第14話 死臭の魔女は証言する
冷たい石造りの地下牢。壁から染み出す淀んだ湿気が、肌を刺すように冷たい。
リオラ・セレネは、冷え切った石のベンチに座り、手首に嵌められた重い拘束具を静かに見つめていた。
王都の地下で浄化院の兵士に捕縛されてから、半日が経過している。まもなく、不法侵入と設備破壊の重罪を問う公開査問会が開かれるはずだった。
恐怖はない。あるのは、十年前に自らが犯した「逃げ」に対する決着の時が来たという、静かな覚悟だけだった。
十年前、王国浄化院の記録管理部門で働いていた若き日の彼女は、王都の廃棄物量と実際の処理量が全く一致していないことに気づいた。七割近くのごみが「浄化魔法で消滅した」という虚偽の記載で処理されていたのだ。
彼女はそれを上層部に報告した。だが、正義感からの行動はあっけなく握り潰され、結果として彼女は現場の最前線へと左遷された。
以来、彼女は死骸や汚物にまみれる現場で働き続け、いつしか人々から『死臭の魔女』と蔑まれるようになった。権力に屈し、真実を追うことを諦めた代償だと、自分に言い聞かせながら。
だが、今は違う。
隣の牢に目をやると、魔力中毒から回復したばかりの黒田慎吾が、拘束具を気にすることもなく飄々とあくびをしていた。
彼は権威に媚びず、ただ現場の事実だけを信じる。彼が示した『灰谷』への不法投棄という真実を、今度こそ握りつぶさせはしない。
「行くぞ、罪人ども」
鉄格子の向こうから現れた警備兵の冷酷な声とともに、牢の扉が開かれる。
リオラは顔を上げ、自らの足で真っ直ぐに歩き出した。
王宮内に設けられた査問室は、息が詰まるほどの厳粛な空気に包まれていた。
慎吾、リオラ、ルチア、ダントの四人は、中央の証言台に立たされている。
正面の一段高く設えられた席には、第三王女エレノアと、王国の法務官たちが並んでいる。そして証言台の対面には、告発人として、豪奢な純白の法衣に身を包んだ王国浄化院長、グレゴール・ハイゼンが立っていた。
「……以上の通り、彼ら四人は神聖なる浄化院の地下施設へ不法に侵入し、あろうことか処理を待つ廃棄物に火を放ちました。これは王都の安全を脅かす、極めて悪質なテロ行為に他なりません」
グレゴールは静かな、だが議場全体を圧するような声で告発を締めくくった。
「冗談じゃねえ」
慎吾は手首の鎖を鳴らしながら、はっきりと反論した。
「俺たちは、帳簿から消えたごみがどこへ行くのかを確かめに行っただけだ。火を放ったのは、俺たちを煙ごと口封じしようとしたあんたの部下の神官だろうが」
「見苦しい言い逃れですね。神官が自らの施設に火を放つ理由がどこにありますか」
「大量の廃棄物を、古代の転送装置を使って『灰谷』へ不法投棄してるのを隠すためだ」
灰谷、という単語が出た瞬間、法務官たちの間にざわめきが走った。
しかし、グレゴールの表情は微動だにしなかった。彼は落ち着き払った所作で、一枚の古い公文書を法務官たちに提示した。
「灰谷への廃棄物転送は、不法投棄などではありません。二十年前の王都における瘴気疫病蔓延の際、王都を守るための緊急措置として王家の承認を得た『合法的な非常手段』です」
グレゴールの言葉に、慎吾は目を細めた。
「現在も処理能力を超える異常事態が発生した際にのみ、限定的に使用しています。すべては、王都八十万人の市民の命と清潔な生活を守るためです」
完璧な建前だった。王都を救うための合法措置と言い張られれば、昨夜の転送も「たまたま処理が追いつかなかったための非常措置」として正当化されてしまう。
「……限定的な使用というのは、明確な嘘です」
静まり返った査問室に、冷たく澄んだ声が響いた。
リオラだった。彼女は慎吾の横から一歩前に出ると、かつての上司であるグレゴールを真っ直ぐに見据えた。
「私はリオラ・セレネ。十年前まで、王国浄化院の記録管理部門で働いていた元職員です」
その告白に、議場の空気が再び揺れた。グレゴールの眉が、ここで初めて微かに動く。
「私は十年前、王都が排出する廃棄物量と、浄化院の実際の処理量が全く一致していないことを報告しました。しかし、私の報告は握り潰され、私は左遷されました」
死臭の魔女と呼ばれた女は、誰よりも誇り高い専門職として、言葉を紡ぐ。
「非常時のみの限定使用ではありません。浄化院は十年間、いやそれ以上前から、日常的に処理しきれない七割もの廃棄物を灰谷へ送り続けています。これは王都を守るためなどではなく、組織の処理能力の欠如を隠蔽するための、常態化した不法投棄です!」
リオラの堂々たる証言が、法務官たちの間に決定的な疑念を植え付けた。
「元職員の妄言ですね。左遷されたことへの逆恨みでしょう」
グレゴールは冷たく切り捨てようとするが、慎吾はここで決定的な一手を打った。
「逆恨みじゃない。証拠なら、今この瞬間も更新され続けてるぜ」
慎吾は宙に指で四角い枠を描き、自分にしか見えない『搬送票』の追跡データを法務官たちに向けて指し示した。
「昨日の夜、俺は転送される直前のごみ袋に、移動経路を記録する魔法の札を付けた。その札の反応は、転送された直後から今現在に至るまで、ずっと『灰谷』の奥深くを示し続けている」
慎吾は言葉を切らずに畳み掛ける。
「昨日あんたたちが転送したのは、非常時の生ごみだけじゃない。古い錬金工房の廃液や、劣化した呪物まで無分別にごちゃ混ぜだった。あんな混触禁忌物を人が住んでる土地に送れば、すぐに二次魔獣が湧く。緊急時の合法措置だなんて言い訳が通るレベルの分別状態じゃなかったぞ」
議場は騒然となった。
だが、グレゴールは決して取り乱さなかった。彼は冷ややかな目で慎吾の手元を見た。
「黒田慎吾。あなたのその『魔法の札』とやらは、王国の既存魔術で検証できるのですか? あなた以外に全項目を読めないような不確かな魔法を、法的証拠だと主張するのは、いささか無理があるのでは?」
慎吾は舌打ちをした。痛いところを突かれた。
搬送票は付与後の移動しか追跡できず、他者には表面的な情報しか見えない。慎吾が口で読み上げるだけでは、単独での証拠能力を持たないという制約を、グレゴールは本能的に見抜いているのだ。
「静粛に」
白熱する議場を制したのは、第三王女エレノアだった。
「双方の主張は平行線です。浄化院の言い分を覆す完全な証拠もなく、また黒田慎吾たちの証言を確定させる客観的証拠も、現時点では不足しています。したがって、不法侵入と設備破壊に関する正式な裁定は一旦保留とします」
エレノアは法務官たちを見渡し、最後に慎吾たちへ視線を向けた。
「ただし、騒動の中心となった臨時『魔物回収班』の王都内での活動は、事実確認が済むまで停止を命じます」
「おいおい、俺たちが止まったら、王都にごみが溢れるぞ」
ダントが声を上げるが、エレノアは小さく首を横に振った。そして、慎吾の目を真っ直ぐに見て、力強く宣言した。
「その代わり、黒田慎吾、リオラ・セレネ、ルチア・ヴァレン、ダント・グランの四名に対し、王家の権限において『灰谷の現地調査権』を与えます」
エレノアの言葉に、グレゴールの顔色が変わった。
「殿下! それは……!」
「浄化院の転送が合法的なものであるならば、現地を調べられて困ることはないはずです。黒田慎吾。自らの目で灰谷の現状を確認し、報告しなさい」
それは、事実上の「証拠を見つけてこい」という王女からの密命だった。王都での活動停止という処罰の形をとりながら、最も核心に近づくための権利を与えたのだ。
査問会が終わり、拘束を解かれた四人は王宮の廊下を歩いていた。
「やれやれ。これで俺たちは、公認の辺境調査隊ってわけか」
慎吾が手首をさすりながら言うと、ルチアが鼻を鳴らした。
「灰谷は魔物被害で放棄されたと公式にはされているが、実際には行き場のない流民や獣人たちが暮らしていると聞く。王都の廃棄物がそこにどう影響しているか……見過ごすわけにはいかん」
「ああ」
慎吾は視界の端で点滅し続けている、搬送票の反応を見つめた。
――《現在地:灰谷。状態:腐魔化進行中》
「札の反応は、今も灰谷の奥底から続いている。見えない場所に押し付けられたごみが、あそこでどんな惨状を引き起こしてるのか。俺たちがきっちり片づけて、決定的な証拠を持って帰ってくるぞ」




