀色の光が、リオラの手から魔獣の体内へと直接叩き込まれた。
ドクン、と魔獣の巨体が大きく波打ち、直後に動きが鈍った。リオラは腐敗とガスの生成を一時的に止め、内部の圧力が増すのを食い止めた。
「ルチア!!」
「ハァァァァッ!!」
リオラが作り出した完璧な静寂の中、ダントが整えた足場を蹴って、ルチアが宙を舞った。
一切のブレもない白銀の一閃。
槍の切っ先が、硬直した魔獣の胸元を正確に貫き、奥深くにある魔力の『核』を見事に粉砕した。
ビキィィッ……。
断末魔の叫びを上げることもなく、二次魔獣の巨体が崩れ落ちる。
体内の圧力は増加を止めていた。ルチアの槍が開けた穴からわずかに漏れた毒血を、慎吾が吸収材ごと隔離する。
『収集指定……隔離積載庫!』
慎吾がすかさず能力を発動し、崩れ落ちた魔獣の残骸をすべて異空間へと収納した。
静寂が戻った地下空洞。
荒い息を吐きながら、慎吾は膝をついていたリオラに駆け寄った。
「無茶しやがって……。怪我はないか、リオラさん」
「……はい。少し、魔力を使いすぎましたが」
リオラは青白い顔のまま、それでも微かに安堵の息を漏らした。彼女の手は小刻みに震えていたが、それは恐怖からではなく、自らの技術で命を守り切った達成感から来るものだった。
「お兄ちゃん、これ……」
少し離れた場所で、ダントに保護されていた妹の少女が、兄の手に握られていた古い薬瓶を指差した。
慎吾はその薬瓶を受け取り、表面にこびりついた泥を拭い取った。
「……お前ら、こんなもの探して地下まで降りてきたのか」
「うん。熱が出たミナのために、昔ここから拾ってきたのと同じ薬が落ちてないかって……」
兄の言葉に、慎吾の顔が険しくなる。
綺麗になった薬瓶のラベルには、異世界の文字とともに、見覚えのある紋章が刻印されていた。
「これは……王立第一病院の紋章だ」
慎吾の言葉に、ミカが怪訝そうな顔をする。
「病院? なんだそりゃ。ここらへんじゃ、そいつを飲むと熱が下がるって言われてるんだ。ちょっと腹は痛くなるけどな」
『分別眼』が示したのは、医療廃棄物という分類までだった。リオラがラベルを読み、王立第一病院で使用を禁じられた古い沈静薬だと確かめる。瓶の内側には変質した沈殿物がこびりついていた。
捨てられた薬を、灰谷の住民たちは効能も量も分からないまま「魔法の薬」だと信じて飲んでいたのだ。
「……ふざけやがって」
慎吾の奥歯が、ギリッと鳴った。
ごみを隠しただけではない。王都の上層部は、自分たちが出した医療廃棄物が、結果的に灰谷の住民たちを蝕んでいることすらも黙認しているのだ。




