第19話 二人の子どもが消えた
「うちの子が……熱を出した妹のために、古い薬瓶が落ちている『西の地下』へ向かったきり……!」
豪雨を凌ぎ切ったばかりの灰谷の集落で、泥だらけの女性が泣き崩れた。
その言葉に、赤い腕章をつけたミカが尻尾の毛を逆立てて青ざめた。
「馬鹿な……! 西の地下は、昔から王都のごみが雪崩れ込んでできた洞窟だ。色んな魔物の死骸と怪しい薬の匂いが混ざり合って、奥には『生き物みたいな匂い』が充満してる! あそこは魔獣の巣だぞ!」
慎吾の視界の『分別眼』に、新たな警告の赤光が瞬く。
豪雨による汚染は防いだが、劣悪な環境がもたらした疫病と、それに抗おうとした子どもたちの無謀な行動。
現場の危機は、まだ終わっていなかった。
「ダントさん! あんたはここで、子どもたちを救出した後のために、薬湯と温かい毛布の準備をしておいてくれ!」
「おう、任せな! 必ず連れて帰ってこいよ!」
「ルチア、リオラさん、ミカ! 俺と来てくれ。急ぐぞ!」
慎吾は即座に現場の指揮を執り、四人で灰谷の西端へと向かって駆け出した。
西の地下は、長年の間に堆積した王都の廃棄物が地盤沈下を起こし、天然の洞窟のようになった場所だった。
入り口から一歩足を踏み入れた途端、防護布越しでも分かるほどのむせ返るような悪臭と、肌を刺す高濃度の瘴気が一行を包み込んだ。
――《瘴液系・生骸系混合:高濃度瘴気滞留。長期吸入による致死リスク・大》
天井からはドロリとした不気味な粘液が垂れ、足元には割れたガラス瓶や錆びた医療器具、そして原形を留めない魔物の骨が散乱している。
「こっちだ。古い薬の匂いと、あいつらの匂いがする」
ミカが鼻をヒクつかせながら、迷いなく暗い地下道を進んでいく。『危険臭判定担当』としての彼女の嗅覚は、この複雑なごみの迷路の中で最も信頼できる道標だった。
十分ほど深く潜っただろうか。
開けた地下の巨大な空洞に出た瞬間、ミカが「いた!」と声を上げた。
空洞の片隅、うずたかく積まれたガレキの陰で、十歳ほどの少年が、幼い少女を庇うように抱きしめて震えていた。少年の手には、王都の文字が刻まれた古い薬瓶が握りしめられている。
「怪我はないか! すぐに助ける!」
慎吾が駆け寄ろうとした、その時だった。
ズズズッ……!!
子どもたちの背後にそびえていた巨大なごみの山が、突如として身をよじらせるように動き出した。
ただの崩落ではない。ごみの山そのものが、一つの巨大な「生き物」だったのだ。
狼のような魔物の頭骨、爬虫類の鱗、スライムの粘液、それらが王都から捨てられた薬品の空き瓶や錆びた剣とともに融合し、ドロドロとした一つの醜悪な肉体を形成している。
王都の廃棄物が産み落としたバケモノ――『二次魔獣』だ。
「ひぃぃっ……!」
子どもたちが悲鳴を上げて後ずさる。
「下がれ!」
鋭い裂帛の気合いとともに、ルチアが前衛に飛び出した。
白銀の槍が閃き、子どもたちに迫ろうとしていた魔獣の触手――無数の骨が連なった腕――を一撃で斬り飛ばす。
ボトボトと、斬り落とされた部位が地面の汚泥の中に落ちた。
しかし、次の瞬間。
地に落ちた触手が、周囲に散乱していた別の腐肉や薬品の残渣をスポンジのように吸収し、元のサイズ以上に膨れ上がりながら本体へと再結合したのだ。さらに、斬られた本体側の断面からも、周囲のごみを吸い上げて新たな腕が瞬時に生え揃った。
「……チッ、駄目だ。斬った端から周囲のゴミを喰らって再生する!」
ルチアは無闇な連続攻撃を即座に止め、槍を構え直して慎吾を振り返った。
「黒田! こいつは単なる物理攻撃では倒しきれん。周囲の環境そのものを武器にしているぞ!」
力任せに暴れるだけの脳筋ではない。一流の冒険者としての彼女の冷静な判断に、慎吾は短く頷いた。
「ああ。こっちの眼でも確認した」
慎吾の視界の『分別眼』には、魔獣の厄介な特性が表示されている。
――《二次魔獣・融合体:周囲の汚染物質を吸収し無限再生。環境依存型》
「ただ倒そうとするな!」
慎吾は作業手袋の拳を強く握りしめ、指示を飛ばした。
「あいつの強さは、周りに無尽蔵の『ごみ』があるからだ。あの魔獣にとって、この地下空間全体が餌箱なんだよ。餌を全部切り離さなきゃ、勝てるわけがない!」
「どうすればいい!」
「まずは魔獣と周囲の廃棄物を分断する! ミカ、あんたの鼻で爆発しない『安全なごみ』の位置を特定しろ! リオラさん、ミカが指定したごみを中心に腐敗を止めて、魔獣の吸収を邪魔してくれ!」
「分かった!」
「承知しました。ミカさん、指示を!」
「こっちだ、この山は安全だ!」
ミカの嗅覚による誘導と、リオラの魔力による遅延。
そして慎吾は、二人が安定させたごみの山に向かって両手をかざした。
「『超圧縮』! からの、『隔離積載庫』だ!」
周囲の廃棄物が次々と圧縮され、異空間へと収納されていく。彼らは魔獣に直接攻撃を加えるのではなく、魔獣の周囲から『環境』そのものを奪い取るという、特殊なチーム戦を展開し始めた。
「ルチア! 俺たちが周りを綺麗にするまで、奴の注意を引いてくれ! 再生されるから深く斬り込むな、いなすだけでいい!」
「合点承知だ!」
ルチアが槍の柄を使って魔獣の攻撃を軽やかに弾き、空洞の中央へと誘い出す。
慎吾たちの連携によって、魔獣の周囲から徐々に餌となる廃棄物が消え去り、むき出しの岩肌が見え始めていた。
作戦は完璧に機能しているかに見えた。
だが、二次魔獣は本能的に己の餌場が奪われつつあることに危機感を覚えたのか、突如としてその肥大化した巨体を大きくよじらせた。
魔獣の身体が、天井を支えるように積み上がっていた巨大な廃棄物の柱へ激突した。
「しまっ……!」
慎吾が叫んだ瞬間、ガラガラと凄まじい音を立てて、金属や廃材の雪崩が空洞に降り注いだ。
「危ない!」
ルチアが身を呈して、近くにいた兄の少年を庇う。
しかし、もう一人――幼い妹の方が逃げ遅れた。
崩れ落ちた廃棄物の山が、無情にも空洞の空間を二つに分断してしまった。
「いやぁぁぁっ! お兄ちゃん!」
「ミナ! ミナぁぁっ!」
土煙が晴れた後。
分断された廃棄物の山の向こう側。そこには、一人取り残されて泣き叫ぶ少女と、退路を塞ぐように蠢く二次魔獣の姿があった。




