第15話 左遷先は、証拠の到着地点
早朝の王都、北門。朝霧が立ち込める中、一台の幌馬車が静かに出発の準備を進めていた。
魔物死骸回収班である慎吾たちは、浄化院の圧力により王都での活動を禁じられ、魔物被害で放棄されたとされる辺境の地『灰谷』へと向かうことになった。表向きには、不法侵入の罪を問われた彼らの、事実上の左遷であり追放である。
だが、馬車の前で荷物を縛り直している慎吾の顔に、悲壮感は欠片もなかった。
『搬送票』の反応は、今も灰谷で止まったままだ。
「表向きは左遷ってことになってるが、好都合だ」
慎吾は作業手袋のシワを伸ばしながら、荷台に乗り込んだリオラたちを振り返った。
「浄化院が王都のごみを転送して隠した先が、灰谷だ。左遷先は、俺たちが探していた証拠の到着地点そのものってことだ。俺たちからすれば、これはごみの移動先を追うための出張に過ぎない」
「ええ。浄化院は私たちを遠ざけたつもりでしょうが、自ら不正の温床へ案内してくれたようなものです」
リオラが静かに頷く。彼女の横顔には、かつて己の報告を握り潰した巨大組織に対する、専門職としての静かな闘志が宿っていた。
「黒田慎吾。出発の前に、これを」
蹄の音を響かせて駆けつけてきたのは、数名の近衛騎士を従えた第三王女エレノアだった。
彼女は馬を降りると、重々しい蝋の封印が施された羊皮紙の筒を慎吾に手渡した。
「殿下、こいつは?」
「王家の印章を捺した、灰谷の『現地調査権限』を示す王命書です。現地の状況を調べ、もし浄化院の不法投棄の確たる証拠を見つけた場合、この書状があなたたちの身分と調査の正当性を保証します」
エレノアの瞳は、王都の平和を信じていたかつての甘さを捨て、冷徹な為政者としての光を帯びていた。
「これは敗走ではありません。王国が長年隠蔽してきた罪を白日に晒すための、反撃への第一歩です。王家の名において、真実を持ち帰ることを命じます」
「……了解だ。ごみの行方は、きっちり現場で確かめてくる」
慎吾は王命書を内ポケットにねじ込むと、エレノアに向かって軽く右手を挙げた。
「ダントさん、出してくれ」
「おう。道中は揺れるぜ、しっかり掴まってな」
御者台のダントが手綱を振るうと、馬車はゆっくりと動き出した。
ルチアが荷台から顔を出し、見送るエレノアに深く一礼する。
「殿下、王都の守りは騎士団に任せます。我々は必ず、この国の病巣を断ち切る証拠を持ち帰ります」
朝霧の中、王都の巨大な城壁が少しずつ遠ざかっていく。
慎吾たちは追放されたのではない。真実を掴み、王都を正しい形に「片づける」ために、自らの意思で歩み出したのだ。
王都から北西へ向かう道中は、険しい山道が続いた。
馬車に揺られながら、慎吾は持参した水筒の水をあおった。
「しかし、灰谷ってのはそんなに酷い場所なのか?」
「ええ。公式記録では、二十年前の魔物による大規模被害で人が住めなくなり、放棄されたことになっています」
リオラが膝の上で両手を組みながら答える。
「ですが、実際には王都から送られた大量の廃棄物が長年にわたって蓄積し、重度の汚染地域と化しているはずです。十年前、灰谷から発生した瘴気病が近隣の村まで広がり……私の母も、その病で命を落としました」
彼女の声は淡々としていたが、その奥に隠された喪失の痛みを慎吾は察した。安易な慰めは言わず、ただ黙って相槌を打つ。
「どんな毒の沼地だろうと、魔物の巣窟だろうと、私の槍で道を切り開いてみせる」
ルチアが力強く宣言する横で、ダントが馬を操りながら声を張り上げた。
「おい、あんちゃんたち! 見えてきたぜ。あれが灰谷だ」
峠を越え、眼下に広がった光景に、馬車内の全員が息を呑んで言葉を失った。
それは「谷」という言葉から連想される自然の風景ではなかった。
巨大なすり鉢状の地形の底。そこには、見渡す限りの『ごみの山』が連なっていた。
王都の生活ごみ、建築廃材、腐敗した魔物の死骸、そして錬金工房から垂れ流されたであろう極彩色の廃液が沼を作り出している。
谷の底から立ち昇る薄暗い瘴気の靄が空を覆い、太陽の光すらも遮っていた。
「……酷いな。想像以上だ」
慎吾は荷台から身を乗り出し、視界を覆い尽くすほどの『分別眼』の警告表示を睨みつけた。
――《生骸系・重度腐魔化:広域汚染》
――《瘴液系・混触禁忌物:揮発性有毒ガス発生中》
「待て、ダントさん。馬車を止めろ!」
谷の入り口へ続く下り坂の途中で、慎吾は鋭く指示を出した。
「どうした、あんちゃん。まだ底までは距離があるぜ?」
「これ以上、無防備に下るのは危険だ。空気が死んでる。谷底に溜まってるのは、ただの悪臭じゃない。複数の薬品と腐敗ガスが混ざった揮発性の有毒気体だ」
十八年間の現場経験が、慎吾に警鐘を鳴らしていた。換気設備のない密閉された処分場の底に溜まるガスは、数回の深呼吸で人を死に至らしめる。
「全員、王都で買っておいた防護布を出せ。ただ巻くんじゃない。水筒の水でしっかり濡らしてから、鼻と口を隙間なく覆うんだ。水分子が水溶性の有毒ガスをある程度吸着してくれる。ルチア、あんたもだ」
「わ、分かった。……なるほど、息がしやすい」
慎吾の迅速な現場判断により、全員が濡らした厚手の布で顔を覆う。
「よし。ルチアは前衛、ダントさんは馬を落ち着かせながらゆっくり下ってくれ。リオラさんは俺の横で、周囲の腐敗ガスの濃度に注意してくれ」
「承知しました」
万全の態勢を整え、一行はゆっくりと灰谷の底、ごみの迷宮へと足を踏み入れた。
谷底へ降り立つと、そこは異様な静寂に包まれていた。
地面は長年の廃棄物の重みで踏み固められ、奇妙な地層を形成している。足元には見慣れた王都の製品の残骸が転がり、ここが王都の裏側であることを無言で証明していた。
「……静かだな。魔物すらいないのか」
ルチアが槍を構えながら周囲を警戒する。
「いや、いるはずだ」
慎吾が答えようとした、その瞬間だった。
ガサッ!
右手の巨大なごみの山の陰から、小柄な影が弾かれたように飛び出してきた。
「魔物か!?」
ルチアが槍を突き出そうとするが、慎吾が「待て!」と制止した。
飛び出してきたのは、ボロボロの貫頭衣を纏った、犬のような丸い耳と尻尾を持つ獣人の少女だった。
年齢は十六歳前後。垢まみれの顔の中で、警戒心に満ちた大きな瞳だけがギラギラと光っている。
「人間……? いや、ただの流民か?」
慎吾が歩み寄ろうと、首に巻いていた予備の防護布に手をかけた時だ。
少女は獣のような驚異的なバネで地面を蹴り、慎吾の懐へ飛び込んできた。
「おっと!?」
攻撃ではない。少女の狙いは、慎吾の手に握られていた『濡れた防護布』だった。
彼女はすれ違いざまに見事な手際で布をひったくると、そのまま数メートル先のごみの山へ軽やかに着地した。
「あ、こら! そいつは俺の予備だぞ!」
慎吾が声を上げるが、少女はひったくった布の匂いをスンスンと嗅ぐと、「使える布だ」と判断したようにニヤリと笑い、素早い動きで再びごみの迷路の奥へと消えていった。
「……追うか、黒田?」
槍を構え直したルチアが尋ねる。
「いや、いい。深追いは危険だ」
慎吾は奪われた布の方向を見つめながら、口元を覆った防護布越しに低く笑った。
「それにしても……公式には無人のはずのこの谷に、あんなに元気なガキがいるたぁな」
少女の存在は、灰谷がただのゴミ捨て場ではないことを示していた。
王都から送られてくる廃棄物を漁り、この凄まじい汚染環境の中で生き抜いている人々が、確実に存在しているのだ。
「調査のやりがいがありそうだぜ」
慎吾は作業手袋の拳を握り込み、聳え立つごみの山を見上げた。




